shin-1さんの日記

○修学旅行とおばさん旅行

 今は旅行業界はシーズンオフと思いきや、沖縄の何処へ行っても修学旅行とおばさん旅行の集団に出会います。昨晩は久しぶりに交際通りを歩きましたが、一見修学旅行と分かる集団が街中を闊歩していました。修学旅行といえば何といっても「安い」です。昔の修学旅行は大きな部屋に足の踏み場もないほど布団が敷かれ、枕を並べて枕投げなどをして遊んだものです。しかしつい最近の修学旅行はそんな大部屋を持っているホテルはありませんから個室なのです。この季節はシーズンオフでホテルや観光業者にとってみたら修学旅行は救世主のような物で大助かりなのです。したがって多少割安な料金で、多少サービスを落すのです。

 街中を歩く高校生を見て思うのですが、服装が何となくだらしない感じがします。スカートの短さはその時代の風潮ですから気にはなりませんが、それにしても制服の下からシャツを出し、それでも顔には薄めの化粧をしている姿からはもう大人の風格です。でも考えや行動は全く幼稚で、国際通りを我が物顔で歩く姿に、今年の成人式にこの国際通りで暴れた新成人の姿をダブらせました。

 高校生の間を元気に歩くおばさん集団を何組も見つけました。金と暇のあるおばちゃん集団は、旅の恥は掻き捨てのような行動をするし、お土産は行く先々で宅配便扱いです。大勢の力を借りて値切りまくり、『お客さんかないませんなあ」と定員を呆れさせていました。

 沖縄名物のちんすこうの試食箱は空になるほど食べまくり、泡盛もまるで酒盛りかと思うほどに飲みまくり、買うのかと思えば平気で飲み逃げです。多分今晩は食事に繰り出し、そんなやり取りをあたかも殊勲のように酒の肴にするのでしょう。

 人のことをどうこうは言えません。かくいう私の妻も今ごろ北海道の大通りに繰り出し、同じようなことをやっていると思うとぞっとします。ああなげかわしやおばさん集団です。

 青森から来た夫婦連れに会いました。今年の3月で定年退職だそうで、退職記念に暖かい沖縄旅行を選んだそうです。偶然にも同じホテルだったようで、今朝朝食会場で同席して、退職後の感想を聞かれました。「話せば長い事ながら」ではありませんでしたが、こんなほのぼの旅行もいいもんだと思ったものです。

 旅か旅行か、その方法は色々ありますが、観光カリスマの私としては経済効果の上がる旅行より、目的をもった心の選択が出来る旅に、日本もそろそろギアチェンジしないとダメですね。

  「泡盛をあれもこれもとはしごするおばちゃん顔をすっかり赤らめ」

  「高校生シャツを出してる入れなさいあんたは古いこれはおしゃれだ」

  「試食箱ないよと店員大慌て買うか思えば隣の店に」   

  「憧れて沖縄くんだり来たと言う退職記念の夫婦ほのぼの」

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○私のスケジュール

 市町村合併というきっかけを機に仕事を辞めて間もなく一年が来ようとしています。35年間終身雇用のような大河の流れの中に、何のためらいもなく身をおきながら生きてきた私にとっっても、また私の周りの家族にとっってもその事実は大きな変化でした。冠や裃を取ったとき本当の人間の値打ちが決まるなどと豪語して望んだ「自由と」いう名の生き方でしたが、大きな不安もありました。無職ということ、家計を支えるということ、家にいるということ、健康ということなどなど、日々の暮らしの支えがない人間の心境は相当なプレッシャーでした。でもこの一年、すぎてしまえば何ていうこともなく、むしろ前にもまして忙しく振舞う私を見て、一番身近な妻が一番安堵しているのではないかと思えるのです。無職という肩書きも大学や旧町のご配慮で非常勤講師や夕日のミュージアム名誉館長という適当な役職を適当に使い分けています。給料はなくなったけど年金生活までの2年間、勤めてくれる妻の紐になりながら基礎年金で飢えもせず持ちこたえられました。家では濡れ落ち葉も家でゴロゴロすることもなくこれまた適当に外に出て過ごしています。また心配された健康も2ヶ月に一度の健康診断結果も上場で、お医者さんからは次の健康診断までの賞味期限を約束してもらえるなど、前にもまして元気になりました。

