shin-1さんの日記

○四国は島です

 この二日日本の中国地方を旅しました。中国という場合チャイナの中国があるから気をつけて話すようにしています。というのも数年前「明日は中国へ行ってきます」と電話で話したら、友人が「それはそれは遠い所へご苦労様です」と言うのです。そして最後に「中国へ行ったら紹興酒を買ってきて下さい」と付け加えました。私は「同じ中国でも島根県です」と訂正して大笑いをしましたが、電話は左様な間違いが時々起こるのです。今回の旅も中国地方の広島と山口なのですが、四国に架かっている3本の橋はいずれも東よりなので二日とも船を利用し、四国が島であることを実感しました。広島の江田島市へは松山から呉までフェリーで行き、呉から小用まで高速船で渡り、港で出迎えの公用車に乗りましたが、島の暮らしぶりは長閑で、乗り合わせた乗客の会話はローカルそのものでした。まったく見ず知らずの私にさえも平気で「お兄さん何処まで行くの、何処から来たの」と矢継ぎ早な質問会話が飛び交うのです。先日訪れた大阪の都会ではとても考えられない光景でした。

 壺井栄の「二十四の瞳」に出てくる「島かと思えば岬なり、岬かと思えば島なり」を彷彿するように、船は島々の間を縫うように走るのです。海にも高速化の波が押し寄せ、高速船は松山と広島を僅か1時間余りで結んでいるのですが、私はあえて安いフェリー便を選びました。少し時間はかかりますが料金は半額で断然お得だからです。

 「広島と山口に行くんだったら隣の県だから一泊すればいいのに」と、お互いの目的地の位置関係を知らない妻は勧めてくれましたが、二日目は松山三津浜から柳井航路に乗りました。愛媛県と山口県の県境を越え、周防大島を左手に見て走ること2時間25分で港に到着、白壁の町柳井の港へは立派な公用車が迎えに来ていました。仕事を終え再びフェリーに乗った頃にはすっかり暗くなり、冬の海を帰ってきたのです。

 瀬戸内海には大小3000余りの島があって、その島も過疎や高齢化のあおりで無人島化しつつあるといわれています。でも船に乗ってこの美しい瀬戸内海を航海できる幸せを、島国四国に住める喜びとしていつも感じています。

 中島本島には古野さんがいる。あの二神島には豊田さんがいる。周防大島には山根さんがいる。そう思いながら遠望かすむ島々を巡ると、船旅は実に楽しいものです。特に無人島キャンプで度々訪ねた由利島横を走る頃には寒い甲板に出て感慨深く見つめていました。

 そう、昨晩電話のかかってきた宇和島の宮川君は宇和海日振島の出身だし、毎年美味しいハマチを届けてくれる宮本正勝さん千里さんご夫妻は戸島なんだ。そう、かくいう私は四国という島に住んでいるんだと実感しました。

  「あの人も俺もみんな島育ち日本という国全てが島です」

  「島岬区別もつかぬ船の旅ふるさとなまり声を掛けられ」

  「長時間乗ってもフェリー何故安い油代とて高いというのに」

  「この海は船の銀座いう程に大小船が盛ん行き交う」

 

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○インターネットでオークション

 私などのように古いタイプの人間は、物を見て確かめないと物は買わないしお金も払いません。ところがわが息子世代は少し変わった買い物だと殆どをインターネットのオークションで様々なデーターを引き出して買うのです。年末には人間牧場水平線の家の重要な備品であるストーブを注文して買いましたし、煙突までも別のメーカーに依頼して送られてきました。「お父さん、どのストーブの型がいいか、このカタログで検討して」と名だたるストーブの情報を印字して持って来ました。見ましたが結局は「お前に任せる」でお金を振り込み送られてきたのです。結果的には気に入ったものが気に入った値段で買えてホッとしましたが、「もしカタログと違った商品であったり、粗悪品であったりしたらどうするのだろう」と考えると、品物を買う勇気を逸してしまうようです。

