人間牧場

○人は教えながら学ぶ

 昨日は第一火曜日でした。愛媛新聞社の武田さんの勧めで4月から開講したカルチャースクール「街中の人間牧場移動塾」の講義日なのです。カルチャースクールの仕組みも進め方も分からぬまま、とにかくスタートしましたが、早いものであっという間に3回目が終ってしまいました。私は3回で終るものと思っていましたが、送られてくる資料によるとどうやら後3回は続くようで、講師の私は勿論、受講生たち4人もそのことを知らなかったようで、講義終了後にそのことを話すと、継続を希望してくれて、正直なところホッとしているところです。
 私は今回の開講に当たって私の執筆した「夕日徒然草・水の書・火の書・風の書」の三冊をテキストにするため、受講条件の中に教材代として500円×3冊=1,500円を明記しました。本当は地の書も購入して欲しかったのですが、地の書は既に完売売り切れで残部がまったくないのです。皆さんに最新作「夕日徒然草・空の書」を出版する予定であることを伝え、出版時買ってもらう約束を取り付けました。

楽しい学びの受講生

 きっかけが武田さんの勧めだと書きましたが、本来なら人間牧場で話すべき落伍ながら、人間牧場が多少遠隔の地にあるため、全ての人が人間牧場へ来れる訳ではないので、いっそのこと人間牧場を飛び出して街中で移動塾をやったらどうかと思いついたのです。人間牧場は知っていても「街中の人間牧場移動塾」の知名度はまったくゼロなので、案の定受講の申し込みは最初2名でした。愛媛新聞社のカルチャースクールは1人でも申し込みがあれば開講するのが方針なので、私も受講生もそれを承知で少人数ながらスタートしたのです。その後浅野さんのお骨折りもあって、受講生は嬉しい倍増の4人になりましたが、私にとっては人数の多少等問題ではなく、結構気に入って講義を続けているのです。

 今朝の日めぐりにローマの政治家で思想家であるセネカの、「人は教えながら学ぶ」という言葉を見つけました。夕日徒然草の一話に10分から15分をかけてゆっくり解説をするのですが、時には受講生に雑談めいた質問をする会話形式の講義の中で、受講生から色々なことを学ぶのです。まさに反面教師で色々なことを教わっているのです。
 昨日は私と同じ年代に生まれ育ったご主人と、仲良く暮らしている女性の受講生と、いい時代に生まれたことを喜ぶ話をしをしました。私たちは戦後の物のない時代に生まれ育ちました。でもその代わり心の豊かな時代に育っているのです。またその日その日を完全燃焼して、明日への夢を追いかけて生きてきました。その結果夢だった物の豊かさも手に入れることができたのです。これ以上何の不足があろうかと思いきや、世間の惰性に押し流されて、何とはなしの不平や不満を感じつつ生きているのです。もう一度原点に戻り、もう一度ゼロに戻って幸せな今に感謝して、残りの健康寿命をもっと楽しい気持ちで暮らしたいと話しました。「街中の人間牧場移動塾」を開講してよかったと思うと同時に、後3ヶ月も気を抜くことなく修行のつもりでお話したいと思いました。

  「日めぐりに 人はみな 教えながらも 学ぶこと ローマの偉い 政治家言ってる」

  「気がつけば 昭和も古く なりにけり 平成生まれ 既に主流に」

  「物はなく 貧しい時代 育ったが 心豊かな 時代に育つ」

  「感謝して 健康寿命 生き生きと 感謝しながら 生きよう決意」

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人間牧場

○梅の実の収穫

 昨日九州南部が梅雨入りした模様であると気象庁から発表がありました。今年の冬の寒さが厳しかった影響でしょうか、例年より少し遅れての入梅のようで、九州に続いて私の住んでいる四国地方も、間もなく梅雨に入るものと思われます。そんなこともあって、このところ遅れ気味の農作業の尻に火がついたようなせかされた気になって、仕事の合間・合間を縫って色々な作業をこなしていますが、あれやこれやと忙しいこともあって、中々はかどらないというのが正直なところです。

 昨日は人間牧場梅園の梅の実の収穫を弁当持参で思いつきました。母が存命中から20年に余ってずっと使っていたテント生地で作った採果袋が、昨年破けて修理不能となっていたので、前日農材スーパーで雨に強いナイロン系の採果袋を妻と一緒に購入に出かけ購入していたものや、キャリーを3個軽四トラックに積んで人間牧場へ出かけました。
 昨日は薄曇の天気だったので梅園での作業も順調に見えましたが、既に夏の害虫薮蚊が出て邪魔をするのです。今年は梅の実のなりが薄く、剪定も一切していない梅の木に登っての収穫は中々辛い作業でした。

