人間牧場

〇訳ありリンゴと訳ありみかん

 年末のこの時期になると郵便局から色々な品物が届きます。その中に訳ありりんごという一風変わったものが入っていました。訳ありリンゴの命名は収穫間近のリンゴが大風の被害を受けて落下したものを、農家を救済しようと始まった市民運動だと聞いていますが、今では大好評を当て込んで落ちないものまで訳ありリンゴという名前で売っているのですから、商魂逞しいという他ありません。当時大風に当たっても落ちなかったリンゴを「落ちないリンゴ」として受験生に販売したことも話題になったと、箱を開けながら思い出しました。

友だちに分けてもらった訳ありみかん
友だちに分けてもらった訳ありみかん

 訳ありリンゴが何故市民権を得ているのか、それは少々外傷があっても味が良いことです。訳ありリンゴは皮を向いて中を割ってみると、幾分小ぶりながらかなり蜜が入っていて、とても美味しいのです。値段も割安なので毎朝キャベツとともにリンゴを欠かさず食べるわが家としては、最も喜ぶべき贈り物なのです。
 何日か前、友人がfacebookで訳ありみかんを紹介してくれました。リンゴに訳ありがあるのなら、みかんにだって訳ありがあってもいいのではとの提案でした。農家の人の話では外見は少々悪くても、味はいいみかんは沢山あるのだそうです。

 私も一役買おうと早速その話に乗り、10kg箱を5つ注文しました。先日のまちづくり学校双海人で受け取りましたが、とても美味しく早速今日にでも友人のところへ送ろうと思っています。みかんは味もさることながら外見も重視されます。無傷だと高く売れるため、農家は農薬散布や摘果などの肥培管理を行い少しでも高く売れるよう汗を流しますが、折角作ったみかんが小玉だったり傷があれば、それらは有無を言わせず外品として処理され、オレンジジュースの原料となって値段は半減するのです。美味しいみかんを食べたいのは誰も同じですが、考えてみればみかんは皮を剝いて食べるのですから、多少の外傷等何の問題もないのです。「訳ありみかん」が市民権を得て農家が喜ぶような努力を、今後もしたいものです。

  「宅配で 訳ありリンゴ 届いたが 食べてビックリ 蜜入り美味い」

  「味はいい 訳ありみかん いかがかと facebookで 友達紹介」

  「味はいい 訳ありみかん 大好評 早速宅配 友人送る」

  「皮剝いて 食べるのだから 外観は 二の次なのに 何故か一番」

 

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人間牧場

〇大風のささやかな小さな被害

今朝の天気図
今朝の天気図

 「何年かに一度の季節風」という、前触れふれ込みがあった昨日今日の天気は、北海道のような猛吹雪や大雪のような荒れ方ではなかったものの、警報が出て学校が自宅待機になるなど、まあまあの大荒れでした。こんな日は家の中に閉じこもり、ストーブやコタツで暖を取りながら、風の収まるのを待つしかありませんが、昨日は親父が特老へデイサービスに出かける日だったり、危険物回収・プラゴミ回収日だったりしたものですから、朝から何となく慌しく、加えて若い頃お世話になった元上灘漁協組合長の北風静雄さんが前々日89歳で亡くなり、午後1時から伊予市の葬儀場で告別式があり参列したため、外風の寒さをまともに受ける寒い寒い一日となりました。

大風で破れた物干し屋根
大風で破れた物干し屋根

 昨日の季節風は外に置いたいた軽い物を吹き飛ばすほどの強さで、片付けてはいたものの、あれやこれやが吹き飛んで、片付けるのに大変でした。被害といえばわが家の外の洗濯物干し場のビニール屋根の一部が割れて吹き飛び、甚大でない被害が出ました。前回の台風で剥がれて息子が修理した部分とは違う所なので、風が収まれば息子は今週末にでもホームセンターで波型ビニール板を買い求め、自分で直そうと言っていますが、今週末には雨が降る予定だし、天井を見上げると割れた所から青空が見えるだけに、見苦しいので早く直してもらうよう頼みました。