 二日前にも今度は、念願の五右衛門風呂をインターネットで購入しました。風呂を買うという決断には、私としては少し高価な買い物だけに後ろ足を踏みましたが、当の息子はクールなもので代金を妻から貰って振り込み確認後送られてきました。見た目には中々立派なもので早速大工さんと相談して大工さんのトラックで水平線の家へと運ばれて行きました。

 この様子を見て時代は変わったと思ったのは私一人ではありません。妻などは財布の番人ですからテレビで紹介されるトラブルを頭に思い浮かべて「だまされる」と、私以上の警戒ぶりでした。

 それでも最近ではインターネットのオークショントラブルが後を絶たず、政府も頻繁に流通している販売納入者は個人とみなさず、住所氏名を表示する義務付けを近く制度化するそうです。

 インターネットという顔が見えない情報商売には、物を買う人にも物を売る人にも必ず大きな不安付きまといます。商売はお互いの信頼の上で成立するのですが、振り込め詐欺が横行する世の中です。信じようとしても世の中はいい人ばかりではありません。しかし息子などはそのことを覚悟した上で様々なデーター情報の中から物を買う術を身に付けているのです。私の場合は私に代わって息子がインターネットの窓口になっているからいいようなものの、中々一般の人には理解できない世界だと思うのです。便利な世の中、悪の潜む世の中、どちらを信じたらよいやら・・・・・・。

  「ストーブも煙突さえもパソコンで買える便利を私は知らず」

  「だます人だまされる人それぞれにお互い知恵を出しつ出されつ」

  「もし俺に値段をつけたらなんぼかな期限切れして値段もつかずに」

  「もう古い私のような人間は言いつつ息子と知恵の勝負を」

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○ナンバーワンかオンリーワンか

 かつて高度成長の日本では様々なナンバーワンが登場し、少しでも大きく、少しでも太いものが持てはやされていました。後の首相になった細川熊本県知事が「何でも日本一」を掲げて各市町村を競わせたのがつい昨日のことのように思い出されます。

 今日訪れた山口県美川町にもかつては日本一といわれた直径10メートルを越す大きな水車があり、山水を称えながら長閑に動いてそば粉を挽いているのを見ました。島根県出身の竹下登首相が全国一律にふるさと創生1億円をばらまいたお金の一部で作ったそうですが、その後全国各地に似たような水車がお目見えし1センチ、5センチと訳も分からぬ競争を繰り返してナンバーワン、ベストワンに敗れたのだそうです。よくよく考えてみると、地方出身でありながら東京に移り住んだ細川さんや竹下さんは政治家としては頂点を極めたのですから立派な人に違いはありません。しかし本当に田舎のことを思えばこんなことをしなかったのではと批判したりするのです。昼食を別の店で食べたものですから願いがかないませんでしたが、今度は是非水車で挽いたそば粉のそばを食べてみたいものです。

 美川町にもう一つ素晴らしい日本一を見つけました。昔の坑道後を利用した地底王国「ムーバレー」の地底探検コースです。前兆キロメートルに及ぶ坑内はアドベンチャーモノリスの謎に迫る面白い物語が数多く用意され、総支配人のご配慮ある案内で見学して回りましたが、凄い仕掛けとお見受けしました。私が感心したのは地底奥深くの洞穴の壮大さと湖に映る幻想的な風景、それに音を立て流れる滝の様子でした。修学旅行でも誘致したら女子学生がキャーキャーいう程の内容です。但し私だったらというアイディアも閃きましたので、後日お話したいと思います。日本全国にはわが愛媛県新居浜マイントピア別子を含め鉱山跡を利用した観光施設は沢山ありますが、いいコーディネートが出来ているように思いました。

 美川ムーバレーは水車のようなナンバーワンにはしたくなく、オンリーワンを貫いて欲しいと願っていますが、いかんせんここ2年ほどは度重なる水害や災害の影響で客足が遠のき、経営が苦しいとのご意見でした。でも今日は日曜日だった成果そこそこ人が来ており、坑内の温度が年中一定の16度に保たれている自然の恵みを考えて、ワインの日本一貯蔵熟成庫にしたり、タングステンの鉱脈で文字を書いたり、様々な地底イベントをパロディ王国に仕込み情報発信すれば人気急上昇すること請け合いです。おっと変なアイディアを口を滑らせてしまいました。失言です。

