人間牧場

〇寒風の中での孤軍奮闘

 年末の大仕事は、親類の漁師さんに頼んで毎年お正月用に買っている寒ブリの処理です。早朝一番に下灘の漁師さん宅まで受取りに行き、早速寒風吹き交う外の流し台に立ち、丸々と太った寒ブリを3匹3枚におろしました。手を傷めないよう白い軍手をはめて、大きな出刃包丁と小さめの包丁を使い分け、頭、しっぽ、腹、エラの順で処理して行くのですが、特に頭を煮つけ用に真っ二つに割る作業は力が要って毎回苦労するのです。

寒ブリの粗調理
鯛の粗調理

 息子や娘、それに毎年届ける知人友人の方々は、大きな寒ブリを調理することができないので、刺身用の短冊小切りや、煮つけ用に小切りして差し上げなければなりません。今年は前日息子の同級生の漁師さんが、大きな鯛を何匹か届けてくれたようで、その粗調理も加わり、延々3時間の水仕事で、寒さは極限に達しました。

 毎年届ける予定の大洲市田処の亀本さん宅への道路が通行止めになっているので、今年は本村~法̪師線を選び、途中の松尾付近で落ち合って無事リレー出来たり、苗屋の水口さん、松山の桐木さん宅、西岡さんや宮栄さん、息子娘宅などなど、まあ忙しく動き回りましたが無事夕方6時ころ何とか配り終えました。

 昨日は魚料理をしたので、久し振りに一番風呂に入りしっかりと体を温め、妻の作ったてくれた寒ブリの刺身と、煮つけを美味しく食べて夕食を終えました。退職以来16年、同居の孫から「お魚じいちゃん」と呼ばれるほど、今ではいつの間にかすっかり私の担当となってしまった魚の粗調理ですが、今年は親父の形見の出刃包丁と刺身包丁も見つかって手に入れたので、来年は魚料理にでも挑戦してみようかな?なんて、馬鹿げた思いが脳裏をかすめています。(大笑い)

「寒い中 寒ブリ真鯛 粗調理 極限達し 体冷え冷え」

「お魚を 配った先々 喜ばれ わらしべ長者 あれこれ貰う」

「いつの間に 私の仕事 なりにけり 孫は私を お魚じいちゃん」

「冷え切った 体一番 風呂に入る 寒ブリ刺身 酒は呑まぬが」

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人間牧場

〇青春の証丸木舟は火となり灰になりました

 今年の餅つきのもち米を蒸すかまどの火は、私が若い頃長さ10m、直径1m60㎝のアラスカ産モミの木を使って建造し、瀬戸内海の無人島由利島を探検した21世紀えひめ号の残材を使いました。

もち米を蒸す薪となったまっるきぶねの残材
丸木舟を建造する若き日の私とチョウナを使う親父)
豊田さんのお父さんと私の親父と隅田のおじさん
松山市垣生港で操船訓練するクルー、舵は親父が・・・
私が舵を持った操船訓練

今リニュアール工事の進む道の駅シーサイドふたみの一角に展示していた丸木舟は、市役所の判断で展示場所を失ってしまいました。抗議の声も届かず、残念ながら廃棄処分とすることになりましたが、せめて痕跡でも残したいと舳先を2mほど切り取って持ち帰り、色々な加工を加えて重量を軽くし、わが家の敷地内にある海の資料館に展示を終えました。

 その加工過程で出来た残材を東屋軒先の薪収納場所に置いていましたが、年末の餅つきのもち米を蒸す熱源にして供養することにしました。30~40㎝に切った船底や横板を手斧で割り木にして使いましたが、乾燥していてよく燃えました。機を得たのでしょうか?、偶然書斎の年末片づけをしていると、古い丸木舟を建造したり航海訓練をしている写真が出てきました。

