人間牧場

〇高知県黒潮町を訪ねる(その3)

 一昨日講演で高知県黒潮町を訪ねました。「黒潮町といえばカツオ」を連想するほど全国屈指の漁業の町で、年間水揚げ日本一を目指す9億円もするハイテク漁船の奮闘ぶりが、先日テレビ放映されていました。出かける時妻が、「黒潮町へ行ったらカツオのたたきを食べて帰りにはカツオをお土産に」何て冗談を言って送ってくれたほどでした。

大方の砂浜と太平洋
立派な避難やぐら
高台移転した立派な黒潮町庁舎

 しかし双海町から内子町~旧肱川町~旧日吉村~松野町~旧西土佐村~中村市を経由する往復350㎞の道すがらでは、カツオの「カ」の字にも会わず、太平洋を望む大方の砂浜近くのレストランでの食事も、講演先の配慮でハンバーグランチをご馳走になり、今回の講演小旅行ではカツオとのご縁もなく、少し心残りとなりました。

 高知県黒潮町の国道を走っていて目につくのは、何といっても鉄筋鉄骨のやぐらでした。あちらこちらにある茶色のやぐらは、想定される南海トラフ地震が起きた際、襲ってくるであろう津波から、住民が高台に逃げて一時的に身を守るる場所なのです。大きな被害を出した東日本大震災の教訓は、「まず高台へ逃げて自分の身を守る」ですが、それにしても凄い備えです。

 高台移転した黒潮町庁舎もまるでホテルのような立派さで、恐らく津波災害時には危機管理能力が存分に生かされるものと思われますが、いつ来るか分からない自然災害にどう向かい合えばいいのか、梅雨明け間近な青空に威風堂々と建っている避難やぐらを見ながら考えさせられました。

「高知まで 曲がりくねった 山道を 走って黒潮 太平洋へ」

「津波から 住民避難 するやぐら あちらこちらに 威風堂々」

「高台に 移転庁舎も ホテル並み いやはやご立派 感心しきり」

「カツオ町 期待をしたが 空振りに 今度行く時 必ずゲット」

 

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人間牧場

〇高知県黒潮町の障がい者支援施設誠心園(その2)

 昨日は私の長年の親友である高知県に住む乾健児さんの声掛けで、高知県黒潮町の障がい者支援施設誠心園へ講演に出かけました。乾さんとは彼が旧西土佐村教育委員会へ派遣社会教育主事として出向していた頃知り合いました。当時は役場に和田修三さんがいて足繁く西土佐村へ通い、西土佐村の殆どの集落を巡回講演をしたり、野塾という若い村づくり集団とは行ったり来たりの深い交流をしていました。

スクリーン越しに幹部職員に話す私
私の話を聞く幹部役職員

 乾さんが学校現場へ戻ってからもPTAや教員に何度か頼まれて講演に出かけたことも懐かしい思い出です。乾さんはその後県立幡多青少年の家や小学校に勤務し、5年前に校長先生を最後に教職を去りましたが、このほど請われて黒潮町にある障がい者支援施設誠心園の施設長になったようで、職員研修の相談があり、昨日と今日の2日間双海町へ4人の幹部職員で研修に来ることになっていましたが、あいにく高知県にコロナ陽性が出て、県外での研修が出来なくなったため、私が出向くことになりました。

 3蜜を避けたり、お互いがうつさない・うつらないよう細心の注意を払っての講演会でした。参加する幹部職員は全員マスク着用、手指消毒、直前検温などを行い、私もスクリーンの前で話をするという多少違和感はあったものの徹底ぶりでした。私は福祉や障がい者支援については門外なので、詳しいことは分からずほんの触り程度の話しかできませんでしたが、職員の心構えなどを存分に話すことができました。