  「人は皆太いか深いか目指すもの太い水車も地底深くも」

  「俺なればあれもこれもと知恵浮かぶやるかやらぬで未来は決まる」

  「切取った高い崖でもクライマー見ればあそこにチャレンジするぞ」

  「地獄だと思っていたら底は夢次から次へ古代の歴史が」

 

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○市町村合併とまちづくり

 昨日は合併して一年程の広島県江田島市、今日は後50日足らずで合併して新岩国市となる山口県美川町へ出掛けました。合併したまちとこれから合併しようとするまちそれぞれに、色々な悩みがあるもんだと皆さんの話を聞いて実感しました。

 今日は山口県美川町という鏡川流域に位置する人口2千人足らずのまちづくりのお手伝いをするため訪ねました。この町へは合併を契機として自治会組織やまちづくり推進協議会を立ち上げるため既に2回も私の講演会が開かれ、今日は3回目、来月4回目はわが町の視察研修を経て目出度くまちづくり推進協議会設立の運びとなる予定です。一つの町にこんなに度々行くことは余りありませんが、行けば行くほど中山間地域の悩みの深さが感じられて、身をつまされる思いがするようです。愛媛県のある首長さんが「合併するも地獄、しないも地獄」と言った言葉はそっくりこの町にも当てはまるようです。

 この2年この町では相次ぐ台風災害や大雨の被害に翻弄されてきました。今でも国道の側の木々には「あの高さまで水かさが増したんですよ」と指を指すほど高い位置にナイロン類が引っかかり、水害の大きさを物語っていました。主産業である林業はとうの昔に衰退し過疎や高齢化、少子化の波は否応なしに押し寄せ、高齢化率が50パーセントを越えた限界集落が幾つもあり、ライフラインを自助努力で賄えなくなりつつあるようです。

 こんな数多くの悩みを持った町が、対等合併とは言いながら吸収に等しい合併をしても、行政サービス化遠のき、負担は大きな街の平等理論に合わされる近い将来を思えば、国や県の財政運営の付けを何故と憤りを覚えずにはいられないのです。

 あと50日すると私たちの町が辿った軌跡そのままに、合併というシナリオに沿った運命が待ち受けていますが、この町がこの2年間をかけて勉強し、自治会を作りまちづくり推進協議会を作って、自分たちの町は自分たちで守ろうと始めた行動は賞賛に値すると思うのです。

 今日の集会での私の話は残念ながら明るい話ではなく、合併した町に住んでいる一人の市民が感じている矛盾や出来事の告白と、これからどう生きたらいいのかというヒントの話だったように思います。人間は未知なる未来に不安を持つものです。夢を持たないと生きてゆく勇気も生まれません。合併して生まれるであろう新しいまちの首長や議員さんにお願いします。彼らに夢を・・・・・・。そして役場に勤める皆さん質の高い行政サービスをお願いします。

  「合併を終わった町の私が夢を語らず誰が語るか」

  「秒読みの指折り数え終わり待つ長き旅路の幕を引く人」

  「高速と新幹線の下を越え何故か不便な山里目指す」

  「その昔ガニ目と称したワサビ漬け食って酒飲み夢を語りし」

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shin-1さんの日記

○ハガキが続々届く

 先週の日曜日、市内の小学校PTAの招きで講演会に出掛けました。普通はお父さんやお母さんに話すのですが、この日は親子で聞きたいということだったので子ども中心に話したことはブログで紹介しましたが、「恐れていたこと?」というより、本当は「嬉しいこと?」なのかも知れませんが、大変な難題が持ち上がりました。

