shin-1さんの日記

○大恩人・人間牧場へ来る①

 年間いか程の人が来るか分らないくらい人間牧場へは子どもから大人まで沢山の人が訪れます。その人々には重さも軽さもなく誠心誠意対応しているのですが、今回だけは特別な意味を持った大恩人として迎えなければなりませんでした。というのも私は21世紀えひめニューフロンティアグループという小さなボランティア団体の代表をしています。昭和56年9月に結成以来既に28年を経過していますが、その間無人島に子どもたちを連れて行ってキャンプを行ったり、廃屋を借り切ってフロンティア塾を開いたり、常に瑞々しい活動を展開してきました。その活動を下支えしてもらった人は数知れないのですが、唯一資金面でパトロンとして支えていただいたのが関奉仕財団の関宏成会長さんとそのとりもち縁を持ち続けてもらった元県職員藤原茂さんなのです。パトロンといえば男と女の何か怪しげな関係を連想しますが、あの民俗学者宮本常一のパトロンが渋沢だったことは周知の事実だし、私にとっても敢えてパトロンと呼ぶに相応しい人なのです。

 関さんとの出会いは突然やって来ました。藤原さんを介して関さんが私に会いたいというのです。この様子は詳しく私たちのグループの20周年の軌跡を書いた自著本「今やれる青春」という本に詳しく書いているので省略しますが、その時関さんは私に100万円の小切手をくれました。赤貧洗うが如き貧乏グループの代表にとってこのお金は喉から出の出るほど欲しい程でしたが、お金の魔力を知っている私は格好をつけて一度は断りましたが、是非ということで結局はいただいたのです。それ以来ご縁が深まり毎年30万円づつ10年を超えて資金提供を受けているのです。普通これだけの援助をしているのですから口も出すのでしょうが、一片の報告書程度で一切それもなく今日まで、資金とエールを送り続けてくれているのです。

 そして昨年は関奉仕財団が創設した第1回教育文化賞に私を選んで下さり、副賞として30万円をいただいたのです。私はこの賞金を使って人間牧場に赤とんぼの家を作りました。勿論足りない分は親父や息子の実労支援を受け何とか完成させました。

 先日日頃のご支援お礼を兼ねて藤原さん、大野事務局長の三人で関会長さんを会長室に訪ねた折、人間牧場への来訪をお願いしたところ喜んで日程調整し昨日の訪問となったのです。

 会長さんと藤原さんは運転手の運転する黒塗り33ナンバーの凄い車に乗って約束の午後5時きっかり、シーサイド公園に見えられました。本当はメンバー全員と懇談したかったのですが、みんな仕事の都合や遠方で都合がつかず、結局リタイア組の田宮さんと私が対応する事になりました。田宮さんと私は、私の車で先導し、細い山道を走り人間牧場近くまで行き、そこから先の農道は私の車に乗り換えて人間牧場へ入りました。

 この日は一昨日前までの雨が嘘のように晴れ、絶好の天気で気を揉んだ甲斐がありました。この日は①人間牧場を見学してもらう。②海の幸を賞味してもらう。③自慢の夕日を見てもらう。④ホタルの乱舞をみてもらうという少々贅沢なメニューを用意しましたが、いずれも天気あっての物種なのです。

(まず水平線の家を見てもらいました。蔵書の多さや手の込んだロフト、囲炉裏、薪ストーブなどに興味を示していただきました)
(ロケ風呂の発想に驚かれ、眼下に見える下灘漁村の素晴らしい眺望を見ながらしばし談笑しました。先々週子どもたちが植えた芋畑も関心事でした)

(同行した運転手さんも暖簾の前で記念撮影です)
(これが関奉仕財団第一回教育文化賞の副賞をつぎ込んだ赤とんぼの館です。窪田先生の指導で作った竹トンボを手の平に乗せその奇妙さに驚いた様子でした。お土産に贈りました。
(フロンティアグループの力で作ったツリーハウスでは部屋の中に生えている生きた床柱や床下生え出ている枝にビックリ仰天でした)
(人間牧場の入り口にある樹齢二百年のヤマモモの樹や祠も散策しました)

  「恩人が 来るというので ソワソワと 朝から支度 余念なきよう」

  「珍しい 人が来るので 藪蚊たち 揃って出でて チクリチクリと」

  「山坂を 上り下って やっと着く 驚ろきモモの樹 優しく迎え」

  「ほうこれは 凄い仕掛けと 驚きの 様子ありあり ホッと胸撫で」

 

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