 ご承知のように梅の木には沢山の棘があって、その棘が木登りの不安定さもあって体中に傷をつけるのです。妻はそんな傷だらけで毎年帰ってくる私の体を気遣って、黒い腕抜きを用意してくれましたが、作業に邪魔で結局は妻に悪いと思いましたが抜いてしまいました。
 梅の収穫をする度に今年こそは剪定をしようと毎年思うのですが、ついつい億劫になって、今年も多分できないだろうと諦めているのです。でも「桜切る馬鹿梅切らぬ馬鹿」と昔から言われているので、そろそろ正念場と覚悟しているのです。

 梅の実の採集をしていると、下の畑で消毒作業をしている地元の女性から「勢が出ますね。今年は梅が不作と聞いていますがいかがですか?」と声がかかりました。この奥さんは私より二歳年下のご主人を一年前に亡くさていて、残された果樹園を必死で守っているようです。昨日は草刈り後の短く延びた草に、除草剤を撒いているとのことでした。一人の仕事は一馬力、二人でする仕事は三馬力の効果を生むことを知っていて、仕事がはかどらないとため息交じりで話されていました。夫婦揃って健康で長生きが一番だとしみじみ思いました。途中持参の弁当を食べて、ウッドデッキに大の字になって寝転んで休憩したりして、やっとキャリー3個と採果袋一つの梅の実を4時頃までかかって収穫しました。単純計算だと70キロほどの収穫です。梅の木にはまだ10kg程度は残っているので、後は暇を見ての収穫です。

 家に帰り前日ジャガイモを収穫した後の畑に耕運機をかけ、畝を切っていた所に枝豆とスィートコーンの種を蒔きました。早くもスーパーの店頭にはスィートコーンが出回り始めていて、少し遅い感じもしますがこうでもしないと、除草に明け暮れる日々を過ごさなければならなくなるのです。これから収穫するジャガイモとタマネギの跡地にも、購入した種がまだ残っているので、ずらし蒔きしようと思っています。
 さあ収穫した青梅の実をこの4~5日で梅酒や梅干用の塩漬けに加工しなければなりません。昨年仕込んだビンを開けなければならない作業も待っています。忙しくなりそうです。

  「梅の木に 登って青梅 収穫す チクリチクリと 肌に刺さりて」

  「新しい 採果袋を ぶら下げて 枝から枝へ まるでお猿だ」

  「声かける 農家の奥さん 独り者 夫を亡くし 孤軍奮闘」

  「不作でも キャリー三個と 一袋 自家用十分 青梅ゲット」

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人間牧場

○雨の中でのほたる祭り

ほたる祭り会場翠小学校の賑わい

 先日、友人の岡田博助さんから「ほたるが沢山飛んでいるので見に来ないか」とお誘いがあり、妻を誘ってほんの目と鼻の先にある上灘川へ行きました。暗闇の中を進んで行くと、あちらこちらに幻想的なほたるが沢山飛び交っていました。岡田さんの声を頼りに合流しましたが、この場所は先月ほたるの幼虫が上陸した様子を、やはり岡田さんの案内で見ているので、ことさら感慨深げでした。
 私は在職中に双海町のまちづくりを担当してほたるの保護活動に深く関わりましたが、どちらかというとほたるの保護活動は他の人に任せ、私はもっぱらほたる祭りのイベントを担当して、心血を注いできました。ほたるの保護活動が縁で今ではすっかりシンボリックな場所となっている翠小学校を会場に、ほたる祭りを開くイベントも30年近くの時の流れで、今では多くの地元の人が関わり、また多くの人がやって来るまでに成長しました。私の目論見どおりホタル保護活動のお陰で、児童数20人ほどながら学校も統廃合されることもなく残っていることはとても嬉しいことなのです。

和気さん家族と渡辺さん

 イベントに雨はつきもので、特にこの時期は梅雨の走りで天候不順なため、雨を心配する関係者の気を揉む姿が目に浮かぶようです。その心配する姿をもて遊ぶように、今年も昼過ぎからかなり強い雨が降り、午後3時からの開会の出鼻をくじいてしまいました。その後は小降りになり何とかほたる祭りは屋外での開催に漕ぎつけましたが、イベントで売る商品や材料を仕入れて準備していた人たちは、気が気ではなかったようでした。
 恒例の行事なのでわが家でも何はさて置き、家族でほたる祭りに出かけました。孫奏心は日本脳炎の予防注射の影響で熱と咳が出て風邪気味なので、息子嫁と二人でお留守番です。娘家族と息子家族で出かけましたが、県道の片側に駐車する車の列が延々と久保の入口付近の橋まで続き、私たちも付近へ駐車して歩いて会場まで行きました。毎度の事ながら一年に一度の賑わいは地域の活性化に大いに役立っているようです。
 入口付近で交通整理をする人、会場で物を売る人、参加した人などの中には顔見知りの人も多く、あいさつを交わすのに忙しく、あちらこちらで立ち話となり、家族とは離れ離れになってしまいました。

