shin-1さんの日記

○山菜のツワブキを食べる

 野山の木々は一見冬の装いですが、よく目を凝らしてみるとそこここに春の気配が漂っています。昨日人間牧場で一足早い春を見つけました。ツワブキです。人間牧場には草刈り作業の折、刈り残したツワブキがこの3年間で結構増えてきました。目的はツワブキを増やして、春の時期にツワブキを食べようという試みなのです。双海町は海沿いに面しているためツワブキが沢山自生しています。そのため春になるとこのツワブキを求めて人がやってきます。野生で自生しているため普通は勝手に取るのですが、最近ツワブキを自家用や出荷用に家の畑に植えているものもあるのに、取る人にとっては見分けがつかないため、植えたものまで手を出すのです。そのため時にはトラブルになったこともあるようですが、くれぐれもご用心です。

 これから春になると蕨やぜんまい、ウド、フキ、タケノコ、タラの芽など山菜がどっさり出回りますが、ツワブキも山菜ではかなりいける方だと思います。

若松進一ブログ (三年前、ロケ風呂前に植えたツワブキがこんなに大きくなりました)

 ツワブキは写真のように年中青々とした丸い葉っぱをしています。この葉っぱや茎は前の年のもので、この葉っぱや茎の間から綿帽子をかぶったようなツワブキの赤ちゃんが春になると芽を出します。それらは春の柔らかな日差しを浴びてだんだん大きくなり、食用に適するように成長するのです。

 親株が元気だと出るツワブキの芽も大きいのですが、痩せた土地のツワブキは芽が出ても細く食用になは心もとないのです。抜き取ったツワブキは家に持ち帰り、皮をはぐのですがこれがまた一苦労なのです。ツワブキには赤系と白系があって、どうやら赤系の方が美味しいような感じがします。皮のはぎやすいのは白系で中々上手くいかないものです。

若松進一ブログ (春の匂いが感じられるツワブキの茎)

 昨日ちょっとした時間にこれだけのツワブキを収穫しました。家に持って帰り三崎町へ行く時間まで寸暇を惜しんでツワブキの皮をむきました。ツワブキはあくが強いのが特徴で、どこかの誰かに似ています(笑い)。このあくがつくともう手の先や爪までまっ黒になってしまうので、人様の前に出る時は慎まなければなりません。

 あくがつかないようにするためには、薄い医療用の手袋をはめるのが一番なのですが、これが中々手に入らず苦労をしますし、少し作業が進むと破けたりして、結局あくが手袋の中に枚で入り込むのです。その工夫の末に編み出したのが食酢を手につけながらむぐことです。完全にあくがつかないわけではありませんが、これでも随分助かるのです。

若松進一ブログ(あく抜きの出来た美味しそうなツワブキ)

 妻は歯医者さんに勤めていて手先にこんなあくをつける訳にはいかないので、この仕事はもっぱら私の仕事と諦めて、ツワブキ食べたさに仕方なくやっているのです。

 今日の夕食にメバルと一緒に炊いたツワブキの煮物が出てきました。私たち夫婦にとってはこんな春の苦味がたまらなく美味しいと思うのですが、わが家にやってきた娘や息子たちは残念ながら口に合わないようで、食べることもなく帰ってしまいました。もう少しすると人間牧場にも本格的な春が訪れることでしょう。春は何度巡ってきても待ち遠しいものです。


  「ツワブキが 綿帽子顔 のぞかせて 春が来たよと 声をかけたり」

  「厨房に 入らない俺が ツワブキの 皮をむくから 雨が降るかも」

  「ツワブキを メバルとともに 皿に盛り 食卓どこか 春の賑わい」

  「今時の 人はツワブキ 食べれるの? 聞いても箸を つけようともせず」


 

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shin-1さんの日記

○種芋の植え付けがやっと終わりました

 このところ頻繁に降る雨で、少し種芋の植え付けが遅れていましたが、今日を逸すると当分できないとあって、昨晩から「明日は雨が降っても作業をする」と妻に公言していましたが、その願いが通じたのか今日は朝から晴れました。朝食を早めに済ませて軽四トラックに道具類を積み込んで人間牧場に出かけて行きました。道具といっても殆どは人間牧場の作業小屋ない置いているので、持って行くのは小さなビニールハウスを造るための木の板切れなのです。親父が大事にしている木材置き場から、親父が所用で出かけていることをいいことに適当なものを寸借しました。

 昨晩ミツバチの嫁入りを手伝ってもらった井上登さんからメールが入り、不届きにも「最近忙しくてミツバチの様子を確認できていない」とネールを返信していたので、このことも気がかりで、人間牧場に到着するなりミツバチの巣箱に行ってみましたが、井上登さん方から興し入れしている巣箱はミツバチが忙しく飛び交っているようで、ひとまず安心しましたが、蜜蝋を塗った二つの巣箱は気配なしの様子でした。