 わが家も新築して40年が経過すると、家のあちこちに傷みが目立ち始めてきました。古民家といわれるほど古くはなく、息子とたちと同居を始めた4年前に大リフォームをしたため、家は立派な木材を使いしっかりしていて何の問題もないのですが、手直しを怠ると家の屋台骨まで傷むので、折につけ手直しや修理をしています。これまでは親父が器用で少々の手直しは、親父がしていましたが、親父が高齢となったため、その役割は私の肩にかかってきました。幸い息子が建築関係の仕事をしているので、折に触れ、ああだこうだといいながら一緒になって家を守っています。
 家の修理は何かと金がかかるものです。家は私たち夫婦の持ち物なので、手直しの度に年金暮らしの薄い財布の中から手出しをしなければなりません。もうそろそろそういった出費も、この家を無条件で継ぐであろう息子に委ねなければなりませんが、子育て真っ最中の息子たち夫婦が、本当に一人歩きできるのは、もう少し先のようです。

  「時ならぬ 大風吹いて 何もかも 吹き飛び片付け あれやこれやと」

  「大風で 洗濯物を 干す屋根が 一部剥がれて 青空見える」

  「40年 経ったわが家も あちこちに ほころび目立ち 手直し必要」

  「親から子 代を重ねて 受け継ぎし わが家いよいよ 息子の代に」

 

 

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人間牧場

〇沈んだ気持ちの1日

 3週間前義妹が急逝し、悲しみも消えぬ最近、今度は義兄の体調が思わしくなく、義兄の隣に住む次男義兄からの連絡によると、義妹の葬儀以後体調が優れず、食事も喉を通らなくなったようで、7年前喉頭ガンを患って手術した国立がんセンターへ緊急入院したようです。4日前の日曜日妻と二人で病院へ見舞いに出かけた時は、少し元気を回復しているように見えました。前回の手術で声帯を取ってしまった義兄は、話すことが不自由なため、筆談で対応していますが、中々コミュニケーションが取りづらく、会話も通じない部分があるのです。

 一昨日、次男義兄の奥さんから電話やメールが入り、昨日(火曜日)の午後3時から主治医の説明があるので、次男義兄とともに話を聞きに一緒に行って欲しいとのことでした。長男義兄も次男義兄も八幡浜に住んでいるので、次男義兄は途中私の家まで義姉を乗せてやって来て、わが家からは私の運転する車に乗って、東温市重信町病院へ向かいました。
 午後3時に別室に通され、病気入院中の義兄、弟義兄、義姉と私、それに担当看護師の5人が主治医の話を、パソコンに映し出されたMRI画像を見ながら図解されつつ聞きました。主治医の先生の話は私たち素人にも分かりやすい話でしたが、食道に新たなガンが見つかり、その治療のため幾つかの選択肢を示されました。振り返れば私の親父が若い頃ガンを患い手術した頃は、本人に知らせることもなかっただけに、隔世の感じがしましたが、本人の驚きは察して余りあるものがあったようです。

 その後治療担当の先生の説明も受け、本人や家族でどういう治療法を選択するか早々に決めるよう言われ、病院を後にしました。三人の心は打ち沈み、しばらくの間後ろの席に座っている義姉にどう声をかけていいか戸惑いましたが、3人で一番いい治療の方法を考えながら、吹きすさぶ大風の中を自宅へ帰り、義兄と義姉はわが家から、車に乗りかえて八幡浜方面へ帰って行きました。
 ガン患者にガンを告知し、ホスピス治療を受けさせることは頭で知っていても、いざ自分の身の回りのことになるととても辛いことです。若嫁のお父さんも肺を患い同じような治療を受けていますが、身近な出来事で昨日は沈みぱなしの1日でした。

  「ガンセンター 病気説明 するからと 言われ出かけて ガンの宣告」

  「本人は どんな気持ちで 聞いたのか 義兄の顔を 慮りて」

  「病院で 偶然出会った 顔見知り パジャマうろうろ もしやこの人」

  「現代の 日本二人に 一人だと ガンの確立 言われて不安」

 

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人間牧場

〇大根の漬物漬け

沢庵漬け
沢庵漬け

 数日前家庭菜園の金網柵に洗って干していた漬物用の大根が、このところの冷たい寒風で干しあがったため、私が取り込み妻が沢庵に漬け込む作業をしてくれました。前もって漬物用の調合ヌカを農協で買っていたので、干し柿を作った折剝いた皮も乾燥していたものに、リンゴの乾燥皮も加え使いました。漬物樽の底に配合ヌカを少し入れ、葉っぱを落とした干し大根を行儀よく並べながら計量したヌカを振り、最後に切り落とした葉っぱも入れて中蓋の上に重し石を三つほど乗せて雨風やゴミが入らないようビニール袋をかけて完了です。水の上がり具合にもよりますが1週間もすれば、美味しい沢庵ができる予定で、歯応えの良い沢庵を梅干しとともに白いご飯で楽しみたいと思っています。