 今週は出ずっぱりで県外県内の仕事が入って余り家にはいませんでしたが、自宅に帰って郵便物の山を見て驚きました。講演を聞いた子どもたちから沢山のハガキが届いたのです。年賀状の余ったハガキ、絵葉書、イラスト入りのハガキ、中には無造作にありがとうだけのシンプルなものまで様々なハガキがどっと届いたのです。そうです。私にとっては「郵便物の山」とか「どっと」という感嘆言葉がピッタリの驚きでした。一枚一枚読むと嬉しさがこみ上げてきました。

 しかし問題はこれからなのです。この子どもたちにお便りを書かなければならないのです。ふと数年前のある中学校の少年式を思い出しました。愛媛県内では昔の元服に当る中学校2年生を対象に「少年式」を行っていますが、その時もある中学校の少年式に講師として招かれたのです。「自覚・健康・立志の少年式にあたり、目標を立てること、実践することが出来る人間になりましょう。ちなみに私は毎日ハガキを3枚書いたら人生が楽しくなるという人の言葉を信じて毎日3枚のはがきを書いています」と、壇上で話したのです。2年生だけでも7クラス大きな学校ですから、明くる日からハガキが50枚単位で来るようになりました。最初は嬉しくて丁寧に書いていましたが、ついに音をあげてしまいました。それでも私はただひたすら書いたのです。すると今度は丁寧な子どもから返信が来るようになりました。お手上げでしたがその子どもの中には今でも文通している子どもが3人いるのです。

 私の来週はとても日程が立て込んでいて、講演や原稿執筆の仕事が沢山入っています。多分少し遅れると思いますが、今回も丁寧に対応したいとため息交じりの嬉しさをかみ締めています。妻は人のことだと思って、「嬉しいことですね。忘れずハガキを書いてくださいよ」とまるで他人事のように、わが書斎の文箱となっている段ボール箱にドサッと入れて立ち去りました。「お前も手助けを」と言いたい心境です。多分担任の先生が「皆さんお礼のハガキを書きましょうね」と誘導したのかもと、思わず笑ってしまいました。

  「子どもからどっさりハガキ来るを見て俺の話もまんざらじゃない」

  「あんなこと言うんじゃなかった講演で後の祭りのしっぺ返しか」

  「嬉しいねこんなに暗い世の中でハガキをくれる子どもいるとは」

  「子はハガキ親はメールの文届く情報様々現代社会」

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○飛行機好きの孫

 私の孫は11月で3歳になりましたが、どういう訳か飛行機が大好きです。多分父親が土曜日の休日になると飛行機を見せに二人で飛行場へ行く日が多かった影響ではないかと思われます。今日も会議が終わったその足で保育園に私が迎えに行って娘の実家であるわが家へ連れて帰る途中、「じいちゃん飛行場へ連れて行って」とせがむので、二人で飛行場が丸見えの公園までドライブに出かけました。

 今日は風もなく良い天気でしたから、子供連れや私のようなおじいちゃんと孫のコンビが数組見学に来ていました。孫は手馴れたもので、飛行機が一番よく見える場所を陣取って私を誘導するのです。運良く日本エアシステムのYS11型機と韓国に向けて旅立つであろうアシアナ航空機の離陸を見学することが出来ました。孫はアシアナもJACも全て父親直伝で覚えていて、私にあの飛行機はアシアナだとか得意げに私に説明してくれました。

 その後は遊具のある側の公園にあるお気に入りの飛行機の形をした遊具で遊んだりしましたが、垂直尾翼がどうのエンジンがどうのと得意になって説明してくれるのですが、私より一歩先を進んでいる孫をを見ながら、兄弟もない一人っ子の孫の遊び相手が飛行機のプラモデルであることへの心配をふと考えました。

夫婦共稼ぎで小さいころから保育園に預けられ育った孫の将来を思うと、自然や同年代の子どもたちとの創作的遊びが決定的に不足しているように思えるから、これからも出来るだけ遊び相手になってやりたいと思いました。