若松進一ブログ(腐葉土の上に土をかぶせ出来上がった苗床)

 さあ作業の開始です。コンパネを組み合わせて作った腐葉土箱に被せたビニールを剥ぎ、中の腐葉土を切り返すのですが、残念ながらこの冬は一度も切り返さなかったため、完全に腐敗が進んでおらず、米糠や油粕が床土のようになって下の葉っぱはまだそのままでした。それでも作業をしなければ間に合わないため、中を何度も切り返して混ぜ合わせて平らに延ばしました。さあそれからが大変です。外にいったん出しておいた赤土をその上に被せるのです。その作業にテミは欠かせない道具なのですが、なぜか見当たらないのです。いつかの作業後自宅に持って帰ったものと思われるのですが、仕方がないので小屋からスコップを持ち出して織り上げた赤土を5~6センチ腐葉土の上に放り投げて敷き詰めました。この作業はかなりきつく。日ごろ使っていない上腕部が痛むほどでした。

若松進一ブログ(周防大島宮本農園で買ったサツマイモの種芋)
若松進一ブログ(苗床に配置したサツマイモのの種芋)

 やがてその土を万弁に均した後、先日周防大島で買って持ち帰ったサツマイモの種芋を順番に置いて行きました。策円も分からず終いだったのですが、芋の先端はどちらなのか分からぬまま植え付けるのですから危ない話です。やがて種芋の上に新しい土をかぶせて一丁上がりです。種芋の数は全部で31個ありました。4列だと3個余りましたので、隅の方に予備として植えました。

 さあそれからが大変です。昨年作ったビニール被覆のための囲いは残念ながら補修が必要で、手直しを試みました。そしてビニールを適当な長さに切って2枚を重ねるように使うのですが、ビニールが残念ながらサイズの長さが足りませんでした。そこで考え付いたのは腐葉土を作るために小r間で被覆していたビニールを再利用することにしました。

若松進一ブログ(ビニールハウスが出来上がりました)

 ビニールを一人で張るのはかなり難しい作業です。風がビニールを飛ばし言うことを聞いてくれないのです。春が近づいたとはいえまだまだ強風が吹きます。ましてやビニールが上手く張れていないと折角植えた芋が遅霜にであって、芋ツルが予定の日になっても伸びず、結局は腐葉土の腐敗熱源で温度を高め、ツルの伸びを促進させることができないばかりか、後の作業予定が大幅に崩れてしまうのです。

 でもたったひとりながら艱難辛苦の末2時間で出来上がりました。昨年は10日でしたから、3日間だけ早い作業が完了したのです。

 このまま順調に行けば、二ヶ月後の5月の23日頃にはすくすく伸びた芋ツルが切り取られて芋畑に植えられることでしょう。楽しみです。


  「久しぶり 好天恵まれ 種芋を 腐葉土上に 伏せて行くなり」

  「不器用を 自認の俺が 大工する それでも様に なるから不思議」

  「ビニールが 足らなくなって どうしよう そこは何とか 知恵で切り抜け」

  「ひと安心 後は芋ツル 伸びる待つ 子ども喜ぶ 青か浮かびぬ」 

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shin-1さんの日記

○元気人村でリフレッシュしました

「今日は何としてもサツマイモの種芋を伏せなければ」と、万を持していたのに昨日は朝から雨が降って、出鼻をくじかれてしまいました。朝からしとしと降る雨空を眺めながら焦る気持ちがあって、合羽を着てでも作業を進めようと河童の用意をしていたら、妻に「風邪でも引いたらどうするの」と強くとがめられました。それもそうだと諦め、妻の言葉に従い「少し体をいとうよう温泉にでも行ったら」と勧められ、松前の元気人村という温浴施設に出かけました。ここの特徴は薬草風呂なのですが、私はもっぱらサウナを利用して日ごろ流さない汗をかくのです。2~3回サウナに入り水風呂でほてった体を冷やす爽快さは言葉では言い表せないものです。

 この施設は妻とよく行くため、妻が回数券を買ってくれていて、また南海か入ったことを証明するポイントカードに押印してもらうと無料のチケットがもらえるので少しだけ得をしたような気持になるのです。風呂といっても番台などはなく受付で下駄箱の鍵と引き換えに更衣室のロッカーキーをいただくのですが、受付の方とはすっかりお馴染みになっていて、「まあ若松さんお珍しい、今日は大学の帰りですか」と聞かれました。そういえば大学で講義が終わって帰り際、毎週一回立ち寄っていたことを覚えてくれていたのです。

