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◯今頃あの人はどうしているだろう?

 私はこれまで色々な町や村を、私のトレードマークである木になるカバンを引っ提げて、日本全国を旅しました。「呼ばれないと行けない」訳ですから、私に何らかの期待を持っていたことは事実です。私もその期待に応えようと日常の活動で成果を出すため、一生懸命励み、それらを物語にしました。

 私の熱弁は過疎や高齢化、産業不振に悩む聞く人の心を動かしたものと思われ、時にはわが町やわが家までやって来て交流へと発展しました。あれから何年経ったでしょうか?。あの町や村はその後どうなり、あの人たちはその後どんな思いで過ごしているのでしょう?。今回大分県や島根県を久しぶりに訪ね、見覚えのある町や村を通る度に、訪ねた町や村、出会った顔々が思い出されてなりませんでした。

 私は最近新型コロナの影響もあって県外には出れにくいものの県内を中心に、かつて出会った地域づくり人を訪ねる小さな旅を始めています。いきなりは余りにも失礼なので、連絡をして出かけるようにしていますが、私の来訪を喜び、昔の思い出話に花を咲かせるものの、私と同年代の人ながら既に第2線を退いている人が殆どで、今もなお元気です活動している私を羨ましく思っているようでした。これからも許す限りポジテイブに生きながら出会いを重ねたいと思っています。

「若かりし 頃に出会った 人たちは 今頃どうして いるのだろうか?」

「燃えた人 今は見る影 なくなりて ひっそり生きる 少し寂しい」

「燃えている 私の姿 羨まし 言ってくれるが 自分は諦め」

「まあいいか これでいいのだ それぞれに それなり生きて 一生終える」

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◯大分県・島根県を一泊二日で巡る旅(その1)

昨年愛媛県で開かれる予定だった公民館の全国大会が、東京オリンピックと同じように新型コロナの影響で一年延期されました。そのメイン行事の一つであるインタビューダイアローグのインタビュアーを頼まれているので、登壇予定の大分県大分市川添公民館の赤峯さん、島根県益田市豊かな暮らしラボラトリーの檜垣さん、愛媛県八幡浜市川之石の菊池さんを訪ね、現地で打ち合わせをすることになりました。

愛媛も大分も島根も現在はコロナも落ち着いていて、この時期を選び、県教委の係長さんと県公連の局長さんの3人で車移動となりましたが、強行過ぎて日程的に難しくなり、川之石公民館の菊池さんは県内でもあるので後日となりました。それでも昨日の朝5時わがが家へ立ち寄ってもらい、三崎半島と佐賀関を結ぶ午前7時30分のフェリーに乗船し豊後水道を渡りました。

佐賀関の港で親友である渡邉さんと立ち話程度でしたが嬉しい出会いを重ねることができました。晴耕雨読の日々を過ごしている彼が作ったという桃までいただき恐縮でした。9時30分から私の作成したシナリオに沿って約1時間余打ち合わせを行いましたが、青少年の健全育成など特徴ある現地ならではの活動の話を聞き、いい打ち合わせができました。

「コロナにて 一年延期 されたけど 全国大会 準備着々」

「手間暇を かけて準備の 討論会 私作った シナリオ基に」

「三県を またいで車 移動する この手間隙が 成功導く」

「公民館 基本は現場 主義故に 知恵の集積 次第に増えて」

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〇大相撲名古屋場所

 新型コロナの影響で、年3場所の地方開催ができず、両国国技館での開催を余儀なくされていましたが、ワクチン接種も進んで今場所は名古屋での開催が決まり、まだ入場者数は制限があるものの昨日名古屋場所の初日を迎えました。

白鵬の取り組み

 大相撲が好きな私は、テレビ観戦ながら夕方4時から今のテレビの前に座って、存分に楽しみました。今場所はこの一年間怪我で全休していた白鵬が進退をかけて出場したり、照ノ富士の横砂挑戦と、話題も豊富で、ひいきの力士が出る度に応援を続けました。

