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〇世にも珍しい長~い人参が届く

 数日前の朝、地域おこし協力隊の富田さんがわが家へやって来ました。何事かと思いきや富田さんは段ボール箱に入れた長い長い人参を持って来てくれました。私も仕事柄色々な農産物を見てきましたが、ゴボウと見紛うほどの1m程もある細長い人参を見たのは始めてて、大いに驚きました。勿論家族も集まり驚嘆の域でした。早速近所や親類にお裾分けしましたが、持って行く先々話題集中で、富田さんからは「若松さんと一緒に出かけた幕張の市町村アカデミーで知り合った方から、若松さんにも差し上げるようにと言われましたので持参しました。相手の名前と住所はおって中予地方局の前神さんからメールが入ります」とのことでした。

届いたゴボウのような人参
届いたゴボウのような人参

 若嫁から「おじいちゃんは人参が好きなので2~3本あげようか」と相談があり、若嫁は隠居へ持って行ったようでした。親父も目を丸くして「始めて見た」と驚いた様子でしたが、親父は早速手押し車を押して近所の雑貨屋さんへ牛肉を買いに行き、人参とジャガイモを入れて肉ジャガ風料理を作っていたようです。昼前に親父は自分で作った肉ジャガを、大盛りで一皿わが家へ持って来てくれました。95歳の親父が作った人参入りの肉ジャガは味付けといい出来栄えといい、これはもう最高の味でした。早速お昼ご飯のおかずにして妻と二人で美味しくいただきました。

 それにしても何故こんな人参ができるのでしょう。砂地のような水はけの良い深い土壌でないとこんな人参は作ろうと思っても出来ません。私など細長く作ることが信条基本のゴボウでさえ、途中で枝分かれしたり、また鍬で掘っても途中で切れてしまうのです。多分この人参は機会掘りするのだろうと思いながら、わが家もあれからずっと、人参をふんだんに使った料理が食卓を賑わせてくれました。緑黄野菜の王様である人参はカボチャとともにカロチンを多く含んだ栄養満点の食べ物です。私も人参大好き人間なので時ならぬありがたいプレゼントで、2~3日は長生きするような気持ちになりました。そういえば前神さんがface bookで、この人参を持った写真を公開していたと、初めて気がつきました。

  「何とまあ ゴボウのような 人参が 届きびっくり お裾分けする」

  「人参と ジャガイモ肉で 肉じゃがを 親父作った 中々の味」

  「人参は カロチン一杯 あるという ゆえに体に いいから食べる」

  「人でない 何故に人参 いうのだろう 野菜の名前 誰がつけたか」

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〇ジョン万次郎に憧れて

 小学5年生の時学校の図書室で、井伏鱒二著「ジョン万次郎漂流記」を読んでから、すっかりジョン万次郎に憧れて半世紀が過ぎました。この一冊の本に書かれた歴史上の人物ジョン万次郎が、私の人生に最も大きな影響を与えたことは、後の私の経歴を見れば歴然です。
 貧乏漁師の家に生まれたこともどこか似ているし、宇和島水産高校の実習船愛媛丸で遠洋航海に出て南太平洋でマグロを追い、満船帰航時伊豆半島沖で低気圧の洗礼を受け、1月酷寒の海で生死の境をさまよったことも、遭難して鳥島まで流されたジョン万次郎と重ねることが出来るのです。

足摺岬に建つジョン万次郎の銅像
足摺岬に建つジョン万次郎の銅像

 この本の影響で、私が「アメリカへ行きたい」と思うようになったのは小学5年生の時からでした。世の中は不思議なもので、その後30歳の時、総理府派遣第10回青年の船の班長として、太平洋を渡り建国200年のアメリカへ本当に行けたのですから、まさに「夢はドリームではなくターゲットである」としみじみ思うのです。以来21世紀えひめニューフロンティアグループを立ち上げ、「無人島に挑む少年のつどい」を20年間も行い、丸木舟を造って瀬戸内海航海もしましたが、いつも不屈の精神で難局を切り抜けたジョン万次郎の姿が私を勇気づけてくれたのです。