双海人のテント

 会場で珍しい人に会いました。南海放送の和気アナウンサー家族です。和気さんは南海放送のニュースキャスターとして活躍していますが、和気さんは旧城辺町に住んでいた子どものころ、私が主宰した大野ヶ原での酪農・農業体験モゥーモッゥー塾に参加していて、何かにつけてお互いがその当時のことを思い出すのです。和気さんは既に結婚して松山に住んでいますが、この日は奥さんや二人の子どもさんを連れ、家族で参加していました。愛媛大学の和田先生から先日電話が入り、「学生たちを連れて福島から家族で双海町へやって来ている渡辺さんの、農場で農業ボランティアに行くから、会場で会いましょう」と予告がありましたが、和田先生と学生の一行もほたる祭りを楽しんでいるようでした。
 松本さんや浜田さん、冨田さんたち双海人のメンバーも、先日人間牧場ピザ釜で試作していたハンバーガーを販売して完売したようでした。

ちょうちん行列

 孫たちは夜店の明かりに釣られ、おばあちゃんにおねだりして、遊び道具を買ってもらいご満悦でした。その後ちょうちん行列の列の中に加わり、ほたるの見学に出かけましたが、孫たちも草むらを飛び交うほたるを見つけて歓声を挙げていました。

「あいにくの 雨にたたられ 気を揉むが 今年もほたる 沢山飛び交い」

「孫たちは ほたるなんかは 気にもせず ばあちゃん頼り 夜店巡りて」

「懐かしき 人顔見つけ 立ち話 ほたる祭りは 人との出会い」

「来年も 元気でほたる 見れるよう 健康くれぐれ お互い確認」

 

6月4日の愛媛新聞朝刊

 

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人間牧場

○梅雨の予感

 6月に入った途端空模様が怪しくなって、梅雨の予感を感じさせ始めています。梅雨は梅雨として水資源確保の観点から考えると、大切な年中行事のようなものですから、むしろ前向きに捉えなければならないのでしょうが、屋外で活動することの多い地域づくり人を自認する私としては、30年にも余って空とにらめっこして一喜一憂してきただけに、やはり気になるのです。
 一方わが家の家庭菜園では、タマネギとジャガイモの収穫が間近で、とりあえず5種類植えた最初の二畝を一昨日の夕方、人間牧場で薪小屋を完成させて午後6時に帰ってから、急な思いつきで掘りました。この二畝は北海道美幌町の検校さんから食用に送られてきたものの残りが春になっていち早く芽吹いたため、試験的に駄目もとで植えたものです。ホームセンターで買った種芋でないので期待は半分でしたが、何と堀り上げてみると立派な芋が沢山ついていて、キャリーに一箱も収穫することができました。この芋は既に試し掘りして2~3度食べましたが、普通の男爵と違って黄色味がかって、とても美味しいようでした。

 昨日の天気予報では午後から雨の確立50パーセントなので、昼食が終わると直ぐ、メークインという品種の5畝を掘ることにしました。ジャガイモを掘り始めて間もなく、「おじいちゃんがジャガイモを掘っているから手伝うように」と言う妻の言葉に促された希心、奏心、尚樹の孫三人組が畑へ入ってきて、「手伝う、手伝う」と大はしゃぎでした。鍬で掘り上げたジャガイモをキャリー二つに大小餞別して入れる作業を、手伝うというよりは邪魔をする程度手伝ってくれました。メークインは豊作で、土の中から大きな芋が顔を覗かせるたびに歓声を上げてるのですが、畑の中を動き回って横に植えているインゲン豆の畝まで踏み荒らして、気が気ではありませんでした。そのうち雨がポツポツ落ち始め、急いで残りを収穫し終わったところで、間一髪雨に合うこともなく収穫を終えました。一輪車で夕観所の東屋まで運んで雨宿りさせましたが、天気になったら風を通して収納倉庫に納めたいと思っています。

