人間牧場

〇久しぶりの広島(その2)

 昨晩はリーガロイヤルホテルでの研修会が終わり、レセプションパーティがありました。美味しそうな料理が並んでいましたが、講演を聞いた参加者が次から次へと私の元へ訪れ、名刺交換しながら楽しいお喋りをしたため、食いっぱくれてしまいました。講演の反応があるという事は少しお世辞がかっていても嬉しいもので、特に私の「斬新なアイディアと行動力に感心した」と言ってくれました。青年団活動も含めると今日まで約50年、半世紀も地域づくりやボランティア活動に関わり、また様々な人の前で自分の過ぎ越し人生を話してきました。

 私の人生を語るのにピッタリな言葉に、ポール・J/マイヤーの「鮮やかに想像し、熱烈に望み、心から信じ、魂を込めた熱意を持って行動すれば、何事もついには実現する」というのがあります。若い頃青年学級で学び作った生活設計のお蔭で夢を描き、自分の信念を貫き、しっかりと行動したお蔭で今の自分があるのです。最近経営学の父と言われるドラッガーの本を読む機会がありましたが、ドラッガーの世界は「書く」「教える」「相談に乗る」ですが、私がドラッガーの比でもない凡人ながら、これとよく似たスモールな生き方をしていることに気がつきました。

 ドラッガーは、今の世の中が人類史上初めて個が組織よりも長命になったことを取り上げ、セカンドキャリアをどうするかという、新しい問題が生まれていることに気付き、人間はなるべく早いうちにセカンドキャリアのために助走しなければならないと力説しています。それは40代に突入する前に、仕事とは別の活動を実生活に見つけることのようです。ただの趣味ではなく活動です。活動をし始めるとそれまでとまったく違ったネットワークが生まれ、ネットワークは人に生きる力を与え、気持ちを豊かにする働きがあるというのです。

 私たちはパラレルキャリアだけでなく、セカンドキャリアについても、自分で何とかする術を身につけなければならなくなるようで、どのようにして自分の活動分野を、何歳の時につかみ取るかが人生にとって重要なことのようです。私は30代で21世紀えひめニューフロンティアグループを組織主宰し、様々な活動をしてきました。また退職後は自費で造った人間牧場をフィールドにしてこの10年間、年輪塾を開塾し、学びの活動ネットワークを作ってきました。ゆえにドラッガーが提唱しているセカンドキャリアという概念や意味がよく分るのです。もう少し自分のこれまでやってきたこと、今やっていること、これからやろうとしていることを整理して、理論・論理に組み立てたいと思っています。今回の久しぶりの広島はそのことに薄々気付かせたいい旅でした。

  「講演を 聞いた人たち 集まりて 名刺交換 様々意見」

  「ドラッガー 著した本読み 納得す セカンドキャリア なるほどうなづく」

  「これまでの 人生重ね 本を読む これからどうする 正念場です」

  「本を読み 人に教えを 請うてきた うだつ上がらず 情けないったら」

 

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人間牧場

〇盆踊り終る

 私が青年団活動をしていた50年前は、夏になると町内の各地で盆踊りが行なわれていました。盆踊りは青年たちの社交場だったので、盆踊りの準備も運営も全て青年たちが仕切り、みんな浴衣を着て出かけました。ところが高度成長が終って社会が落ち着くと田舎に過疎化の波が押し寄せ、若者の姿が見えなくなり、盆踊りも一つ減り二つ減りと姿を消し、今町内に残っているのは下浜と池久保、それに灘町の3ヶ所となってしまいました。

昨年の盆の盆踊り
今年の盆の盆踊り
昨年の盆踊り
昨年の盆踊り

 双海町内の盆踊りは沖合いに浮かぶ青島にルーツがあると伝えられていますが、今では猫の島としてすっかり有名になっている青島でさえ、県の無形文化財に指定されている盆踊りも島民15人では支えきれず休止に追い込まれ、今年から長浜から応援が出て、かろうじて開催に漕ぎつけた有様です。私の住んでいる灘町では自治会が中心になって運営していますが、さしたる妙案もなく細々と続けている様で、青島の二の舞になりはしないかと心配しています。