 幕末の英雄として有名な坂本竜馬は郷士といえど武士の出身で、ジョン万次郎は取るに足らない漁師出身です。また脱藩したといえど勝海舟の門人となり、神戸海事操練所に隣接する海舟の私塾の塾頭をつとめ、身につけた知識や技術で亀山社中、土佐海援隊を率いるのです。竜馬は貿易に対幕戦争にと活躍し、ついには薩長同盟の実現に漕ぎつけ、また明治維新の精神ともいうべき五箇条のご誓文のもととなった、「船中八策」を独自で策定しているのです。しかし果した役割が時勢の中で際立っているため、必ずしも人物の真実を伝えていないのです。例えば北辰一刀流の剣術を学んでいますが必ずしも剣の達人ではなく、ピストルを使ったり、日本最初の新婚旅行といわれていますが、小松藩家老小松帯刀の方が10年も早く霧島へ新婚旅行に出かけているのです。

 英雄坂本龍馬にも影響を与えたと思われるジョン万次郎は、低い身分だったゆえ、アメリカで学んでいるのに、いつも軽んじられているのです。二人の出身地である高知県でさえもジョン万次郎の知名度は今一で、坂本龍馬と四万十川を冠にした企画をすれば、人が集まり物が売れる珍現象に胡坐をかいて、ジョン万次郎のことなど余り知ろうともしないのです。
 やっかみや僻みではなく、日本もジョン万次郎の正しい評価をしなければならないと、最近アメリカで再評価されつつあるジョン万次郎の人物像を、もっともっと勉強したいと思う今日この頃です。

  「図書室で 一冊の本 巡り会う あれから今も ジョン万次郎」

  「ヒーローは 龍馬と誰も 疑わず 歴史の陰に スーパーヒーロー」

  「この2年 ジョン万学び 魅力増す もっと学んで もっと生かそう」

  「膨大な 資料手元に 届いたが 読み解くのには もっとスキルを」 

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〇年輪塾公開セミナー(その3)

 年輪塾公開セミナーのメインは講演と鼎談、それに交流会です。今回もその道の第一人者である国際草の根交流センター顧問の川澄哲夫さんを招き、ジョン万次郎の知られざる世界を存分に聞かせてもらいました。
 鼎談はいつものことながら塾長の私が進行役となり、土佐市のジョン万研究家青野博さんとウエルカムジョン万の会の代表田中裕美さんを向かえ、議論を戦わせました。鼎談を前に中心になって準備を進めていた小番頭の松本さんから、青野さんや田中さんに鼎談の進め方について連絡したいというので、次のような大まかな筋書きを作りお二人に送ってもらいました。

私の作った鼎談筋書き
私の作った鼎談筋書き

 「今に生きるジョン万スピリッツ」をテーマの鼎談は、この筋書きで進むように見えましたが、途中講師の川澄先生が乱入し、私の考えていた通りにはなりませんでした。でも新居浜の武田さんや直野さん、加藤さんとともにやって来ていたイトー・バーバラさんの話が予想以上に面白く、元に引き戻すことが出来ました。私は公開セミナーの当日朝早く起きて、ジョン万次郎のキーワードを①太平洋・海、②遭難・鳥島、③船長・ヘブン、④捕鯨船・鯨、⑤ゴールド、⑥望郷・母親、⑦鎖国・開国、⑧英語、⑨隣人愛、⑩宿命・運命という10項目を選び、少し大きめの字でプリントアウトして、参加者に提示し、塾生から提出してもらったジョン万から学んだこと、鼎談で取り上げて欲しいことを素材にしようと試みましたが、時間的余裕がなく深入りした議論が出来なかったことを大いに反省しています。

 それでもこの2年間のまとめとしては、それなりの成果を得ることができました。貧乏漁師の小せがれに生まれた宿命を遭難という事象によって運命に変えたジョン万の不屈の精神は、一人の人間としてどう生きねばならないのか、またどう社会に貢献すべきかを考えさせられた超人的人物でした。私は宮本常一に記録と記憶の大切さを教わりました。二宮金次郎には経済と道徳の融合を教わりました。教わってもそれが自分という人間に置き換えて、何が出来るか考え行動に移し、それを習慣化するか、まさに金次郎銅像が右足を一歩前にしている姿そのものなのです。私は宮本常一の教えをブログという手法で実践しています。二宮金次郎は讃岐先生から貰った銅像と同行二人で全国行脚し、尊徳の教えを各地へ布教しています。勿論常一と金次郎に少しでも近づくために・・・・・。