 風呂に浸かって、サウナに入って、水風呂に入って、体を洗って、薬草風呂に入ってと自分流の楽しみ方をしていると、何人かは顔見白の人がいて、盛んに話しかけてくれるのです。その話の内容たるや多岐にわたっていて、今は近づく衆議院選挙や市長・市会議員選挙の話題が多く、「風呂屋と散髪屋は噂が集まる」の言葉通り、様々な憶測が飛び交っていました。そういえば来月には市長・市議会議員の選挙があるのです。「あの人は出馬する」とか「あの人はもう既に3回もあいさつ回りしている」とか、まあ詳しい話に興味をそそられるのです。

 昨日唐突にある人から「あんたも選挙に出なさいや。あんただったら知名度も抜群なので通ると思うよ」と持ち上げられて勧められました。「私は選挙に出ると妻が離婚するというので出れないのです」とはぐらかしましたが、どうやらこの人も選挙を4年に一回のイベントぐらいにしかかんがえていないようです。

 風呂屋でのうわさ話はおひれがついて、小さな火種でも次第に大きくなり、それがさも真実のように広がっていくのです。でも聞き耳を立てて聞いてみると、政治や行政にに対する意見は厳しく、政治不信、行政不信を訴える人も多いようです。地べたを這うような庶民のこんな意見は地べたの話として消えてゆく運目にあるのです。

 そういえば私が役場を退職して早くも丸4年が経ちました。60歳から始まった第二の人生もいよいよ佳境に入ってきました。私にとってこの4年間は給料の当てない自由業でしたが、いささかの年金も出て、大学等に契約教官として働いたり、様々な地域に招かれて講演活動をしながら飢えをしのいできました。65歳までは家族を養う義務があると思っていましたが、今年の10月に誕生日を迎えるとその歳になるのです。

 自分の作った生活設計に基づいて老後の暮らしも何の不安もなく楽しく暮らして行けるのですから、後は夫婦揃って親父を含めた家族が健康に暮らすことを第一義に考えて生きて行きたいものです。昨日のように僅か500円でたまには温泉にでも浸かり、疲労した心身をリフレッシュして、新たな力を蓄えたいものです。

 温泉のお陰でしょうか、昨日は久しぶりに熟睡しました。今朝は目覚めもよく、さあこれから人間牧場へ出発して作業を開始します。


  「お風呂屋は 選挙の話 持ちきりで 知らない噂 耳を傾け」

  「地べた這う ような話も 味がある 庶民はうさを お湯に流して」

  「汗を出し 水風呂入り すっきりと 疲れが取れて 昨夜ぐっすり」

  「五百円 安いもんだな リフレッシュ 妻の助言で 疲れが取れた」

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shin-1さんの日記

○九州(吸収)合併ではなく四国の合併とは面白い

 合併して行政上の名前が地図上から消えたまちへ行く度に、どこか灯が消えたような感じがするのは私だけでしょうか。私の町双海町も行政上の名前は地図上から消えました。しかしかろうじて双海町という地名は新しい市の名前の下に残っていますが、昔の自治体の名前まで消されたまちへ行くと、まさに対等合併とはいえども吸収合併だったことを実感するのです。笑い話ですが「ここは吸収合併ですか」と尋ねたら、「いやいや九州ではありません。ここは四国ですから」とジョークが返って大笑いをしました。

 昨日松山市の向こうにある旧北条市へ行きました。まちづくり協議会を作るべく設立準備会を立ち上げているようで、その全体会に招かれたのですが、やはりどこか沈んだ空気は否めませんでした。それでも会場には男性を中心にかなり集まっていて、海が始まる頃には満席となりましたが女性はちらほらでした。


若松進一ブログ

 北条といえば合併前は3万人そこそこの市だったように思います。ゴルフ場も3ヶ所あって、前海には鹿島というかつては有名な観光の島があるのです。北条の人に聞けば北条=鹿島と答えるほど鹿島は北条にとってシンボル的な存在なのです。ご存じのように南宇和郡の旧西海町にも同じ地名の鹿島がありますが、最近はどちらも観光面では苦境にあえいでいるようです。

 私たちが子どもの頃や青年の頃は鹿島といえば有名で道後動物園、松山城とともに遠足に行く場所でした。遊覧船に乗って渡る鹿島はまるで別世界のようで、鹿が沢山群れていたのを思い出します。最近は近くに道の駅ができ、その海岸も整備されたため、鹿島はすっかり忘れ去られた存在になっているようです。でも鹿島の魅力は道の駅のような急ごしらえなものではないので、生かし方によっては大きな観光資源となることは間違いのないことです。そのためには物語をしっかり作りみんなで育てて行かなければならないと思うのです。


 昨日も何人かに「若松さん、双海の夕日も綺麗ですが、北条の夕日も負けないほど綺麗ですよ」と聞かされました。私はその都度「それがどしたん」と返してやります。だって夕日が綺麗だと思うのなら、行動を起こして夕日の美しさを表現しなければ、知らない人には伝わらないのです。