 自分の家の中にいると自分を見失う恐れがあるので、家から最も遠い沖縄に来たことを契機に、自分の一年を総括し、これからの行き方をあれやこれやと考えてみました。今回沖縄の旅に出る間際、ある友人が『若松さん再三沖縄へ行っているようですが、ライブドア関係の人が沖縄のホテルで遺書も残さず自殺したことが週刊誌に載っていましたが、あなたもそんな旅ではないんでしょうね」と唐突に聞かれました。彼は「いやこれは冗談ですよ」と打ち消しましたが、私はそれほど弱い人間ではありません。それでも余り深刻に考えると、そんなことも連鎖しますので、総括はこの辺で止めて起きます。

 さて、私のただ今のスケジュールは自由人といいながら大変混み合っています。私のような人間にも話が聞きたいと講演依頼が舞い込んできます。4月に自由人になったのを機に「1ヶ月に1週間、まとめて休む」を宣言してスケジュールを調整していたのですが、いかんせん秘書たる人もいないので、結局は以前と同じような忙しさです。

 最近多くなっったのが執筆です。私はどちらかというと人の前で話す講演より文章を書くほうが好きですから、原稿依頼は別に苦にならないのですが、それでもいい原稿を書こうとするとそれなりに読み、それなりに社会の動きに敏感でないとダメです。ブログでパソコン文章作りも随分なれて早くなったので大助かりです。最近は昔に戻って少し長めの原稿も書くようになりました。お陰で旅先では本屋へ入る機械が多くなり、本代もかなりかさみます。家の書斎は本に囲まれています。

 講演ともの書き、それに自治会の世話の合間に人間牧場もやらなけらばならない。ああ、やっぱり私のスケジュールは今日も積んできます。

  「予定表持たずに沖縄来たものの携帯かかっって講演依頼」

  「午前中予定空いてるラッキーとホテルのロビーでブログ記事書く」

  「辞めた春辞めて一年再びに巡りて日々の何と早きか」

  「近頃は何処のホテルもパソコンに向かう人あり時代変わった」

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○沖縄は暖かい

 一年中で最も寒いと言われる2月のこの季節に難と2回も沖縄を訪れるなんてとてもラッキーです。今日は昨日の雨とは打って変わって日本全国が好天に恵まれ、愛媛県松山市から福岡経由で沖縄に入りましたが、四国九州の上空は快晴で、飛行機の窓からは眼下に阿蘇山の全景、雲仙や霧島、そして桜島、屋久島、奄美大島がまるで手に取るように見えました。これらの地域は全て陸上から訪ねた町なので様々な思いが去来しました。特に奄美大島の瀬戸内町上空からは2度も訪ねた加計呂間島の全容が見えて感激しました。今は町会議員となったと風の噂で聞いた池田啓一くんは元気なのだろうかと顔を思い出しました。彼は昨年私との交流の証としてデイゴの木を二本も送ってもらい、その木もふたみシーサイド公園で元気に育っています。

 沖縄に降り立つと2週間前とは違った季節の変わり目を感じました。道行く人の中には早くも半そでに半ズボンの人もいて、「ああ南国だなあ」と感じました。

 昨晩沖縄から電話がかかりました。それというのも前回の沖縄旅行で知り合った民芸酒場かりゆしの弘子さんという女性と知り合った時、「今度沖縄に行くから」と酒の勢いで皆が無責任な話をしていたものですから、律儀にも会う算段となりました。何せ沖縄の夜の町での出来事ですので店の位置もうろ覚えでしたが、記憶の糸を手繰りつつお店を訪ねました。あいにく彼女はまだお店には顔を出してなく、懇親会の途中だったので、顔を合わすこともなく引き上げてきました。また地域政策研究センター研究員の兵頭さんが開発した味と言うお店も、組め郵便局を頼りに歩き続けて立ち寄りました。

