shin-1さんの日記

投稿者: | 2006年12月29日

○寒くても花は咲く

 「寒いねえ」。朝晩のあいさつはこんな言葉で始まる昨今ですが、冬の寒さの中でも花をつけて咲こうとする植物があるから不思議なものです。正月の床飾りのため人間牧場へ切花を取りに息子と出かけました。あれほど雑草に覆われていた人間牧場界隈も11月の草刈から2ヶ月が経つというのにあの頃と同じで、草丈も低く風になびいていました。正月前のお墓参りのため親父から頼まれたシキビを一束切り、梅林に行きました。今年60キロも収穫した梅の木は葉は落ちていますが変わって梅の蕾が沢山ついていました。「桜切る馬鹿梅切らん馬鹿」という言葉があるので思い切って大きな二枝を生花用に鎌で切り落としました。枝振りの見事さを思うと、さぞや床の間に似合うだろうと想像しました。妻はお花の免許を持っている近所の友人に毎月一回お花の活け方を習っています。故に自己流ながら毎年正月には立派な生け花が誕生するのです。

 人間牧場の直ぐ側のわが家の畑には自生の水仙が沢山葉っぱを出しています。青々とした葉っぱの中から何輪か花の蕾を持った水仙が冬風に揺れながら寒そうに立っています。ここら辺では水仙の花を何処でも自由に取ることができるので、中には商売人までが正月前の高値の時期に取りに来るので、あたり一面に取ったけれど売り物にならない花が散乱していましたが、私が毎年取るとっておきの場所はさすがに手も入らず、軸の短い水仙を30本余り収穫しました。また林の中に行くと小鳥が仲立ちして繁殖したであろう南天が真赤な実を付けていましたのでそれも3本切り、後は若松に新芽をわが家の裏山から調達すれば全て自家製の金をかけない正月飾りが出来上がるのです。

 「何も咲かない寒い日は、下へ下へと根を伸ばせ、いつか大きな花が咲く」という言葉を思い出しました。梅も水仙も南天も全て寒い日までに花を咲かせる準備を人知れずしていたのでしょう。そう思うと梅の花も水仙の花も南天の真赤な実もいとおしい感じがしました。さて何も咲かないこの冬休みを私はどんな根を下へ下へ伸ばしたのでしょう。日ごろの節制が足らず腰を痛め、喉まで痛めるというアクシデントに見舞われ、根を伸ばす余裕などまったくありませんでした。お陰で養生の日々を少しだけ本を読むことに専念できたのは救いですが、まだまだ修行が足りません。

 残り少なくなった日捲りカレンダーの片隅に「万策尽きたとき、諦めないという妙案がある」という言葉を見つけました。そういえばかつての夕日によるまちづくりも万策尽きた時が何度もありましたが、あきらめないという妙案で乗り切りました。その時は諦めないなんて妙案とも思いませんでしたが、今にして思えば妙案中の妙案だと思うのです。

 寒い日は暖かい場所に居がちです。20度を超えるストーブを焚いた居間で過ごしていると、廊下の戸を開けただけでスーと冷機が入って、早く戸を閉めて欲しいと思います。ところが寒くても戸外でいると寒いから体を動かすようになり、体内からエネルギーが生まれポカポカしてくるのです。部屋の中で鼻が出て仕方がないのに外で働くと意外と鼻は止まったりするのですから不思議です。

 子育ても温かい場所だとモヤシのような子どもが育ち、少し寒い場所で育てた方がいいのかも知れないと冬休みでわが家に来ている孫を連れ出して裏山に散歩に行きました。木切れを拾ってチャンバラごっこをしたのですが、孫は夢中になって楽しく遊びました。さっきまでストーブの前で寒い寒いと連発していた孫とはまるで別人のようです。「おじいちゃん。また明日チャンバラしよう」とねだる有様です。テレビも本もいいけれど、自然に触れたり創作の遊びをさせることは親の責任かもしれません。

  「色白の 孫の姿は もやしっ子 雑草みたいな 元気が欲しい」

  「寒くても 戸外チャンバラ 面白い 明日もしようと 孫にねだられ」

  「華やお茶 金をかけずも 楽しめる 梅に水仙 南天若松」

  「ああ今日も 腰の痛さに 悩まされ 整体通う 明日こそ直れ」 

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