 孫は今日の飛行場見学が余程嬉しかったのか、「男通し」などと口幅ったい言葉で私を喜ばせながら一緒に風呂へ入りました。髪を洗うのも要領よく出来るようになりましたが、母親が帰って来ると寂しがり屋の虫が頭を持ち上げ、それまで「おじいちゃんとおばあちゃんと一緒に寝る」と言っていたのに、さっさと母親の布団に潜り込んでしまいました。やはり母恋しいのでしょうかねえ。

 9時過ぎに風呂に入れ、9時40分ころには床に入りましたが、5分もすると夢の中、片手にはしっかりとお気に入りの飛行機の模型を持ったまま寝ています。多分私と一緒に行った松山空港の思い出を夢に見ながら寝ているのでしょう。

  「飛行機が見たいとぐずる孫を乗せ大回りして飛行機見せに」

  「あれはねと指差しながら説明す知らない私がまるで孫のよう」

  「お馴染みのよく考えよいうセリフお金は大事孫の口癖」

  「プラモデル持って布団で高いびき今日のドライブ夢で見るかも」

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shin-1さんの日記

○封筒再利用の波紋

 退職したから思うのかも知れませんが、役場に35年間も勤めていると封筒や紙類は潤沢にあったので無造作に使い過ぎていたような罪悪感に多少とらわれます。今は百円店のダイソーやホームセンターの文房具コーナーで買った封筒を使っていますが、私のような生き方をしていると案外封筒を使うことが多く、先日も急いで出さなければならない封書があるのに封筒がないのに気付き右往左往しました。結局とっさの判断で比較的無地な封筒をカッターで切り離して裏返し、糊付けをして2通出しました。それを見ていた妻が「まるで昔の浪人暮らし」と冷やかしましたが、数日後私の元へ2通の便りが届きました。Aさんから届いた一通は小包便で封筒がどっさり送られてきました。手紙には「封筒がなくてお困りでしょうからささやかなプレゼントです」としたためてありました。この方は私を封筒も買えない貧乏人と思ったに違いないととっさに判断しましたが、甘んじてご好意を受け入れ感謝のお便りを出しました。

 Bさんから届いたもう一通は「何気なく捨ててる封筒にこうして再び命を吹き込むあなたの姿勢には頭が下がります。私も見習いたいと思います。一枚の封筒にも教えがあるのですね。ありがとう」でした。別にそんな気持ちで裏返しの封筒で差し出した訳でもなく、ただあいにく無くなっただけなのに・・・・と思いつつそうも書けず、「資源は大切にしないと」なんて殊勝な二枚舌をはがきに書いてお礼状を出してしまいました。

 さてあなたなら私から再利用の封書を貰ったらどうされるでしょう。Aさんのように考えるかBさんのように考えるか、それとも無視するか、はたまた別の考えなのか、意見の分かれるところだと思います。このことがきっかけで私はBさんの考えを行動に移してみようと思うようになりました。古い封筒をとって置き再利用の封筒で少しだけ出していますが、効果はてき面でBさんのようなハガキが届いて、私が褒められることは勿論ですが、相手にリサイクル意識を気付かせる一助になっていることは言うまでもありません。

 一枚の紙も無駄にしない心がけをこれからも実行したいものです。AさんもBさんも有難う。

  「裏返し作りし封筒自著を入れその上書籍穴あけて出す」

  「封筒も買えない貧乏お見受けと恵みし封筒どっと送られ」

  「リサイクル糊が要るから止めてよと妻たしなめるそれも一利か」

  「偉いねと褒められ悦に入る私今日も手作り郵便ポストへ」

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shin-1さんの日記

○扇風機に似たハロゲンヒーター

 前年の冬はわが書斎に10月23日の秋祭りを目安にホームコタツを入れて暖を取っていましたが、「我慢大会」ではないものの退職を機に少し寒さにも慣れようと1月下旬の昨日まで、書斎にストーブを置いているにもかかわらず、点火するのを止めていました。しかし今年の寒さは尋常ではなく南国四国といえども早朝4時の気温は5度以下になることもあり、少し寒さを感じていました。これを見た妻が「それを年寄りの冷や水というのだ」と、身体を気遣って叱るものですからついに暖房の羽目になりました。しかし4畳の小さな部屋で灯油ストーブを焚くと酸欠になる恐れがあるので、只今留守中3男の部屋からハロゲンヒーターを持ってきました。