 来月の3日には沖縄旅行仲間で反省会をやろうと算段しているので何が何でもであわなければと2万歩にも及ぶ徒歩となりました。

 今日はたっぷり汗をかき、たっぷり沖縄を堪能した一日でした。明日はいよいよ私を招いた沖縄県町村議長会の講演会です。頑張っていきまっしょい。

  「沖縄は暦の上では日本じゃないだって半そでこれほどいるもの」

  「沖縄はみんな元気だ底抜けに酒が入れば踊り口笛」

  「はて私何処へ何しに問われても相手分からず携帯のみで」

  「二週間前に来たのにはや忘れ店の位置など思いも出せず」

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 ○どこかで春が生まれてる  我が家にもようやく春の気配が漂ってきました。冬の寒さから池で飼っている鯉を守ろうと、12月頃に池の上へどこかで頂いた窓ガラスサッシで囲っていたのを親父さんは取り払いはじめました。冷たい水を張った池の中のことだから、ましてやここ四国では水に氷な張らないのだから、何もそんなことしなくてもというのですが。、私のことなどには聞く耳を持たずせっせとやってしまうのです。それは金沢の兼六公園の雪つりにも似た年間のわが家の風物詩として、どうせ私など手伝わないのだから温かく見守りましょうとばかりにほっておきました。池に置いたガラス戸サッシはさすがに重く、手伝ってくれという始末です。左様に頑固者の親父と頑固者の息子では、二人は親子かしらと思うほどに意見の食い違いが見られるのです。 しかし妙なもので、ガラス戸を張っていた時は身じろぎもせず池の隅に集まっていた8匹の鯉が昨日は嬉しそうに池の中を泳ぎ回っているのです。そして親父のやった浮き餌を水面に口だけを出しながら奇妙な姿で吸い込んでいるのです。鯉たちもどこかで春の足音を聞いたのでしょうか。 庭の梅の木も梅の花が満開を迎え芳しい香りを漂わせています。特に親父の作った箱庭の盆梅はそれこそ見事に花を咲かせています。 しかし、こんないい話ばかりでなく畑には早くも雑草が芽を出し始め、親父は草引きは早目が肝心とばかりに草削りに挑戦しているのです。 春といえば、今年はイワシ漁が豊漁とかで、何度か釜揚げの美味しいカタクチイワシの小さいのをいただきました。酢醤油で食べるとご飯が進むし健康食とあって体の調子も良いようです。このカタクチイワシが豊漁なのは魚の世界でも歓迎されるようで、カタクチイワシを餌にするサワラが先日は沢山獲れて浜は久しぶりに活気に満ち溢れていました。お陰さまでサワラの刺身もアラだきも味わうことが出来ました。 春はもうそこまで来ています。まるでウキウキしますね。  「魚偏春を加えりゃサワラ読む漢字はつくづく旬を表す」  「おすそわけもらった三つのふきのとう春の苦味を添えて食卓」  「梅一輪鼻にそっと近づけて匂い楽しむ春の夕暮れ」  「北寒く南は温い細長さそれでも春は駆け足のよに」

