人間牧場

〇壊れかけた紙芝居の箱

 日本では一年間の出生数が100万人を割り込み、色々な施策を講じてはいますが焼け石に水で妙案も見つからず、日本の将来に暗い影を投げかけています。日本列島のあちこちでは少子化を理由に毎年のように学校が統合されたり廃校になっています。

紙芝居の箱

 統廃合された学校の幾つかは、統廃合時地元から出されていた要望や条件に沿って、福祉施設や地域づくりの拠点として再利用されていますが、中には再利用の条件である耐震基準をクリアーできなかったり、平成の合併などのどさくさでその約束さえも守られず、未だに手が付けることもなくゴーストタウンのような醜態をさらけ出しているもののもあるようです。

 先日、ある廃校となった木造の学校が、危険になったため近々取り壊されるという話を友人から聞きました。廃校になった折備品類は統合された学校に引き継がれ再利用されていますが、古くて使えない道具類はそのまま残されていて、やがて取り壊し工事の折重機のキャタピラーで無残にも踏み潰され、処理場へと運ばれるものと思われます。

 取り壊しを前に学校で育った地元の人たちが昔を懐かしむため中に入ったそうですが、教室の片隅に紙芝居の箱を見つけたようでした。埃にまみれ、金具は錆びて一部壊れていました。懐かしくなり貰って帰ったそうです。さりとて使うことも出来ず、結局回り回って私の元に届きました。

 貰った私も既に紙芝居の箱は近年、知人に立派なものを作ってもらって使っているので、はてさてです。さりとて長い歴史を紡いできたこの箱の物語を絶やすことも出来ず、正月休みを利用して少し手入れをしてみようと思っています。そして願わくば紙芝居を作り一度地元の人たちに見せてあげたいと、淡い夢を持ち始めています。

「学校が 日本の各地 消えて行く 何とも寂しい どうしたものか」

「再利用 されることなく そのままで ゴーストタウン 見るに忍びず」

「取り壊し される学校 キャタピラー 踏み潰されて 跡形もなく」

「紙芝居 壊れた箱が 届きたる 命吹き込み 地元凱旋」

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人間牧場

◯クリスマスツリー

昨日の夕方お墓参りに出かけた八幡浜から大洲を経由して帰る途中、肱川沿いの道を長浜市街に向けて走っていると、いよ出石駅付近にかかる新しい大橋の向こうにクリスマスツリーの明かりが見えました。一昨年偶然にも通りかかった時に見た記憶が蘇り、左折して大橋を渡り訪ねて見ました。

今年は新型コロナの影響でしょうか?、昨年のような派手さや賑わいはなく、落ち着いた雰囲気でしたが、それでも洗練された飾り付けに感心しながら、妻と二人でゆっくり歩きながら見学をさせてもらいました。途中一軒の家の庭では、電子ピアノを用意して家族でミニミニコンサートをしていて、頼んで聞かせてもらいました。

今年はわが町双海町のシーサイド公園もリニュアル工事を行っていて、名物だったサンセットロマンチッククリスマス「サンタが空から降りてくる」もやることができず、寂しい思いをしていましたが、何となくほのぼのとした気持ちになりました。クリスマスはもうすぐです。

「帰り道 かすかに見える 電飾の 光につられ ツリー見学」

「わあ綺麗 寒さを忘れ 二人見る 誰が飾った 知る由もなく」

「庭先で 電子オルガン 弾く家族 頼み聞き入り 控えめ拍手」

「今年は わが町名物 クリスマス できず悶々 少しスッキリ」

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人間牧場

〇20年という歳月の流れ

 私は宇和島水産高校漁業科を卒業しています。ゆえに私たちの同級生の殆どは、漁船に乗って色々な海で活躍したと思われますが、ゆえに残念ながら35人いた同級生とはその後殆ど会うことも交流することもなく、今日に至っています。恐らく過酷な海の上での仕事なので早々と船を降りて、75歳を過ぎた後期高齢者ゆえ、多分陸に上がり日本のどこかで穏やかに暮らしているものと思われます。

 他校に学んだ人たちはよく同窓会をしたと、同窓会の模様が新聞に紹介されていますが、残念ながらその同窓会も新型コロナの影響で投稿する写真が揃わないのか、コーナーは休眠状態のようです。そんな中にありながら、唯一宇和島水産高校の大先輩である玉井恭介さんとはこの20年余り、親しい付き合いを続けています。