大根の一夜漬け
大根の一夜漬け

 昨日は今年2回目の大根一夜漬けも作りました。畑から頃合な大根を5~6本引き抜いて来て水洗いし、妻に渡しました。妻はその大根の皮を剝き、まな板の上で短冊状に切ったものを、大きなビニールタッパに入れて酢や砂糖・塩などの調味料を加え、ユズの皮と鷹の爪を2~3本刻んで振り撒きました。たったこれでけでカリカリの大根一夜漬けが出来るのです。先日人間牧場で開いた年輪塾の折、持参して皆さんに振る舞いましたが好評で、中には欲しいといってタッパに入れたまま持ち帰った人もいるほどでした。
 私たちの地方では島根県や東北地方のように、お茶請けに漬物を食べる風習はありませんが、毎日ご飯を食べるどちらかと言うと日本食主体のわが家では、漬物や梅干しは常備食といった感じです。

 勿論漬物は塩分が多いため、極力塩分控え目を心がけているため、大根の一夜漬けは余り塩を使わず、むしろ塩分中和の酢を使うので、健康的な漬物なのです。今年はわが家の家庭菜園で収穫し天日乾燥した唐辛子も自給できるようになりました。私の作った乾燥唐辛子は飛びっきり辛く、3~4本入れただけなのに前回の一夜漬けはかなりピリピリして、孫たちに「辛い」と言われたので、今回は少し少なめにしたようです。セル苗を買って植えた白菜も今年は大豊作で、既に鍋物にして楽しんでいますが、そろそろ食べきれない分を漬物にして楽しもうとも思っています。漬物は白いご飯によく合う日本の食文化です。根菜類が出回るこの時期は保存食としてではなく、バラエティに富んだご飯のお供として、漬物を手作りしせいぜい楽しもうと思っています。

  「大根を 干して沢庵 手作りす 渋柿皮や リンゴ皮入れ」

  「塩加減 重石加減が 大事だと 言いつつ妻は 沢庵漬ける」

  「根菜の 美味しい季節 漬物に 漬けて楽しむ 食べて楽しむ」

  「熱々の 白いご飯に よく似合う 漬物手作り 塩分控え目」

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人間牧場

〇与党325議席の圧勝

 私は政治には無頓着・無関心を貫いて70歳の今日まで生きてきました。合併前の双海町時代には選挙の度に選挙の好きな人から、「選挙に出ないか!!」と再三再四誘われましたが、「選挙に出ると妻に離婚される」なんて戯言を言ってはぐらかしてきました。お陰で当選の美酒を味わったり冠をいただく機会を逸しましたが、「落選」というレッテルを貼られたり、自分の生き方を迷わせることもなく、今日を迎えることがでいたのは間違った選択ではなかったと思うのです。

第4区の選挙ポスター掲示板
第4区の選挙ポスター掲示板

 昨日は降って湧いたような衆議院の解散による年末総選挙があり、私も妻も息子夫婦も清き一票を投じに出かけましたが、前回の選挙まで一度も休むことなく投票に出かけていた96歳の親父は、昨日北風が強く吹くあいにくの寒さだったので、風邪でも引いたら大変とついに投票に連れて行くことを断念しました。わが家はこれまで100%の投票率だっただけに少し残念な気もしますが、親父の健康には変えられないので、これも仕方のない選択と諦めています。

 今回の選挙から私たちの住む伊予市は、「ゼロ増5減」のあおりで2区から4区に編入替えされました。駅伝大会の区域替えなら理解できても、1区から2区へ、2区から4区へと向うさんの都合での度重なる区域替えには大きな抵抗があり、正直なところ多少憤りを感じずにはいられませんが、仕方のないことと諦めきれない人も多く、投票率にも少なからず影響したようです。掲示板を見ながら馴染みの薄い候補者の顔写真に、はてさてこれから当選した人たちに何を求め何を期待すればいいのか、迷っています。

 私には選挙の好きな友人も沢山いて、何人かから候補者のパンフレットが送られてきたり、電話で「〇〇さんを頼む」と頼まれたりしましたが、長年世話になっている人から言われた手前もあって、何人かにパンフレットを渡さねばならず、昨日は開票速報を見ながら今後の国政を思いました。投票率の低下も気になるし、経済政策で私たちの暮らしもよくなって欲しいと願っていますが、他力本願で幸せはつかめないと、与党圧勝325議席への期待もそこそこ、テレビのスイッチを切って床に就きました。