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 ○私の台所事情 人間の暮らしにとって台所事情とでもいうべき金銭経済は必ずついて回ります。人間誰もが持つの願望の一つに「お金持ちになりたい」というのがありますが、61年生きてきてついにはその願望も果たすことなく終わりそうです。ここで起死回生の馬や自転車、それに宝くじという手もありますが、リスクの大きさは下手をすると小銭どころかケツの毛まで持っていかれそうで出来ない貧乏人の算段です。 しかしものは考えようでチャップリンのライムライトのように、人生は金銭経済だけでは成り立たず、日々の暮らしを成り立たせるささやかな蓄えさえあれば良いのだと自分に言い聞かせれば、たとえ富を築いた人と出会っても別に萎縮することもなく対等に対峙できるのです。 私はこの30年間、日本銀行の中にある金融広報委員会から委嘱を受けた金融広報推進員をやっています。お金のない私がなぜこんな重要な大役を引き受けているか自分でも不思議に思うことがあります。でも私は私なりに推進員の仕事である金融情報の広報、金銭教育の推進、生活設計の普及などに努めてきました。健康の貯蓄、金銭の貯蓄、知識の貯蓄、人間関係の貯蓄を四葉のクローバーに見立て、私は感動の貯蓄を加えて五つ葉の貯蓄を訴えてきました。 結果的に人にはそれほどのことが伝えられなかったものの、私の生き方を大きく変えてくれました。いつの時代も「入るを知りて出るを考える」という極めて単純なことが分かったのです。10万円しか月収がなかったら9万円の生活をすれば1万円貯蓄が出来ます。ところが30万円と3倍の月収があっても31万円の生活をしたら月々1万円の借金が出来るのです。こんな単純計算が出来ない人がこの世の中には余りにも多く、結果的にサラ金に追い回されたり、競輪競馬で大穴どころか落とし穴に入る人が沢山いるのです。 私は昨年退職し、今年の秋にならないと年金の支給が始まりません。妻はそのことをしっかり承知して5年前から生活設計を立て、私もそのつもりで金を使わない訓練をしてきました。人間牧場の構想もその結果が生んだ新しい錬金術といえるでしょう。若松進一という私個人の台所は人間牧場の建設によって底をつきかけましたが、それでもライムライトのような生き方が出来るのは、我が家の大蔵大臣のお陰です。  「金持ちは死ねばら必ずもめてます俺が死んでもわが家もめない」  「生活のやり方次第で足すか引くこんな単純分らぬ馬鹿も」  「大穴を当てるつもりが落とし穴同じ穴でも穴の深さが」  「顔形生きてゆくには要らぬもの財布扱い出来るが美人」

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 ○私の限界 人間には日々の暮らしの中で、毎日やることが必ずあります。3食食べることや寝ること、仕事をすることなどはこの世の中に生きていく上で、余程の人でない限り誰もがやる日常的行動なのです。そんな行動に例えば朝散歩をすることや読書をするなど、自分が決めたことをプラスして生きると日々の暮らしが充実して人生の生きがいに通じるのです。しかしあれもやりたいこれもやりたいと欲張り過ぎるとかえってそのことが重荷になったり個々のやることがちゅうとはんぱになったりして、いい結果が出ないものです。 誰もが一度や二度の挫折経験を味わっている「日記を毎日つける」という正月の目標も、以外と続かないものなのです。年末にたまたま立ち寄った本屋で見つけた日記帳との出会いだけの単純な動機では、一ヶ月はおろか三日坊主が落ちなのです。 私も日記記帳については随分苦い経験を持っています。字のまずい私は、そのことを克服しようと日記に挑戦したことがあります。しかし結果は自分で書いた日記帳の文字を見てはため息、文章の不味さを見てはため息、書かなかった空白ページを見てはため息の連続でした。年末の大掃除では書かなかった分厚い日記の処分に困り、書いたページを破ってゴミに出したものです。 私の日課はそんな反省もあってか「続けることが何よりも一番」と一年、十年というとりあえずの目標を立てて事に当りました。そしてその目標が達成すると止めるという決断をして、また新しい目標を立てるのです。 私の成果を列記すると、まずシーサイド公園の早朝掃除を朝5時から8時までの3時間、毎日12年間続けました。それから毎日3枚のハガキを書いたら人生が楽しくなるという言葉を信じて毎日3枚のハガキを書いています。これは現在も進行形で新しい年が明けましたので何と19年目に突入しています。早朝掃除とハガキは私に勇気と成果をもたらしました。掃除のお陰で観光カリスマ百選にも選ばれたし、ハガキによって夕日の宣伝や人の出会いが広がりました。ハガキは当面の目標を10年と決めていましたので、私にとって19年という倍の数字は驚異的な成果です。でもやはり20年を区切りに毎日一枚くらいにしないと・・・・と限界を感じるようになっています。それはブログとの出会いでパソコンと向き合う時間が大幅に増えたからに他なりません。私の暮らしもハガキというアナログからパソコンというデジタル時代へと突入したのです。ここにきてやっと時代遅れが解消し、遅まきながら現代社会とのコミュニケーションがとれ始めたのです。 人生の限界が視界に入りつつある還暦を過ぎた私には時間やノルマに追いまくられる日々は充実より疲れを感じる、ここにきて始めての弱音です。「私の限界とは」、これが今年のテーマかも・・・・・・。  「限界を感じず生きたこれまでにそろそろ別れ心の葛藤」  「テレビさえ間もなくデジタル私にもギアのチェンジその時期来る」  「もういいと自分自身に言い聞かせ筆を折るかやハガキ三枚」  「第一は健康体いたわりて余生に春の日差し優しく」 