 障がい者支援施設という言葉を聞いて、①守られる存在の人と守る存在の人というある意味閉ざされた双方向の親子関係や施設利用者と職員の世界をイメージしたこと、②最近は障がいを持ちながら、むしろ健常者の私たち以上に輝いて生きている人たちが多く、その生き方に共感共鳴することが多いこと、③障がい者は生きている限り家庭や社会において守られる存在であることは紛れもない事実であること、④障がいの程度に合わせて自立を支援することが何よりも重要であること、⑤障がい者は痴呆症が認知症になったように、何気なく使っているが障・害ではなく障・がいに改めるべきであること、⑥障がい者支援施設の中で常識と思われていることでも外から見れば非常識なことも多く、できれば外の風を入れ新しい風を吹かせて欲しいこと、⑦障がい者は守られる存在から願わくば自立する存在、地域に貢献する存在へと進化させなければならないこと、⑧そのためには他者にない潜在能力を見つけ、努力して開花させなければならない、そのためには施設職員がその役割を果たして欲しいこと、⑨何よりも大切な経済的な自立に向けて障がい者ビジネスや交流イベントを積極的に行って障がい者の心の窓を開けてあげて欲しいこと、⑩台風災害などの都度に思うのはで福祉施設の被害が特に甚甚大で、災害時コンプコンプライアンス機能がいかに働くか、日ごろから防災・減災に目をむけておかなければならないこと、⑪パラダイムシフトやパラダイムチェンジに必要なのは発想の転換、固定概念からの脱出、斬新なアイディアが必要なこと、⑫基本理念をしっかりと捉え組織がワンチームになるべきことなどを感じ、講演の中に入れて話しました。

「障がい者 支援施設に お邪魔して 思いつくまま 2時間喋る」

「三蜜を 避けてスクリーン 用意して 検温・マスク 手指も消毒」

「目に見えぬ コロナウイルス 恐れつつ 用・急ありて 他県へ出向く」

「どれほどの 人に逢ったか 数知れず 人の導き 私今ある」

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人間牧場

〇蜜蜂のその後

 このところ長引いて降る梅雨のため、その存在すらすっかり忘れていましたが、昨日は雨が上がったので、裏庭高台に置いている蜜蜂の巣箱の様子を見回りました。蜜蜂にとって蜜を求めて飛び回ることができにくい雨は余り好ましくなく、ましてやこんなジメジメで巣箱の底に湿気が溜まり、蜜蜂の天敵であるスムシが発生するので、梅雨でも上がれば防護網を被って巣箱の掃除をしなければなりません。

巣箱の前にたむろする日本蜜蜂

 今年は5月の連休頃に2箱蜜蜂が入居していますが、その一つの巣箱の入り口には沢山の蜜蜂がたむろしていました。これまでの経験からすると、巣箱の中の巣が大きくなったか、このところの湿った気温の上昇で、巣の中の温度が上がり外で羽根を動かして羽根休めしているかだと思うのですが、いずれにしても早く梅雨が上がって、カラッとした天気にならなければと、少し心配が増えました。

 昨日Facebook仲間が、日本蜜蜂の巣を西洋蜜蜂が襲ったという記事をアップしていて、興味深く驚きながら見ました。浅知恵な私には日本蜜蜂と西洋蜜蜂の違いなど一目見ただけでは分かりませんが、そういえば昨年人間牧場の巣箱で蜜蜂がブンブン飛び回り、大量の蜜蜂が死んだことを思い出し、あれが日本蜜蜂と西洋蜜蜂の戦争だったのかも知れないと思いました。間もなく蜜蜂の天敵であるスズメバチもやって来ます。気の抜けない日々が続きます。

「梅雨明けぬ 空を見上げて ため息が 蜜蜂巣箱 少し異常が」

「蜜蜂が 巣箱の前に たむろして 何か私に 異常を知らせ」

「スズメバチ 間もなく見山 する季節 新たな情報 西洋蜜蜂」

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人間牧場

〇ねえ、こっちを向いてよ!!

    長男息子は映画二宮金次郎の酒蔵上映会をきっかけに発足した中山町十彩会の皆さんと、休耕田を利用して1万本のヒマワリ畑を作っていますが、その折何本かの苗をいただいて帰ったものの植える場所に困り、結局私の菜園の一部を開放し家族みんなで植えました。折角なので恥ずかしくないように育てたいと思い、私一人で草引きを一回行いました。

菜園の横の通路からは花の裏側しか見えません

 長引く雨や大風にも会いましたが、その後私の背の高さをしのぐほど順調に成長し花をつけ、花が咲き始めました。ご存じの通りヒマワリは太陽に向かって咲くため朝は東に向かって咲きます。ところが今になって気がついたのですが、花の見える菜園横の通路は西側にあるため、花は全て恥ずかしそうに背を向けて咲くのです。

