人間牧場

〇私のサイン会
 講演会の前日笑いヨガの代表高田佳子さんから、「あなたの自著本を講演会場で販売したいので送って欲しい」旨のメールが入りました。これまで何冊かの本を出版していますが、売れないことを想定して、とりあえず思いつくまま「昇る夕日でまちづくり」と「今やれる青春」という2冊の本を、それぞれ15冊ずつ見繕い、段ボール箱に入れて荷造りし、近くの郵便局窓口に持って行き、研修会場気付けで送りました。


サインに応じる私

 窓口で聞けば、会場へはあくる日の夕方届くとのことでしたが、あくる日の早朝出発する私と「よ~いドン」のような形だったので、半信半疑でした。案の定私の講演スタートまでには届いていませんでしたが、講演が終わるころ本当に届いて、講演会場隅の机の上に並べられました。するとどうでしょう。あっという間に30冊の本は完売しました。

求めに応じて書いたサイン

 さあそれからが大変です。本に「サインをして欲しい」というのです。有名人ならまだしも無名人な私ゆえ一瞬戸惑いましたが、事務局が用意してくれたサインペンで、雑談をしながら書きました。以前この本を出した時の出版記念パーティの時以来の珍騒動に驚きながら、私が良く書く「逢う人も 逢う人もまた 福の神 若松進一」と「人でも 仕事でも 愛する所に 集まって来る 若松進一」と書きました。

 私は子どものころから字が下手である種のコンプレックスを持っていましたが、「あなたの字はハンコが要らないほど特徴があっていい」と言われた言葉を勘違いして真に受け、それから臆することもなく堂々と書いていますが、「私の字はいぼ字(痔)、切れ字(痔)、脱肛字(痔}」などと、多少下品な悪ふざけの会話をしながら、30冊全てにサインをしました。本を買えなかった人に悔しがられたので、同行して後残りしている玉井千恵さんに頼んで、後日申込者に送ることにしました。有難い話です。それにしてもサインを求められるなんて、想定外のハプニングでした。

「この歳に なって自著本 求められ サインするとは 驚き桃の木」
「本などを 送ったところで 売れないと 思っていたが 何と完売」
「逢う人も 逢う人もまた 福の神 森岡まさ子さん 貰った言葉」
「世の中は 想定外が 起こります だから楽しい 生きてて良かった」

 

 

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〇西予市宇和町の松屋
 先日愛媛県公民館研究大会が文化会館であり、鼎談をするため出かけました。私の町から地道でも1時間半もあれば行ける距離なので、前日の打ち合わせ後帰るべきか泊まるべきか迷いましたが、私が仲介して徳島県阿波町の井原まゆみさんに講師を頼んだいきさつもあり、県公連事務局長さんの勧めもあって泊まることにしました。

 泊まったホテルは松屋という老舗旅館ながらビジネスホテル松屋の方でした。私は現役の公民館主事をしていたころ、県公連の主事部会長を務めていたので、多分前回は当時宇和町だったこの地で、1泊2日の研究大会が開かれ、古い松屋旅館に泊まった記憶があるので、ビジネスホテルに泊まった朝、玄関先ながら街並みにある松屋旅館を訪ねました。

 記憶通り松屋旅館はありました。当時はおかみさんが漬けた古いぬか床を使った漬物が有名で、おかみさんと夜遅くまで漬物を食べながら、色々な話をしたことがつい昨日のことのように思い出され懐かしくなりました。息子さんに聞くとそのおかみさんも最近黄泉の国へ旅だったとか、もう一度会いたい人でした。

 玄関先には松屋旅館に逗留した歴史上の文人・政治家の名が墨筆で書かれていて、歴史の重みを感じました。写真に撮った木札の名前をなぞりながら、書棚にある昔読んだことのある、ノーベル賞候補にもなった賀川豊彦の本を取り出し、拾い読みしました。

「鼎談の 打ち合わせあり 宇和町の 松屋泊まりて 今はビジネス」
「朝早く 卯之町街並み 歩きけり 何年か前 記憶頼りに」
「ああここだ 昔泊まった 旅館前 文人政治家 名前をなぞる」
「写真見て 賀川豊彦 書棚から 一冊の本 取り出しなぞる」

 

 

