人間牧場

〇私設公民館「煙会所」のトイレ掃除
 わが家の敷地内には、私設公民館「煙会所」と海の資料館「海舟館」、それに東屋「夕観所」があるため、また私たち親子が地域づくりをしているため、年間を通して多くの人が訪ねて来ます。

 最近は自分自身が高齢者となってるいこともあって、来る人の中には高齢者も多く、「トイレをお借りしたいのですが」と求められることが多くなりました。その都度隠居のトイレへ案内していましたが、「煙会所」にも専用の和式ながら便所があることを思い出し、昨日は大汗をかきながら便所掃除をしました。

すっかり奇麗になった煙会所の便所

 「煙会所」を作った最初のころは前に池があって、それなりの風情を醸していましたが、今はその池も埋め立てられて地下室になり、その上に倉庫を建てたので、縁側は廊下風になっていますが、雑巾を何度もかけてすっかり奇麗になりました。肝心のトイレ掃除はこれまで妻の役割でしたが、これからは私が担当にしたいと思っています。

 かつて大阪で面談した経営の神様と言われる松下幸之助さんから、「掃除もできない奴は大口を叩くな」と諭され、自分が造ったシーサイド公園で12年間毎朝3時間掃除をしたお陰で、見えないものが見えてきました。これからその原点に帰り、しっかりと掃除をしたいものだと思っています。

「最近は トイレが近い 人増えて その度隠居 トイレに案内」
「煙会所 トイレがあった こと忘れ 思い出しつつ 掃除で大汗」
「経営の 神様私に 諭された 言葉反芻 しっかり掃除」
「今日からは トイレ掃除の 担当は 妻に代わって 私がやろう」

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〇77回目の終戦記念日
 昨日8月15日は77回目の終戦記念日でした。私の誕生日は昭和19年10月3日なので、私はゼロ歳で終戦を迎えています。妻は昭和20年9月12日ですから終戦後に1ヵ月余りで生まれています。ゆえに私は正真正銘戦後77年と符合し77歳喜寿を迎え、妻も77年弱の戦後を生きた計算になります。

 昨日facebook仲間の瀧野起一さんが、自身のブログで面白い記事をアップしていました。早速お願いしてこの年表をシェアーさせてもらいました。凡人の私ゆえそこまで気が回らず気が付きませんでしたが、終戦の1945年を77年遡った1868年は明治元年なのです。つまり日本は明治元年から77年かけて近代化を図り、また敗戦を境に77年かけて今日まで復興と平和な近代化の道を辿ったのです。

 明治元年以来154年、明治・大正・昭和・平成・令和と年号を変えながら前期77年は戦争に明け暮れ、後期77年は戦争をすることもなく平和を享受しながら今日を迎えていますが、気が付けば「昭和も遠くなりにけり」といったところです。今年から始まるであろう後々期77年後のまだ見ぬ未来は一体どんな世の中なのでしょう。知る由もない未来に思いを馳せながら終戦記念日を昨日迎えました。

「15日 終戦記念日 気が付けば 77年 あっという間に」
「終戦を 遡ること さらに前 77年 明治元年」
「近代化 154年 積み重ね 今日から先も 近代化への道」
「名を遺す 仕事もせずに ただ生きて 見守る程度 凡人ゆえに」

 

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〇水道工事を終えた市道の舗装
私たちの町の水道は、農山漁村ゆえ家々間の距離が遠く、町内のあちこちの集落では未だに上水道ではなく、集落で管理する簡易水道もかなりあるようです。私の家もご多分に漏れずそうでしたが、合併前に上水道が敷設され、濁ったり水不足になることもなく安全に管理された美味しい水が飲めるようになりました。

水道敷設工事と舗装孤児が全て無事終わりました

勿論田舎ゆえ下水道ではなくわが家は10人槽の合併浄化槽ですが、指定管理者も入って管理されているため、上下水とも多少お金はかかりますが何の問題もなく、「水は文化」の恩恵を受けています。さて何年か前近所に移住してきた人が家を建てて住んでいますが、井戸水と流水で生活していたものの、水に対する違和感を感じたようで、この度思い切って市役所にお願いし、上水道の水道管を敷設することになりました。

