shin-1さんの日記

○友人の見舞い

 毎朝新聞の訃報欄を見る度に、自分と同じ60歳から70歳辺りの年齢で亡くなっている人が載っていると、少し変な気持になります。「ああそろそろ自分もそんな年齢になったか」と思ったり、「いやいや自分だけはこれからも元気でいたい」とやせ我慢の気持ちが心の中で頭をもたげたりするのです。訃報欄を見る限りは確かに80歳や90歳の人の訃報が圧倒的に多く高齢化社会を印象付けますが、それでも60歳前後の今時若いと思われる訃報はなぜかわがことのように心が痛むのです。

 昨日ラジオで「命」をテーマにした番組が組まれ、それぞれの著名人が「命」についてうん蓄を述べていました。「命とは今を生きること」「命とは他の命をいただいて生きること」「命とは生かされて生きること」「命には大小の差などない」などなど、自殺者の数が3万人を超えた日本の悲しい現実に向かって沢山のメッセージを発していたようです。

 私も何度か命の危険にさらされました。怪我などは別として、自分の知らない間に体の中に異変が起こり、25歳の時に一回、56歳の時に一回それぞれ大病を患いました。幸いその病気は体内に火種を残しつつ現在に至っていますが、再発しない保証はどこにもなく、「体に悪いことは止める」の一心で酒をやめたりしながらこれまで何とか命をつないできました。しかし体力の衰えを少し感じる年代になると、死への不安がちらつき始めるのです。昨日の朝、90歳になっている親父が「わしも長くはない」といきなり言うのです。私は持論を展開し「県内には100歳を超えた人が650人もいるのだから、まだまだ10年は大丈夫」と精をつけてやりました。親父の年齢まで生きるなら私などはまだ26年間も生きねばならないのです。

 「命とは今を生きる」ことだとすると、今の連続が人生ですから今をしっかりと生きねばならないのです。また私たち人間は動植物の命をいただいて自分の命を作っているのですから、体に良い命をいただいて感謝しながら生きねばなりません。さらに「生かされて生きることも頭に置かねばならないのです。私の健康の源は私だけで到底守れるものではありません。妻は私が病気になってから人一倍食事に気を配り、体にいいものを食べさせてくれます。言い換えれば私の健康は妻のおかげなのです。

 一昨日友人の見舞いに松山の病院へ立ち寄りました。日曜日とあって病院の中はやけに静かで、どこか扶南さえ感じさせる静けさでした。数日前見舞いに来ているものの、病院は病気の進行状況によって病室が変わるため受付のおじさんに病室を聞きました。するとやはり前と違った病室でした。4人部屋が個室になっていました。ノックして部屋に入ると娘さんや親類の夫婦と思しき人がいましたが、顔見知りの私の来訪を知って、狭い病室から出られ、私に席を譲ってくれました。ほんの10分足らずでしたが、本人の口から病気の状況を聞きました。最近肺炎を併発して差し当たり元の病気である肺がんの治療はさて置き、肺炎の治療に専念しているとのこと、隣の人に迷惑をかけるので個室に移ったことなどを、息苦しい言葉で説明してくれました。彼が言うように前回から見ると病状はおもわしくないようでした。それでもしっかりとした口調で「命」について語ってくれました。自分でどうすることもできないもどかしさが、元気なころは気丈だっただけに強く伝わって胸が痛みましたが、早く元気になってと月並みな励ましをしてしっかりと握手をして病室を出ました。

 「ここにも生きようとうする命がある」と、長い廊下に向かって掲げられた部屋ごとの病人名の名札を眺めながら思いました。エレベーターを待っていると「若松さんではありませんか」と車いすの方から声をかけられました。「何をしに来られましたか」「はい友人の見舞いに来ました。ところであなたは」「はい私は糖尿病でもう3ヶ月も入院していますが、一向に良くなりません」と笑って話されました。見覚えのある人の顔を見ながら「頑張ってください。早く良くなりますよう祈っています」「ありがとうごじます。がんばります」と会釈をしてエレベーターに乗り込みました。「命・命・命・・・・・・・・」頭の中で「命」という言葉がグルグルと回っては消えてゆきました。