 灘町では盆踊りに合わせて、戦没者や新盆を迎えた人の遺影を飾り慰霊祭をしていますが、わが家でも先月親父が亡くなったため、妻は親父の遺影を風呂敷に包んで、集会所へ持って行って飾らせてもらいました。私はあいにく松山市日浦地区のまちづくり勉強会に出席して留守でしたが、台風接近で小雨がぱらつく中何とか開催できたようです。昨日私のパソコンに何がどうなっているのか分りませんが、昨年の盆踊りの写真をブログに載せていたものがメールに出て来てビックリしました。

 同じくfacebookに灘町の藤岡さんが今年の盆踊りの写真をアップしていて、ビフォーとアフターではありませんが、偶然にも対比することができました。聞けば孫たちも盆踊りに参加して、練習もしていないので踊れぬのに踊りの輪の中には入って、一生懸命踊っていたようで、保育所の先生が誉めてくれました。盆踊りが終ると間もなく長かった夏休みもいよいよ終わりです。今日はそんな暑かった夏の思い出を払拭するように、台風が去って最初の雲ひとつない好天に恵まれています。ぶり返すであろう残暑を気にしながら、今日はこれから広島へ出張するため出発します。

  「盆踊り 思い出一杯 あるけれど 今は残念 見る影もなし」

  「浴衣着て あちらこちらの 盆踊り 渡り歩いて ワクワクしたな」

  「今年は 親父の遺影 慰霊祭 飾ってもらい ことさら意味が」

  「パソコンに 去年の写真 何故か出て ビックリしつつ 今年と対比」

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人間牧場

〇鱧祭りと夕焼けコンサートが近づきました

 3日前、親父の49日の法要に参列してくれた、従兄弟で下灘漁協組合長の若松利光さんが、刷り上がったばかりのインクの匂いのするチラシを持参して、宴会の席でみんなに配り、「イベントに是非お越しください」と宣伝していました。こうしたイベントのチラシは普通観光協会などが作製しますが、特に鱧祭りは組合長が実行委員長をしていることもあって、冨田さんたちの協力を得てチラシ作製にも深く関わっているようでした。

組合長に貰った鱧祭りのチラシ
組合長に貰った鱧祭りのチラシ

 鱧御膳や鱧バーガーもすっかりお馴染みとなっていて、今回は新商品鱧ごはんも登場するようです楽しみです。また同日夕方下灘駅のプラットホームで開催する夕焼けプラットホームコンサートは、今回節目となる30周年を迎えるようで、何はともあれ嬉しいことです。30年前多くの反対を押し切って、金も理解もない中で始めたコンサートですが、双海町の名前を一躍有名にしてくれたのは、無人駅でのコンサートでした。「10年続けると物語が生まれる」と意気込んで、始める活動・続ける活動・高める活動をやった結果、多くの禍福をもたらしました。

 それもこれも30年も続いたのは、多くの人の想いと支援のお蔭だと思っていますが、そろそろ変革の時期を迎えているのかも知れません。しかし私はもう蚊帳の外ゆえ口出しや手出しをする立場ではなく、一市囲の人として参加して見守るしかないのです。幸せなことに下灘駅は無人駅ながら様々な仕掛けによって、年年歳歳多くの話題を集め、沢山の人が集まっています。私の従兄弟の西下芳雄さんもその先頭に立ち、不慮の怪我で腰の骨を折りながら再起して、しっかりと支えてくれています。気がつけば鱧祭りも下灘駅も偶然でしょうか従兄弟の頑張りによって成り立っています。私ももうひと踏ん張り頑張りましょうか。

  「鱧祭り するから来てと 組合長 法事の席で パンフを回す」

  「30年 前に始めた コンサート 多くの人が 続けてくれた」

  「気がつけば 二つのイベント 従兄弟らが 支えてくれて 有難きかな」

  「この俺も 負けてはおれぬ もう少し 馬力をかけて 前に進もう」

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人間牧場

〇思い出の小さい頃の写真

 年老いた人間の、月日の経つ下り坂と思える人生も早く感じられますが、子どもの成長はさらに早いもので、この間生まれたばかりの孫たち4人も中一、小二、小二、保育所年長とそれぞれが、まるで雨後のタケノコのように大きくなり、私と口相撲が取れるまでになってきました。3日前娘のマンションに立ち寄った時、中一になっている孫朋樹の幼いころの珍しい写真を2~3枚見せてもらい、思わずそのほほえましさにみんなで大笑いしてしまいました。私はこんなスナップ写真は撮った記憶はありませんので、多分長男息子一心が撮ってプリントアウトしたもののようでした。