 ジョン万次郎スピリッツは宿命と運命です。人は親を選べず、生まれる場所も生まれる時代もを選ぶことはできません。自分の置かれている境遇を宿命と思えば、そこから抜け出ることは出来ませんが、心に希望の火を掲げ宿命を受け入れながら、自分の力で宿命を運命に変えて行くことこそ、ジョン万スピリッツなのです。今回もジョン万次郎から多くのことを学びました。歴史上の人物ながら、もしジョン万次郎という先人と出会っていなかったらと思うと、年輪塾の学びは私に多くのことを学ばせ、これからの人生を豊かにしてくれる恩人のような気がするのです。
 大河ドラマではありませんが、来年はいよいよ地元学、近江聖人中江藤樹を先人と定め、「知行合一」の学習を始めます。ご期待下さい。

  「鼎談の 進行役を 買って出る 筋書き作るも 少し寄り道」

  「キーワード プリントアウトし 提示する みんなそれなり 納得しつつ」

  「セミナーに 外国人も 参加する 年輪塾も 少しレベルが」

  「スピリッツ 日本人には 欠けてると テーマ選んで 良かった良かった」

熱弁をふるう川澄哲夫先生
熱弁をふるう川澄哲夫先生
夕日のミュージアムでの公開セミナー
夕日のミュージアムでの公開セミナー
鼎談の青野さんと田中さん
鼎談の青野さんと田中さん
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〇年輪塾公開セミナー(その2)小さな無人島サプライズ

 普通どんな研修会を開いても、企画をしたり準備をしたり、はたまた運営に関わったりするのは極少数の人間です。今回の年輪塾恒例の2年に一度の公開セミナーの企画は清水塾頭と松本小番頭、それに筆頭塾生で今回中番頭に格上げした浜田さんと私の4人でした。何度も打ち合わせと称した呑み会を行い、一週間前にはわが家の煙会所で妻の作ってくれたおでんに舌鼓を打ちながら、最終打ち合わせをしました。
 しかし助成金をいただく地域活性化センターとの打ち合わせや資料作り、当日の交流会の準備などは事務局をやっている松本小番頭が全てを差配してくれました。勿論2年間の学習に必要な資料配信や現地でのエクスカーションは、西土佐の和田さんと愛南の脇田さんが大いに活躍してくれましたが、セミナー当日の準備は会場がふたみシーサイド公園だったこともあって、準備から後片付けに至るまで松本小番頭におんぶに抱っこの手合いでした。

本物の鳥島
本物の鳥島
万次郎が漂着した鳥島付近の地図
万次郎が漂着した鳥島付近の地図

 先日公開セミナーを前に自宅で夜寝ていて、変なことを思いつきました。会場が夕日のミュージアムの中なので、外には恋人岬と離岸堤があるのです。私が発想し県に造ってもらったは離岸堤のことを夢の島と名付けていますが、この島も考えてみれば小さ過ぎる無人島なのです。サプライズでこの島に渡ろうと思い始め、松本小番頭、浜田中番頭と密かに相談をして準備を始めたのです。
 私は運悪く準備のための前日、長崎と尾道へ出張中だったのですが、シーサイドの砂浜からインディアンカヌーで試運転してみた浜田さんから新幹線で移動中電話が入り、「海はうねりもあって、櫂で漕ぐのは難しい」とのことでした。「私に秘策があるから」と告げました。実は松本さんとタフロープを両岸につないでたぐれば何とかなると相談していたのです。

 川澄先生の講演が終わり、休憩時間になったところで全員で砂浜に出て、カヌーにタフロープを取り付け3~4人が島に渡りました。浜田さんと真鍋さんはカヌーを綺麗に拭き掃除してくれ、浜田さんはお神酒まで買って船玉様に供える念の入れようです。その後順番にタフロープで操り、4~5人ずつ渡って殆どの人が渡りました。恋人岬付近から松本さんが、望遠レンズで横断幕を張った私たち一行の記念写真を撮影してくれました。
 私も思いのこもったこの島へ渡るのは2年ぶりです。毎年カヌーでこの島へたった一人で渡り、2時間ばかり地方(じかた)を見ながら、他愛のない夢について思いにふけるのです。この島を夢の島として井戸を作りたい、松の木植え緑化したい、この島の上でキャンプをしたい、この島を宝島にしたいなどと他愛のない夢を描いていますが、今回はジョン万次郎=無人島(鳥島)なので、ジョン万次郎の人生に思いを重ねました。島に渡った人たちも多少塩水で足元を濡らしましたが、いい経験だったと喜んでいました。