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〇箒草(コキア)が色づきました

 妻が友人から苗を貰らい、プランターに植えた箒草は夏の間緑色をしていましたが、ここに来て赤く色づき始めました。大洲市田処の親友亀本さんたちは活性化センター横の畑に沢山のコキアを植えたようで、先日その刈り取った枝葉を使って箒を作ったらしく、亀本さんがわざわざ届けてくれました。

 私が子どものころは、大豆や雛あられ、麦茶の麦を煎るのはホーロクという素焼きの少し大きな平べったい容器でしたが、その折使う手帚はススキや箒草で手作りしたもので、勿論それらの素材は秋の頃野山で刈り取ったススキや箒草をカズラで根元をしっかりと巻き付けていました。

亀本さんから貰った手作り箒

 亀本さんから貰った箒草の箒は現代版らしく白いビール紐が巻き付けられていました。3日前ウォーキングの途中道端でカズラに似たつるが目に留まり、丸めて持ち帰っていますが、今日にでも試験的にビニール紐を解き、カズラで手元を巻き替えてみようと思っています。そうすれば海の資料館「海舟館」の民俗資料となるはずです。また館蔵品が一品増えそうです。

「箒草 別名コキアと 言うそうな 夏は緑で 秋は紅葉」
「親友が 農村景観 守ろうと コキアを植栽 季節彩る」
「箒草 使って作った 手箒を 使って大豆 雛まめ煎りたい」
「手帚も 白いビニ紐 味気ない カズラで少し 手加えしたい」

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〇石のエンゼルフィッシュ
長男息子が懇意にしている隣町の石材店から、端材で作ったと思われる石で彫った小さな魚を貰ってきました。自分の子どもたちが喜ぶと思ったようですが、孫たちは余り興味を示しませんでした。興味を示したのは私で、「お父さんにくれや」と言って貰いました。息子の顔は「また父さんの物好きが始まった」と言わんばかりでした。

石彫りのエンゼルフィッシュと卵石

 私は水産高校漁業科卒の元漁師です。漁師を辞めて50年以上が経っていても、海には関心があり、家の敷地内には親父と2人で海の資料館を造るほどの凝りようで、このエンゼフィッシュに似た魚の石彫と卵型の石を愛しく思いました。さて何処へ置こうか?、思案した挙句海の資料館内の海松(黒珊瑚)の根元に置いてみました。

海松(黒珊瑚)の前に飾ると中々いけて見えます

 「おっ、中々いいぞ!!」と自己満足の手合いでした。この魚は生きているように見えても餌をやる必要もないのです。私が長年愛して止まない夕日もまたメンテナンスのためペンキを塗らなくても済むように・・・・。また小さなお宝、楽しくも小さな物語が増えました。ラッキーです。

「わが息子 懇意にしている 石屋から エンゼルフィッシュ 彫り物貰う」
「『父さんに くれや』と言って 貰い受け 資料館内 早速展示」
「また一つ 小さな展示 物語 年甲斐もなく ささやか喜び」
「面白き こともなき世を 面白く その気になれば 楽しさいっぱい」

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〇ジュニアリーダー会の国道沿い草刈り
 JR下灘駅は今も多くの観光客が来ていますが、そのすぐ下を走っている国道378号は、雑草が生い茂り県管理の国道なので、年に一回の業者委託草刈り程度では追いつかず、少し気を揉んでいます。子ども体験塾の修了生で組織する双海ジュニアリーダー会では、毎年一回青石海岸~下灘駅下付近までの雑草刈をして、いささかなりの地域貢献をしています。

青石海岸に集合しました
JR下灘駅下周辺の草刈り作業
朝鮮朝顔がはびこりつつあります
朝鮮朝顔の花が沢山咲いていました

 昨日は部活もあって午前中には集まることが出来なかったので、午後2時30分に青石海岸に集まり、とりあえずJR下灘駅下の旧波返し付近の草刈りをしました。私の草刈り機が途中故障したため、久保さん、赤石さん、わが息子、それに公民館の草刈り機を借りた、私の4人で草刈りに挑みました。大きくなって背丈ほどもある雑草とカズラに行く手を阻まれ、中々前へ進みませんでした。