孫朋樹の小さい頃の写真
孫朋樹の小さい頃の写真
人間牧場のロケーション風呂をかき混ぜる小さい頃の孫朋樹
人間牧場のロケーション風呂をかき混ぜる小さい頃の孫朋樹

 孫朋樹は娘である母親が助産師で日勤・深夜・準夜の3謹交代だったため、しょっちゅう預かり、しょっちゅう色々な経験をさせてやりました。虫が怖いと泣く孫を人間牧場へ連れて行って遊ばせたりしましたが、その孫朋樹も今ではカブト虫など虫大好き人間になっているのですから、子どもの思考は分らないものです。この写真は人間牧場のロケーション風呂を沸かし、風呂を楽しんだ時の写真ですが、風呂のお湯をかき混ぜ棒ででかき混ぜている姿もさることながら、風呂に入りながら大好きだった牛乳を身を乗り出して飲んでいるようです。

 ブログ記事にせよ写真にせよ、こうして記録すると記憶となって残ります。残念ながらこの写真のように写真は撮ったが保存の仕方を間違うと、どこへ終ったか、どこを探せばいいのか迷います。これからは自分につながる記録の整理の仕方を考えなければなりません。デジカメでこれまで闇雲に撮ってきた写真の数々、ブログや原稿書きなどこれまた闇雲に書いてきた原稿もその在りかが気になるところです。要らなくなったり使わなくなったデジタル情報もこれからは「捨てる」作業もしなければなりません。考えただけでも憂鬱になってしまいます。

  「面白い 孫の小さい 頃写真 手に取り思わず ほほえましくて」

  「ロケ風呂が 出来て間もない 頃写真 見ながら孫の 成長思う」

  「色々な 写真撮ったが 今どこに 保存や活用 そこが問題」

  「爺ちゃんの ブログの写真 このように すれば見つかる 孫の手ほどき」

 

 

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〇家から見える夕日は間もなく見納め

 さすがにお盆を過ぎると、日中はまだまだ残暑が厳しいものの、朝晩は幾分しのぎやすくなってきました。家の下の田圃の稲も稲穂がたわわに実り、少し黄色く色づき始めたようです。最近は健康志向を反映して減農薬栽培が徹底して、この頃になるとうんかの発生を抑えるため、夕暮れころ真っ白い粉を撒き散らしてた農家の人の姿もすっかり見なくなりました。

色づき始めて田圃の後ろのわが家
色づき始めて田圃の後ろのわが家
わが家から見える夕日
わが家から見える夕日

 秋の訪れは太陽の高度や位置にも変化が現れ始め、上灘川に沿って開けた谷筋に位置するわが家では、家から夕日を見ることができるのが二百十日ころまでなので、そろそろ終わりに近づいていきました。今年の二百十日は9月1日なのでもう一週間もすれば太陽は西の端に沈んでまた来年の四月下旬まで海に沈む夕日を見れるのはお預けとなるのです。昨日は台風16号の接近等微塵も感じさせない良い天気に恵まれました。

 久しぶりに夕方の散歩を終えてから家の裏山に登って、沈み行く夕日を一人観賞しました。家の前の庭先の広場で息子と孫がキャッチボールをしていましたが、夕日を背にした親子のシルエットシーンも中々のものでした。そういえば息子が言うのには「お父さんと僕はキャッチボールなどした覚えがない」そうです。若いころは公民館活動に明け暮れ、その後は夕日によるまちづくりに情熱を燃やし、家庭の子ども等にかまってやれる時間は殆どありませんでした。

 それでも21世紀えひめニューフロンティアグループというボランティアグループを結成し、無人島に挑む少年の集いやモウーモウー塾、丸木舟瀬戸内海航海、竪穴式住居造りなどなどを行い、自分の子どもを含めた巻き込みをやったお蔭で、4人の子どもたちもそれなりに成長しているのですから良しとしなければなりません。こうして初秋の夕日を見届け、平凡ながら平和に暮らせることに感謝して、これからも生きて行こうと思っています。

