shn-1さんの日記

投稿者: | 2008年10月2日

○内向きと外向き

 最近はインターネットが普及して、私のような田舎に住んでいる人間でも、その気になってインターネットを使えば、世界各国の情報が瞬時にして自分のデスクに届くのですから、便利な世の中になったものです。今や最も格差を感じるのはインターネットが使えるかどうかというのだそうですが、わが町にはまあインターネットに縁遠い人だって沢山いて、インターネットの話をしてもまるでチンプンカンプンという話をよく耳にするのです。例えば私が毎日のように書いているブログだって、約祖に努めている人でさえ読めないのですから、どんな立派な文章を書いて毎日配信しても、インタネットを使えない人には猫に小判、馬の耳に念仏といったところでしょう。

 私たちは知らず知らずのうちにこんな情報社会に生きていて、外向きな情報にはかなり敏感になってきましたが、外向きの情報が多い反面内向きな情報に意外と疎くなっているように思えるのです。海の向こうのウォール街の金融情報がその日のうちに自分の手元に届くのに、隣近所の情報は中々入ってこないばかりか、知らないことだっていっぱいあるのです。私は昨日までの二日間山口県へ出張していました。故郷を離れたのは僅か二日間ですし、大きな地元のニュースは時折かけてくる妻の電話で報告を受けるのですが、妻の行動範囲の情報収集能力はたかが知れていて、そんなに広い範囲の情報はつかみ得ないのです。

 昔から地元の噂話の火種は散髪屋と風呂屋といわれるように、人の集まりところには必ず情報が集まります。もっともその情報の中には単なる噂話もあるのですが、それでもそんな場所に時々顔を出すと知らないことをいっぱい教えてくれるのです。

 この二日間の留守中に、少し深刻な話が持ちあがっていました。プライバシーにかかわる話なので公表はできませんが耳を疑うような話でした。この話は今朝の散歩で同じ散歩をしている町内では著名な方から、「あんたこんな話知ってるか?」と、唐突に立ち話で聞いたのです。「知らない」といえば、「ここだけの話なので、私から聞いたと言わないようにしてくれ」と釘を刺されて話を聞きました。「へえー、そんなことがあったの」と、僅か二日間の留守中の話に驚いたものです。正直身近な情報に疎くなったと思いました。これまでは良きにつけ悪しきにつけ役場という社会に身を置いていたため、身近な情報は沢山入っていましたが、今はそんな情報も頭の上を通り過ぎているのです。

 もうひとつ、自分自身のことになると、自分の外への関心が募る余りに大切な内面を見忘れてしまいがちになっているようです。こういう時代だからこそ自分を知り努力をしなければならないと思うのです。

 人間は自分というもう一人の自分を案外知らないようです。「自分」という文字を分解してみると「自分」の「自」は

独自なもの、「分」は一部分だと思うのです。浅学非才な私に自分を語る能力などありませんが、自分は自分であるとあると同時に他のもの、つまり全体の一部分ではないかと思うのです。そう考えれば人間と人間、人間と自然との共生という人間の生き方も見えてくるのです。

 何年か前グロ-バルとローカルを組み合わせてグローカルという言葉を作ったことがありますが、自分とはまさにグローカルなものえあること思うのです。インターネットの世界はグロ-バルな地球規模の広い情報ですが、耳や肌で感じるローカルな情報も必要であり、付け加えるなら自分のミクロカル(勝手に考えた造語)な内面に潜む紹鴎もまた必要な気がするのです。朝から難しい話を書いてしまいました。

  「外向きに なればなるほど 内向きが 疎かになる 気をつけなくちゃ」  

  「昨日まで たった二日の 留守中に 色々起こる 知らないニュース」

  「自分とは いかなるものぞ 考える そんな暇ありゃ もっと働け」

  「留守中に 届いたメール 数知れず 日々刻々と 時代は進む」