shin-1さんの日記

投稿者: | 2006年12月1日

○町内を回る

 私は300戸足らずの小さな自治会の区長(自治会長)をおおせつかっています。小さいといっても旧双海町では最も大きな自治会で町内には27組もの小組みという組織があります。毎月月初めにはこれらの組長さん宅を回って、市から届く広報を配布しなければなりません。本来なら小回りのきく愛用のヤマハメイトで家々を配るのですが、次男が病院の実習中なのでその単車を貸しているため、今朝は妻の軽四愛車に重い広報を配達順番に積んで出掛けました。早朝5時過ぎの町内は田舎らしく早起きの人が多く、あちらこちらで「お早うございます」と元気なあいさつを交わしながら配って回りました。今朝の外気は何時になく寒く吐く息も白くなるほど冷え込んでいました。それでも約1時間を小走りしたお陰で随分体が温まり、これも役得かと思いました。

 役場を辞盆踊り、秋祭りなどの恒例行事が一段落したこの頃は余計そんな感じがして、自治会長としての責任もあるので少し暇を見つけて町内を回らなければならないと思ったりもしました。

 私の町内でも近頃は独居老人が増えているようです。妻が民生委員をしているので、わが家の入り口にあるお地蔵さんの縁日を毎月21日と決めて、その日は妻が赤飯を作り近所にお接待と称して近所や妻の受け持ち区域に住んでいる独居老人宅へ私が宅配するのです。「おばあちゃんその後いかがですか」と近況を聞くと、まるで日向ぼっこの亀のように玄関からちょこんと首を出し、「いつも気をかけて下さりありがとう。お陰で何とか元気です」と会話を交わすのです。

 先日も面白い会話を交わしました。「若松さん、役場を辞めたそうなが選挙に出たらどうぞな。私らはいつも色々してもらって何のお返しも出来ん。選挙にでも出たら一票入れてあげるんじゃが」と、まあこんな会話です。長話も出来ないので、「選挙に出る時には頼みます」と笑いながらその場を立ち去るのです。選挙になど出る力もその気もないのを知っての話でしょうが、面白い表現をするものだと一人苦笑しました。

 田舎の高齢化はもう数年前から問題になっていて、高齢化は田舎だけかと思いきや、何と大阪の千里ニュータウンなどかつては若者が住んだ街が急速に高齢化して社会問題になりつつあるというショッキングなニュースが、今朝の新聞で報じられていました。確かに半世紀近く経てば20歳の青年は70歳になるのですから当然かもしれません。しかし高度成長に沸いたその頃は50年後の未来年齢なんて誰も想像しなかったに違いありません。人は誰でも確実に一年で一歳歳をとるという現実や、歳をとると車に乗れなくなるという文明の裏側を忘れてしまっているのです。その歳になって何とかしろと文句をいったって誰も助けてくれないのが世の中なのです。若い頃は何でも自分でできるから個人主義がまかり通ります。誰にも束縛されない現代の自由な社会はまさにそれを象徴しているようです。しかし歳をとったり体が不自由になったり、震災や災害にあった時は近隣の力添えがなければ決して一人では生きてゆけないのです。そのことに気がつくのが遅いと人間は人生の仕上げの大切な時期に不幸になるという末路は、今までの小説や身の回りの事例でよく分るのですが、まだそんなことに気付かず相変わらず愚かな暮しをしている人々が何と多いことか・・・・・・。

 「人は何のために生きるの」と訪ねたら、「生きるために生きる」「食うために生きる」「働くために生きる」「人々の幸せのために生きる」「目標を成就するために生きる」「子孫繁栄のために生きる」など人それぞれでしょう。今からでも遅くはありません。ちょっと立ち止まって、鏡に自分の姿を写しながら、自分に向かって「何のために生きるか」「誰と共に生きるか」などを自問自答するのも

大切かもしれません。秋は人恋しい季節です。

  「街歩き 会話重ねる いいもんだ ばあちゃん元気 お陰様です」

  「三十年 後には親父の 歳となる あんなになるのか 少しいたわり」

  「よもぎ餅 隣近所の おすそ分け ハアハアフウフウ 焼いてやきもち」

  「風邪気味で 親父隠居に 遠慮気味 俺より丈夫 昔鍛えし」 


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