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shin-1さんの日記

 ○お父さん元気ですか  先ほど雪の北海道へ旅に出た妻から電話が入ってきました。「お父さん元気ですか」、電話を取るなりの開口一番の言葉でした。「お前の夫であってもお前のお父さんではない」と冷やかし半分に答えましたが、やはり旅先でも私とじいちゃんと息子のことは気になるらしく、やれ「食事は何を食べたか、風呂は沸かしたか、ゴミは水曜日だから出すように」とか、「そんなに気になるんだったらいっそのこと旅行なんかに行くな」といってやりたいほどの気遣いです。息子とじいちゃんは炊事や洗濯が出来るのですが、私は忙しさにかまけて何にもしないから気になるのでしょう。ちょっぴりうるさく、ちょっぴり嬉しい電話でした。 妻の電話を取りながら、ふと自分が旅先でかける電話のことを思い出しました。私は妻のように長電話はしません。まさに「一筆啓上火の用心おせん泣かすな馬肥やせ」の類の最も短い電話ではないかと思うのです。「そちらの天気はどうか、明日は○○ころ帰る。夕食は帰ってから食べる」くらいで、妻が「今何処、今日は何をしたの」何て聞こうものなら、今は手が離せないので切る」で終わりなのです。 携帯電話の普及で出張先で「いくら電話してもかからない」なんてことはなくなりましたが、電話が人間について歩くのですから逃げ場がないのです。 それにしても不思議なもので、妻は温かいといわれる四国から雪の北海道へ、夫の私は明日から桜咲く南の沖縄というのですから、性格の不一致もいいところです。妻は職場や仲間、家族、近所のため例によって今回も手に持てないほどのお土産を買ってくることでしょう。方や私は気軽・身軽の旅ですから普通一つのカバンがふたつになったくらいの変化です。一週間前沖縄へ行って下準備も出来ているので、迷うこともなくホテルや研修会場に着くことでしょう。今晩の天気予報によると明日は全国的に好天に恵まれて春の陽気になるそうです。勿論北へ旅に出た妻の方も、こちらのぐずついた天気とは対照的に好天だと、さも自分が天気女のような言い方を電話でして来ました。 今日は就学前の人権集会に出かけたり、執筆の依頼原稿をメールで送ったり、また大学の非常勤講師として学生の評点表を作成して送ったりと忙しい一日となりました。原稿の締め切りが近づいた原稿がまだ3件残っていますが、とりあえず今日はこれにて一件落着です。鬼の霍乱とでも行きましょうか。  「鬼は外福は内なる妻の留守そんな気分は既に終わった」  「元気かと留守を気遣う長電話旅など行くなと言ってやりたい」  「一人でも妻がいないと家の中ガランと広く静けさ 感じる」  「たまに見る雪は綺麗であるけれど雪の重さは今年格別」 