 市道の端を水道業者がユンボで掘り返し、水道管を敷設する工事期間中は通行止めや一時断水などの制限があったものの、この度無事水道工事と舗装工事を終えることが出来ました。楽しみにしていたお盆の帰省予定に間に合ったようでしたが、新型コロナの感染拡大で残念ながら帰省は叶わなかったようです。それでも水道工事を終えて喜んでいました。

「上水道 工事が続き あれやこれ 騒々しくも 無事に終わりて」
「盆までに 何とか工事 終わらせた 残念ながら 帰省はコロナで」
「何事も なかったように 奇麗なる アスファルトのみ 黒く輝く」
「生活に 欠かせぬ水の 有難さ 実感しつつ 夏を迎える」

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〇お盆の行事
 今日からわが家ではお盆です。昨日の午後息子や孫が手伝ってくれて、天袋にしまっている祭壇道具を居間に出し、組み立てました。覚えているはずなのに年に一度ゆえ、あでもないこうでもないと言いながら賑やかに組み立て、仏壇から位牌や遺影を移動し、玄関先にも精霊台を取り付けて終わりました。

居間に飾った仏壇

 今朝は庭の隅に家族全員が集まり、麻殻に火をつけ迎え火を焚きました。私の覚えている祖母、父母の在りし日の姿を思い出しながら線香をつけ、両手を合わせ家族全員が先祖の霊に祈りを捧げました。妻は朝早く起きてお霊供膳を作り、祭壇に供えています。今朝は間もなくお寺の住職さんが棚経にやってくる予定です。

 今日と明日の2日間は、ご先祖様が里帰りする日です。妻はお酒の大好きだった祖父のために、お酒を買って仏壇に供えてくれ、親父の思い出話を妻と二人で沢山しました。かく言う私は77歳、妻は76歳で老域に達していて、いつかは定かではありませんが、やがて死出の旅路に出るものと思われます。家族が集まり先祖の一員になるであろう私たち夫婦の思い出話を、息子夫婦や孫たちはしてくれるでしょうか?。

「仏壇を 居間に飾って 盆行事 ご先祖様を 迎える準備」
「仏壇に 大好きだった 酒供え 父の思い出 沢山話す」
「霊供膳 妻はせっせと 早起きし 家族みんなで 迎え火を焚く」
「2日間 里帰りした ご先祖と 賑やか暮らす これもお勉め」

 

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〇これ何?
 夏休みになり、わが家では中3と中1の内孫に加え、松山の中高一貫校に通う、松山に住む中3の外孫が泊りに来ていて、宿題をしたり遊んだりしながら賑やかに過ごしています。

海で見つけて持ち帰った動く物体
元気に泳ぐ生き物

 一番大変は若嫁と妻の2人で、特に食事に気を使い、あれやこれや料理を作って食べさせていますが、私はそれらのおこぼれ程度をいただくものの、料理は肉系が多く、多少困惑気味といったところです。

 昨日はお盆休みに入った息子が3人の孫を連れ出し、シーサイド公園へ泳ぎに行ったようでした。夕方「珍しい生き物を見つけた」とペットボトルに入れた軟体動物を持ち帰りました。

私は水産高校の卒業生なので、時々漁師さんが「珍しい魚が取れたから見て教えてくれ」と持ち込まれていましたが、役場を退職してからそれもなくなりました。孫が持ち帰った軟体動物は、多分海牛の赤ちゃんのような気もするのです。

 それにしても子どもたちは好奇心旺盛で、早速動植物に詳しい理科の先生に見てもらおうかと興奮気味でした。ペットボトルの温度が上がらないよう流水に着けていますが、今朝は早くもワイワイ騒いでいました。