 

 

  「シーサイド 公園沖に 浮かぶ島 小さいけれど 無人島です」

  「鳥島に なぞらえカヌーで 島渡る 公開セミナー サプライズです」

  「この島に 夢の幾つか 造りたい あれこれ思う 今はドリーム」

  「万次郎 無人の島で アホウドリ 夜露しのいで 半年間も」 

カヌーに乗って小さな無人島へ
カヌーに乗って小さな無人島へ
無人島での記念写真
無人島での記念写真
恋人岬にて公開セミナー記念写真
恋人岬にて公開セミナー記念写真
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〇年輪塾公開セミナー(その1)

 年輪塾ではこの2年間、波乱に富んだ人生を生きたジョン万次郎をテーマに、様々な学びをしてきました。時には人間牧場で、時には万次郎の生まれた土佐清水市で、また時には愛南町や旧西土佐村でゲリラ的に移動塾を行いながら、担当した脇田さんからネットで送られてくる膨大な資料や、清水塾頭から指示のあった課題図書を乱読・熟読して、自己学習に務めてきました。
 今3期目の年輪塾の学びがより身近に、そしてより深まったのは、和田修三さんの仲立ちで紹介された高知県のジョン万次郎研究家青野博さんの存在でした。青野さんはこの2年間私たちの求めに応じ膨大な収集資料の中から、初歩的な私たちに惜しげもなく資料を提供して、毎回深みのあるレクチャーをしてくれました。

 「何故坂本龍馬でなくジョン万次郎なのか?」とよく尋ねられます。それは年輪塾のテーマを決めるのは塾長である私の専権事項だとうそぶいていますが、その思い入れを今回の公開セミナーの資料に「年輪塾公開セミナーに寄せて」と題して私が次のような文章を載せています。

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 多少独りよがりな面もありますが、塾生たちは学びのプロセスを通して少なからずジョン万次郎の足跡に触れながら、万次郎という人物の凄さを感じ取ったように思うのです。それは今回のセミナーを開催するに当たり、塾生から提出してもらった「万次郎から学んだこと・鼎談で話して欲しいこと」というレーポートの中にも随所に感じ取ることが出来ました。

 今回の公開セミナーも、宮本常一、二宮金次郎と同じく講演・鼎談・交流会の3部構成で企画しました。今回は資料として大いに活用した高知新聞連載記事を書かれた、慶応大学名誉教授川澄哲夫先生に青野さんを通して特別講話お願いしました。先生は噂に違わぬ白髪交じりの豪傑で、ジョン万次郎の知られざる世界を「ジョン万次郎とその時代」と題して存分に話していただきました。
 ジョン万次郎の人生に大きな影響を与えたホイット・フィールド船長の存在だけが強調されていますが、私的にはデーマン牧師の存在をもっと聞きたかったと、今になって後悔しています。

  「ジョン万の 公開セミナー 賑やかに 講師先生 大いに語る」

  「龍馬より ジョン万好きな ゆえを持ち 二年もかけて 一生懸命」

  「ジョン万は 聞けば聞くほど 学ぶほど 魅力増幅 これから先も」

  「ジョン万の 帰郷記念の 日と偶然 重ならせたは 小番頭の知恵」

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長崎ぶらぶら(その3)

 長崎観光の締めくくりは長崎水辺の森公園と出島です。孔子廟へ入ろうとしましたが、修学旅行生が一杯詰めかけ入り口が混んでいたので、玄関先で諦めました。入口に「孔子八徳」が書かれていたので、手持ちのネット印刷したコピー用紙の裏側に、走り書きでメモしました。これも孔子のお導きかも・・・・また仁・義・礼・智・信という五常も書き加えました。
  孔子八徳
 ・考-孝行を尽くす。
 ・悌-兄弟仲よく助け合う。
 ・忠-正しい真っ直ぐな心。
 ・信-嘘のない真心。
 ・禮-礼儀正しい行い。
 ・義-悪いことをしない。
 ・廉-欲張らない。
 ・恥-恥ずかしい行いをしない。