 声を出しての応援ができず、拍手しかできませんがやはり地方場所特有の雰囲気もあって、このままコロナが終息し、九州場所も博多で開いて欲しいと願っています。白鵬が勝ち上位陣安泰の上々の滑り出しでした。

「大相撲 名古屋で開催 2年ぶり 話題も豊富 楽しみながら」

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〇珍客の隅田さんご夫妻わが家へ来訪

 昨日わが家へ、珍客と呼ぶにふさわしいお二人がやって来ました。3年前までの4年間双海地区公民館に勤務していた隅田さんと、最近結婚した素敵な女性でした。隅田さんは4年間主に子ども教室を担当し、私が子ども教室の実行委員長をしていることもあって、足繁くわが家にやって来て、私設公民館煙会所や東屋、私の書斎などで、色々なお話をして行事を行いました。

幸せそうな隅田さんご夫妻

 前任の赤石さんも、後任の出海さんも、頻度の差こそあれみんな熱心にわが家へ通ってくれ、いまもひんぱんに出会っています。隅田さんはその後の人事異動で本庁へ帰られましたが、風の噂によると最近結婚したそうで、コロナ禍で結婚披露宴にも参加することができず、気になっていましたが、何はともあれ素敵な女性と出会い結婚ができたことはこの上ない喜びです。

 隅田さんの相手の女性は気さくな方で、約1時間煙会所の囲炉裏を囲んで楽しいお話をすることができました。この上は二人仲良く幸せな家庭を築いて欲しいと願っています。時折一緒に活動した知人や友人か、ら隅田さんが結婚した話が話題になるものの、実態を全く知らなかったので、お二人の了解を得てツーショットの写真を撮らせてもらいました。お幸せに・・・。

「元公民館 主事さん結婚 したという 風の噂を 聞いてはいたが」

「珍客と 呼ぶにふさわしい 隅田さん パートナー連れて わが家へ来訪」

「嬉しいね 幸せそうな 二人見て これから先も 幸せ家庭を」

「了解を 得たので 写真ツーショット みんなにお披露目 自慢の奥さん」

 

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〇左足のその後

 外反母趾の手術後2日欠間の入院を経て、6月2日に退院し約1ヶ月が経ちました。傷も癒え、骨の痛みも殆どなく、順調に回復しているように見えますが、左足首は相変わらず腫れが残って、防護のために履いた短めの靴下のゴムの跡がくっきりついて、いつになったら治るのか少し疑心暗鬼といったところです。

 それでも歩いて5分の所にあるたけます診療所へ月曜日と金曜日の週2回、処置に出かける折、前もって左足をシャワーしてシャボンをつけたカーゼで丹念に洗い、ほてった足を乾いたバスタオルで綺麗に拭きとり、選択した靴下を履いて病院に直行し、先生に防水フィルムとガーゼ交換をしてもらい、ものの4~5分の処置で帰って来るので、大助かりです。

 今は杖なし歩行の訓練をやっていて、朝の散歩は杖こそ持って出かけていますが、靴の履き脱ぎの時以外は使うこともなく、嬉しいことに両足歩行ができるようになりました。散歩の途中出会う人からも「お元気そうになって何よりです」とお褒めの言葉をいただいて、少し嬉しくなっています。さあもう少しの辛抱です。焦らず焦って気長に気短に・・・。心は乱れます。

「傷も癒え 良くなる気配の 左足 痛みはないが 腫れは変わらず」

「最近は 朝の散歩は 杖なしで 両足歩行 リハビリ訓練」

「週2回 泡立ちシャボン ガーゼつけ シャワー入浴 気持ちいいです」

「早う治れ 心焦るが じらされる 我慢しどころ あざ笑うよう」

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〇久しぶりに見つかった万年筆

 私の周囲の視野から「万年筆」が消えたのはいつの頃からだろうか?。記憶を遡ってみるが、少なくとももう10数年は見たり使ったりしたことがないのです。青春時代は腕時計と万年筆に憧れていて、姉が就職して初任給で最初に私にプレゼントしてくれたのが腕時計と万年筆でした。恋文こそ書かなかったものの以後万年筆は私の大事な持ち物として、存分の働きをしてくれました。

