shin-1さんの日記

投稿者: | 2006年12月14日

○田舎と都会

 田舎の反対は都会でしょうか。定年でサラリーマン生活をリタイアした私には出張など縁遠いものと思い、都会への旅はもう旅行にでも行かなければ高嶺の花だと諦めていましたが、私のリタイアを知った多くの方々から講演のお声がかかるようになって、再び田舎と都会の往復が出来るようになりました。つまり私は当てはないけれど不定期的な田舎と都会のパスポートや情報回路を手に入れたのです。これは私の人生にとって極めて大事な出来事で、今やそのことが日々の暮しにメリハリをつけてすこぶる充実した日々を送っているのです。

 一昨日まで東京で2日間過ごしました。このところ頻繁に行く東京ですが、さすが東京は世界に誇る街だけあって行く度に様々な新しい発見があって、何か分らない新しい風を感じるのです。多分私が普通は田舎に住んでいるからその異文化ギャップの大きさを感じるのかも知れません。だとしたら田舎に住むことは都会を感じる一手段だと思えば、うかうかと田舎に住むのではなく、都会から帰って感じる田舎の良さも悪さも含めて少し勉強しなければならないのです。

 私の町に住む人たちの殆どは田舎暮らしに満足したり不満を言ったりしながら日々の暮しに明け暮れていますが、都会という対立軸にある社会をさも知ったかぶりで一方的にののしったり、田舎の良さを誇張しているのです。「都会は人間が信用できなくて治安が悪い」「都会は騒音がひどく大気が汚い」「都会の水は臭くて飲めない」「都会は人が沢山いてごみごみしている」などなど、都会の悪い面が強調され、結果的に「都会は悪い」というレッテルを張るのです。

 じゃあ反対に都会から見た田舎はどうでしょうか。確かに田舎が主張する都会の悪さはある面であるにしろ、田舎だって五十歩百歩だと思うのです。「田舎はのんびりしているというがハエが止まっても分らないような田舎ののんびりは如何なものでしょうか」「2時間に一本しか来ないような列車を待たなければならない不便さは如何なものでしょう」「雨が降れば濁る水は果たして衛生的で美味い水といえるでしょうか」「人の噂を噂話としてあることないこと話して喜ぶ社会は正常でしょうか」。なんて考えると田舎の住みにくさも随分考えさせられる部分があるようです。

 水は必ず高い所から低い所へ流れます。人間は文化の低い所から高い所を目指すのです。じゃあ文化が田舎にないかとお叱りを受けそうですが、決してそうではありません。むしり田舎には都会にない誇るべき文化が一杯あるのです。でも田舎はその持てる文化に気付かず、時代の流れと片付けてどんどん失っているのです。このような田舎では過疎になって住む人がいなくなるのは当然のことかも知れません。水が美味い、空気が美味しい、人がいいだけで人は住めないのです。事実私の町でも水が美味しいのに、空気が美味しいのに、人がいいのにこの50年間で人の数は1万人から5千人に半減しているのです。つまり田舎は田舎らしく生きる知恵をこの50年間持たなかったのです。空気が美味く水が美味しく人情が豊なのに自分の子どもには「こんな田舎に住んでいたら父ちゃんみたいに田舎にくすぶって生きなければならない」と「向都離村」の教育をさせ、優秀な子どもに育てて都会へと送り届けてきました。田舎は都会人になるための「都会人養殖場」だったのです。結果的には長男がいやいや残る社会となりました。役場も過疎地脱却と称してそれを後押しし、都会の真似をすることがさも過疎対策だと言わんばかりに横並び幕の内弁当のような文化会館を無造作に建てたりしてきました。嘆かわしいのはこれほど時代が田舎のスローな暮しを欲しているのにそのことに気付かず、いや気付こうともせず相変わらず田舎の何であるか分らぬままに一方では田舎の良さを過信し都会の悪口を言いながら何もせず暮らしているのです。

 昨晩愛媛大学で藤目先生に出会いました。立ち話もなんだからと先生の研究室で話しました。前回会った時はグリーンツーリズムをお互い進めようと張り切っていた先生が、少し落胆するような話をするのです。愛媛の、特に南予を活性化しようと愛媛県庁がやっきになっているようです。多分来年早々行われる県知事選挙の対策と思われますが、それでも遅れている第一次産業を活性化しようとする方針には大賛成です。でもかつて南予レクリェーション都市構想をうたい、莫大な資金を投入した惨めな結果は誰も責任も取らず説明責任を果たさぬまま風化している現実を思うと、手放しで喜ぶ分けにはいかないのです。自分たちの地域を自分たちの手で起さねば幾ら補助金を投入してもいいまちは出来ません。グリーンツーリズムはその意味で南予活性化の大きな知恵ですから、藤目先生の意見には大賛成なのです。あれ程地域を二分する激しい議論を経て合併した市町村も、過ぎてしまえば新しいまちづくりの胎動どころかくだりのエスカレーターのような有様です。広島に次いで合併先進県と胸を張るだけで地域づくりはできません。

 田舎と都市という対立軸を往復しながら、そのギャップを肌で感じ、是々非々を伝え行動をすることが私の使命かも知れません。

  「田舎いい 何処がいいのと 尋ねたら ただ何となく それでもいいか」

  「都会など 住むとこじゃない 言うけれど 住んだことなく 高言吐くな」

  「ノロノロと まるで亀さん みたいだね 田舎に帰って いつも感じる」

  「東京が 俺の頭を 刺激する 今度も少し 風に当たって」 

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