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 ○お雛様飾り  わが家から長女が嫁いでもう6~7年になりますが、それまで飾っていた雛人形(実は私の家には雛飾りがありません。(長女が生まれて間もないころ、あんなものは邪魔だと思った私は、私の判断で義理の母からの雛飾りを買う相談をカメラに変えていたのです)私の家には何故お雛様がないのと今頃になって娘に叱られています。妻の実家には妻が子どもの頃に5段飾りの立派なお雛様があったそうなのですが、これも兄嫁が場所を取るからと処分したそうです。妻は子どものためにケース入りの人形飾りを買っていて、お雛様のころになると娘のために座敷に飾っていました。 昨日家に帰って玄関にお雛様の飾りが飾ってあるのを見つけました。ミニチュアですがお内裏様とお姫様が仲良く並んで座っています。お供えは貝殻に入った菱餅や甘酒で、横には一輪挿しに桃の花まで挿しているのです。「ああもうそんな季節か」と季節を感じると同時に、還暦を迎えたとはいえ妻も女性らしい初心な心があるものよと、少しばかり浮流を楽しみました。 日本全国では要らなくなった雛飾りを飾って町おこしをしている街がたくさんあります。雛飾りが町おこしに一役買った話は昨日のラジオでも紹介されていました。日本のよき伝統文化だと思わず嬉しくなりました。女の子が生まれるとお雛様、男の子が生まれると鯉幟、貧乏した昔でも何をおいても子どもの成長を願ってお雛様や鯉幟を贈ったものです。今は住宅事情も変わり鯉幟を揚げる家も年々減り、お雛様も狭い住宅では桃鳴りませんが、せめて子や孫の成長を願う気持ちだけは持ち続けたいものです。 私が子どもの頃は、桃の節句になると姉ちゃんの雛飾りを手伝って飾りました。ネズミがかじった頭を胴体に挿しこみ仕上げてゆくのですが、これが中々面倒で、御殿などは中々組み立てられず苦労しました。でもこんな飾りはむしろどちらでもよく、むしろ雛段に飾る甘酒やあられなどの供え物が目当てでした。干し飯をホー六で炒ってはじかせ、それを水あめで固めてひし形に切った豆菓子はおふくろの味でした。あられも自家製、大豆も畑で取れたものを入れました。雛飾りのころになると死んだ母を思い出します。 お雛様は端正なマスクをしてきちんと座っています。昔はカメラもない時代でしたから着飾った姉ちゃんの写真はなく記憶の中にしかありませんが、だからこそ価値があるのかもしれませんね。  「玄関に今年も小さな雛飾り春が来たよといってるように」  「豆菓子を買って供える飾り雛嫁いだ娘どうしているやら」  「今頃は保育所季節の行事するだから孫でも雛歌歌え」  「成長の孫に比べて弱りゆく親父の背中少し寂しく」

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 ○ブログのトラブルにイライラ  昨日は少し遠い県内のある街へ行かなければならないので少しは早めの朝4時に起床して、例によってブログ画面をアップしようとしたら画面にいきなりエラー警告が出て、電源を切ったり中身を見よう見まねで操作したりするのですが一向に直らず、結果的にさじを投げてしまいました。にちようびということでまだ眠っているであろう息子に、妻の「まだ早い」という警告も聞かず電話を入れましたが、眠気眼の息子の反応は今一で何のことだかさっぱり分らず、ついには「後で行くから」で電話を切られてしまいました。 後ろ髪引かれる思いで高速に乗り新浜まで走ったところで息子から携帯電話が入り、原因は孫が私のパソコンに接続している電話回線のコードをいじったらしく、復旧したとの知らせでした。安堵の胸をなでおろしました。パソコンの中身は人間の考えと同じように人間の目には見えないものですから、データーが消えてはいまいか、はたして元通りに復旧したか心配でした。会議を済ませ自宅に帰った頃には陽はとっぷり暮れていました。恐る恐るドキドキしながらパソコンを開いたのですが、今までのとは様子が違い、文字をカラー表示できなくなっているのです。あまり変な操作をしてせっかく息子が復旧したものが再びとらぶっては大変と、とりあえず昨日はノルマの二本の記事を書きましたが、黒字一色だけの味気ない編集となってしまいました。イヤー見にくいし読みづらいですね。書く方がそんなのですから、読む方はもっとそう思うでしょう。 私のイライラは以心伝心読者に伝わるのか訪問者が極端に少なくなりました。私の訪問者は土曜日や日曜日には極端に少なくなるデコボコ珍現象を繰り返しています。多分仕事がらみで私のブログを発見し、仕事の合間に読んでいる人が圧倒的に多いものと思われます。でも私だって他人のブログは暇を見つけまとめ読みをしているのですから一概には言えません。 イライラの続きは深夜にまで及びました。それというのも管理画面が出て、次の記事を書こうとすると「只今このブログはアクセスが多く大変込み合っています。もう少し時間を置いてアクセスしてください」という表示が、約1時間も続きました。妻曰く「パソコンぐらいでイライラせずに、今日はもう休めというシグナルだから寝なさい」dした。諦めて妻と一緒の布団に入り温かい湯たんぽのような妻を抱いて(おっと卑猥な表現で)寝ました。 私のイライラは妻が今日から仲間と北海道4日間の旅に出て家を留守にすることが原因かもしれません。私も明日は沖縄3日間の旅です。残された親父が心配ですが、幸い実習明けで次男が留守を守ります。少し安心しています。  「イライラを見透かすようにパソコンは言うこと聞かず動いてくれぬ」  「この機械作った人あり感心しだのに俺など使えもせずに」  「名ばかりの親です息子に教えられうるさがられて子どもの気持ちが」  「イライラの俺を残して北海道妻は今頃トドの群れ中」