 写真に写っているのは、亡くなった親父や、豊田さんの親父さん、隣の隅田のおじさんなど手伝ってくれた面々の在りし日の作業姿でした。また進水式を終えて松山市垣生の港で航海訓練に励むクルーの姿もありました。操船技術が未熟な私たち21世紀えひめニューフロンティアグループの面々に、海のことなら何でも知っている親父が、舵を持ち手ほどきをしている貴重な写真の数々です。

 記憶に新しい丸木舟の現物は殆ど灰となってしまい、永遠に蘇ることはありませんが、写真や文章によって記録として残っていることを嬉しく思います。今年ついたお餅には私の熱かった今やれる青春がつき込まれているので、味わって食べたいと思っています。

「丸木舟 残念ながら 処分した 青春の日々 写真ありあり」

「書斎にて かつての写真 見つかった 親父や豊田 隅田のおじさん」

「ワクワクし ドキドキもした 若い頃 今もジーンと 心に残る」

「今年は 熱き青春 つき込んだ 餅だと言って あちこち配る」 

 

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◯夜のエミフル駐車場での出会い

 松山に住む子どもたちに、つきたてのお餅を届けに、夕方妻と二人で出かけた帰り道、ちょっとした買い物があるというので、松前町のエミフルという商業施設へ立ち寄りました。さすが集客力を誇る施設だけあって、午後7時だというのに沢山の人が訪れていました。

 歳をとったせいでしょうか?、夜の人混みは苦手で、しかもコロナ禍の中で、みんなマスクをしているとはいえ、不要不急の外出は避けたいので、私は車の中でのんびりカーラジオを聞きながら、手持ちのスマホやタブレットをいじり、買い物を終えて帰る妻を待ちました。

 広い駐車場ゆえ、ましてや車の中ゆえ出会う人もないと思っていたら、何と隣の駐車帯に顔見知りの人が車を止めました。何年かぶりの懐かしい人だったので、エンジンを止め外に出てしばらくの間立ち話をしました。今日は予想に反して日中は温かい一日でしたが、夜の帳の降りた外は流石に冷たく、少し冷え込んでしまいました。

 車に戻った妻が助け舟となってその人と別れ、車に入り帰路に着きました。それにしても私はよく人に会うもので、相手の人も薄暗い街灯の中で、よく名前と顔を覚えていてくれたと大層喜んでくれました。今年もあと2日しかありませんが、また誰かに会えるかも・・・・。

「帰り道 妻の用事で 立ち寄った 商業施設 人混み多し」

「久方に 出会った人と 立ち話 顔も名前も 話題も全て」

「世の中は 狭いもんだと しみじみと 思いながらも 思い出話」

 

 

 

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人間牧場

〇写真は時代を映す鏡

 今朝facebookを開くと、いきなり自動でアーカイブス機能が働き、4年前の自分の顔写真が出てきました。自称男前でもない醜いアヒルの子なので、自分の顔写真は余り見たくないというのが正直なところですが、私は退職した17年前から、年に何回か自分の写真をデジカメとタブレット内蔵のカメラで撮り続け、時には億目もなく自分のacebookにその写真をアップしています。

今朝見つけた4年前の写真
50年前の若かりし頃の写真
船上で鈴木アナウンサーのインタビュー

 もし100歳まで生きるとしたら、24年後の自分の告別式の遺影にはどの写真を使おうか?なんて、笑い話にもならない他愛のないことを考えています。そんな中、昨日パソコン内の画像の中に、50年前の写真を見つけました。この写真はNHK青年の主張の県代表になった23歳の時、当時漁師をしていた私の30分テレビ番組が、写真構成で放映された時のスナップ写真でした。

 今の自分と4年前の自分の写真はそれほど変わったようには見えませんが、50年前の写真とは明らかに様子が違っていました。私にも「こんな若い時があったのか」と感心しきりでした。人は毎年確実に1歳ずつ歳を重ねます。自分の人生なんていつまでも続くものと錯覚していましたが、寿命が有限であることに気づき始めた今こそ、これからの人生をどう生きるのか、しっかり考えて生きて行かねばならないと思いました。