 私がやった夕焼けコンサートも、作った道の駅しーさいどふたみも全て夕日の物語の一つなのです。多分夫婦岩のある北条鹿島の夕日は双海の夕日より一枚も二枚も上だったはずなのですが、物語性やこだわりにおいて

双海町や私には負けるのです。行政が一歩手を引いた今となっては住民が立ち上がり、住民の手でこれらを動かす以外ないのです。その意味ではまちづくり協議会の行方に期待したいと思うのです。

 知人友人が沢山集まっていて、帰り際わざわざ玄関先まで送ってくれました。


  「久し振り 訪ねた地域 活気失せ 少し気になり 頑張れ激励」

  「吸収と 九州かけて 大笑い ここは四国だ なるほど相槌」

  「船着場 人の影なく 寂しけり かつてはあった 賑わいどこに」

  「穏やかな 北条の海 雨曇り 今度必ず 晴れの鹿島へ」 

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shin-1さんの日記

○風は吹けども山は動ぜず

 小沢さんの秘書が逮捕され政治献金問題で与野党の攻防が一段と激しくなってきました。小沢さんの言うとおり何もやましいことがないのであれば、不当な国家権力の介入としか言いようがないのでしょうが、日本の検察が嘘をついて現政権に協力しているとも思えないし、私たち国民はどちらの何を信じたらいいのか、こんな不景気な世の中ですからもう少し真面目に景気対策などについて考えてほしいと願っています。こうした茶番劇は今に始まったことではないので、国民は冷めた目で見守るしかないのです。マスコミも報道の自由を振りかざして、茶番劇の手助けをしているように思えてなりません。名探偵コナンの名セリフ「真実は一つ」なので、真実をしっかりと解明してほしいものです。

 どうして政治家は嘘をつくのでしょう。言っている言葉が信じられないところに政治不信や選挙の投票率低下に結びついていることをもっと考えてほしいと思うのです。

 昨日の朝9時ころ大学へ出勤する途中に、天山の交差点で街頭演説の光景を見ました。忙しく通り過ぎる車も交差点では信号ストップします。それを狙ってのアピールのつもりでしょうが、次期選挙に立候補する候補者予定の人がマイクを持って一生懸命何かを訴えていました。寒い冬の時期なのでどの車も窓を開けないため、何を言っているのかさっぱり分からない様子でした。私は信号が青だったため顔見知りのその方には失礼でしたし、周りに悪いとは思いましたが、クラクションを短く叩き「ご苦労さん」と応えてあげました。候補者予定の方はそのことに気づいたようで、手を挙げて応えようとして思わずマイクを地上に落してしまい、バックミラーにマイクを拾う姿が映り、済まない気持ちでいっぱいになりました。

 それにしても最近は選挙の事前運動ではないかと思うほど候補者の看板が目だち、綺麗な町も看板と候補者政党の幟で埋め尽くされていて、美観を損ねているのです。綺麗なまちづくりを一方ではマイクを持って訴え、一方では相反する行動をして姿には余り共感を覚えないのです。多分街を良くすることよりも政治家になりたい願望の方が強いのだと思うのです。現にあれほどよろしくお願いしますと頭を下げた国会議員も選挙が終われば全く顔を見せず、東京の上屋敷に妻や子供を住まわせてお江戸暮らしを楽しんでいるのです。次の選挙も気になるのでそろそろ参勤交代のような形のお国入りがあるのでしょうが、政治の世界は今も江戸時代と全く変わっていないようです。

 先日春一番が吹いたとき、私たちは余りの風の強さに恐れおののきました。山はごうごうと音を立てて木々を揺らし、小枝が飛んできたりしましたが、「風は吹けども山は動ぜず」のことわざどおり微動だもしませんでした。今の日本は「風が吹かぬも山動く」ような軽々しさで、少し旗色が悪くなるとまるで敵前逃亡のようにさっさと責任を逃避してしまうのです。せめて「風吹くも山は動ぜず」まではいかなくても、風が吹いて山を動かすくらいにして欲しいと願っています。

 もうそろそろ春2番の風が吹きそうです。北海道と青森から交付金発給の知らせが届きました。受け取った人は満面の笑顔でインタビューに答えていましたが、小さな町だからできる即決行政に大きな拍手を送ります。大きいからできないというのは、行政のやらないことをやれないという言い訳にしか過ぎないと、合併したくないのに合併させられて大きくなった住民のうそぶきが聞こえてくるようです。

 もちろん私も12千円をいただいて消費行動を起こす予定です。


  「風吹いて 山が動くか 日本山 もっとどっしり 景気対策」

  「嘘つきが 多いと不審 募らせる 誰を信じて いいのでしょうか」

  「金成功 した人末路 結局は 金でその身 滅ぼす例え」

  「村だから できるというが 市や町じゃ どうして出来ぬ 首をかしげる」

  