 リーダー会のみんなは刈った草を集め、ゴミ袋に入れたりかいがいしく働きました。昨日草を刈り始めた旧波返しはJRの敷地内ですが、この度海岸国道沿うに16ヶ所ベンチを造り設置する計画地の一つになっていて、既にJRとの事前協議も終えていて、準備は整いつつあり、暇を見て残った草刈りを実行委員の手で終わらせたいと思っています。

 今日は故障した草刈り機のプラグを交換して修理をしてもらうため、近くの農機具店に出掛けようと思っています。前日の曳坂草刈りに続き2日連続の草刈りで少々疲れましたが、まあ体力づくりの一環程度だったので、佐久弁ぐっすり休んだため、元気回復です。

「草刈も 2日続けば 老骨にゃ 少々お疲れ モードになって」
「子どもらと ワイワイガヤガヤ 楽しいな 元気をもらい 若返りました」
「JR 下灘駅の 波返し ベンチを設置 できるの楽しみ」
「最近は 私を顎で 使う人 息子とそれに 公民館主事」

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〇翠小学校体験入学
 愛媛県内の現役木造校舎で一番古い町内の翠小学校へは、学校が見たいという県内外の来客を連れて、時々訪れています。事前にアポも取らず殆ど飛び込みで訪問するものの、校長先生や教頭先生には忙しいのに快く迎えていただき、その都度学校内を案内してもらっています。

 先日も日曜日だというのに、八幡浜の松蔭地区公民館の一行を迎えていただき、一昨日は夕暮れ迫る頃徳島県阿波市からやって来た親友井原まゆみさんをご案内しました。その時聞けば昨日は体験入学の日でした。運よく2週間後に迫った子ども体験塾のハイキングで、翠小学校を出発して中山佐礼谷まで歩く行事を予定していて、その準備として曳坂の草刈りをする予定だったので、公民館の出海主事さんと体験入学の様子を見学させてもらいました。

子どもたちがススキなどで作ったサルの顔

 昨日は学校の運動場がいっぱいになるほど車が集まっていました。運動場では子どもたちが四国電力の人たちの指導で、ミニチュアの太陽光パネルをつけた模型列車を走らせたり、エコにこだわった子ども集会も行われていてとても賑やかでした。沢山の子どもたちが入学してくれるといいですね。応援していま~す。

「このところ 木造校舎の 学校に 来客案内 そこここ見学」
「学校は 木と+交わって+ 学ぶ=場所 なるほど納得 ギンモクセイが」
「運動場 溢れんばかりの 車来る 体験入学 来年楽しみ」
「どの町も どの学校も 少子化で 児童の確保 頭悩ませ」

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〇友遠方より来るあり、また楽しからずや
合併前の双海町では、昭和62年をまちづくり元年と定め、①人づくり、②拠点づくり、③住民総参加のオンリーワンづくりを始めました。その中でもオンリーワンづくりは、まちづくり30人委員会、まちづくりエプロン会議、まちづくり青年会議、役場まちづくりグループなどを組織して、夕日、ホタル、花、水辺など様々な切り口でアイディアを出し合い、活動を始めました。

 その頃私はえひめ地域づくり研究会議の代表を務め県内外のまちづくり人と盛んに交流していたこともあって、当時活発な活動をしていた徳島県阿波町の井原まゆみさんと知り合いました。そんなつながりもあって井原さんが取り組んでいたバーベナテネラと言う花を皮切りにエプロン会議は菜の花や水仙に、青年会議は千本桜の植樹などを行い、今の隆盛へとつつないできているのです。

その後も私と井原さんの交遊は今も続いていますか、この度私が中心になって発想した「公民館版SDGsフォロ-アップ」をテーマに、今年度の県公連公民館研究大会で鼎談を開くことになり、人選を一任されたので、最近新しい視点でまちづくりに取り組んでいる井原さんに鼎談のメンバーとして登壇してもらうことになりました。

JR下灘駅のラブラブベンチにて
宇和コメ博物館
翠小学校

 お陰様で鼎談は予想通りの成果を上げ無事終わりました。その後久しぶりに愛媛を訪れた井原さんを西予市のコメ博物館へ案内した後、帰宅途中わが町へ立ち寄り、JR下灘駅、私設公民館煙会所や海の資料館海舟館、そして翠小学校を足早に見学して回りました。残念ながらシーサイド公園と人間牧場は時間切れとなったことは返す返すも残念でなりませんが、是非次の機会をと思っています。