  「選挙する 度に候補者 綺麗ごと 並べているが 期待もせずに」

  「選挙出ず 栄光もなし 落選の 烙印もなく 70迎える」

  「区域替え 東京理論 腹が立つ いつの時代も 諦めしかなく」

  「325 与党圧勝 ふがいない 野党の戦い どうなる日本」

 

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人間牧場

〇人間牧場での餅つき大会(その2)

 何でもそうですが、人を動かすことは容易なことではありません。僅か2時間ほどの間に10臼の餅をつきあげて、冷えない間にそれを丸める作業は、昔ならいざ知らず今の若い人たちにはまったく経経験がないので、まさに「言って聞かせてやって見せ」ないと、何をしていいかまったく分からないのです。こんな時頼りになるのは生活力のある人で、つきあがった餅に餡子を入れながら小さくちぎって、丸める作業をする作業が得てているにしっかりと手伝ってもらい、大助かりでした。

みんなでついた餅を丸める作業
みんなでついた餅を丸める作業

 この日は白餅とヨモギ餅、みかん餅、芋餅の4種類を作りました。ヨモギは亀本さんが、みかん餅のみかんは清水さんが、芋餅の芋は私がそれぞれ用意しましたが、みかん餅はみかんをもち米の上に乗せてセイロで蒸し、蒸せたら丸ごともち米と一緒につき込むのです。するとみかんの甘い香りが漂い、柔らかいみかん餅が出来上がるのです。参加した人たちに聞けば、みかん餅はもう5~6年も前から人間牧場では作っているというのに、みんな知らないようでした。

 人を動かすことは段取りが命です。皆さんが到着すれば直ぐに餅つきができるよう、もち米を蒸したり、臼と杵を用意し、臼はお湯を張って温めることも肝心です。板間にブルーシートを敷いて餅取り粉で汚れないようにしておかなければなりません。またまるめたお餅を手際よくパックに詰めてお持ち帰り用の準備もしなければなりません。今回は午後の年輪塾学習会のプログラムも用意されていたので、もち米を蒸し終わると、はがまに研いだ米を入れて2釜ご飯も炊かなければならないし、味噌汁だって大鍋で炊かなければならないので、私的にはてんやわんやの目の回るような忙しさでした。

 みんなが帰った後の片付けもかなりありました。幸い息子夫婦が手伝ってくれたお陰で、随分助かりましたが、パックに入れたお餅を日ごろお世話になっている近所周りに配るのも大変な仕事で、配り終わるのに結局外が暗くなる午後6時頃となってしまいました。もち米をいただいた西岡さんにもお裾分けできて、疲れはしましたが朝から晩まで充実した長い長い1日でした。これでやっと今年の人間牧場での行事もやっと終りました。思えばこの1年間にどれほどの人が人間牧場へやって来たことでしょう。その顔を浮かべながら、昨日はゆっくり風呂に浸かり夕食をとった後、早めに床に就きました。

  「何につけ 人を動かす テクニック 段取り八分 後は成り行き」

  「今時の 人は餅つき さえ知らず 何をすべきか 右往左往す」

  「ついた餅 パックに入れて あちこちに 配って歩く 日ごろのお礼」

  「朝早く 夜遅くまで あれこれと 動き回って お疲れモード」

 

 

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shin1さんの日記

○寒い一日
今日は私が塾長をしている年輪塾恒例の餅つき大会でした。私はどこかの誰かと違って自称晴れ男なので、天気はあまり気にしていませんでしたが、前日から天気予報で「大雪」とか、「寒気団が南下する」と繰り返し予報していたため、妻もその気になって厚着の準備をしてくれました。
朝起きてみるといつもの朝と気温的にはそんなに低くありませんでした。前日の内に準備をしていた餅つき道具や、ポリタンク3つに息子が給水して軽四トラックに積み込んでくれ、朝7時30分に自宅を出発しました。海沿いの国道には北西の季節風で波しぶきが打ち上がり、フロントガラスに吹きつけ、さすがの天気男も、少し不安になってきました。
人間牧場に到着するとすぐに、はがま二つを水洗いして水をいっぱい入れてかまどにかけ、スギ葉や小枝を入れてマッチで火をつけました。火は勢いよく燃え始め、ついで水平線の家の中に置いている薪ストーブにも同じように火をつけました。空は鉛色、海は白い大波が立っていましたが、火の持つエネルギー力は相当なもので、すぐに部屋中が暖かくなりました。今日はお陰様で、暖かい一日となりました。