彫り上げた男爵系ジャガイモ

 残りのジャガイモは男爵とキタアカリという品種が3ヶ所残っています。明日から始まる来週からは殺人的スケジュールが待ち構えていますが、天候を見計らって朝夕を利用してジャガイモの収穫をやろうと思っています。タマネギと梅の収穫も控えているので、腰を痛めないよう注意をして、楽しみながら収穫をゆっくり味わいたいと思っています。
 収穫したジャガイモはわが家の一年分の食材となりますが、親類にお裾分けしなければなりません。早速娘はちゃっかり買い物籠に入れて持ち帰ったようです。
 孫たちに手伝ったお駄賃として、ジャガイモ一個を選ばせて与えましたが、昨日の夕食に掘ったばかりのジャガイモの塩茹でとポテトサラダが乗りました。いやあ美味しかったです。

  「梅雨間近 予感ジャガイモ 鍬を打つ 土の中から 続々美味そう」

  「手伝うと 言いつつ孫ら 邪魔をする これも育ちと 大目に見つつ」

  「手伝った 御礼ジャガイモ 手渡すと 孫は大いに 喜び走る」

  「食卓に 掘り立て芋が 湯気を出し 食べて食べてと 言わんばかりに」

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人間牧場

○薪小屋造り(その3・完成)

 昨日の夕方6時前、人間牧場からの帰り道、吉久酒店横の信号を国道から右折した所で、仕事を終えて帰る地域事務所の松本さんにバッタリ会いました。後続の車がいないことをいいことに、こともあろうか交差点で停車して、松本さんの車の横で窓を開け、信号赤で止まったいた松本さんとお互いが言葉を交わしました。
 松本さん「薪小屋ができたようですね」。私「はいお陰様で」とショートな会話をしました。私は一瞬「えっ、何で知ってるの?」と思いましたが、直ぐにその謎は解けました。謎などといういうおこがましいものではありませんが、松本さんは殆んど毎日日常生活を書いている、私のブログを愛読してくれているのです。薪小屋の話は造るきっかけから作っている所、完成間近な様子までご丁寧に、デジカメで撮影した写真とともに掲載しているのですから、知っていて当然だと納得しました。

完成した薪小屋

 昨日は少しだけ不足していたエスロン波型屋根材を、前日コープえひめの理事会に出席した帰り、西村ジョイで買って帰っていたので、後少しの作業をしに弁当持参で人間牧場へ出かけました。たった一日なのに前日は5月、昨日は6月です。6月はやはり夏です。薄曇りながら時折夏の日差しが照りつけ、3年間被っている麦藁帽子も何のその、汗ばむどころか大汗をかき、早くも出没している薮蚊に悩まされながらの作業となりました。11時までに屋根材を張り終わり、出来上がった小屋の縦横のたてりを補正して、ひとまず薪小屋はお粗末ながら完成しました。完成で気が緩んだのか正午を知らせる屋外ミュージックサイレンを聞きながら少し早い食事を終えると、少し眠気を催したため久しぶりに背もたれ椅子を木陰に持ち出し、オーシャンビューを楽しみながら贅沢な午睡を楽しみました。木陰は玄関戸と窓を全開していることもあって、心地よい風が吹き抜けて、見繕って本棚から取り出した一冊の本も2~3ページ読んだだけで、浅い眠りについてしまいました。

薪面を揃えて積んだ古い薪と新しい薪

 ズボンのポケットの携帯電話の音で目が覚めました。講演依頼の電話でした。最近は自分のスケジュールを管理している卓上カレンダーも持参しているので、難なく講演を受諾しました。
 昼からは出来上がった薪小屋へ薪を移動する作業です。倉庫の北東側に積み上げていた薪をキャリーに入れて運び積み上げるのですが、薪小屋が石垣の上にあるためこれが結構きつい作業で大汗です。折角造った新しい薪小屋なので、美的にしようと薪面を合わせて前と後二段に積み上げて行くのですが、薪の性格上長かったり短かったりいびつだったりして、散々苦労しました。古い薪はクヌギです。その上に子ども体験塾で先日子どもたちが割った、杉の間伐材利用の薪を積み上げるのに2時間以上もかかってしまいました。一人の作業量はやはり一人前どころか半人前で、作業ははかどりませんでした。それでも綺麗に積み終えた充実感はありました。まだ割っていない丸太も収納し、そこら辺を掃除してゴミを焚き火で焼却たり、石垣下の草を刈ったりしたところで5時になりました。