  「生きたくて 生きれぬ人も いるんだよ 命粗末に することなかれ」

  「友人の 日増し弱りし 手を握り 頑張れいいつ 病室を出る」

  「昨晩も 眠れぬ一夜 だっただろう 眠った吾の 一夜比較し」

  「病室を 出でて車の カーラジオ 命特集 命命か・・・・・」

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shin-1さんの日記

○親子で温泉

 警察官をしている三男の息子が久しぶりにわが家へ帰ってきました。特殊な勤務ゆえ赴任地から約2時間ほどなのですが、年に1回くらしか帰ってきません。ましてや帰っても仕事がら余り喋らず、妻は少し不満気味なのです。この週末は研修のため警察学校に入校していて、学校が近いこともあって日曜日の夜遅くわが家へ帰って一泊しました。

 昨日は研修が終わる最後の休日らしく、親子三人で奥道後へ日帰り温泉に行くことになりました。奥道後までの道中は自宅から1時間程ですが、途中でJR松山駅へ立ち寄り、来月長野県へ講演に行く際の旅行チケットを手配しました。昨日は体育の日の振り替え休日とあって、市内は混雑もなく奥道後まで息子の運転する車を走らせました。親子水入らずでの温泉は久しぶりで、温泉とバイキングがセットのチケットをフロントで買い求め、妻とは別に二人でゆっくり入浴しました。息子は生まれてからずっと痩せた体型をしていましたが、この1か月の入校生活が余程リラックスできたのか、少しふっくらしてきたようです。いつの間にか親の背を抜き、すっかり逞しくなった息子の体型に親として少しだけ安心しました。

 奥道後の温泉は湯質もよく、広いジャングル風呂の中には熱帯樹が生い茂り、まるで南国を思わせるような雰囲気で、大小10余りの違った湯質の温泉が楽しめるのです。加えてサウナもあってたっぷり汗をかきました。

 11時から1時間余りをかけたのんびり入浴の後はいよいよバイキングの食事です。昼時を少しずらしたためか、お客さんも満員ほどではなく、比較的ゆっくりとした雰囲気でした。料理のメニューも金額にしては豊富で食べ放題ですが、それほど食べれる年代でもないので、野菜サラダ、お寿司、デザートなど日本食的な好きな食べ物を幾つかみつくろい食べました。息子はやはり若く、唐揚げやウインナーなどをメインにしていましたが、自分で「最近食が細くなった」というくらい、余り食が進まず妻を心配させました。それでも3人はそれぞれの料理を楽しみ1時間弱で満腹感を味わい、早々にお暇しました。

 奥道後周辺の野山はまだ秋の気配をあまり感じられませんでしたが、温泉の入口付近広場では早くも秋の菊花展の準備が始まっているようでした。

 帰りは息子の車ながら妻が変って運転し、温泉の湯疲れと満腹で眠くなった体を後部座席に沈め、息子は助手席でそれぞれウトウトしながらわが家へ帰ってきました。息子は夕方帰る予定だったので、二階の自室に入って午睡を楽しんでいるようでしたが、私は伊予市の水口まり子さん宅へお魚を持って出かけました。

 その夜の夕食は妻の手料理が沢山並ぶいつにない御馳走で、昼間の食事と比較しながら、「やっぱり食事はわが家が一番」と息子と私が妻の手料理を褒めながら食べました。親父もこれと同じ食事が隠居へ運ばれ、少し暗くなった午後6時過ぎ美味しそうに食べていました。

 息子はもう年内には休みが取れないので帰れないといい、妻の用意した着替えや食べ物を車に積んで、満月で明るい夜道を帰って行きました。研修が終わる閉校式があるそうで、また元の任地に戻り厳しい仕事が待っているようです。帰り際「なりたくてなった警察官だから頑張る」と胸を張って帰る姿に頼もしさを覚え、妻と二人で見送りました。

 束の間の息子の帰郷は私たち両親にとってもホッとする、そして安心のひと時でした。これから長い警察官としての仕事を思うと大変でしょうが、それなりに頑張ってくれるものと信じています。いい一日でした。

  「久し振り 帰った息子 誘いあい 日帰り温泉 親子で出かけ」

  「三男と 二人裸の 温泉で 四方山話 花を咲かせて」

  「子と親は 幾つになっても 親と子で 心配の種 尽きることなく」

  「何時になく 御馳走過ぎて 腹調子 少しおかしい 感じになりて」

 

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