 私が玉井さんと出会ったのは、ある研修会後の呑み会でした。当時広告代理店に勤めていた玉井さんとすっかり意気投合し、その後玉井さんは私に「本を出さないか」と勧めてくれました。「金がない」「暇がない」「能力がない」と渋る私に、ある意味強引と思えるアプローチをかけその気にさせられました。

 玉井さんがプロデュースしてくれた「昇る夕日でまちづくり」の出版記念祝賀会を、本町会館7階のテルスターホールに250人を集めて行いましたが、運命の悪戯かその日、母校である宇和島水産高校の漁業実習船えひめ丸が、ハワイ沖で米軍潜水艦と衝突し9人の尊い命が亡くなり、パーティーは悲しみの余韻を引きずりながら終わりました。

 玉井さんは絵も描けるし書も書けるし歌も歌えるし、文章表現に長けた博学な人なので、事故の顛末を鎮魂歌「希望海」という曲に表現作詞し、名のある作曲家が曲をつけ、男声合唱団の力を借りて発表し、当時は県内でも大きな反響を呼びました。しかし来年2月10日で20年を迎える時の流れはえひめ丸事故をも風化させ、残念ながら鎮魂歌「希望海」も風化の風に翻弄されつつあるようです。

 昨日久しぶりに玉井さんから電話があり、「希望海という歌を知人の女性にチェロで演奏してもらったので聴いて見て」と電話口で聴かされました。哀愁を帯びたチェロの音色が良く似合う希望海という歌は、自らも初代愛媛丸に乗り遠洋航海に出かけた経験のある玉井さんの生きざまそのままだと、同じく初代愛媛丸で遠洋航海に出かけた経験のある私ゆえ、納得の手合いでしたが、20年の歳月は寂しいことではありますが、一つの時代の終わりを告げているようにも思え、心の中によき思い出としてしっかりしまっておこうとお話をして、長い電話を切りました。

「同級生 音信ないが 大先輩 何かにつけて 導き指導」

「自費出版 本を出しては 勧められ 昇る夕日で まちづくり出版」

「20年 前に突然 えひめ丸 出版記念日 沈没事故が」

「チェロ演奏 希望海聴く 名曲だ 残念ながら 歳月風化」

 

 

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人間牧場

〇人間行脚の小さな旅(その3-西予市明間の佐藤さん)

 1ヶ月ほど前、愛媛新聞のお悔やみ欄に長年の親友で、西予市宇和町明間に住む佐藤正治さんの訃報が載り、突然の訃報に驚きました。新型コロナの影響で葬送を済ませていたし、少し遠いので気になりながら日々を過ごしました。

 佐藤さんとは30年来の付き合いで、宇和町の観音水を名水百選にしようと他薦自薦運動を起こした時、その片棒を担ぎ佐藤さんたちとともに奔走した結果、見事観音水は名水百選という称号を勝ち取ったのです。佐藤さんはその観音水の直ぐ近くにアマゴの養殖場を造り、2倍体、3倍体のアマゴを飼育するなど大活躍で、その技術はその後水産高校に進んだ息子さんに引き継がれ、今に至っています。

 佐藤さんは愛護班活動にも積極的に取り組み、愛媛県の愛護班連絡協議会の会長として活躍し、その功績で愛媛県文化功労章を受章しました。佐藤さんは私のメル友で、私のことを年下なのに「進兄」と呼び、毎月決まったように携帯電話で音信を伝え、二人で他愛ない話をしました。息子家族と同居し孫とのふれあいもあることを「これ以上の幸せはない」と喜んでいましたが、2年前に宇和町明間も西日本豪雨災害に遭い、心労が重なったのか、やせ型ながらあれほど元気だった体調を崩し、最後は誤嚥性肺炎で亡くなってしまいました。

 2年前豪雨災害の見舞いのために浜田さんと二人で佐藤さん宅を訪ねましたが、今回も浜田さんと二人で遺影との出会いとなってしまいました。運よく顔見知りの奥さんと息子さんも在宅だったので、香典と線香を供え冥福を祈りました。享年81歳という年齢は若いとは思いませんが、もっともっと長く生きて欲しいと思いました。

 佐藤さんの案内で希しくも10数年前のこの時期野山に分け入り、つるを頼りに自然薯を掘り、公民館の調理室ですりおろし、地元の有志と破顔一笑の大酒盛りをした思い出は忘れることはできません。南予人特有の開けっ広げな佐藤さんからの携帯電話が懐かしいこの頃です。