  「盆過ぎて アカネトンボと ヒグラシが 一緒に初秋 演出をして」

  「秋が来た 家から夕日 見納めと 裏山上り 一人観賞」

  「息子と子 夕日の照らす 中庭で キャッチボール シルエットなる」

  「家の前 田圃の稲も 黄ばらんで 早くも秋が 来たよと告げる」

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人間牧場

〇私の人生に大きな影響を与えた一冊の本(その3)

 私のような凡人は、他の人のように知識を得るため難しい本を沢山読んだ訳ではありませんが、その少ない本の中でも「大学」という本は、私の人生に大きな影響を与え続けています。陽明学の始祖といわれる中江藤樹は、11歳の時この本を読んで感動し、立派な人間になろうと志を立てたそうですが、私は恥ずかしながらこの本を読んで目覚めたのはつい最近のことです。

大阪梅田の古本屋で買い求めた古書大学)
大阪梅田の古本屋で買い求めた古書大学)
二宮金次郎像が読んでいる本に書かれた大学の一節
二宮金次郎像が読んでいる本に書かれた大学の一節

 「大学という本には様々な教えが書かれています。「天子自り以て庶人に至るまで、壹に是れ皆身を修むるを以て本と為す」。つまり天子から庶民に至るまで自分の身を治めることが基本であり、自分を修めるという根本を疎かにして家庭や国家は治められないというのです。また「物に本末有り、事に終始有り、先後する所を知れば、則ち道に近し」は事には必ず終始があって、何を先にし、何を後にするかをわきまえ実行すれば、人の道を踏み外すことはないとも説いています。

 最近中江藤樹を書いた本の中に「当下一念」という言葉を見つけました。今やろうとしている一念を続けるという意味ですが、人の心は弱いもので初志を貫徹しようと思っても、世情や人の言葉に惑わされて心が揺らぎ、ついには何もしないまま終ることが多いのです。大学の本を読んで開眼した中江藤樹も二宮金次郎も当下一念の人であり、その言葉に触発されて人生を生きた人も当下一念の人なのです。

 私たちは文明の世の中に生きているゆえ、大学という本も安易に手にすることができるし、その教えを分りやすく解読した資料だって手に入るのですが、知っているだけでは何の意味もなしません。むしろその教えをどう日々の暮らしの中で具体的に実行に移すかが大事なのです。願わくば実行によって勝ち得たプロセスと成果を多くの人に話し、心の扉を開いて実行に移し成果を得る「知行合一」の人間を育てるような人になりたいものです。

  「大学と いう本手に入れ 朝夕に 読み方解説 紐解きながら」

  「知っている だけでは何の 価値もない 自分の生き方 変える努力を」

  「自分だけ 実践よりも 他の人の 心手足を 動かす人に」

  「鏡見る 写った顔は 本物と 同じだけれど 実は虚像だ」

 

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〇中国の古書「大学との出会い(その2)

 陽明学の始祖として名高い中江藤樹が、「大学」を読んで感動したのは11歳の時です。私が下灘小学校の校庭にあった二宮金次郎の銅像の、左手に持って読んでいる本は何?と不思議に思って台座の上に上がったのは、小学校2年生の時です。小学校2年生といえば8歳なので、私は中江藤樹よりもさらに3年も早く大学の本を読んだことになります。しかし凡人の私はその意味不明な26文字の漢字を読むことができなかったばかりか、「馬鹿たれ。あそきにはいろはにほへとと書いている」と、私を諭すことなく台座に上がったことを叱るだけの凡人校長との出会いで、大学という本との出会いは潰えたかに見えました。

 しかしその後、私と「大学」という本との出会いは意外な方向へと発展して行きました。たまたま出張で北陸へ行った帰り道、夜行高速バスに乗るため大阪梅田のバスセンターに立ち寄った際、待ち時間を利用して近くにある梅田の古書街古書店の入り口に並んだ古書の中に、ノジの抜いた古ぼけた「大学」という袋綴じの本を見つけたのです。値札には1万円の値札がついていました。早速店の中へ入り店番をしていた若いバイトの女性に話しかけ、「私は四国の田舎から出てきました。あいにく持ち合わせがないしどうしても欲しいので3千円にして欲しい」と頼みました。その女性は「お客さん1万円を8千円にして欲しいというのなら分りますが、3千円では話しになりません。社長に叱られますので駄目です」と突っぱねられました。