「パソコンに 自分の写真 飛び出して ビックリ仰天 4年前です」

「4~5年の 時の流れは 変わらねど 50年前 大きな変化」

「葬式に どんな写真を 使おうか? 笑い話に 一人ニヤニヤ」

「無限だと 思った人生 有限と 気がつきこれから 大事に生きる」

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〇郷土の誇り双海剣道会

 昨日の愛媛新聞朝刊スポーツ欄に、双海剣道会が紹介されました。私は県道を習いませんでしたが、私の弟2人は少年時代双海剣道会で剣道を習い、特に3つ下の弟忠行は水戸光武館主催の全国大会団体戦で優勝した、全盛時代当時のメンバーとして活躍しました。

双海剣道会

 そんなこともあって、双海剣道会の初期の頃指導をしていた片岡先生は、練習が終わるとよくわが家へやって来て、剣道会の後援会長だった親父と酒を飲みながら色々な話をしていました。わが家の親父が存命中住んでいた隠居家の玄関には、全国大会で貰った総理大臣佐藤栄作揮毫のタオルが表装して掲げられています。

 親父は剣道会つながりで日本刀に興味を持ち、片岡先生の紹介で知り合った賀茂先生から譲ってもらった肥前兼良作の立派な刀の手入れを怠らず、ガンを患った折筋力の回復を願ってその真剣で居合道に取り組みました。その刀は大切に保管して、長男たる私が受け継いでいるのです。

「太刀振りて 何するものと 人問わば 御国守りぬ 技と答えよ」とは、光武館館長の言葉であり、その短冊も隠居の片隅に大切に掲げています。剣道の胴は普通茶色か黒色ですが、双海剣道会の胴は白色で白胴は珍しく、全盛時代には近隣近郷にその名を轟かせていました。双海剣道会で育った多くの指導者がその教えを今に伝えている姿に敬意を表します。

「新聞の スポーツ欄に 剣道会 凛々しい姿 紹介される」

「弟も 子どもの頃に 剣道を していたゆえに 親父も熱心」

「今は亡き 親父住んでた 隠居家に 剣道痕跡 数々残る」

「リハビリの つもりで始めた 居合道 親父の姿 思い出される」

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〇ウラジロ採り

 正月が近づくと私たちが子どもの頃は親父から、「〇〇日までにヤマクサを採って来るように」と命令口調で言いつけられました。毎年のことなので、どこにヤマクサがあるか本能的に知っていましたが、その場所は早い者勝ちでみんなが狙う場所でもあるので、少し遅れて山に入ると、葉先の痛んでいないヤマクサを探すのにかなり時間がかかりました。

ヤマクサ
ヤマクサの裏はウラジロです

 その後自分の後継者たる息子たちは、そんな苦労をさせることもなく、76歳になった今もヤマクサ採りは「おじいちゃんの役割」として定着し、私の代で終わろうとしているのです。今年もいよいよ押し迫り、しめ縄作りも終わっているので、昨日は歩いてものの5分ほどもかからない、とっておきの場所へヤマクサを採りに出かけ、10分ほどで大小70枚程の山草を採りました。

 私がヤマクサと呼んでいるウラジロは、しめ縄には欠かせないものです。29日に餅をつき、30日に鏡餅やしめ飾りにウラジロと五穀を奉書で包み金糸銀糸の水引で結んで飾ります。採ってきたウラジロは乾燥させないよう少し大きめのビニール袋に入れて保管をしました。今はスーパーなどは正月からお店が開いていて、おせちも外注が多く、買い出しする必要がないのですっかり廃れてしまいましたが、家族総出で正月の準備をした昔が懐かしく思い出される今日この頃です。

「子ども頃 親父に言われ ヤマクサを 森に分け入り 採った記憶が」

「子ども頃 もういくつ寝ると お正月 指折り数え あれこれ準備」

「ヤマクサを 採って来るのは じいちゃんの 仕事となって 久しかりけり」

「あと何年 生きるだろうか 来年も 多分元気で ヤマクサ採りに」

 

 