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人間牧場

〇東京からでも情報発信は出来る

 先日観光庁の招きで東京へ出かけて行きました。いつもプラスワンを心がけている私は、ついでに東京駅の近くにある地域活性化センターへ、急な思いつきで立ち寄りました。地域活性化センターには愛媛県庁出身の前神女史が出向していて、その日の朝松山空港から電話してご無理を言い、時間をとってもらいました。不案内な私は東京駅大丸デパート前で前神さんと待ち合わせをして、地域活性化センターへ到着しました。応接室でなく事務所の中のソファーで名刺交換をしていると、前神さんの触れ込みもあって双海町のことを知っている人や、興味のある職員さんが沢山集まってくれました。

活性化センターで熱弁をふるう私
活性化センターで熱弁をふるう私

 私は早速ポケットから電光掲示板を取り出し、ネクタイに取り付けてスイッチを入れました。オートローディングになっている電光文字は左から右へと流れ出し、みんな驚嘆の眼差しで文字を追いながら、私の話を聞いてくれました。職員の中には今年の夏に人間牧場へ研修にやって来た人も何人かいて、その人たちが言葉を添えてくれるものですから、私も悦に入って熱弁をふるったようです。
 数日前facebookでその模様が写真と文字でアップされると、多くの人から書き込みのコメントをいただきました。私が持ち歩いている木になるカバンの話や、夕日亭大根心の芸名で落伍をしたり、180話を越えるそのネタ本「夕日徒然草」の話題にも興味を持たれました。

 お金を稼げない地域づくりは長続きしないとか、特に地域活性化センターへ出向している地方の自治体職員は、東京でしか出来ないことをして欲しいと提案もしました。出向すると自分の存在もどこか忘れられた存在になりがちですが、例えば東京から自分の街の首長さんに毎月ハガキを出して近況を報告すると、これはもう、今後のとてつもなく大きな力となるのです。
 私が東京の地域活性化センターを訪問したことは、地域活性化センターのクリエイティブ事業室の岡野さんによって、facebookで配信されたお陰で、多くの人に紹介していただきました。一事が万事、動く・動いたことを知らせる・動いたことで効果が生まれる、まさにこれこそ私の言うプラスワンなのです。

  「東京の 活性化センター 訪ねたら 早速face bookで紹介」

  「ちょっとした 気配りあれば プラスワン 動け動かせ 生きてる限り」

  「東京へ 出かけたそうな メールにて 感想face   bookでコメント」

 

 

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人間牧場

〇facebookのお友だちが500人を越えました

facebookの友だちの人数が500人を越えました
facebookの友だちの人数が500人を越えました

 私は自称パソコン苦手人間です。ゆえに役場に勤めていた現職のころは、余りパソコンに興味がありませんでした。ゆえにパソコンが苦手という意識が働き、今でもパソコンを満足に使うことができないのです。しかし退職後あちらこちらから講演のオファーがかかり、その度にメールで「プロフィールを送れ」「資料を送れと言われるものですから、止むに止まれずメールを始めました。また退職を機に娘婿から進められて始めたブログが病み付きとなり、1日に2本も書いて今日に至っています。その後はブログとメール一辺倒でした。ところが最近になって出張の旅先でも、簡単なブログをかけるタブレット端末を手に入れ、教えてもらうこともなく何とかブログを書けるようになった程度ですが、今は木になるカバンにタブレット端末を入れて持ち歩いています。

 最近友人の勧めでfacebookを始めました。最初からfacebookの何たるかも分らぬまま始めたため、未だに使いこなせていませんが、それでも娘婿の協力でアメーバブログ「shin-1さんの日記」に書いた記事を、,facebookに転載されるようにしてもらったため、俄然私のブログの読者が増えて、多い時は書き込まれたコメント返信対応に四苦八苦するほどになりました。
 facebookには友だち機能があって、友達承認すればその人の情報が全て見えることから、まだ始めて間がありませんが友達が次々に増え、昨日500人を越えました。500人という人数が多いかどうか分りませんが、70歳を迎えた初老の田舎者にしてはえらい数字で、暇さえあれば机の上のパソコンで、また旅の途中でタブレットで、友だち情報を見ながら楽しみ、時には身近な話題をアップしたり、ご意見に返信したりして楽しんでいます。