 電気が熱源のハロゲンヒーターはまるで扇風機とそっくりで、つければ直ぐに温かくなるし扇風機そっくりに首振り動作までするのです。温度は2段階ですが熱源の色がオレンジ色なので見た目に暖かく感じるのも気が休まります。ハロゲンを使っている私を見て妻は「それ見なさい。温かいでしょうが。私の意見は親の意見以上と思って聞きなさい」と私のことをまるで子ども扱いです。でも確かに温かく適度な快適さが気に入りました。こんなんだったらもっと早くと正直思っていますが、妻の手前我を張った自分の行動を少々反省しています。

 温度が入ると効率が良いはずなのに不思議なるかな人間は時間が経つに連れて眠気をもよおして来ます。昨日は早朝4時に起床して書斎のハロゲンヒーターの電源を入れましたが、2時間経った6時ころには

少し眠気がやって来ました。前の晩深夜バスの旅だったから疲れていたのかもしれませんが、大脳の働きは温かくなると鈍るということも肝に銘じておかなくてはなりませんね。

 昨夜友人が訪ねてきました。応接間は冷暖房兼用器具を入れているのですが温度が上がるまでには時間がかかります。居間は暮らしの中心ですから色々な生活用品が置いてあるのでごく親しい人でないと失礼に当るので案内をためらいます。気候のよい季節だと煙会所や夕観所へ案内するのですが、昨晩は雑多なわが書斎へ案内しハロゲンヒーターを囲んでの雑談となりました。近づけば結構暖かいので話が弾み深夜にまで及びました。

 今年の冬はこの熱源であと一ヶ月の厳寒期を乗り切りたいと思います。合言葉はハロゲンは「ハロー元気」です。

  「ハロゲンの小さきヒーター暖を取り大寒寒き夜遅くまで」

  「珍しやこの扇風機暖かい初めて見た父目を丸くして」

  「ガラス戸に映りしハロゲン赤々とわが顔染めて少し夜明けつ」

  「ハロゲンの灯り色見て思い出す裸電球ソケット吊り下げ」

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shin-1さんの日記

○書き順が違う

 人の思い込みは自分には中々気付かないものです。何年か前自分の名前を書いていると、ある顔見知りの中学生が「進ちゃんその字の書き準が違う」と唐突に言うのです。一瞬「えっ」と思いました。私は漢字で自分の名前が書けるようになった小学校2年生ごろから、多分何のためらいもなくその間違いに気付くこともなく自分の名前を書いていたことになるのです。

「若松進一」、これが私のフルネームなのですが、最初の頭文字「若」という字は草冠と右が合体していますが、草冠は十と十を別々に書く草冠と十と十が連なった草冠があります。別々だと4画、一緒だと3画で書けます。昔の人は別々に書く人が多いようですが、今は簡略化して戸籍は別々ながら連なる草冠で通しています。

 中学生が指摘したのは下側の右という字の書き順でした。私は普通右という字も左という字も全て書き順は横「一」から書いて次に「ノ」の字をいました。ところが彼女が言うのには「左」という字は「一」から「ノ」で良いのですが、「右」という字は「ノ」が最初で次に「一」を書くのが正しいというのです。役場の職員にそのことを伏せて私の名前を書いてもらいましたが、殆どの人が「一」「ノ」と書いてくれました。

 心配になって書き方辞典で調べてみると、中学生が言うのが本当でした。「あらあんたそれも知らなかったの」と言われそうですが右は「ノ」から書くのが正しいのです。多分国語の時間に先生は教えたはずなのに聞いていなかったのでしょうねえ。それにしてもこの中学生は偉いと思いました。私の50数年間の間違いを一発で見抜いて指摘するのですから・・・・・・。以来私はそのことに気をつけて書くようにしていますが、それでも長年の癖は抜けず急ぐ時には「一」から書いてしまいます。