「お悔やみ欄 親友訃報 驚きぬ お別れせずに 悶々の日々」

「2年前 豪雨災害 お見舞いに 出かけた時は 元気だったが」

「進兄と 私を呼んで くれた人 今は冥途の 長い旅路に」

「また一人 私の親友 姿消す 今度は私? 順番近し」

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〇人間行脚の小さな旅(その2-野村町の井上登さん)

 滑床渓谷入り口にある松野町目黒の「あざみ野」という民宿に親友芝さんを訪ねたあと、私と浜田さんは鬼北町日吉や西予市城川を経由して、2人目の訪問者野村町釜川の井上登さん宅を訪ねました。井上さんと出会ったのはもう20年近くも前、えひめ地域政策研究センターが主催する地域づくり人養成講座でした。講師だった私と受講生だった井上さんが夜の交流会で意気投合したのは蜜蜂飼育についてでした。

蜜蜂の師匠井上登さんと同行した浜田さん

 井上さんは趣味で養蜂をやっていて、養蜂をやりたかった私は早速井上さんに師匠になってください」と懇願しました。井上さんは私の求めに応じ、当時は珍しかった蜜蜂の誘因に使う日本ランキンリョウヘンの切り花を人間牧場へ沢山持って来てくれ、一年目1升、二年目2升~五年目5升という私の目標をしっかりとサポートして、6年目には何と21升もの蜂蜜を収穫したのですから驚きです。そのことがご縁で私が塾長を務める年輪塾にも主力メンバーとして参加して、活躍をしてもらいました。

 井上さんは東京農大出身で都会に住んでいましたが、退職を機に野村町釜川に帰郷し、地域づくりグループ山奥組の会長などを務め、公民館んで子どもたちに論語教室を開き教えたりするなど大活躍でした。最近奥さんが体調を崩し介護が忙しく、出会いが遠のいていました。この日は自宅横のビニールハウス内で色々な話をしましたが、養蜂も中々手が回らず、どうしたものかと思案中でした。帰りにキンリョウヘンを5鉢もいただき持ち帰りました。

 私には吉川英治の言葉を借りれば「人皆わが師」であり、その中には師匠と呼ぶ人も沢山います。井上登さんは蜜蜂の師匠ですが、よく蜜蜂に刺される私を見て、「蜜蜂は愛情があれば刺されない。刺されるということはまだ愛情が足りない。これは人間社会にも通じる」と諭されました。蜜蜂一匹が集める蜂蜜は小さじ一杯にもなりません。自然の恵みに感謝して暮らすことの大切さを教えてくれた人です。あいにく奥さんはディサービスに出かけて留守でしたが、また訪ねて行きたい心境でした。

「峠道 幾つも越えて 野村町 蜜蜂師匠 久方出会い」

「頼み込み 師匠と弟子の 関係を 続けて10年 あっという間に」

「蜜蜂を 通じて 人の生き方を 教えてもらった 師匠は恩人」

「キンリョウヘン 5鉢も貰い ありがたや 早速ハウス 来年準備」

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人間牧場

〇腐葉土集め

 昨日から急に寒くなり、外は北西の季節風が吹き荒れています。こんな日はコタツに入りテレビを見たり読書をしたりすればいいのでしょうが、自称根っからの働き者なので、毎日いつものように朝4時に目を覚ましてブログを書き、朝5時になると1万歩を目指してひたすら1時間ほど歩きます。日ごろは1時間も歩くと汗ばみますが、昨日今日の寒さは真冬並みで、日本海側では積雪が1mにも達する所があるというから驚きです。

裏山で腐葉土集め

 昨日は息子に頼まれた梅の小枝を180本も調達して帰り、バケツに水を張って浸けましたが、その余勢を借り軽四トラックに先日ホームセンターで息子が買った、大きなポリ植木鉢を積んで裏山へ腐葉土を取りに出かけました。コンクリート舗装をしているとは言いながら、周囲のみかん園地がことごとく廃園となり、車が通ることも殆どないため、腐葉土が堆積して通ることも困難なので注意をしながら進み、お目当ての場所で腐葉土を集め植木鉢に入れて持ち帰りました。

 植木鉢がかなり大きいため、腐葉土を満杯に入れるとかなり重たく、荷台に乗せるのにかなり苦労しましたが、何とか無事ゲットして持ち帰り、一輪車に積んで庭の隅に置きました。庭には同じサイズの植木鉢が5個ありますが、クヌギの苗木をディスプレイ用に10本植えているものの大きくなり過ぎたため、年明け早々に海の見える丘に移植し、その空き鉢に新しいクヌギ苗を植える予定です。持ち帰った腐葉土を入れた鉢には息子がリンゴやプラムを植えて楽しむようです。