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○ある町の騒動 毎日毎日よくもこんなに事件や事故があるものだと感心するくらい新聞やテレビでは、毎日のように新しいニュースが生まれては消えてゆきます。特に人を殺したような事件なら加害者と被害者があるのですが、贈収賄事件のように密室で金品のやり取りが行われる政治家がらみの事件は、警察が明るみに出来るのは氷山の一角といわれるようにごく僅かで、殆どは貰い得や時効成立でこれにて一件落着なのです。 一昨日夕食が終わってテレビを見ていたら「○○町長贈収賄で逮捕」というニュース速報が流れました。当然明くる日の朝刊新聞のトップ記事はこのニュースでした。新聞社のデスクに会ったのですが、「昨日はこのニュースの扱いで夜もろくに寝ていません」と大あくびでした。 一ヶ月前、この町へ講演に出かけた折、この町長さんと出会いましたが、そんな姿は微塵も感じさせないようでしたし、かつて若い頃青年団活動を一緒にやった間柄だけに、今回の逮捕は複雑な気持ちです。 私も彼も同じ役場に勤め、私はしがない役場職員で終わりましたが、彼は若い頃からの目標通り首長になりました。仲間内からは出世頭と持てはやされある意味での華やかな人生であるように見えました。 でも何処でどう道を踏み外したのか分りませんが、大分春めいたとは言いながら拘置所はまだ寒かろうと、知り人ゆえに気を揉み、出来ることなら無実であって欲しいと祈っています。 私の町でもかつては警察が介入するような様々な出来事がありました。まちづくりを担当したころその事件の裏づけ捜査として、捜査令状の執行にも立ち会ったし、参考供述人として4日間も県警で話を聞かれ、私の日程表は一年間捜査のために持ってゆかれました。勿論私が悪いことをしたわけではないのですが、捜査官の執拗な聞き取りに、捜査が終わった後も眠れぬ夜を過ごしたものです。 愛媛県下には当時70市町村がありましたが、おおよそ10年に一回司直の手が入るともっぱらの噂でした。選挙違反や贈収賄事件は、当事者もさることながら市町村のイメージをたった一瞬で悪くしてしまいます。みんなが努力して築き上げたまちづくりは1体なんだったのかと思わせるほどです。 妻曰く、「お父さんよかったね」だそうです。悪いことをしようにも出来ないような身分を思ってか、あるいは私の主人に限ってと思ってか、聞かなかったけど35年間の役所生活で人から金品を貰わなかったし、あげようといった人もいません。ましてや下さいといった覚えもありません。やはり「よかったね」なのでしょうか。  「知り人の首長逮捕に驚いてまさかあの人わが耳疑う」  「やるという人もなかったわが職場平凡だったがそれで幸せ」  「収賄は一瞬人生棒に振る今日から厳しい批判の風が」  「氷山の一角過ぎぬ政治家と金の流れは噂の誠」 

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