 「じゃあ中を取って5千円でどうでしょう」と再び話を持ちかけると、「仕方がありません。中を取るということで5百円上乗せし、5千5百円ならお売りしましょう」と商談成立です。私は嬉しさを噛み殺し、新聞に包んでくれた店員の女性の華奢な白い手の平に5千5百円」を手渡し、バスに乗り込みました。その夜はバス内の読書灯の灯りを頼りに、朝まで読めないのに「大学」の本を興奮しながら朝までなぞりました。以来古本の「大学」は手元に置き、金次郎像が読んでいる「一家仁一國仁興~」を反芻し続けていますが、難解な漢文ゆえ読み方も定まらず、ましてや意味などまったく分からなかったのです。のちに私が塾長を務める私塾年輪塾での学びのテーマを二宮金次郎(後の尊徳)、さらには中江藤樹を選んだこともあって、大学は塾頭によって輪読用のルビをつけた台本まで出来、また意味も解説文をつけてネット配信してもらい、念願の「大学」という本の全容が明らかになってきました。

  「校長が いろはにほへとと 言ったこと 手っきり私 信じていたが」

  「北陸へ 行った帰りに 大阪の 梅田古書街 大学見つけ」

  「一万円 値切り倒して 5千円 5百円だけ 上乗せ買って」

  「金次郎 銅像読んで いる本の 一節何度も 繰り返し読む」

 

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人間牧場

〇虻に刺される

 田舎に住んでいるとハチやムカデは勿論のこと、蚊やブトなどの吸血小動物に刺されることはしょっちゅうです。最近はマダニという恐ろしい吸血小動物に刺されて命を落す人さえいるのですから、気をつけなければなりません。今年の夏はやたらと虻が発生しているようで、草刈の最中などは人間の汗と体温が好きなのか、虻が沢山うるさいくらいまとわり付き、作業の邪魔をするのです。

吸血小動物虻
吸血小動物虻

 虫が亡くなると書いて虻と呼びますが、私がそうであったように虻が吸血動物であることは余り知られていないようです。調べてみると血を吸うのはメスの成虫だけのようですが、虻は衣服の上からでも平気で刺すから厄介です。先日半袖半ズボンの軽装で庭の草むしりをしていると、足首に虻が止まりチクリと刺されました。それくらいのことはしょっちゅうあることなので、そのままにしていると、夕方少し腫れて熱を持ちましたが、風呂から上がってかゆみ止め程度の軟膏を塗って寝たものの効き目がなく、腫れは段々酷くなりました。

 ほおって置くこともできず、化膿止めの少し強い塗り薬を塗るとやっと快方に向いつつありますが、足首ゆえ歩くとズボンの裾で擦れるため、歩行もいびつになるなどとんだ災難でした。近所の人に聞くと今年は虻が例年より多いようだと言っていました。また別の人は「台風が沢山来る年は虻が多い」という話を古老から聞いたことがあるそうでした。この70年間生きて来て虻は身近にいる小動物なのに、何も知らず何の疑いもなく生きてきたことを思うと、私も相当いい加減な人間だと思わざるを得ないのです。

 「虻蜂取らず」という諺があります。「虻蜂取らず」の次の言葉に「鷹の餌食」とか「蚊の餌食」と続くようですが、そのことすら余り知りませんでした。虻と蜂の二つを取ろうと欲を出しても、結局は両方逃げられてしまう例えですが、私は今蜂を飼い蜂蜜を収獲して楽しんでいます。蜂に気を取られている隙に今回は虻に刺され、思わぬ結果となりましたが、虻は人間にとって害虫なので、これからは気をつけようと思っています。

  「70年 生きているのに 虻のこと 殆ど知らず 刺され驚く」

  「小さいが メスの成虫 人間の 地を吸うそうだ 危ない危ない」

  「蜂取りや 雑草取りに 夢中なる 虻に刺されて 足首化膿」

  「身の回り 危険な生き物 いっぱいで 田舎暮らしも それなり大変」

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人間牧場

〇年輪塾の役員会

 昨晩はわが家の敷地内にあるゲストハウス「煙会所」で、10月3日に迫った人間牧場10周年の記念行事の打ち合わせのため、年輪塾の役員が集まりました。役員といっても塾頭の清水さん、小番頭の松本さん、筆頭塾生の浜田さん、それに塾長である私の4人だけですが、数は少なくても思いの通じる仲間は嬉しいもので、まだ明るい午後6時に集まると直ぐに本題に入って白熱した討議を行ないました。