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shin-1さんの日記

○今が旬のみかんを食べる

 わが家は昔半農半漁といって農業と漁業の兼業でした。兼業といっても漁業が主体で、母が3~4反余りの農地を細々と耕していました。しかしその母が亡くなってからはみかんの果樹園だった農地も荒れるに任せ、みかんは全てを枯らしてしまいました。ミカンを栽培していたころは母の手伝いでよく畑にも出かけてみかんの集出荷をしていましたので、誰からもみかんを頂きませんでしたが、みかんがなくなってからはみかん所だけあって沢山のみかんが届くのです。夏のハウスみかん、秋の極早生から早生、普通温州、春先の雑柑類と、まあみかん類は沢山届いて食べきれないのです。

 朝フルなんて新語を造り、朝は果物だけを食べる健康法を推奨している友人の清水さんや大河内さんの影響もあって、勉めてフルーツを食べるようにしていますが、お腹が空いた朝にフルーツを食べることは実践できず、食後の果物的に食べる妻は、この時期になると果物の食べ過ぎで多少小太り気味になっているようです。私はまだみかんの食べ過ぎが原因まではいかないものの、毎日結構楽しんで食べているのです。

 このころになると、いつもお世話になっている人たちに、地元の農家に頼んで新しい品種であるはるみや清見などを分けていただき宅配便で送るのですが、これが大層喜ばれて嬉しい便りが次々に届いているのです。私たちの地方では何年か前まで「みかんは笑ったらくれる」なんて言われていました。事実役場に勤めていたため町内のあちらこちらに出かけて行くと、「みかんでも持ってお帰り」と気軽にいただいたものでした。今はそんな懐かしい現場での交流はなくなりましたが、それでも私や妻の友人から、相変わらず美味しいみかんがどっさり届いて嬉しい悲鳴を上げているのです。

 しかし、外気温が上がるこのころになると果物の完熟が急速に進み、腐り始めるのです。2~3日箱の中を点検しないと、腐りが出てとなりのみかんにカビが移って行くのです。小まめにチェックして腐ったみかんを取り除くのですが間に合わないのです。市販のみかんが腐らないのは防腐剤を散布しているからだと言われていますが、防腐剤は体にあまり良くないので、腐らない前に食べるよう心掛けているのですが間に合いません。

 私たちが子どもの頃みかんは貴重品でした。立派なみかんは出荷して、自家用はキズものを食べさされました。少し腐りが出たものでも包丁で腐りの部分を取り除き食べさされました。追熟するみかんは腐りかけると糖度が抜群に増して美味しいのです。

 昨日みかん箱の少し腐りが出始めたみかんを切って食べました。妻は「これほどあるのだから、そんな腐ったものを食べなくても」と言いますが、わたしたちの世代にとって、少し腐ったみかんも「勿体ない」という気持ちになるのです。

 春になって裏庭にメジロがたくさんやってきます。今週の終末孫がやってきたら昨年と同じようにみかんを輪切りにして割り箸を刺し、裏庭のシノブの絡まった庭石に刺して、野鳥の観察をしたいと思っています。危害を加えないことが分かっている野鳥は、毎年のようにみかんを啄みに庭にやってきます。みかんを啄む野鳥を孫と一緒に観察するのも楽しいものです。


  「みかん食べ 少し小太り 妻いわく みかんのせいと みかんのせいに」

  「腐りかけ これが美味いと いう私 勿体ないの 時代に育つ」

  「有難や みかんをくれる 人ありて 買うこともなく 一年過ごす」

  「裏庭に みかん輪切りし 割り箸で 突き刺し野鳥 窓越し見つめ」

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shin-1さんの日記

○島根県からのお客さん

 「ひょっとして、島根県や鳥取県は全ての街に行っているのでは?」と妻が言うように、どこか気の合う中国地方の日本海側市町村へは殆どと言っていいくらい訪ね歩いています。中でも島根県は遥か沖合いに浮かぶ隠岐の島を含め全て制覇しているのです。

 今月14日には飯南町の旧頓原町へ講演にお邪魔する予定なのですが、その志々の関係者が事前の打ち合わせでやってきました。早朝に出発して今夜遅く帰るという日帰りの旅で、しかも途中しまなみ海道沿いの今治市大三島へ立ち寄るということなので、双海町で過ごすのは僅か2時間ほどなのです。午後1時にシーサイド公園で待ち合わせの予定でしたが、出掛けに自宅へ来客があって私が10分ほど遅れてしまいました。時間がもったいないので、車の中で走りながら打ち合わせしようということになって、とりあえず私の車に私を含めて5人が乗って、閏住の菜の花畑、人間牧場、わが家を巡るコースを設定して走りました。