「植木鉢 トラック積んで 裏山に 腐葉土集め 小まめな作業」

「植木鉢 クヌギの苗木 植えてるが 大きくなり過ぎ 移植 代替え」

「植木鉢 リンゴやプラム 苗木植え 花は蜜蜂 果実は食用」

「植木鉢 庭が広いを 良いことに 次々増やし 園芸楽しむ」

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人間牧場

〇人間行脚の小さな旅(その1ー松野町目黒の芝さん)

 16年前人間牧場を造った時、まだ年輪塾も構想段階で開塾していないころ、関西汽船の営業課長だった浜田さんが、突然「人間牧場で年輪塾を開く折には是非入塾させてください」と文書願書を突き付けられました。以来浜田さんも私も人間牧場年輪塾生第1号を暗黙裡に標榜し、今日まで離れずの人間関係を保ちながら、様々な活動に参加しています。

私と浜田さん二人が「修行」と呼んでいる人間牧場の中心施設水平線の家の板間を、一年に2回掃除をしてワックスをかける作業ももう16年目となりました。お陰様で少し劣化の進む人間牧場も、水平線の家は訪れた人が驚くほど綺麗に保たれていて、これも浜田さんのお陰でもあり感謝に耐えません。

 そんなこんなで浜田さんとは折につけ他愛のない話をしながら過ごしていますが、間もなく70歳になる浜田さんと76歳の私の一致した意見として、かつての級友を訪ねる「人間行脚の旅」なるものを企画しました。その1番目に選んだのは松野町目黒の芝さんでした。昨日はわが家まで迎えに来てくれた浜田さん運転の車で、長浜~大洲~西予~宇和島三間を経由して目黒まで行きました

 目黒は滑床渓谷の入り口にある、高知県境西土佐に接る奥まった所にあります。松野町職員として森の国ホテルの開業に立ち会い、その後教育長を最後に役場職員を退職した後、奥さんと2人で古民家自宅を開放し、「あざみ野」という民宿を開業し営業していますが、昨年病気になり、加えて農作業中に耕運機に巻き込まれドクターヘリで宇和島市内の病院まで搬送され一命をとりとめ、今は多少不自由でも何とか一人で歩けるまでに回復しているようです。

 役場職員時代から数えるともう40年以上も付き合っている親しい関係なのに、驚くなかれ芝さんのお宅へはまだ一度も伺ったことがなく、今回も近所の人に道を訪ねつつ歩を進めましたが、ご夫婦ともども仲良く暮らしている姿を見て、大いに安心をしました。ちなみに民宿あざみ野は西田敏行・菊池桃子のナレーションでお馴染みの「人生の楽園」でも放映されました。

「40年 以上の級友 なのに何故 まだ訪問 してない不思議」

「あざみ野と 言う名の民宿 営んで 二人仲良く 人生楽園」

「病気怪我 あれこれあった 人生も 今となっては 笑い話に」

「景勝地 滑床渓谷 入り口に 高知西土佐 行く手看板」

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人間牧場

〇海の幸「サワラとハマチ」が届きました

 「天気予報によると来週は大時化になって漁に出れなくなるかも知れない」と言いながら、息子の同級生の漁師さんがサワラ2匹とハマチ1匹、それにでかいホウボウを1匹持って来てくれました。

 粗調理するのは通称「お魚じいちゃん」と呼ばれている私の仕事なので、早速出刃包丁を研いで粗調理に取り掛かりました。サワラは実の柔らかい魚なのでどういうことはありませんが、ハマチとホウボウは頭の骨が固く、特にハマチの頭を半分に割るのは相当力がいるので、いつも難儀をしています。

 サワラは息子家族が1本、私たち夫婦が一本、ハマチは大きかったので半分ずつ、ホウボウは貰った息子家族にそれぞれ3枚におろして渡しました。息子家族も私も魚大好き人間なので、これから2~3日の夕食は美食を味わえそうでホクホクです。

 最近は骨や匂いが嫌で魚を食べない子どもが増えているそうです。勿論その子どもたちは肉食派だそうです。最近焼き肉店では大豆を主原料にした代替肉を出す店が増えているとも聞きました。カロリーや脂肪が少なく、タンパク質は肉の2倍で見た目には動物肉と変わらない、大豆由来の代替肉が将来は主流を占めるとの予測もあるそうですが、私はそんな代替肉よりはるかに健康に良い魚を食べたいと思っています。

