人間牧場

〇卒業生会員名簿「玉洋」が届きました

 私は愛媛県立宇和島水産高等学校漁業科の卒業生です。20年前母校の漁業実習船「えひめ丸」がアメリカの潜水艦「グリーンビル」にハワイ沖で衝突し、水深500mの海底に沈み9人の尊い命が奪われましたが、沈んだ「えひめ丸」(500t)は4代目の船で、私は初代「愛媛丸」(214.5t)に乗ってオーストラリア近くの珊瑚海まで遠洋航海に出かけているのです。

届いた同窓会名簿「玉洋」

 私は昭和37年度卒業ですから、卒業してから早くも6年近くが経ちました。学校の性格からとりわけ漁業科は船乗りになった人が多く、他の高校のような同窓会や同級会に出かけたこともない、いたって不真面目な卒業生ですが、何度か学校から頼まれ生徒の前で卒業生としてお話をしたことがあり、加えて個人的な交遊もあって、何度も学校へ足を運んでいます。

先日大先輩で、愛媛丸沈没事故の慰霊のために奔走し、鎮魂歌「希望海」の作詞をした何かと懇意だった玉井恭介さんが突然亡くなり、水産高校漁業科との深い絆が切れかけた感じがしていましたが、注文していた卒業生会員名簿「玉洋」が届き、音信の途絶えていた同級生などのことが60年ぶりに分かり、早速音信を復活し始めました。60年ぶりの音信が楽しみです。

「水産高 漁業科卒業 懐かしい 名簿が届き ワクワクしながら」

「愛媛丸 遠洋航海 珊瑚海 マグロを追った 青春の日々」

「えひめ丸 米軍原潜 衝突し ハワイ沖にて 9人亡くなる」

「絆絶え 思い出のみと なっていた 名簿頼りに その後消息」

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◯私のトレードマーク

私はもう40年も前木で出来たアタッシュケースを手に入れました。以来どこへ行っても「木になるカバン」と名付けたこのかばんを持って全国行脚を続け、私のトレードマークとなり、世間に知られることとなりました。

木で出来た手帳と名刺入れ

木になるカバンの思い出は山ほどありますが、先日息子が木で出来た表紙の手帳を、友人が木で出来た名刺入れをそれぞれプレゼントしてくれ、木になるカバンの3点セットとして結構気に入り使っています。

人間のイメージというのは結構残像として残るもので、30年ぶりに出会った人から「懐かしいカバンですね」と覚えていた過去の記憶を語られびっくりしました。勿論私にはもう一つ、夕日という誰にも負けにくいトレードマークがあって、様々な小道具を入れて、今もフーテンの寅さんのように、全国行脚を続けています。

「木で出来た 手等に加え 名刺入れ 小道具沢山 木になるカバン」

「イメージを つくる作戦 成功し 木になるカバン 加えて夕日」

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〇三愛わらべ仏へのお礼参り

 わが家の入り口付近には祠があって、石仏を祀っています。その祠に松前町の教深寺の石黒夏生さんという住職さん自らが彫られいただいたた「三愛わらべ仏」を、お祀りしています。この度50日間入院している間、近所に住む姉やわが妻は、この祠に日参して、私の病気が早く良くなるようにと祈願してくれていたそうです。

石仏と三愛わらべ仏にお礼参りしました

 6月2日に無事退院できたので、急な坂道はまだご法度と病院の先生に言われていますが、そのことを百も承知で明くる日の3日に杖をついて手すりを持って坂を登り、線香を手向けて、お礼の参拝をしました。石黒さんからわらべ仏をいただいた時、「三愛」とは①法縁(仏の縁)、②地縁(地域の人の縁)、③血縁(親族・親・姉弟の縁)だと教えていただいていたので、その人たちを思い出しながら手を合わせました。

 私は無信心で、家の仏壇や神棚、それに祠には枯れないようシキビやサカキを供え、またわが家と妻の実家のお墓にも時々出かけシキビを替えて、神仏へのご加護を祈る程度のことしかやっていませんが、それでもこれも長男の勤めだと疑うことなく実行しています。思ったより早く手術ができ、思ったより早く回復し退院できたのも、ある意味神仏のご加護だと思っています。足が良くなったらしっかりとお礼参りをして、健康への誓いを新たにしたいと思っています。