「夏休み 内孫外孫 賑やかで 妻と若嫁 料理大変」
「おこぼれを 貰って食べる 私だが 肉食何とも お口に合わず」
「珍しい 生き物発見 持ち帰る 軟体動物 多分海牛」
「賑やかな 孫に元気を 貰い受け お盆休みを 楽しく過ごす」 

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〇魔除けの菊間瓦の手作り面
 子ども体験塾の社会見学で昨年、今治市菊間町にある瓦館へ子どもたちの引率をして出かけました。その折菊間瓦の粘土を使って手作り品を作りましたが、私がやりたかったのは面づくりで、瓦館に備えている鋳型を使って大小の2面を作りました。昨年末その作品が送られてきました。

鬼瓦の面
仁王面

 早速海の資料館に飾ろうと思いましたが、どんなにしていた壁に飾るか思いも浮かばず、そのまま放置していました。息子が蜜蜂の巣箱を作った端材がを見つけ、昨日その板を2枚カンナで削り、2つの面を取り付けることにし、2時間ほど作業を行いました。

 製作途中なので今日にでもペーパーを当てた板に接着剤で取り付け、仁王面には「魔除け」とでも文字を入れようかと思っています。わが家の海の資料館「海舟館」には私がコツコツ趣味で集めた面類が50体以上飾っていますが、その全ては誰かが作ったものなので、鋳型といえど私の作った面は初めてです。また新しい物語が生まれそうです。

「瓦館 体験工房 面2体 鋳型使って それなり仕上がる」
「端材板 カンナをかけて その上に 2体の面を 取り付けようと」
「今日にでも 仕上げて海の 資料館 手作り面を 飾ってみよう」
「不器用を 自認の私 ゆえなるが 何とか格好 付きそな気配」

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〇カブトムシプレゼントのお礼
 一昨日上灘保育所の園長さんからお電話が入りました。先日息子が飼育してるカブトムシをプレゼントするため、園児たちがわが家へやって来て持ち帰りましたが、そのお礼にそちらへ園児たちが散歩を兼ねてお伺いしたいとのことでした。運悪く昨日は西条へ講演に出掛けなければならない先約があったので、私が午前9時に保育所に出かけることにしたのです。

保育園児にお礼状をいただきました
園長先生が作ったススキのバッタ

 午前9時に保育所に到着すると、園児全員が玄関先に並び、年長さんが画いたという大きなお礼状をいただきました。本当は息子が貰うべきのものなのですが、息子は仕事に出掛けていて出会うことができないため、私がその代役を務めただけのことなので、少し恐縮してしまいました。

 昨日の朝、お盆も近いことからわが家のお墓へ、妻と二人でシキビを持ってお墓参りに行く途中、出勤途中の園長先生に出会いました。園長先生はその折、前夜自分が作ったというススキの葉っぱを使った、創作バッタの止まったススキをいただき持ち帰りました。玄関先に飾りましたが、手作りとは思えない素晴らしい出来栄えでした。

 園児たちと肘タッチをして交流しましたが、「来年もカブトムシのプレゼントを楽しみにしています」とのことでした。貰った大きなお礼状と創作バッタを仕事から帰宅した息子に渡し、来年の期待も伝言しておきました。

「カブトムシ 保育所園児 プレゼント お礼がしたいと 電話があった」
「わが息子 休みが取れず 代理にて 保育所出向き お礼をいただく」
「来年も よろしく頼むと 園児言う 息子に伝え 令状渡す」
「ススキの葉 使ってバッタ 見事です 早速玄関 飾って楽しむ」

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人間牧場

大きく伸びた2本の杉の木
 人間牧場を造って17年目の夏を迎えています。造った当初は丸裸だった周辺の木々が枝葉を伸ばしたため、今ではまるで森の中に溶け込んだようないい雰囲気になっています。基本的には俳人高浜虚子の句である「ふるさとの この松切るな 竹切るな」の心境のため、中には景観を遮るものもありますが、まあ伸び放題といったところです。