ヒマワリの花が綺麗に咲きました

 その話を息子にすると、「当たり前の話だ」と笑われましたが、花を見ようと崖側に行くと、綺麗な黄色いヒマワリの花が、一斉にこちらを向いて「おはよう」とあいさつをしてくれたようでした。ヒマワリは3ヶ所植えているので、端々のヒマワリは切り花にして室内でも楽しもうと、早速若嫁に2輪プレゼントしてやりました。ヒマワリの花があるだけで、何となくダイニングが華やいで見えました。

「わが息子 隣の町の 人たちと 1万本もの ヒマワリ畑」

「お裾分け 貰った苗を 菜園に 順調育ち 咲き始めたが」

「背を向けて 東に向かい 咲く花に こっち向いてと 言っても動じず」

「切り花の ヒマワリ2輪 部屋活ける 趣き違い 心和んで」

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〇自然は豊かなホスピタリティ

 昨日の夕方所用で海岸国道378号を車で走り、途中リニュアール工事で閉鎖中のシーサイド公園に立寄りました。100台以上駐車できる西駐車場は3分の1に仕切られ、既に工事用資材が運び込まれていますが、夕暮れ時になるとこれまでの慣例か何台もの車が出入りし、砂浜に面した公園内道路を散策する人の姿も何人かいました。

 私も中庭に置いている丸木舟の処分のため、この3~4日動いたためもう一度見ようと思いましたが、既に中庭にも中の様子を窺えない高い塀が出来ていて、最後の別れをすることができませんでした。私の毎日書いているブログを読んだ知人や友人から、温かいメッセージが寄せられ心が揺れ動きましたが、今となっては・・・・です。

 そんな心の乱れを見越したように、雲った西の空が急に明るくなり、雲の切れ目から夏の太陽が海を照らし始め、まるでスポットライトを当てたように海面がまばゆいほど輝き始めました。まさに降臨の海のようでした。最近思うところがあって、凡人ながら仏教の勉強をし始めているゆえ、こんな大宇宙や大自然の営みに、相通じる豊かなホスピタリティを感じました。

「丸木舟 ブログに書いて 騒がせた 心ざわめき 少し傷心」

「リニュアール 工事で閉鎖 道の駅 それでも人は 何故か集まる」

「西の空 光降臨 海面が 輝き始め 心洗われ」

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〇丸木舟の後片付け

 シーサイド公園の中庭に置いていた丸木舟の廃棄処分が決まりました。処分か保存かで紆余曲折があり、かなり自分なりの葛藤がありましたが、形あるものは必ず壊れると思い諦めてからは、心のモヤモヤが晴れたようです。それでも「今やれる青春」とばかりにやった青春時代の思い出の痕跡だけでもと思い、まるでゴミでも拾うように丸木舟の舵櫓と大入りの看板を持ち帰りました。

海舟館の展示室
展示した舵櫓
展示した大入り看板

 たわしで25年余の積もった埃を落として水洗いし東屋の木陰で乾燥させ、昨日は半日をかけてワックス処理をした舵櫓と大入り看板を、家の横の海の資料館「海舟館」の展示室に収蔵展示しました。展示室はかなり狭く、中に入れるだけでも一苦労しましたが、先月シーサイド公園から持ち帰った丸木舟の航海風景写真との相性もぴったりで、手前味噌ながらいい展示ができて、物語の続編が完成しました。

 昨日は「海舟館」で一人半日を過ごしました。親父が存命中は何かにつけて親父とあれやこれや、展示について話したり手伝ったりしていましたが、今となってはその相手もいないので、親父の遺品ともいえる、親父が作ったり私と二人で収集した幾つかの展示物を、さてこれからどうするか?、思いを巡らせました。幸い私の跡継ぎたる私の長男も私と同居しているので、次世代へ受け継げるようですが、さてその次はどうなるか・・・です。

「丸木舟 紆余曲折が あったけど 廃棄処分が 決まり何とか」

「青春の 思い出残す 舵櫓だけ 水洗いして 資料館展示」

「半日を かけて展示の あれやこれ 親父の遺品 私の遺品?」

「暇を見て 海舟館を 見直して しっかり伝承 展示色々」

 