 長崎湾に面した水辺の森公園内には県立美術館もあり、広大な芝生の広場も立派で近く何かのイベントが開催されるのか、沢山のイベント用テントを業者さんが忙しそうに設営していました。出島ワーフ埠頭には黒船時代の蒸気帆船を摸写した船が係留され、その姿を横目に見ながら、出島へ向かいました。ここは江戸期の鎖国時代、西洋に開かれた唯一の窓口だった所で、カピタン部屋等洋館建ての建物が10棟の復元が完了していて、まるで江戸村的なタイムスリップしたような雰囲気が漂っていて、修学旅行生が貸衣装屋で思い思いの和服を着て、面白おかしく滑稽な姿で闊歩していました。展示品はとても見応えがありました。
 特に私の目に留まったのは砂糖の歴史でした。出島に上陸した当時貴重な砂糖は、砂糖の道といわれる往還道を通って小倉まで運ばれ、上方や江戸まで運ばれたようです。塩の道は知っていますが、砂糖の道の存在は始めて知りました。

 出島から三度目の電車に乗って長崎駅まで帰り、長崎県教委の山口さんに電話を入れると、程なくお偉い方がホテルまであいさつに見えられました。忙しく名刺交換や手続きを済ませ、午後6時30分から始まる懇親交流会まで少し時間があるので、JR九州ホテル長崎の一室でシャワーを浴びたりしてくつろぎました。
 やがて県教委の松崎課長補佐さんが約束どおり迎えに来ていただき、タクシーで会場のホテルへ到着しました。驚いたのは東京から全国社会教育委員連合の常務理事坂本登さんが着ていて10年ぶりの再会となりました。また長崎県社教委員長で今回の大会の実行委員長である江頭明文さんは、松野の旧友故土居浄厚さんと近しい親戚とかで、世間の狭さを大いに感じました。
 その夜は懇親交流会が終ると、親友松本さん、武次さん、辻川さんたちと二次会で旧交を温めました。11時前にホテルへ帰還しましたが、この日歩いた歩数は18396歩を記録していました。その夜はお陰様で久しぶりにぐっすりと休むことが出来ました。

  「長崎の 街をぶらぶら 散策す 電車乗り降り 独り気楽に」

  「長崎は 何度も来るが その度に 心休まる 風情がありて」

  「二次会も お茶だけ飲んで お茶濁す だけど楽しい 旧友出会う」

  「万歩計 1万8千 歩も歩く 元気の元は 歩くことだと」

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人間牧場

〇長崎ぶらぶら(その1)

 特急かもめの終着駅は長崎駅です。長崎駅に着くとプラットホームには御朱印船の模型が飾られ、これを見ただけで異国情緒が漂ってきました。改札口を出るとエレベーターで、その夜の宿舎であるJR九州長崎ホテルへ向かいました。二階のフロントにその夜の宿泊を申し込んでいることを確認して、手荷物をクラークに預けました。今回も荷物の中に同行二人の宜しきを得て、二宮金次郎の小さな銅像を講演に使うべく持って行きました。ブロンズ像の難点は重いことですが、これも修行とばかりにナップサックに入れて、全国津々浦々へ持って行き、尊徳理論を普及しているのです。

 身軽になったので、一階の観光案内所で500円で一日間乗り放題の電車切符を買い求め、市内観光マップをいただいて、長崎をぶらぶらする計画をおぼろげながら立てました。大まかは平和記念公園~眼鏡橋~中国人街~オランダ坂~グラバー邸~大浦天主堂~孔子廟~オランダ坂~海岸水辺公園~出島公園を巡ろうと思いました。この日はうららかな小春日和に恵まれ、赤迫行き電車でまず平和公園を目指しました。この時期は秋の修学旅行の時期なのかどこも小中高の子どもたちが沢山来ていました。特に平和公園には多くの子どもたちがやって来て、平和の像や原爆資料館などを、ガイドさんの説明に耳を傾け、メモを取りながら熱心に学習していました。

 北村西望さんの作である平和の像の前で写真を撮っていると、ガイドをしている人が「写真を撮ってあげましょう」と優しく声をかけ、「はい像と同じように片方は上、片方は真横に上げて下さい」といわれ、言われるままのポーズで写真に納まりました。その後原爆資料館でリアルな展示物を一つ一つ見て歩きました。天井から吊り下げられたロケット弾が地球目がけて今にも落ちようとする姿を見て、思わず立ち止まってしまいました。また時々の長崎市長が原爆の日に読み上げる平和宣言の式辞も展示されていました。
 資料館を出て爆心地を見に行きました。ここら辺は10年も前に一度見学に来ているのですが、昔と今とは考えも置かれている立場も違うので、心の窓を開けてゆっくりと見学し、平和の誓いを新たにすることが出来ました。

 

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人間牧場

〇尾道から帰って来ました

今日はお休みなさい。

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人間牧場

〇明日の天気はどうだろう?