 人間牧場にまた小さいながらも手作り薪小屋という伝説が生まれました。妻が「お父さんは小屋という言葉が好きね」と言われました。そういえばかまど小屋から始まって作業小屋、ピザ釜小屋、今回の薪小屋と小屋のついた名前の施設がいっぱいあるのです。ツリーハウスもロケ風呂も独立した小屋なので、まるで住宅展示場のように思いの詰まった小屋が次々誕生しています。「余り施設を増やすと管理する自分が困るよ」と、妻から忠告を受けていますが、その言葉は既に実感しているのです。
 薪小屋は施設の中では目立たないバックヤードのようなものです。「バックヤードを見ればその人の性格が分かる」とある人から教わり、私のある意味バックヤードだったシーサイド公園の、人工砂浜清掃を思いついたことを考えれば、薪小屋の存在は大きな意味があるのです。さあこの薪をかまどやピザ釜、ストーブを使って増やしたり減したりしながら、充実した活動をしたいと思っています。何はともあれ薪小屋は短時間ながらこれで嬉しい完成です。

  「念願の 薪小屋不器用 一人にて ついに完成 少し満足」

  「蚊に刺され 一人黙々 薪を積む 古い薪上 新しい薪」

  「薪小屋は バックヤードの 一つにて 綺麗身上 注意おさおさ」

  「汚いと 思った所 綺麗なる 清々しくも 作業を終える」

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人間牧場

○人間牧場に薪小屋(その2・工事中)

 一昨日の朝、妻に弁当を作ってもらい、親父の大工道具箱の中から新品の鋸と金槌、差金などをこっそり持ち出し、意気揚々と人間牧場へ乗り込みました。前日運んでおいたホームセンター西村ジョイで購入の材木等を、倉庫下の広場に運び出し、いよいよ大工まがいの作業がスタートしました。平地に小屋を建てるのなら寸法採寸も簡単なのですが、敷地に傾斜があって、しかも奥と手前にも傾斜があり、加えて打ち付ける相手がコンクリートの波型スレートとあって、作業は最初から難航し、私の弱い頭を大いに悩ませました。柱を立てる部分の総延長が5メートル余りなので、均等に割付けて柱の数を4本にしましたが、奥の柱と手前の柱の長さを違えなければならないのです。

粗方の骨組み仕上がり

 やがて柱の切断が終ってネジ釘で止める作業が始まると、今度は充電しておいた電動ドリルで木が割れないようにあらかじめ穴を開け、ネジ釘を打ち込んで行くのですが、木工用ドリルのキリの3.5mmの穴が小さいためネジ釘が下まで打ち込めず、結局往復1時間もかけて伊予市街にあるダイキホームセンターへ4mmのドリル用キリと7mmのネジ釘を買いに出かける失態を演じてしまいました。
 昼までに粗方の作業を終える段取りが狂って大幅に遅れてしまい、粗方の骨組みが出来上がったのは2時過ぎでした。夢中になると持参した弁当を食べることも忘れていて、結局は腰を下ろすこともなく立ち食いのような形で弁当の半分をつまみ食いして作業を続けました。

一応完成間近な薪小屋

 エスロンの波型屋根材を切ってパッキンの入った止め釘を打ち込む作業は脚立さえも立たない足場の悪い場所なので、不安定で時折金槌で手まで叩いてしまうお粗末さでしたが、午後5時頃にはまあ何とか格好のついた薪小屋が完成しました。計算ではエスロン波型屋根材も8枚を半分に切ればあるはずが、屋根の波型を重ねなければ雨漏りがするので、一枚不足してしまい、昨日コープえひめの理事会に出席した帰りに、近くの西村ジョイで買い求めて切断してもらい、今日にでも残りの作業に出かけて完成させようと思っています。昨日は5月最後の31日で、梅雨の走りを思わせるあいにく小雨ぱらつく一日だったようですが、薪小屋が完成したので、乾燥しきった薪や、まだ丸太のままで放置している山から運んだ丸太を、チェンソーで切断して収納しなければならず、作業は天気とにらめっこです。

 家庭菜園のジャガイモとタマネギの収穫もそろそろ、人間牧場の梅園の梅の収穫もそろそろです。梅雨までに片付けなければならない農作業が目白押しですが、薪小屋の完成で人間牧場にお粗末ながら新しい命を吹き込みました。今回の木工作業で不器用さも少し解消され、人間牧場周辺が多少片付きそうで、ホッと一息ですが、人間牧場の施設管理作業は私一人の労働に頼らなければ成就できないのです。
 目下のところ気になっているのは、昨年従兄弟から貰って人間牧場に運んで放置したままになっている、ステンレス製の水タンクをどこへどのように設置するかです。息子の思惑や水道屋さんの意見も聞かなければならないし、費用を伴うだけに多少頭を痛めている今日この頃です。

