〇中庭の草取り
歳をとると「病院通いや買い物に便利な都会暮らしがいい」、「庭の手入れをしなくてもいいし、隣近所の煩わしい付き合いのないマンション暮らしがいい」という言葉をよく耳にするようになりました。田舎暮らしが好きで田舎に住んでいる私とは真逆の生き方は高齢者にとって、本当にいいのだろうか?と時々思うことがあります。
確かに田舎暮らしは便利さや煩わしさでは都会に負けますが、田舎暮らしには声掛けやお裾分け、助け合いなどなど、金に換えることのできない充実した生き方ができると思えば、これもまたよしの人生です。昨年近所のおばあちゃんが亡くなりました。残されたおじいちゃんをどうするか、身内でかなり議論がされたようですが、都会暮らしを嫌がるおじいちゃんの意見は無視され、結局は都会に住む息子に引き取られて行くことになりました。
漏れ聞く風の便りによるとおじいちゃんは、その後痴呆の症状も見られて夜間徘徊が始まり、行方不明になったそうです。警察に捜索願が出され探しましたが見つからなかったのに、どこをどうしたのか分かりませんがおじいちゃんは、住み慣れた自分のわが家に辿り着きました。その後は一人で広い屋敷に住んでいますが、徘徊も痴呆もなく元気に暮らしているようで、近所の人とゲートボールやラジオ体操を楽しんでいる姿を見ると、便利さだけでは片付かない何かがあるようです。
昨日わが家の中庭の草削りをしました。わが家は貧乏ながら、家の横の菜園を含めると660坪もあって家の周りの草引きや庭の手入れも半端ではないため、せめて息子たち家族のダイニングから見える中庭だけでも、生えた草を取るように口約束しているにもかかわらず、草が生えて見苦しいので、見かねたサンデー毎日の私がおせっかい草削りと相成った次第です。
息子家族が同居しているからこそ老後の人生が楽しいと思えば、また健康のためだと思えばどおってことはありません。すっかり綺麗になった中庭を、仕事や学校から帰った息子家族は見て大いに感謝され、昨晩は孫の沸かしてくれた一番風呂に入りました。
「年取ると 都会やマンション 便利だと 確かに思うが 私は嫌だ」
「住み慣れた わが家で暮らせる 幸せの お礼にあれこれ 昨日は草取り」
「これからは 100まで生きる 時代です よくよく考え 老後を楽しく」
「昨晩は 孫の沸かした 風呂にいる 一番風呂は 鼻歌交じり」