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 最初に訪れた閏住の菜の花畑は雨に濡れていましたがもう満開です。この2~3日こちら瀬戸内側は冷たい雨が降っていますが、日本海側にある島根県では雪が積もっているそうで、一足早い春の訪れに驚いた様子で黄色いジュータンを楽しんでいました。

 続いて向かったのは人間牧場です。私もこの2週間ほどは忙しかったため人間牧場へは出かけていませんが、先週の日曜日大番頭の米湊さんが伊予市中山町の女性陣を引率して私の留守に視察に見えられたようです。この日はあいにく霧で視界が悪く遠望は効きませんでしたが、それでも早春の春の海を感じていただいたようです。窓をいっぱい開け雨で濡れたウッドデッキにスリッパで出て記念写真を撮りました。

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 下の梅の花ももう盛りを過ぎていますが、雨のため先日設置した蜂の巣箱は静かで余り確認することができませんでした。ブルーベリーの芽は伸び始め、椿の花もそろそろ咲き始めて、メジロがせわしげに飛び交っていました。明日にでも種イモを伏せなければと思っていますが、このところ三日にあげず雨が降って、私の心をやきもきさせているのです。


 シーサイドを通り越した私たちをわが家の海の資料館海舟館と煙会戸所へ案内しました。いずれも珍しい場所だけに皆さん驚いた様子で見入っていました。そろそろ次の目的地へ行く時間が気になるので早々に引き揚げ、シーサイド公園で再会を約束して見送りました。

 頓原町は合併したとはいえ私の町と同じように田舎です。いただいたお土産に立派なワサビと豆腐が入っていました。豆腐は大好物だし手作り豆腐は昔ながら固いものでした。シーサイド公園で従兄に会いました。彼は最近漁協の総会で組合長に選ばれたようで、夕方話に来ないかと誘いました。調理師の免許を持つ彼は夕方立派なカンパチの刺身を持参してやってきました。私は上灘中学校の学校評価委員長をしているので、先日開かれた委員会のまとめができたと連絡があって、学校にお邪魔し校長先生と1時間ばかりお話ししましたが、自宅から電話で組合長が訪ねてきていると連絡があり、急いで家へ引き返しました。昨晩は私たち夫婦と組合長の楽しい夕食を、いただいた豆腐、ワサビ、カンパチともども美味しく頂きました。とびきり美味い春の美食でした。


  「中国の 山坂越えて 客四人 駆け足ながら 春を楽しむ」

  「海のない 町の人には 珍しい 広い海見て 嬉し笑顔が」

  「お豆腐と ワサビいただき カンパチの 刺身食べつつ 四方山話」

  「組合長 なったか従弟 髪薄く それぞれ加齢 重ねて初老」

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shin-1さんの日記

○急がば回れ

 目的地に向かって急ぐ時は頭の中がパニックになって、どうしたら最も早くそこへ到達することができるか、頭の中の回路がまるで目的地までの道順を探すカーナビのようにぐるぐる回るのです。その結果得た結論の道順を走るのですが、結局は行きどまりであったり、渋滞に巻き込まれたりしてかえって到着が遅れたことは過去に何度もありました。その轍を踏まない唯一の方法は余裕を持って早めに出発したり、予測される情報をし入れておく以外にはないのですが、日々忙しく過ごしていると、分かっていても大まかな目安だけで突っ走ってしまうのです。

 一昨年人間牧場で開いた逆手塾の折、深夜になってどうしても早く高松まで帰りたいので「人間牧場から下の国道へ出る近道を教えて欲しい」とある女性から頼まれました。その友人に「その道は私以外は通れないから止めた方がいい」と止めたのですが、「若松さん、私もこんな田舎で育っているので車の幅さえあれば大丈夫」と人間牧場で書いた略地図を元に降りて行ったのです。小一時間も経ったころでしょうか。その女性から半泣きの電話が入りました。車を溝に突っこんでタイヤがパンクしたというのです。「今どこだ」といっても「暗闇なのでどこか分からない」と必死に救出要請をするものの場所は分からず、JAFの救助車がこちらに向かっているものの、谷間なので携帯電話も使えないようでした。

 地元の地理に詳しい人間は私一人で、私は塾の運営に当たらなければならない最中だったので、私たちのメンバーが逆手塾のスタッフを連れて思い当たる場所を探すのにこれまた一苦労でした。結局見つけたもののパンクタイヤを交換修理することもできず下道までそのままガッタンゴットンと車を走らせ、JAFの車と合流しました。深夜に大騒動したため近所の人に迷惑をかけるし散々でしたが、車を役場前に置いて彼女を松山のJRまで連れて行き、一番の高松行き列車に乗せた頃には東の空が明るくなっていました。