久しぶりに見つかった万年筆

 私が23歳の時、第14回NHK青年の主張に応募した時の原稿もこの万年筆で浄書したもので、見事原稿審査に合格し愛媛県代表になったのも、この万年筆のお陰なのです。そんなこともあって字がまずい自分をカモフラージュするために、何本もの万年筆を買い求め、多い時は4~5本も持っていましたが、その後ワープロやパソコンが普及し始め、肉筆はボールペン万能な世の中になったため、私にとっては忘れられて存在となってしまいました。

 昨日書棚の隅で埃を被った万年筆を一本見つけました。キャップを外し書いてみました。残念ながらインクが固まり文字を書くことは出来ませんでしたが、懐かしさ一入でした。私はハガキを毎日3枚書いていますが、時折風流を愛する仲間から万年筆で書いたと思われるハガキが届きます。私もそろそろそんな風流を楽しめたらと思いつき、書棚を探すとアメリカへ行った時買ったカートリッジ式のパーカー万年筆が見つかり、カートリッジを入れ替え使って友人に手紙を書きました。

 万年筆にはまるで時間が止まったようなセピア色の懐かしい思い出がたくさん残っています。自分の人生において残された時間はそんなに多くはありませんが、今書いている様々な原稿の殆どはパソコンで書いた文字なので、万年筆の肉筆で書いた原稿も悪くはないなあと思いつつ、挑戦を始めてみました。

「探し物 してて見つけた 万年筆 最初は姉が 給料叩いて」

「そう言えば 万年筆で あれやこれ 書いた原稿 全て紛失」

「もう10年 万年筆を 使わずに 過ごしています これから先も」

「万年筆 使って肉文字 遺したい 馬鹿げたことを 早速実行」

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〇機械と人間は使わなければ錆びる

 「機械と人間は使わないと錆びる」とは、働き者だった親父が私によく言い聞かせてくれた言葉です。外反母趾の手術をして3ヶ月が過ぎましたが、その間鍛えに鍛えたつもりの体の筋肉はあっという間に衰え、今は見る影もなく痩せこけています。

 体中の筋肉が補い合って体形を維持していたのでしょうが、それらの筋肉が弱ると首筋や背筋、足腰と今まで痛みやハリを覚えたことのなかった場所が痛み出し、一週間に一回程度整骨院に通ったり、湿布を張って急場をしのいでいます。

 救いは、外反母趾で手術した足の回復は順調で痛みもなく、最近はT字杖をつかなくても歩けるようになって、朝の散歩を楽しんでいます。会う人が「日なち薬」と慰めの言葉をかけてくれますが、一方では、親父の名言「機械と人間んは使わないと錆びる」ので、しっかりと動いて治そうと思っています。

「亡くなった 親父口癖 言っていた 機械と人間 使わにゃ 錆びる」

「体中 あった筋肉 なくなって 見る影もなし 初老の私」

「のんびりと 治せと日なち 薬言う 動いて治す 私の持論」

「二本足 歩けるように なりました 無理は禁物 無理もしないと」

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〇毎朝朝顔の花を見るのが楽しみです

 私が長期入院から退院して帰ってみると、自宅の庭はまるで植物園のように植木鉢がズラリと並び、びっくりしました。同居している息子が今年は朝顔作りに挑戦しているらしく、息子は毎朝早く起きて朝顔の世話をし、仕事から帰宅してからも外に電気をつけて、成長著しい花の世話を楽しそうに一人黙々としているようです。

団十郎という名前の朝顔だそうです

 その朝顔が1週間前から咲き始め、咲いた花は玄関先に飾って、家族で楽しんでいます。昨日は「団十郎」と名前のついたそれは見事な花が咲き、息子の解説で花の蘊蓄を聞きました。この大量の花をどうするのか?、聞いてはいませんが伊予市街の町家辺りで展示会を開き、カブト虫と同じようにお客さんに配布するようです。