息子の同級生漁師さんが届けてくれた魚

「海時化る 予報を察知 その前に 獲れた魚を 届けてくれる」

「粗調理 私の担当 出刃包丁 砥石で研いで 3枚おろす」

「最近は 匂いや骨が ある魚 食べない子ども 増えているよう」

「最近は 焼き肉店で 出る肉に 大豆由来の 代替肉が」

 

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人間牧場

〇大洲市田処を訪ねる

 昨日の朝、息子から大洲市田処の亀本さん宅へ一緒に行こうと誘われました。私と亀本さんとは古い付き合いの親友なので出かけることにしました。息子は昨年大洲市田処の地域活性化センターで、亀本さんと映画二宮金次郎を上映する準備を進めていましたが、チラシや入場券まで準備をしていたのに、直前になって新型コロナの影響で中止とりましたが、コロナ問題が解決したら上映会を再開したいようです。

 大洲市田処へは中山経由で行く方法もありますが、朝が峠経由で向かいました。ところが朝が峠を下って2~3㎞降りると、県道の真ん中に通行止めの看板とゲートがあり、先へ進めなくなりました。仕方なく引き返し少し遠回りにはなりましたが、内子町石畳経由の道を選び、大洲市新谷から矢落川沿いの道を進み、田処の活性化センター付近から、亀本さん宅へ通じる道を走りました。亀本さん宅へは何度か行ったことがあるので、記憶を頼りに迷うことなく到着しました。

 亀本さんは酪農家で、10頭余りの乳牛を自宅横の牛舎で飼っています。そこで悲しい知らせを聞きました。毎年初夏の頃息子がカブトムシの幼虫をいただいている、養豚業を営んでいた石岡さんが前日心筋梗塞らしいのですが急逝したというのです。石岡さんは県無形文化財藤縄神楽のリーダとして活躍もされていました。68才で亡くなったそうですが、奥さんもよく知っているだけにやり切れない気持ちでいっぱいでした。息子は亀本さんに二宮金次郎のカレンダーを差し上げましたが、亀本さんからもまるで物々交換のような形で色々な物をいただきました。

 帰りはオズメッセで苗木用の大きいポリ植木鉢を購入し長浜経由で帰宅しました。息子の運転する車の中で行き帰り、日ごろ同居をしているといいながらお互い忙しくて話す機会はそんなに多くないので、親子で色々なことを話すことができいい半日となりました。

「久方に 朝が峠を 越えたけど 通行止めで 迂回の道を」

「親友の 牛舎を訪ね あれこれと 立ち話する 山里の秋」

「友人が 心筋梗塞 急逝の 訃報に接し 寂しかりけり」

「車中にて 親子で話す あれやこれ 同居と言いつつ 機会少なく」

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人間牧場

〇冬なのか?秋なのか?

 このところ四国愛媛県・伊予市・双海町では師走特有の季節風も吹かない好天が続き、すこぶる快適な日々を過ごしています。今朝などは少し薄着でウォーキングに出かけましたが、1時間も歩くと汗ばむほどの外気温でした。

満開の桜

 温暖化を実感するように、翠小学校から少し上流の唐子橋付近の県道沿いには、冬桜ながら何と桜の花が満開で、道行く人も足を止め、車を止めて見入っていました。勿論私も偶然通りかかり手持ちのタブレットで一枚写真を撮りました。

黄葉に染まった秋葉山

 そのついでに逆方向の秋葉山に目をやると、紅葉ならぬ黄葉に染まった何とも美しい山村の風景を見ました。

裏庭のヤマモミジの黄葉

 自宅に帰り庭を見ると、私が山取りして20年も大事に育てているヤマモミジが目の覚めるように黄葉していました。例年だと季節風が吹いて葉っぱを吹き飛ばせるのですが、今年はそれもなく見事な美しさです。

ブルーベリーの紅葉

 家庭菜園の隅に植えているブルーベリーも綺麗に紅葉しています。

黄葉に染まった夕暮れ時の本尊山

 わが家から見える、町のシンボル本尊山も綺麗に黄葉しています。秋なのか?冬なのか?、戸惑いながら季節の移ろいを楽しんでいる師走です。

「秋なのか? 冬なのだろうか? 近頃は 好天続き 周りの季節」

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