人間牧場

〇人間行脚の小さな旅(その3-西予市明間の佐藤さん)

 1ヶ月ほど前、愛媛新聞のお悔やみ欄に長年の親友で、西予市宇和町明間に住む佐藤正治さんの訃報が載り、突然の訃報に驚きました。新型コロナの影響で葬送を済ませていたし、少し遠いので気になりながら日々を過ごしました。

 佐藤さんとは30年来の付き合いで、宇和町の観音水を名水百選にしようと他薦自薦運動を起こした時、その片棒を担ぎ佐藤さんたちとともに奔走した結果、見事観音水は名水百選という称号を勝ち取ったのです。佐藤さんはその観音水の直ぐ近くにアマゴの養殖場を造り、2倍体、3倍体のアマゴを飼育するなど大活躍で、その技術はその後水産高校に進んだ息子さんに引き継がれ、今に至っています。

 佐藤さんは愛護班活動にも積極的に取り組み、愛媛県の愛護班連絡協議会の会長として活躍し、その功績で愛媛県文化功労章を受章しました。佐藤さんは私のメル友で、私のことを年下なのに「進兄」と呼び、毎月決まったように携帯電話で音信を伝え、二人で他愛ない話をしました。息子家族と同居し孫とのふれあいもあることを「これ以上の幸せはない」と喜んでいましたが、2年前に宇和町明間も西日本豪雨災害に遭い、心労が重なったのか、やせ型ながらあれほど元気だった体調を崩し、最後は誤嚥性肺炎で亡くなってしまいました。

 2年前豪雨災害の見舞いのために浜田さんと二人で佐藤さん宅を訪ねましたが、今回も浜田さんと二人で遺影との出会いとなってしまいました。運よく顔見知りの奥さんと息子さんも在宅だったので、香典と線香を供え冥福を祈りました。享年81歳という年齢は若いとは思いませんが、もっともっと長く生きて欲しいと思いました。

 佐藤さんの案内で希しくも10数年前のこの時期野山に分け入り、つるを頼りに自然薯を掘り、公民館の調理室ですりおろし、地元の有志と破顔一笑の大酒盛りをした思い出は忘れることはできません。南予人特有の開けっ広げな佐藤さんからの携帯電話が懐かしいこの頃です。

「お悔やみ欄 親友訃報 驚きぬ お別れせずに 悶々の日々」

「2年前 豪雨災害 お見舞いに 出かけた時は 元気だったが」

「進兄と 私を呼んで くれた人 今は冥途の 長い旅路に」

「また一人 私の親友 姿消す 今度は私? 順番近し」

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