 その日逆手塾が終わってから私は地元の車屋さんに車を取りに来てもらいましたが車の損傷はパンクだけではなくかなりの損傷で、修理代は10万円近くにもなって泣きっ面に蜂という感じでした。修理を終えた車をバツが悪そうに後日取りにやってきました。その時彼女の口から「急がば回れでした」としみじみ話されました。


 一昨日の私もそうでした。午前中大学へ出かけて打ち合わせなどをやって気がつくと、日本銀行での昼食会予定20分前になっていました。農学部キャンバスのある樽味からだと20分もあれば行けると鷹を喰っていました。しかし少しでも早く到着しようと今まで通ったこともない近道を通りました。ところがその狭い道へ運転未熟な若葉マークの女性の車が迷い込んで、トラックと離合することをためらい、双方の後ろに長い車の行列ができてしまいました。本線出るための信吾は本線優先のため短く、結局日銀松山支店に到着したのは30分後でした。幸い皆さんは私の到着を待ってくれていましたが、頭をかきながら恥をかいてしまいました。あの時本線さえ走っていたらと後の祭りを「急がば回れ」と悔やむのです。

 結果が全てですから、次からはしっかりと余力を持って日々を暮らしたいと思いました。ああそうそう、これは何も時間的なものだけではなく、人間関係だって仕事だって性急な結果を求めようとし過ぎると、失敗することがあるのでご用心ください。


  「昔人 急がば回れと 説いている 心の焦り なきよう留意」

  「人ならず 自分も何度 したことか 急がば回れ 拳拳服膺」

  「近道を したのに後ろ 走ってた 車が前に 何時の間にやら」

  「慌てない 戸口出る時 妻が言う 携帯忘れ 急がば回れ」

 

 

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shin-1さんの日記

○昨日は忙しくも楽しい一日でした

 春の近付きを予感させるように三寒四温の巡りが速くなり、午前中は持つだろうと思っていた天気予報は大幅に狂って、昨日は朝から一日中雨でした。予定していたサツマイモの苗床づくりと種イモ伏せは中止せざる得なくなってしまったのです。教育委員会担当者の岡市さんから朝一番で電話がかかりましたが、近々への変更を打ち合わせました。

 昨日は午前中久しぶりの休日でした。貯っている仕事を片づけたり、メールの整理をしたり、ブログや自悠くらぶへ原稿を送ったりと、書斎兼事務所でパソコンに向かって仕事らしい仕事をしました。ただ今わが家のFAXが故障していて、時折かかる電話兼FAXの着信音に慌ただしく長い廊下を玄関先まで走らなければならないのです。多分幾つかの文書がFAXに貯まっているものと思われますが、修理に出したNTTからはまだ何の返答もなく、今日あたりに確認の電話を入れてみようと思っていますが、民営化されて久しいNTTなのに、相変わらず対応は遅いようです。

 昼前には妻から頼まれていた珍味の送り物に送り状を書き込み、郵便局へ持参して送ってもらいました。私の場合宅配は殆ど郵便局を使っています。過去に荷物が届かないトラブルがあったものの、素早い対応をしていただきましたし、民営化に際して郵政懇話会に名を連ねたり、局長との長い付き合いもあるので、これからもよほどのことがない限り郵便局を利用しようと思っています。3日前に送ったミカンも北海道へ無事到着し、一昨日お礼の電話がかかってきました。

 半日だけでしたが家にいると、あれやこれやと人が訪ねてくるもので、書斎の椅子に座ると電話、また座ると来客チャイムと椅子が温まる暇がないほどです。私が全国飛び歩いている間、妻はこの全てを引き受けているのですから少し感謝をしなければなりません。

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 午後からは松山で打ち合わせ会があって出かけました。行く途中伊予市の灘町商店街を通りましたが、谷岡和美さんたちがやっている雛飾りがあちらこちらで見えました。時間がないので目についた田村家具の前の雛飾りだけほんのさわりのように見学し通りすがりましたが、店のあちこちのショーウインドウにはそれぞれのお店が施行を凝らして雛飾りを展示していました。しかし残念ながら雨のため人通りは少なく、少し心が痛みました。

 打ち合わせが終わり、予約していた新潟行きのチケットを伊予鉄観光社で受取り、久しぶりに娘のマンションへ立ち寄りました。孫の尚樹は嘔吐下痢の後遺症が少し見られるものの元気を回復していて、間もなく一年生になる朋樹も穏やかに育っているようでした。

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 昨晩は桑原公民館で開かれた地域づくり講演会に講師として招かれました。娘のマンションからカーナビを頼りに車を走らせましたが、いつも行く愛媛大学農学部のすぐ傍だと聞いてはいたものの、かなり入り組んだ場所にあって、カーナビがなければ迷うところでした。