  「不器用を 自認の私 薪小屋の 製作すべく 材料購入」

  「鋸等の 親父愛用 道具類 勝手持ち出し 大工真似事」

  「一日を かけて薪小屋 粗末だが どうにか完成 俺も中々」

  「梅雨間近か あれやこれやの 農作業 気だけせかされ 冷や汗かきぬ」

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人間牧場

○人間牧場に薪小屋(その1・着工)

 わが家の敷地内には海の資料館「海舟館」というのがあって、親父が漁師をリタイアした後造った、和船の模型が所狭しと飾られています。そんな何かと手先の器用な親父の息子なのに、子種が違うのではないかと思うほど私は不器用なのです。マサカリで薪を作ればマサカリの柄を折るし、鍬を使えば鍬の柄を折るなどして、「お前は不器用な上に道具類まで壊してしまう。ましてや使った道具の始末が悪い」などと、子どものころから親父に散々叱られて育ちました。ゆえに「私は生まれながらの不器用な男」を自認して、日曜大工仕事の殆んどを親父がやるため、私は益々コンプレックスが酷くなり、不器用なままで人生を終りそうなのです。

 そんな私でも、親父が歳をとって小回りが利かなくなったのをいいことに、少しずつ日曜大工の真似事を始めているのですが、残念ながらおいそれと上達するものではなく、造った物も一笑に付されるようなものばかりのようです。
 先週は共栄木材の会長さんに貰った杉板で初めてミツバチの巣箱を造りました。ところがこの杉板が分厚く乾燥の過程で反り返っていて、ネジ釘で造って行くのですが、所々に隙間のある欠陥商品に仕上がってしまいました。「これは私が造ったミツバチの巣箱」と胸を張って人に見せれる代物ではないので、まだ倉庫の影に終って使わないでいるのです。木は癖組みと親父から聞かされていて、反り返った木を上手に使うのも器用の証なのです。

 そんな私がこともあろうか、立派な施設群?の並ぶ人間牧場に「薪小屋」を造る計画を思い立ちました。先週の土曜日人間牧場で開いた子ども体験塾で、子どもたちに薪割り体験をさせるメニューを入れていたため、出来上がった薪が牧場広場に置かれたままになっているのです。薪もインテリアの一部だと思って、宮栄館長さんから貰ったクヌギの木で作った大量の薪も、風雨に晒されすっかりみすぼらしくなって、かえって美観を損ねていて、何とかしなければならないと人間牧場へ行く度に思っていました。
 一口に「薪小屋」といってもピンからキリまであるのでしょうが、私が造ろうとしている薪小屋は、昨年石垣工事ですっかり綺麗になった作業小屋裏手の石垣の上を利用したいと思いついたのです。

薪小屋はこの石垣の上に作る計画です

 不器用な私は「薪小屋」の製作に当ってコピー用紙の裏に簡単な見取り図のような完成予想図を書き、体験塾が終って人間牧場を後に下山する時、メジャーで寸法を測り、必要な材木の量を計算しました。同居しているわが息子は設計の仕事をしていて、相談すると「止めた方がいい」と言われるのは分かっているので、隠密裏に進めなくてはならないのです。
 今週初め松山へ出張した折、軽四トラックに乗って行き、帰りに西村ジョイというホームセンターで材木、ネジ釘、エスロン波型屋根材などの材料を1万円も仕込んで帰り、その足で人間牧場まで運んでおきました。

着工前の作業小屋外観

  「親父の子? 疑うほどに 不器用を 自認の私 一念発起」

  「薪小屋を 造る計画 こそこそと 自分ひとりで 絵に描き準備」

  「一万円 投資はしたが 出来上がり 笑われるかも 疑心暗鬼に」

  「採寸を した絵を基に 薪小屋の 材料運び 夢が膨らむ」

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人間牧場

○子ども体験塾始まる(その4)

 先週の土曜日5月26日に行なわれた子ども体験塾は予想通り、いや予想以上に大きな盛り上がりを見せました。その後街中で子ども体験塾に参加した子どもたちに出会うと、「ピザが美味しかった」とか、「薪割が楽しかった」とか、中には「進ちゃんに習ったゲームができるようになった」と近寄って来ては、目を輝かせて楽しそうに話してくれるのです。これはもう主催者として一番嬉しい反応で、良かった良かったと胸を撫で下ろすのです。