「やっとこさ 退院出来て 帰宅した 聞けば姉・妻 日参祈り」

「急な坂 ご法度ですと 言われてる それでもお礼 お参りしたくて」

「より早く 手術ができて 退院も 早まる幸せ 有難きかな」 

 

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〇近所の病院で受診

退院して2日目の昨日は、愛大附属病院の先生に紹介状を書いてもらった、近所のたけます診療所へ、あいさつを兼ねて受診に出かけました。妻が前もって紹介状を持って頼みに行ってくれていたので、待合室で血圧を測ったりしながら待ちました。最近はこの病院でも新型ワクチンの接種を行っていて、私も入院中だったので遅ればせながら6月28日にこの病院で第1回目の接種を受ける予定で予約をしています。

傷口の処置は愛大病院、伊予病院、たくえます診療所とこれが3回目ですが、処置の仕方が微妙に違っていて、また傷口も防水シールを貼っているので濡らしてもいいという病院もあれば、帽子シールは極力濡らさない方がいいという病院もあってまちまちながら、今の受診病院が一番と信用して、処置をしてもらいました。前2つの病院は少し遠いので、たけます診療所は家から歩いても5分程度と近いので大助かりです。

病院へ行く道をリハビリのつもりでのんびりゆっくり歩きました、私が杖をついて歩いているのを不思議に思う人も多く、出会う度に「杖をついてどうしたの?」「実は外反母趾の手術で入院していて・・・」と立ち止まって話すので、中々前へ進みませんでした。それでも約2か月ぶりの周囲の景色は濃い緑に覆われ、いよいよ夏本番といったところです。昨日は昼前から雨が降り出し、低気圧と前線の影響でかなり激しい雨が降る予想でしたが、大したことなかったようです。

「紹介状 書いてもらって 目と鼻の 先の病院 受信可能に」

「処置仕方 3つの病院 それぞれに 微妙に違い 多少戸惑う」

「杖ついて 歩く姿が 奇異見える 合う人ごって 止って説明」

「見慣れてた 光景緑 濃くなって 夏も本番 深呼吸する」

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◯2ヶ月ぶりの散髪

伊予病院を退院後、妻に頼んで途中の伊予市街にある散髪屋へ立ち寄ってもらいました。日頃は混み合って時間待ちするのですが、午後5時過ぎとあって空いていて、直ぐに散髪が始まりました。

散髪して病人脱出

入院の1週間前に散髪をした折外反母趾の手術で少し長めの入院になるかも知れないと話していたことを店長が覚えていてくれて、「今回はかなり伸びましたね」と言いながら、男前を上げてもらいました。

さっきまで髪がバサバサの時には病人風に見えていましたが、髪を切りひげを剃るとまるで別人のようにシャキとしました。さあ国入りです。家では鬼嫁と二人の孫が温かく出迎えてくれました。50日ぶりのわが家でした。

「退院後 散髪屋さん 直行し 病人卒業 元気回復」

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〇試験書き込み

病院に入院中の50日間は、パソコンでインターネットが使えず、パソコンは主にワードで文章書きをしていました。今日退院して帰宅後持ち帰った荷物を解き、パソコンを書斎の上に置き、50日ぶりにパソコンのインターネット接続をしました。幼稚なため多少時間がかかりましたが、夕食が終わって午後8時、無事接続が完了したので、facebookのワードプレスに試験書き込みを行いました。明日の朝からはパソコンを使ってブログを作成します。

 

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◯思い出の235号室

手術のため約20日間愛大附属病院に入院し、その後リハビリのため転院して約30日間ここ伊予病院で過ごしました。私が過ごした病室は2人相部屋の西病棟2階235号室でした。最初は肺疾患で入院していた患者さんがいましたが、肺炎再発で救急車に乗り県立中央病院へ転院したため、半分以上は私だけの部屋となりました。

病室と言いながら私の場合はパソコンとタブレットを持ち込んで、機能的には自宅の書斎と同じに使い、有り余る自由時間を使って大いに空想を膨らませることができました。あらためて病院のWi-Fi環境が良かったことに感謝しています。