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人間牧場

〇勉強ができなくても夢があれば人生は楽しく生きられる

 親父やおふくろが生きていた頃、小さい頃の私はどんな子どもだったか聞いたことがあります。両親によると私は小さい頃、小学校へ入学するというのに、10の数も数えられず、自分の名前さえも書けない子どもだったようです。そんな低知能を気遣った両親は入学式の前日、浜から小石を拾って来てどうにか10まで数えられ、反転文字交じりながらひらがなで。自分の名前を書けるようになったそうです

 そんなこんなの低能少年だったので、小学校4年生頃までの記憶はそんなに残っていませんが、小学2年生の時学校校庭にあった二宮金次郎の銅像台座、に「金次郎さんは何の本を読んでいるのか?」不思議に思いよじ登った所を、運悪く校長先生に見つかり、お仕置きをされたりしましたが、以来国語が好きになり、小学校5年生の時図書室で読んだり、誕生日に担任の先生からプレゼントしてもらった、「ジョン万次郎の生涯」という本の影響を受けて、いつか太平洋を航海したいと淡い夢を抱くようになりました。

 その「夢」は現実となり、遊学した宇和島水産高校の実習船愛媛丸で赤道を越えて珊瑚海へ、30歳の時青年の船日本丸で日付変更線を越えて建国200年のアメリカへ行くことができました。国語の文法やサ行の二段活用が不得意でも、今では人の前でお話ができるし、算数の計算や図形のあれこれができなくても買い物や支払いができるし、理科の二酸化ナトリウムの化学式が分からなくても、社会の出来事年号なんか覚えられなくても、76歳の今日を一市民一国民として不自由なく生きれるのですから不思議です。

 かたや通知表において一・二を争った優秀な同級生たちは上級の学校へと進んで、学歴を身につけてそれなりの出世をしたようですが、総理大臣になることもなく、それなりの人生を歩んでいるようです。お金や地位があって誰が見ても幸せそうに見える人でも友だちもなく、深い悩みを抱えている人もいます。「幸せとは幸せと感じる心」、「夢亡き民は滅びる」です。

「低能な 少年時代 過ごしたが 何とかなるもの こうして生きてる」

「文法も 計算図式 化学式 年表さえも 分からぬままに」

「人生の 通知表なら 努力賞 貰える自信 大いにありて」

「夢を持ち その実現に コツコツと 努力をすれば いつかは幸せ」

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◯私は出張料理人?

 今朝アメーバブログに親父の形見の包丁の話を書きましたが、今朝魚屋さんに頼んでいた天然の真鯛とききょうイカが2箱届きました。早速東京送りの真鯛を家の裏屋外流し台でさばき、ジップロックの袋に入れて発泡スチロールの箱に氷と保冷剤を入れて荷造りし車に積み込みました。

 さてもう一つの箱は静岡に住む次男の妻のお兄さん宛に送る予定なので、松山市堀江角福町の実家へ親父形見の包丁を持ち込み、まるで出帳料理人のように粗調理をしました。お父さんはあいにく留守でしたが、私の包丁さばきにびっくり仰天の面持ちでした。

 粗調理した魚は発泡スチロールの箱に保冷剤とともに入れられ、お母さんによって東京行の魚とともに宅配会社に持ち込まれ、午後の便で送られました。宅配会社によると明日の午後には相手の所へ届くようです。今日もあれやこれやと忙しくも充実した一日でした

 現職を退職して早くも16年があっとという間に過ぎました。何するでもなく、何の成果も出せぬままの16年でしたが、それでも念願の人間牧場を造るなど、少なからず進歩もありました。少なくともこの一年間は新型コロナの影響で暮らし方も一変し、今まで見えなかった身の周り様子に気がつくことが多くなり、これからの暮らしの視点が変わりそうな予感がしています。コロナに感謝です。

「隠居から 親父の形見 包丁が 2本見つかり ワクワクしてる」

「田舎から 都会に送る 新鮮な 魚を調理し 宅配便で」

「この私 まるで出張 料理人 包丁持って 知人の家に」

「コロナ禍で 見えないものが 見えてきたこれから生き方 面白そうだ」

 