貼り終わったイノシシ除けの魚網

 日曜日を挟んだ月曜日には、公民館の赤石さんと久保さんと私の3人で、残りの仕事と後片付けに人間牧場へ出かけました。何よりも気になっていたイノシシ除けの網の不足分を補う作業と、植えたサツマイモの苗が水不足を起こして枯れては大変と、水遣り作業を3人で分担して行ないました。イノシシ除けの魚網張りは、ずぶの素人の赤石さんや久保さんには何をどうしていいのか分からず、持って行った魚網をただ呆然でした。そこへ行くと私は痩せて枯れてはいますが元漁師です。直感的に網の使い方を決めて赤石さんに手伝ってもらい、いい状態で不足分を張ることができました。久保さんはポリタンクで持参した未使用分の水を、ジョロに移して水をやる作業をしてもらいました。

 一通りの片づけが終わり、帰る途中下灘小学校と由並小学校へお礼のごあいさつに立ち寄りました。どの学校も子ども体験塾の実施には好意的で、今年から実行委員も校長先生から実務の教頭先生に顔ぶれを変えましたが、全員が参加してくれました。
 人間牧場は私個人の持ち物なのですが、こうして地域の人の共有財産のような形で、使われることが一番嬉しいことなのです。しかし折角できたかまどもピザ釜も、まだ一度も家族が使っていないのは、少々気になるところで、近々家族で使うことも考えなければなるまいと、少々胸を痛めているのです。

特別参加の孫たち

 そんなこともあって、今回は部外者ながら息子嫁と二人の孫を見学のために誘いました。3人は山道を恐る恐る車で登ってきたようで、つかず離れず見学していたようですが、孫は早速小学生の輪の中へ入って遊び半分楽しんでいました。ピザもご馳走になって大いに満足していたようです。孫も大きくなれば子ども体験塾に参加させて、逞しくも心の優しい子どもに育ててやりたい思っています。
 よほど嬉しかったのか、その日の夜は、人間牧場でサツマイモを植えたことや、ピザが美味しかったことを一生懸命話していたようです。

  「主催者は 準備片付け 忙しい フォローできれば 一人前だ」

  「網を張る チンプンカンプン 二人見て 無理もないなと 一人で苦笑」

  「そういえば 人間牧場 家族には お披露目まだと はたと気がつく」

  「孫たちも 塾に参加し 大はしゃぎ 早くみんなと 一緒に活動」

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人間牧場

○子ども体験塾始まる(その3)

ピザ釜でピザを焼く松本さん

 子どもを集める行事やプログラムは何かと気を使うものです。特に安全には気を使わなければなりません。それは私たち大人と子どもの全てが違うからです。大人の体力から考えれば40分の山道歩行などどおってことはないし、マサカリで薪を割ることも子どものころに体験済みなのですが、通学くらいで余り歩かなくなった子どもの中には、かなりきつい子もいるようでした。ましてや薪など自分の日々の暮らしの中にはまったくなく、マサカリを始めて見たり、マサカリで木を割ることも始めての体験なのです。ゆえに私たちが当たり前と思っていた薪割り作業が一番人気があったのには驚ろいてしまいました。

作業小屋赤とんぼの家でピザ作りに挑戦

 今回の子ども体験塾で労力を費やしたのは、去年人間牧場に設置したピザ釜を利用して、子どもたちにピザを作る実習をさせ、焼いて食べさせることです。この日は昨年の夏ピザ釜を造ってくれた松本さんと築炉指導をした戸田さんの二人に加え、地方局の前神さん、地域づくり応援隊の冨田さん、それに双海人の浜田さんが仕込から火入れ、焼く作業まで一手に引き受けて指導してくれました。松本さんは人間牧場のピザ釜、戸田さんは自分の移動式ピザ釜を人間牧場へ持ち込んで築炉したピザ釜に、付きっきりで対応してくれました。運よく曇っていたとはいいながら、火を使って一人一枚のピザを人数分だけ焼く作業は重労働で、70枚以上のピザを焼き上げたようです。

ピザを頬張る子どもたち

 人間牧場のピザ釜は完成してから一度だけ試験的に使いましたが、本格的な利用は今回が初めてです。本当は私もピザ釜の火入れや焼き方などの全てに関わって、マスターしたかったのですが、実行委員長ということもあって、運営に手を取られてまったく手伝いができなかったのです。それでも火入れの様子や焼き具合等はつまみ食いをしながら適当に学ばさせてもらいました。
 この日はピザ釜を使って、様々なピザに挑戦するプロジェクトも松本さんたちがスタートさせていて、子ども体験塾終了後も熱心に実験研究が行なわれていました。私も折角できたピザ釜を燻製等に使えないか考えていて、楽しいことがこれから始まりそうなのです。