 先日コープえひめの理事会で出会った立川百恵さんや桑原中学校の堺校長先生などなど、冬が逆戻りしたような底冷えのする夜でしたが、顔見知りの人がたくさん来ていて、やばいなあと思いつつ90分間の話をさせてもらいました。メールをいただいた若い人と名刺交換したり、和気あいあいの交流となりました。桑原地区では今月にもまちづくりの実行委員会を立ち上げるべく準備をしているようで、今後の活動に期待したいと思いつつ公民館を後にしました。


  「やぶ用で 一日過ごす 春の日は どこか浮き浮き 仕事片付く」

  「書斎から 見える庭樹に メジロ来て 右や左へ 忙し飛び交う」

  「久方に 孫の顔見て じいちゃんと まとわりついて くれるは嬉し」

  「顔見知り 多き会場 あちこちで 手を振り会釈 講演弾む」

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shin-1さんの日記

○加熱するお雛様競争

 最近はどこが火をつけたのか分かりませんがお雛様流行りで、どこもかしこもお雛様を飾るようになりました。確かにお雛様は日本固有の文化であるには違いないのですが、こうもあちこちに飾られるとはてさてお雛様も困惑しているのではないかと思われるのです。最近はまちづくりの一環としてお雛様の人気が急上昇して、やれ私の町が数で日本一だとか、雛飾りの長さが日本一だとか、抜きつ抜かれつの意味もない競争が激しさを増しているようで、かつて村おこしやまちづくりでナンバーワンやベストワン競い合った競争社会を垣間見ているようです。

 元々お雛様は鯉のぼりとともに生まれた子どもの成長を願って自宅の座敷に飾るものでした。娘を嫁がせた親にとって嫁ぎ先で子どもが生まれることは喜ばしいことなのですが、男の子が生まれると鯉のぼり、女の子が生まれるとお雛様を送る風習は貧乏な時代故に親の頭痛の種でした。そんな時代であっても親は無理をしなけなしの財布をはたいて鯉のぼりやお雛様を贈ったのです。そこには涙ぐましい秘話が隠されていることを見逃すことはできません。また貧乏ゆえに贈れなかった親と、貰わなかった子どものいいようのない寂しさもあったのです。

 私が子どものころ、わが家にも姉のお雛様が飾られていました。やんちゃな男の子故にお雛様などどうでもよく、生けていた桃の花の横に供えられた菱餅と雛豆、それに白甘酒が目当てでした。勿論その頃は菱餅も雛豆も白甘酒も全て母親の手作りでした。

 ひな祭りの時期が近づくと母親はお米の蒸して干した干飯を少し油を打ってホーロクという素焼の平鍋で炒るのです。パリパリと音を立てて干飯ははじけます。同じようにお餅を細かく切ったのをホーロクで炒るとふっくらとしたオカキができるのです。同じように大豆をはじかせます。それらを混ぜて鍋の中で溶かしたギョーセン飴と砂糖でまぶし、モロブタという木枠に流し込みます。冷めるのを待って包丁で小切りすると雛豆が完成するのです。これはとても美味しく、出来上がるまでの間じっと見ては母の目を盗んで干し飯、オカキも大豆も、また雛豆も味見をするのです。出来た雛豆は湿気が来ないようにイットウ缶に入れられ押し入れの隅に保管されるのですが、親の目を盗んで食べるのですが、怒られながらも何とも言えない味でした。そんなおふくろの味を作る家庭も殆どなくなりました。今は逆にこのころになると村おこしの特産品として作られ道の駅などで販売されているようです。


 私の妻の実家のある八幡浜では真穴地区に座敷雛という珍しいお雛様行事が今も連綿と受け継がれています。これは今様なお雛様と違い、座敷いっぱいに箱庭のような飾り付けが行われる大々的なもので、真似のしようがありません。お雛様を使って商魂たくましくやるのも結構ですが、真穴の座敷雛のようにもう少し心のこもったお雛さん行事にして欲しいと加熱するお雛様競争を見て思いました。

 そうそう、わが伊予市の商店街ではビニール平紐などを使って創作お雛様を造っているようです。これはまさに手作りで、作るプロセスそのものに意味があってどこかほのぼのとしています。かつて可愛い女の子だった彼女たちも今では立派な熟女になっていますが、少女のころを思い出しつつ造るお雛様を見ながら一体どんな夢を見ているのでしょうか。

  「加熱する お雛様見て 思うこと 勝った負けたと 一悠するな」

  「手造りの お雛様置く わが玄関 嫁ぎし娘 懐かし思う」

  「男の子 故に雛様 贈れない 女の孫が 待ち遠しいな」

  「荷造りの 紐で雛様 造る人 幼き日々を 思い出しつつ」

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