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〇西予市宇和町で朝を迎えました
昨日は久しぶりの外泊でした。朝起きて宇和町の街並みをウォーキングしました。この界隈は何年か前までは頻繁に訪れた懐かしい場所です。開明学校まで足を延ばして歩きました。

開明学校

 

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〇昨日は忙しい一日でした
 昨日は忙しい一日でした。午前中JR松山駅の企画部へ出かけ、海岸国道沿いにジュニアリーダー会が設置を予定しているベンチの件で、出海さんと松本さんの3人で打ち合わせに出かけた帰り道、間もなく翠地区にオープンする予定のベーグル専門店を訪ね、お店の中や外を見学し、代表の宮崎さんから説明を受けました。

 その後じゃこ天のお店で、金曜日夕方放送予定のNHKのニュース番組のテレビ取材に協力したあと、大洲からやって来た地域おこし協力隊の2人を案内し、帰宅して藁の片づけをし終えたのは、辺りが暗くなり始めた午後5時半過ぎでした。夜は自宅で1時間ばかりzoom研修に加わりました。いつものことながら「何でこんなに忙しいのだろう・・・?」と思う程スケジュールが入るのです。

 町の教育長を最後に現職を退き、自由人になって18年があっという間に過ぎました。憧れていたサンデー毎日のはずでしたが、そうは問屋が卸さずで、78歳の高齢者になったにもかかわらず、少々動き過ぎだと自分でも認めているこの頃です。それでも今のところ健康なので、意の向くまま気の向くまま、世の中の流れに棹差し、もう少し頑張り過ぎず頑張ってみようと思っています。

「教育(今日行く)と 教養(今日用事)ありて 日々多忙
何でこんなに 忙しいのだろう?」
「まあいいか 私はマグロ のような人 泳ぎ止めたら 人生終わり」

 

 

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〇駆け足の大分県臼杵市
 一昨日宮崎県から講演を頼まれて出かけました。八幡浜港からフェリーに乗り、2時間20分で臼杵港に到着しました。下船して待合室から外に出て、タクシー乗り場に行きましたが、午前8時10分だというのに乗り場にはタクシーは一台もいませんでした。家を出る時パソコンで時刻表を調べた時港周辺の地図をプリントアウトしていたので、「徒歩約20分」という目安を信じて、歩き始めました。

 川沿いの道に沿って歩きましたがなれない道ゆえ少し不安だったものの、ほぼ予定通りJR臼杵駅に着きました。駅の切符売り場で宮崎行きの往復特急券を買い求め、少し時間があったので、荷物を待合室の椅子に置いたまま外に出ました。駅前には国宝に指定されている摩崖仏大日如来の大きなレプリカが設置されていました。摩崖仏は公民館時代やまちづくり時代に何度も訪れ見ていますが、このレプリカは初めてでした。

JR臼杵駅前の摩崖仏レプリカ

 臼杵は平安時代から鎌倉時代の作といわれている国宝の摩崖仏を始め、沢山の観光資源のある町です。時間があったら今度ゆっくり足を運びたいと思いました。宮崎での講演が終わり特急にちりんでJR臼杵駅に到着したのは、夜のとばりが降りた午後8時18分でした。フェリーの出航時間は午後8時40分です。22分しかないのでタクシーに乗ろうと決めていましたが、駅舎外のタクシー乗り場にはタクシーが一台もいませんでした。

 困り果て、近くにいる人に聞くと、「船着き場までは約20分、あなたならお若いので走れば10分少々で着きます。お急ぎください」と言う言葉を真に受け、折から降り出した雨の中を、小走りに走りました。「あなたはお若い」という言葉に甘えて走った結果、出航5分前に船着き場に到着し、間に合いました。

「行き帰り 船着き場にも 駅さえも タクシー姿 どこにも見えず」
「臼杵には 摩崖仏など 沢山の 文化遺産が あるけど素通り」
「仕方なく 行きはトボトボ 帰りには あなたは若い その気になって」
「降り出した 小雨の中を 大走り お陰様にて 出航間に合う」

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