ピザプロジェクト実験研究もスタート

 子どもたちにとっては、ピザ一枚はかなりの量だと思いましたが、歩行訓練や芋つる植え、薪割りなどで大いに体力を使っていたため食欲旺盛で、高学年の子どもは本部の分まで狙って食べていました。昨年はかまどで炊いたご飯と味噌汁が大好評でした。今年もピザ焼きは大好評でしたが、その裏で生地の仕込からトッピング具材の調達、焼く作業まで、やはり食べることの世話は大変なようでした。それでも子どもたちの「美味しい」という笑顔の一言が皆さんを大いに喜ばせていたようです。
 子どもたちは感想文を書いて、午後2時元気に歩いて下山して行きました。何はともあれ満足の行く第一回目のプログラムは多くの人に助けられて無事終りました。

  「安全は 何より優先 肝命じ スタッフ一同 今年もやる気」

  「ピザ釜に 付きっきりして ピザを焼く 破顔一笑 美味い美味いと」

  「ピザ焼きを マスターしたい 思うけど 別のやること 沢山あって」

  「ピザ釜の 調子はどう?と 訪ねれば 絶好調と 言葉が返る」

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人間牧場

○子ども体験塾始まる(その2)

 

いもづる植え

 今年の子ども体験塾に応募した子どもは40人と過去最高です。加えてこの日のスタッフやボランティアは20人を越える賑やかなスタートとなりました。この日のメインテーマはサツマイモのつる植えなので、先ず実行委員長の私が、歩いて山道を登ってきた子どもたちをロケ風呂前の舗装道路の広場に座らせ、サツマイモの話をしました。サツマイモはその名前の通り今の鹿児島県から江戸時代に伝来したこと、今治の沖合いに浮かぶ大島には芋地蔵という芋を持っているお地蔵さんが安置されていて、芋を伝来した先人を今も大切にお祀りしていること、隣の松前町にも義農作兵衛という人がいて、来年の種を遺すために種を枕にして亡くなったこと、芋は春になると芽を出してつるを伸ばし、そのつるを植えると秋にはサツマイモが育つ命のリレーをしていること、植物は挿し木によって根を出し、その根が芋になること、芋は米とともに連作障害が少なく、食糧増産にぴったりで、戦後の食糧難から日本国民を救ったことなどを、しっかり話してやりました。

盛り上がった薪割り作業

 本来なら全員が一気に用意した200本のいもづるを植えるのですが、畑が狭いことと人数が多いため5班に分けて植え始めました。一班にマルチを掛けた2畝が用意され、私が包丁で切ったマルチの穴に宮栄館長さんの指導でしっかりと植え込んで行きました。植え方の指導や植えた後の確認も小班毎なので、目配り気配りもできて、手足やズボンを余分に汚さずしかも短時間で植え終わりました。
 子どもたちは薪割り、案山子作り、班旗造りの別メニューも用意されていて、ローテーションを組んでスムーズにことが運びました。予想以上に盛り上がったのは薪割り体験です。役場の井上課長さんからいただき、前もって運んで薪の長さにチェンソーデ切っておいた杉の丸太を、マサカリとカキヤを使って割るのですが、殆んどの子供が初めてとあってまあ下手糞で、薪どころか地球を割るような頓珍漢な作業に、笑いや拍手の渦が沸き起こりました。

魚網で囲われ芋植えの終った芋畑

 班旗もイノシシ除けのための案山子も班毎に作られ、まあこれも下手糞ながらそれなりのものができました。私と宮栄館長、三好教頭先生、それに下小の女先生、人間牧場を見学に来た吉岡さんが中心になって、芋畑の周りに鉄筋を打ち込みイノシシ除けの頑丈な網を張り巡らしました。今年は農場を少し広げたため網の長さが少し足りず、後日の補足作業となりましたが、今年は網の裾に鉄筋を打ち込み、イノシシが進入してサツマイモを全て食べられて昨年の苦い経験を、何としても防ぎたいと思っています。
 

下手糞な出来栄えの案山子

今年の収穫祭は10月13日の予定です。それまでに夏の草引きや草刈りなどの肥培管理も行なわなければなりませんが、イノシシの被害もさることながら、沢山サツマイモが収穫できるよう祈っています。植えたいもづるは、ここ当分好天が続きそうなので、一度水遣りをすべきかどうか迷っています。

  「サツマイモ 切ったつるから 根を出して 芋に変身 何とも不思議」

  「今年こそ イノシシたちと 知恵比べ 勝って芋食う 秋迎えたい」

  「芋話 これも大事な 役目にて 熱弁ふるい 子どもに話す」

  「薪割りに 挑戦するも 地球割る そんな勢い 今の子どもは」

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