 最近の情報技術の進歩は目覚しく、またスマートフォンの普及で道行く人も歩きながら、片手で通話や情報視聴を楽しんでいるようです。3歳の子どもが親のスマートフォンを使い、見よう見真似で110番したことが話題になるなど、私さえ使いこなせないスマートフォンやタブレットを、子どもでも平気で使う時代ですから、あっけにとられ、開いた口が塞がらないのです。
 タブレットを手に入れて使い始めて思うのですが、「知らない」「できない」「使わない」という既成概念は古く、もう通用しない時代です。「もし私がブログをかけなかったら」「もし私がタブレット端末を持たなかったら」「もし私がfacebookを使わなかったら」と、苦手から目をそらさなかった自分に大きな拍手を送ってやるのです。それにしても500人の友だちは凄いです。これからも大切にしたいものです。

  「気がつけば facebookの 友だちが 500人越え 驚きました」

  「昨日今日 facebookで あれやこれ 知らないことを いっぱい知って」

  「もし私 facebookを しなければ バーチャル世界 リアルにならず」

  「進み行く 社会の変化 追い切れず 時代遅れに なってしまった」

 

 

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人間牧場

〇大はがまの蓋作り

 地域づくりをしていると、野外活動に必要な道具類が一つまたひとつと増え、それらをしまう倉庫が必要となるばかりか、活動の度に使うべき道具を出し入れする雑事に追われ、その殆どが重量的に重くて太く、一人では持ち運べないものもあって、気分的には〇×▲□・・・のうんざり感が漂います。私が持っている道具類はドラム缶を半分に切ったかまど、大釜、臼、杵、はがま、蒸し器、鍋類、食器類、チェンソー、草刈機、マイク一式、鍬、鎌類、ブルーシート、干しサナ等に加え、調理や風呂を沸かす薪類を加えると、倉庫は幾ら広くてもいいくらいの品数と容量なのです。

いびつながら完成した大釜の蓋
いびつながら完成した大釜の蓋

 先月石臼とアルミの大はがまをいただきました。石臼は綺麗に洗って石臼の上に保存用の蓋を作り、ピザ釜横の作業小屋に汗をかくほど難儀をして収納しましたが、アルミ製の大釜は、綺麗に洗って乾燥させただけで東屋の隅に置いていましたが、昨日は家の倉庫から分厚い松板を取り出して、蓋を作る計画を思いつきました。一枚板なら簡単にできるのですが、それ程広い板はなく、結局2枚の板をつなぎ合せて使うことにしました。大釜の蓋は下から火を焚いて中のお湯から蒸気が発生するので、蒸気が板の継ぎ目から逃げない用にしなければなりません。そのため接合部分を食い込ませる必要があるのです。

 メジャーで蓋の大きさを採寸し、二枚の板の端にL字型の食い込みを入れる作業は、道具とて殆どない中での作業なので、目印につけた線に沿って鋸で切り込みを入れてはつりました。この作業が中々難しく骨が折れましたが、何とか2時間ほどで終えました。続いて接合した分厚い板に大釜の大きさの円を描きました。コンパス等ないので棒状の木切れに釘を打ち、真ん中と思われる場所に固定して時計の針のように回して円周を描きました。後は普通の鋸で周りを小切りして修正し、最後はカンナでさらに修正を加えました。蓋の上に算木2本を打ちつけて出来上がりです。

 親父が長年愛用していた電動カンナは故障して使えないため、全て手作業となってしまいましたが、何大釜の蓋は多少いびつながら、夕闇迫るごろ何とか出来上がりました。今日はこれから最終仕上げを行い、今週末人間牧場で開催予定の年輪塾の折、軽四トラックに積んでとりあえず人間牧場へ運び収納する予定です。願わくは将来屋外に耐火煉瓦でかまどを造り、様々な加工に利用したいと思っていますが、塩作りも喫緊の課題となっているので、利用したいと思っています。また道具が一つ増えてしまいました。どうしよう?です。

  「大はがま 貰ってきたが 蓋がない 自分で作る 不器用算段」

  「二枚板 湯気が漏れない ようにする これが中々 難儀な作業」

  「夕暮れに 何とか出来た 釜の蓋 少しいびつも ご愛嬌ですよ」

  「お父さん 器用じゃないと 妻だけは 誉めてくれるが 親父けなされ」

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