 明日から2日間講演で長崎へ出かけ家を留守にします。帰りは明後日の深夜になりますので悪しからずご容赦下さい。したがって明日から2日間ブログを休む予定です。
 急用の方は私の携帯電話にご連絡下さい。

 

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〇再び岡山県へ

 ほんの3~4日前に岡山県久米南町へ講演に出かけただけなのに、昨日は同じ岡山県へ再び講演に出かけました。今回は岡山駅の直ぐ近くにある国の出先機関岡山農政局からのオファーでした。もう随分古い話になりますが、役場産業課や企画調整室に在職中岡山農政局へは仕事で何度か出かけたことがあります。また地域づくりの原稿を頼まれたり、岡山農政局の依頼で地域づくりのお手伝いをしたことがあるもののすっかりご無沙汰で、私にとっては忘れかけた存在でした。

 担当の女性からレジメやパソコンの打ち合わせが電話やメールにて何度かありましたが、レジメを使わない私の主張やパソコンを使うと部屋が暗くなって、居眠りをする人がいたりするので、頑なに拒みました。それでも参加者が局長さん以下50人もの職員さんなので、担当女性に恥をかかせてはなるまいと、北総研に頼まれて書いた雑誌の10ページに渡るコピーを送りました。ところがこの容量が重過ぎてはじかれてしまい、届かないと連絡があり、再度2回に分けて送り直すハプニングもありました。

 午前6時過ぎに家を出て、松山駅発7時20分の特急しおかぜに乗り込みました。早くて便利になったとはいえ、岡山までは片道2時間40分もかかるのです。これ幸いとばかりに先日もこの日も、木になるかばんに本をしのばせ、お陰様で久しぶりにたっぷり読書をすることが出来ました。
 岡山農政局までは岡山駅から歩いて10分足らずの所にあり、迎えに来ていただいた中村さんの案内で歩いて行きました。農政局は入口で電子セキュリティチェックされるなど、「何で?」と思うほど物々しい警戒ぶりでした。

 講演は10時30分から始まりました。段本参議院議員(元農政局職員)さんとの思い出の出会いや、笑わない集団への苦言、うどんの花の話など、言わなくてもいい話をしていしまい、今になって反省していますが、後の祭りといったところです。相手のレベルが高いので少し早口の話となってしまいました。
 講演終了後局長室へ通され上級幹部職員の皆さんとランチタイムの席を設けていただきました。美味しいお弁当をご馳走になりながら40分ほど談笑しお暇して、岡山駅へ歩いて向かいました。

 13時35分発の特急しおかぜに乗って本を読みながら車窓に流れる景色を見ましたが、瀬戸大橋が開通して早くも25年、瀬戸大橋界隈も随分様変わりして見えました。開通当時ごった返していたフィッシャマンズワーフも坂出の大橋記念講演も人の気配が見られず、僅かにうたづ駅周辺の街が活気に溢れ、ゴールドタワーも威容を誇っていました。時の流れと人の流れはとどめなく、どういう方向へ向いて行くのでしょうか。古い風、新しい風を感じつつ・・・・・。

  「久方に 訪ねし役所 セキュリティ 厳しいチェック 入りにくいな」

  「そういえば 昔は頻繁 交遊の あった役所も 今は疎遠に」

  「レジメなく 思いつくまま 90分 あっという間に 終わってしもた」

  「25年 大橋界隈 様変わり わが身加齢を 考えもせず」

特急しおかぜの中で
特急しおかぜの中で
人の気配の消えたかつてのフィッシャーマンズワーフ
人の気配の消えたかつてのフィッシャーマンズワーフ
威容を誇るうたづのゴールドタワー
威容を誇るうたづのゴールドタワー
橋の下の架橋記念公園
橋の下の架橋記念公園
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