 海に向かって建てられた水平線の家の窓の両側に、植えた訳でもないのに2本の杉の木が育ちました。水平線の家の土台近くなので傷めるかも知れないと思っていたものの、ついつい「まあまあ」と思っていましたが、あっという間に2階の屋根を超えて、4~5mの高さにまでなりました。

 わが家には大学2年になる孫と、中学3年になる2人の孫、それに中1の孫の計4人の男の子がいます。一番大きな杉の木には「朋樹&希心」、もう一本の杉の木には「尚樹&奏心」と、この木の成長と孫の成長をダブらせて名前を付けていますが、4人ともこの木に負けないくらい大きく育っています。

 特に孫希心はまだ中3だというのに、背の高さは親の背を越し180㎝にもなっているのですから驚きです。今年の夏休みには4人を連れて人間牧場へ行き、記念写真を撮ってやりたいと思っています。わんぱくでもいいから逞しく育って欲しいものです。

「牧場に 植えた訳でも ない杉が 偶然2本 スクスク伸びる」
「17年 あれよあれよと 言う間なく 天を仰いで 屋根より高く」
「ふるさとの この松切るな 杉切るな 俳人虚子の 強い戒め」
「夏休み 4人孫連れ 牧場で 記念写真を 撮ってやりたい」

 

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〇観光列車伊予灘ものがたり乗車(その3)
大洲駅を出た観光列車はノロノロ運転で肱川を左手に見ながら下ります。五郎駅で狸家族の歓迎を受けて走ると、左手に長浜の名所「赤橋」が見えてきます。

やがて伊予灘の180度の視界が社内のピカピカテーブルに広がり、真夏を思わせる入道雲、水平線、瀬戸内の島々が見えてきます。そのうち列車は鉄橋と国道378号の陸橋が並行して走る本村に差し掛かります。青春18きっぷのキャンペーンポスターで紹介された場所です。

 

列車は今ではすっかり有名になって観光客が沢山訪れるJR下灘駅に到着します。列車の窓からたくさんの人だかりが見えました。みんな観光列車に向かって
スマホやカメラで写真を撮っていました。

下灘駅では10分間の停車時間があり、乗客も下車して列車の前で記念写真を撮ったりトイレ休憩をしていました。

かつては日本で一番海に近い駅だった下灘駅のプラットホームから下の海を見ると、ジェットスキーに乗った若者が、歓迎のデモンストレーションをしてくれました。

 

 

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〇観光列車伊予灘ものがたり(その2)
 私は講演などで旅慣れていて、特急や新幹線などをしょっちゅう利用していますが、わが妻はそんな機会は殆どないため、伊予駅から山周りで走る特急宇和海に乗るのも初めてで、幾つもの長いトンネルに入ったり出たりして走る列車に驚ろいていました。

 大洲駅では少し待ち時間がありましたが、その間駅構内待合室で久しぶりに出会った皆さんと楽しい談笑となりました。そのうちプラットホーム3番線に移動しましたが、八幡浜行きのアンパンマン列車が停車していました。

 そのうち伊予灘ものがたりが3両編成で入線、車内清掃などを終えて早速アテンダントの案内で列車に乗り込みましたが、車内はパンフレットで見たイメージよりもさらにグレードが高く、まるで動く応接室といった感じで、窓に向かって横一列に並んで座りました。

 車窓の夏の景色がピカピカ磨きのテーブルに映り、シャンデリアの灯りとマッチしてとてもゴージャスな雰囲気でした。のんびりゆっくり走る観光列車は五郎駅で、列車は止まらないものの狸の格好をした多くの地元の人の出迎えを窓越しに受け、私たちも車内から手を振って応えました。

「特急の 内子経由で 山周り 大洲駅にて 観光列車に」
「何とまあ 贅沢なこと 一両を 丸ごと借りて のんびり出発」
「五郎駅 狸伝説 地元人 プラットホームで 歓待出迎え」
「ピカピカの テーブル映る 夏景色 隣の席に 妻も並んで」

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