 「そんなことして何になるの?」とちょっかいを出すと、相変わらずの反応で、傍で見ている妻は「あなたの若い頃にそっくり」と、息子の肩を持つのです。パチンコや競輪競馬をする訳でもなく、またお酒におぼれる訳でもなく、自分の余力を使って人を楽しませているだけに、理解に苦しむ馬鹿げた行動を、呆れながら見ています。

「わが息子 理解に苦しむ 汗をかく 仕事しながら 楽しそうです」

「今年は 朝顔作り 挑戦し 綺麗な花が 咲き始めました」

「パチンコや 競輪競馬 酒浴びる 訳でもないし 許せる範囲か?」

「妻曰く あんたの若い 頃似てる 私はもっと 意味あることを」

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〇やっと1回目のワクチン接種が終わりました

 ワクチン接種の申し込み通知がわが家に届いたころ、私は外反母趾の手術で病院に長期入院中でした。そのため妻が代りに申し込みをしてくれたものの、他の人が2回目の接種をしているというのに、私は昨日第一回目の接種を近所のたけます診療所で接種することができました。

 注射が嫌いな私としては余り乗り気でないし、ましてや何年か前にムカデに刺されアナフラキシーショック症候群にかかり、救急車で運ばれた経緯もあるので、??????の連続でとても不安でしたが、筋肉注射の痛みも殆どなく、接種後15分の待合室での経過観察も何の問題もなく終えることができました。

 ただ今朝は注射の跡に少し痛みが出ているものの、お医者さんの話だと報告義務のない想定内のようで、3週間後の7月19日の第2回の予約をとることができました。私が第1回目で右往左往しているというのに、世の中の高齢者の第1回接種率は50%を超えているようです。ワクチン接種をしたからといって油断は禁物です。より感染力の強いインド株の流行も始まっています。うつさない、うつらないために、マスクの着用や手指消毒、うがい、ディスタンスなど、個々人が守らなければならない基本を、しっかり守って、昔のような社会に一日も早く戻りたいものです。

「手術にて 長期入院 したために 遅れを取って やっと一回」

「注射嫌い 加えてアナフラキシー 不安あり それでもやろう 国民の義務」

「注射跡 今朝は少し 痛みあり 想定内と 医者に言われて」

「3週間 後に2回目 予約取る 何事もなく 終わりたいもの」

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〇ふるさと体験塾「応援機をつくろう」

惨状を伝える新聞記事(2021・4・27)

私はあいにく外反母趾に手術のため愛大附属病院に入院していて、漁船の大量火災や惨状を見ることができず、またその後の復旧復旧に向けた動きも、聞きなりながら私の元へは届きませんでした。退院後漁師さんや関係者から惨状を聞く度に、小さな上灘漁港での御製消失がいかに大きな惨状であったか、今さらながらショックを隠すことは出来ません。


2枚の応援旗にメッセージを書き込む子どもたち

 このところあちこちからの財政支援や、漁師さんたちの復興の動きに少しだけ安堵をしていますが。私が実行委員長を務める子どもふるさと体験塾では、毎年夏になると漁師さんの底引き網行戦に乗せてもらい、体験航海をしているし、共栄網という煮干し製造をしている加工場も何度か見学に出かけているので、少しでも復旧のお役に立ちたいと、「応援旗をつくろう」というプログラムを考えました。


いい2枚の応援旗ができました

 前日ジュニアリーダーが集まって、大延期のデザインを考え、絵や太文字を描いてくれていたので、子どもたちは紙にメッセージを下書きして、2枚の応援旗にそれぞれ思い思いのメッセージを書き込みました。出来上がった応援旗は2週間後に予定されている、底引き網体験の折、漁協の組合長さんに手渡す予定です。

「大火災 21隻 漁船焼け 傷心漁師 子ども励ます」

「応援旗 二枚にそれぞれ メッセージ 書いて仕上げた 上々の出来」

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