昨晩使っていた衣類や道具類を退院に向かて片付けながら、両足をベッドに並べて靴下を脱いで見ましたが、仰々しかった包帯やギブスも消え、傷口を抑える白いガーゼと防水テープしか貼られていません。まだ足首の腫れは残っていますが、これも日常生活で徐々に消えていくものと思われます。

30日間過ごした235号室での思い出を、パソコンとタブレットにしっかりと記憶させ、去ります。もう二度と病院に変えることのないよう節制に務める予定です。

「思い出の 235号室 今日でお別れ 二度と戻らぬ決意」

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◯朗報の一日

昨日は妻に病院まで迎えに来てもらい、手術した愛大へ経過診断にでかけました。今は杖歩行が可能なので、少し早めに病院に到着し、歩いてレントゲン検査を受け、主治医の診断を受けました。今回も看護師さんが薄汚れた片足を足湯しながらシャボンをつけて丁寧に洗ってくれました。

傷口や骨に多少疑念は残るものの、まずまずの回復で、転院先の医師の判断で退院可能とのお墨付き手紙をいただきました。また退院後はわが家の近くのたけます診療所で週に2回程度傷口処置をしてもらえるよう紹介状も書いてもらいました。

今日辺り病院内で退院に向けて検討が始まるようです。一昨日リハビリ訓練で、砂袋歩行をした折、少し背筋に張りが出ているので、今日はその手当を受けて、退院準備に備えたいと思っていますが、何はともあれ朗報のようです。

「前向きに 取り組みやっと 9合目 退院2文字 目の前ちらつく」

 

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◯私の病名は「夕日病」?

私のことを「夕日バカ」というのでしょうか。自宅にいようが旅に出ようが夕暮れ時になると夕日のことが気になって胸騒ぎがし始めるのです。これはもう「夕日病」という病名まで付きそうな、どうしようもない病気なのです。

昨日の夕日
昨日の夕日
夕日病におかされた私

まあ人に迷惑なかからない病気なので、特に側にいる妻は「また病気が始まった」程度で軽くあしらっていますが、奥の深い一眼レフカメラなどは使わずデジカメやタブレット内臓カメラで記録程度の写真を取り続けています。

昨日も夕食後外が夕日で染まり始めました。みんな病気のことが気になってそれどころではないのか、誰もウッドデッキに出て夕日を見るもの好きな人はいませんでした。夕日のことについて時々話す馴染みの看護師さんにお願いしてウッドデッキへ出させてもらいました。

満足の行くロケーションではありませんが、それでも綺麗な夕日を見ることができて大満足でした。今頃わが町のシーサイド公園やJR下灘駅の夕日は綺麗だろうなあとちょっぴり故郷が恋しくなりました。その沈んだ夕日が今朝は朝日となって登るのですから不思議な世の中です。

「夕日病 かも知れないと 納得し ウッドデッキで 夕日楽しむ」

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◯食べない私がお礼の電話

昨日北海道の友人井田さんから、毎年届くホタテの稚貝が自宅へ届いたから、お礼の電話を入れて欲しいと連絡が入りました。私は入院中だし、ましてや届いたホタテを食べることができないのに、食べた人の分まで何で私が?と思いましたが、いつものことなので井田さんの声も聞きたくて電話しました。

井田さん夫婦は北海道サロマ湖周辺で漁師をしています。佐呂間漁協はホタテの養殖を武器に、二宮尊徳の精神を生かした日本でも屈指の豊かな漁協です。もう一人の友人船木耕ニさんの紹介で組合員の研修会に招かれたり、武田温友さんからは毎年観賞用カボチャが送られて来て子ども体験塾の名物になっていました。

井田さんから送られてきた稚貝は少しずつおすそ分けして配られたようですが、私の分は冷凍したり佃煮にして保存しているので楽しみにしてとのことでしたが、昨晩は内孫たちがホタテが美味しかったと、ビデオ電話でお礼を言ってくれました。電話に出た井田さんたちも元気なご様子で、近況を話し合いました。いい一日でした。

「佐呂間から ホタテ届いた 美味かった お礼はあなた 何か変だな?」

 

 

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