DSCN0659 DSCN0660 人間牧場10周年と年輪塾の公開セミナーをセットにした研修会の計画は、既にプログラムも出来上がって事務局の松本さんを中心に申し込みが始まっていて、昨日はその具体的な進め方が議論の中心でした。人間牧場でやるイベントは道も狭く駐車場も限られていて、また中心施設である水平線の家に入れる人数も制約があるので、運営する私たちスタッフは大変ですが、これまでにも色々なプログラムをこなして来てきるので、多分大丈夫だと思うのです。

 昨日は集まった皆さんのために、仕事から帰った妻が芋炊きをにわか作りで用意してくれました。皆さん車で来ていたのでアルコールを飲むことができず、下戸な私に合わせ、ノンアルコールビールで乾杯しました。アルコールゼロでも飲んだ雰囲気になり、みんな饒舌になるから不思議です。芋炊きとおにぎりだけの質素な食談でしたが、芋炊きの味も最高でした。松本さんは早速その様子を写真でfacebookにアップしていました。幾つになっても愉快な仲間たちとの出会いはいいものです。さあ私も性根を据えて準備に取り掛かりましょうか。

  「役員と 言ってもたった 四人だけ ゆえに深みの あるある議論」

  「酒呑まず ゼロのビールで 乾杯し 呑んだ気分で 四方山話」

  「何もない 妻が作った 芋炊きと おにぎりだけの 質素な食事」

  「まだまだと 思っていたけど 直ぐそこに 準備万端 心は一つ」

10周年記念事業のプログラム
10周年記念事業のプログラム
松本さんがfacebookにアップした芋炊き
松本さんがfacebookにアップした芋炊き

 

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人間牧場

〇あっ!!またやられたイノシシの悪態

 農校生が研修に来るというので、昨日久しぶりに人間牧場へ行きました。西嶋さん宅の前の農道を通って人間牧場へ通じる私道に入ると、道の両側の様子が何やらいつもと違うことに気がつきました。これが一年に何度か荒されるイノシシの仕業であることは容易に想像つきましたが、それにしても酷いもので、まるで耕運機でも掛けたように、雑草はなぎ倒され、土は掘り返されて道にほおり出し無残な姿になっていました。

大汗をかき土のけ作業をする私
大汗をかき土のけ作業をする私
イノシシが無残に荒らした畦畔
イノシシが無残に荒らした畦畔

 さてどうしたものか?と思案をしたものの、農校生が来る時間が近づいていたので、目をつぶって通ってもらう以外ないと、腹をくくりました。2時間ばかりして農耕生が帰ったので、私は倉庫からスコップを持ち出し、コンクリート舗装した道の上に落ちた土を掬って、道の両側に跳ね上げる作業を始めました。昨日の午後は幸いなことに曇天で熱射は余り強くありませんでしたが、それでも湿度が高いのでたちまち大汗が吹き出て、たった一時間弱の時間でしたが、まるで濡れ鼠のようになりました。

 近所の西嶋さんたちもイノシシを捕獲するため鉄砲や罠で対抗したり、電気柵で防備をしているようですが、イノシシは人間が眠っている間の夜に夜襲を仕掛けてくるので、最後は人間の根負けといったところです。この場所は比較的土が柔らかく、イノシシの餌となるミミズがたっぷりいるので、絶好の餌場となっているようで、今年は同じ場所をもう三度もやられ、その都度汗をかきながら補修を繰り返していますが、老骨には中々骨の折れる手作業です。これまで10年間続き、これからもずっと続くと思われるイノシシとのこうした目に見えない戦いも、そろそろ終わりにしたいものです。

  「牧場に 続く私道の 両側を イノシシ昨晩 綺麗に耕し」

  「やり放題 被害届を 出す先も ないまま続く 厳しい戦い」

  「イノシシは 人の寝ている 夜活動 ゆえに手立ても 中々なくて」

  「大汗を かいてスコップ 土を跳ね 綺麗になった 何時まで持つか」

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