shin-1さんの日記

○台風とともに

 旅先の宿だというのに今朝も相変わらず午前4時に目が覚めました。このホテルにはパソコンもないため何もすることがないので、朝読書を約1時間やりました。それからまだ薄暗い外に出て散歩を1時間ばかり、宿に戻って朝湯を楽しみました。これも旅の楽しみの一つです。一緒に泊まっていた担当者の安冨さんも起きてきて一緒に風呂に入りました。さすが世に知られた名湯だけあっていい湯加減でした。

(宿泊場所となったセントコア山口の朝の風景)

 朝食は和食を注文していたため案内されたレストランの方に進んで、おいしい朝食を御馳走になりました。残念ながら私は家庭にいる時キャベツとリンゴ、通称キャベリンを食べて黒酢を飲むのですが、今朝はレタスや水菜を主体とした野菜と牛乳でした。昨晩は台風の進路が気になって、遅くまでテレビをつけてウトウトしていたため少々寝不足のようでしたが、朝食後の散歩や、散歩後山本さんが迎えにくるまでの1時間のウトウトですっかり元気を回復しました。

(ホテルの窓から見えた台風一過の湯田の街)

 今日は中川さんに代わって山本さんが私を柳井までご案内してくれるのです。山本さんは昨晩の皆さんの話だと雨男らしく、朝の天気が心配されましたが、私が晴れ男なので私の運が勝ったのか、今朝は台風一過の好天に恵まれ、ホテルの窓から見える湯田の街は雲ひとつない青空でした。彼は学校の先生らしく几帳面で、一分の狂いもなく約束の10時きっかりにホテルへ迎えに来ました。同乗させてもらい色々な国道を通って柳井を目指しましたが、これも予定通り12時に市内に入り和食店で昼食を食べました。

(台風一過の穏やかな瀬戸内海の島々を車窓い眺めながら走りました)

 途中の右手に広がる海は真夏の太陽がぶり返したようでキラキラと輝き、遠くには国東半島や丸木舟で黒曜石を積んで航海した懐かしい周防灘の海が開けていました。また原発で揺れる上関や祝島もよく見えて、何年か前にお邪魔いしたことを懐かしく思い出しました。

 今日の会場となるアクティブ柳井に到着すると、準備のため先発し昨晩交流した社会教育・文化財課の面々が優しく迎えてくれました。


(柳井の伝建地区)
(柳井の町並み)
(国木田独歩の旧宅)

(急な坂を登った丘の上に国木田独歩の旧宅はありました。大分県佐伯市にも独歩の旧宅がありました)

 私はまだ講演まで時間があるので、思い切って近くの柳井伝建地区の見学に出かけました。愛媛にも内子町という名の知れた町並みがありますが、柳井の町並みも綺麗に整備されていて見る目を奪われました。国木田独歩の居宅跡まで急ぎ足で歩いて見学をさせてもらいましたが、まるで真夏のような暑日に汗だくだくでした。しかし歩く人も平日の昼下がりなためかまばらで、どこか寂しい感じもしましたが、日本人の心のまずさや文化に対する理解のなさには失望です。こんな文化をもっともっと見てもらい、文化度を高めもらいたいものです。

(講演会場となったアクティブやない)

 急いで会場まで帰り身支度を整えて講演に備えました。この日は日本のはるか洋上を去りつつあるため台風で防予汽船が欠航する心配もなくなり、無理をいって少し休憩時間を早めてもらい、午後4時10分の便に間に合うよう講演を終わりました。山本さんの車で柳井の港まで送ってもらい、周防大島の北側航路を通って二日ぶりに四国の地に帰ってきました。帰路の途中再び周防大島大橋の下をくぐり周防大島を右手に見ながら海峡の心地よい潮風を楽しみました。山口と愛媛の狭い海峡を受ける頃には綺麗な夕日が船上から見えました。

(往路見た雨の中の橋とは違い秋空にかかる周防大島大橋)
(周防大島旧東和町家室島辺りに落ちる夕日、対岸には双海町があり、私は毎日ここを見て暮らしているのです)
(日の丸と夕日は何とも美しい)

台風が気になって今回の旅は少々長く感じられましたが、何の粗相もなくわが家に9時前に到着し、妻の手料理で一日を占めくくりました。

(私たちが20年間にわたって無人島キャンプをした由利島が印象的に夕映えの海に浮かんでいました)

 メールの整理をしましたが、たった2日間だけなのにまあ凄いメールの量でびっくりしながら返信を書き、要件を処理して、明日の予定では午前と午後の会議を終えて福井県へ旅立つ予定です。忙しい日々は当分続くようです。

  「蚊に刺され 独歩訪ねて 坂登る 眼下に遥か 瀬戸の島々」

  「久し振り 訪ねし柳井 町並みも 人通りなく 猫が昼寝す」

  「宮本が 生まれし島を しみじみと 眺めつ船は 三津を目指して」

  「夕映えに 浮かぶ小島の 懐かしさ 俺はあの島 大統領だ」

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