 同じような間違いに気付いたのはローマ字です。私のローマ字スペルは「wakamatsu shinichi」です。ところがパソコンでは「wakamatusiniti」でも「若松進一」と出ますから、文字の少ない後者を選んで打ってます。昨年カナダ行きのパスポートを用意するため「自分の名前をローマ字で書いて下さい」と言われて「えっ」と一瞬思いました。いつも書いている後者のスペルを書きそうになってその間違いに気付きました。パソコンでは「wakamatsu」でも「若松」、「shinichi」でも「進一」と変換するのです。姓の中の「h」と名前の中の「h」が加わり、それに「ti」が「chi」に変わっても同じ日本語に変換するのですから面白いですね。

 私の名前だけでもこのように面白いことが発見できるのですから、文字にはどんな物語が隠されているのでしょう。ニュージーランドを旅した時外人が私を「しにちさん」と呼びました。ローマ字で呼ぶと「しにち」になりますね。

  「書き順が違うと女性に指摘され出来た名前は同じ若です」

  「同じよな漢字書いても右左書き順違う未だ分からず」

  「わが名前しにちと読んだ外人に私しんいちボディーで示す」

  「ケーシーが右と左を漫談でホワイトボード面白おかしく」

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○3年ぶりの復活

石の上にも3年という言葉がありますが、私の所属している「21世紀えひめニューフロンティアグループ」の代表を降りて早くも3年が経ちました。このグループは私が中心になって設立し、私が20年間も代表を務めた程の思い入れのある集団です。「今やれる青春」「一年一事業」「社会への揺さぶり」の3つをテーマに掲げ、「無人島に挑む少年のつどい」「空からふるさとを見る運動」「モゥーモゥー塾」「丸木舟瀬戸内海航海」「竪穴式住居語り部のつどい」など、斬新なアイディアと行動力で愛媛県内はおろか県外にも聞こえた名だたる集団です。  

 思うところがあって13年前に代表の座を降りたいと会員に申し入れましたが、空中分解するからとそれも適わず20年の長きに渡って小さいグループながら会をリードしてきました。「会員が念願だった20年回顧録を出版したら降りる」という条件を一方的に取り付けて、「今やれる青春」という自著本を出版し、3年前代表の座を降りました。これまでの実績が認められて「愛媛新聞賞」などという素晴らしい賞を受賞しましたが、その後の活動は私の意思を継いだ新代表の想いにもかかわらず少し空転、「社会への揺さぶり」などの3つのテーマが果たせなくなっていました。代表の病気も一要因でしたが、僅か10人余りの集団の魅力維持とリーダーシップの取り方の難しさを味わった代表は、僅か3年間でその座を降りたいと辞意をもらすようになり、私の退職もあって断る理由もなく、彼の申し入れを渋々受け入れ、再び代表となったのです。

 代表復帰は正直言って本意ではありません。この歳になって大きな荷物を背負い込むと集団を破滅させるばかりでなく、私の体力さえも奪うことになるからです。相談した妻も最初は反対でしたし私自身も心の葛藤がありました。でも後7年間はこの会を存続し30周年までは続けようと思っていたので、思い切って引き受けました。当面は会員の意思統一と夢の再生産を掲げて立て直そうと先日の総会で決意を述べました。

幸い昨年自らが始めた「人間牧場」を拠点にしたフロンティアグループの活動を始めます。代表だった彼の申し入れで彼も事務局長としてコンビを組むことになりました。彼曰く「代表になる人、事務局長になる人、それぞれに器のようなものがある」のだそうです。代表を務めて初めてそのことに気がついたそうです。何はともあれ再出発しました。

  「三年の時の流れの早いこと千日以上何をしたのか」

  「異文化に触れない人は衰える輝くためにまず人に合う」

  「ジリ貧の会の再生託されて力入れたる夜なべ談義に」

  「傷をなめ慰め合うよな歳じゃない遅くはないぞ未来に夢を」

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