 

 

 

 

 

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人間牧場

◯今年最後の散髪

 今日は所要で松山へ出かけた帰り道、国道沿いの伊予市街にある散髪屋の前を通りました。いつもお店の前の駐車場にはお客さんの車でいっぱいなのに、午後1時ころだったため車が2〜3台でした。

 所要も済ませていて別に急ぐこともないので、「そうだ散髪をして帰ろう」と思い、次の信号をUターンして散髪屋さんに立ち寄りました。入り口で手指消毒をして中へ入ると、2〜3人の人が待合室で待っていました。

 日常は朝9時の開店時に出かけても1〜2時間待ちなのに、今日はラッキーにも僅か20分程で呼び込まれ、散髪が始まりました。いつもは髪を切ってくれる店員さんはお休みなのか見当たらず、手の空いた店員さんに、「どのように刈りましょうか?」と聞かれました。

 店員さんがお客さんの髪型を共有しているのか「いつものように」と言っただけで、「分かりました。3枚スポーツ刈りですね」と聞き返し散髪は始まりました。バリカン仕様であっという間に毛剃りも終わり、1210円を支払って帰りました。

 長年地元の散髪屋さんでお世話になっていましたが、ご主人が亡くなりやむなくお店を変わりました。新しいお店は「早い・安い」が売りなので、許せる間は当分この店に通おうと思っています。

「帰宅する 途中立ち寄る 散髪屋 いつもと違い 待ち時間なく」

「どんな髪 いつものように 言っただけで いつもと同じ 男前なる」

「散髪料 安くて時間も 短くて 昼寝する間も ないのが不満」

「帰るなり 目敏く私の 髪型を 見つけて褒める 孫は天才」

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人間牧場

〇物忘れがひどくなった

 昨日お地蔵さんのお接待の赤飯を、下灘まで届けに行こうと軽四トラックに乗りました。いつものように免許証をポケットに入れたものと思い込んだものの、ポケットの中はどこを探しても見つかりませんでした。一旦エンジンスイッチを切って、「はてな?」と再度家の中に入り、記憶のフィルムを巻き戻しながらあちこち探しましたが見つからず、行くのを断念しようとした矢先、出る前作業用ジャンバーから外出用ジャンバーにを着替えたこと思い出し、やっとのことで見つかりました。

 最近は置いた場所を忘れ探し物をする無駄と思える時間が増えてきました。忘れない基本は使った後、元の決まった場所へ置くことなのですが、ついついチョイ置きするため、見失ってしまうのです。携帯電話なら別の携帯電話で呼び出せば着信音を頼りに探すことも出来ますが、免許証や財布などはものを言わないため、今回のような失敗を繰り返すのです。物忘れはある意味歳のせいだと思って諦めていますが、歳をとっても物忘れしない人もいるのですから、日常の暮らし方かも知れません。

 私は妻が驚くほど人の名前と顔をよく覚えています。外出先で「若松さん、お久しぶりです」などと声をかけられることはしょっちゅうで、その都度私の脳内カンピューターが働き始めるのです。一番困るのはパソコン操作で、何度教えてもらっても覚えられないし、また整理整頓ができていないため、パソコンに記憶させた情報をどこにしまったか思い出せず、困惑してしまうのです。

 そんなことを考えていた矢先の今朝、「覚えたことを2度と忘れない最も良い方法は?」という見出しがパソコン画面で目に留まりました。物忘れ以前の問題として覚え方、記憶の定着度から学ばなければなりません。せめて忘れ状がよくなったことを年齢のせいにしないよう、頑張ってみようと思っています。

「外出時 ジャンバー着替えた こと忘れ ない・ない・ないと ポケット探す」

「外出時 携帯義務の 免許証 やっと見つかり 安堵の胸を」

「歳だから 仕方がないと 思ってる 生きてることすら 忘れるかもね」

「新しい ことを覚える その前に 覚えてること 忘れないよう」

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