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〇灰色の世界

 このところ新型コロナウイルスの影響で日本全体、いや自分の身の回りもまるで灰色の世界になったようで気が滅入っています。コロナを移さない、コロナにうつらないよう出会う殆どの人は、言葉を発したり笑顔が見えないように顔の半分をマスクで覆い、顔見知りの人でさえ声を聴いてもどこの誰だか分からず、人目を避けるように前かがみで歩いているようです。

オニユリの花

 加えてこの一ヶ月は熊本を中心に未曽有の大被害を出した大雨が降り続き、菜園も太陽が雲や雨に隠れたままなので枯れ始め、まさに灰色の世界といったところです。救いはけなげに庭の片隅で咲く草花で、ヒオウギスイセンの鮮やかなオレンジ色、今年から挿し木苗が花を咲かせ始めた真っ赤な芙蓉の花が、灰色の中で元気をくれています。

 夏が来ると咲く花の中で、草刈りの時刈らずに残しておいた花にホタルブクロとオニユリがあります。ホタルブクロの花は白色ですが、オニユリはオレンジ色で、この花を見ると毎年「ああ夏が来た」と思います。日暮ゼミの「カナカナカナ~」と鈍い金属音のように聞こえる音も灰色の世界を演出していますが、あと3~4日して梅雨が明ければ、賑やかなセミの声が聞こえてくることでしょう。眩しい夏の太陽、黙々と湧く白い入道雲、太陽に向かって咲く黄色いヒマワリの花が待ち遠しい今日この頃です。

「コロナ禍で 気分灰色 会う人も 全員マスク 無口で過ぎ去る」

「梅雨の雨 見える景色も 灰色で 気分が滅入る 昨日も今日も」

「赤芙蓉 オレンジオニユリ 見ていると 少し元気が 復活するよう」

「暑くとも ギラギラ太陽 入道雲 ヒマワリの花 夏よ早う来い」

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〇てかがみの取り持つご縁

 今朝の愛媛新聞朝刊16面は、殆ど全紙を使った「てかがみ特集」でした。それによると6月24日から7月23日までの1ヶ月間の投稿数は112通とのことですが、本日の紙面には11人の記事が紹介されていました。女性限定の450字程度の短い記事ながら、また酔う私は男性ながら毎日毎回楽しく読ませてもらっています。

 特に友人である大洲市新谷町の徳田糸江さんと、松山市中島町の古野セキエさんの記事はいつも感心しながら読ませてもらっています。今朝も新聞をめくると古野セキエさんの記事が載っていたので、いつものように妻に読んで聞かせた後、一人暮らしの古野さんに電話を入れました。「生きとるかい」と話しかけると、「生きとるよ」と弾んだ声が返って来ました。

 ひとしきり世間話をして電話を切ると、間もなく伊方町瀬戸に住む友人の緒方さんという女性から電話がかかりました。緒方さんとは不思議なご縁があり、私が現職の頃シーサイド公園の掃除をしている最中、緒方さんの友人である松山市南吉田に住む西岡さんという女性と2人で、立派な花束をプレゼントしてくれました。以来毎年10月3日の私の誕生日には2人揃って花束を持ってやって来るのです。

 悪いからと何度かお断りをしましたが、それでも毎年誕生日の花束が届いています。実は昨日私たち夫婦は所用で大洲市まで出かけました。何と何とその折緒方さんたち夫婦の車の前を私たち夫婦の乗った軽四トラックが走っていたのを見かけたそうです。昨年も瀬戸町に住む妻の同級生の家へ行く途中、伊方の道の駅きららで前触れもなく偶然出会ったりしましたが、聞けば緒方さんは今朝私と同じ時間頃に、古野さんのてかがみの記事を読んだらしいのです。

 古野さんと同じ川柳グループに所属している緒方さんは、古野さんの川柳やてかがみの大フアンのようでした。昨年に続いて古野さんの住んでる中島町へ出かける時には是非行きましょうとお誘いしました。喜んでご一緒したいとのことでした。いやいやご縁は深くなるばかりです。「老いをみつめて」という古野さんのてかがみ投稿記事は、意外にも新しい出会いを予感させる縁結びに発展しそうです。嬉しいですね。

「同じ日の 同じ時間に 同じ記事 読んだと電話 これまた奇遇」

「日和には 沖合見える 中島に 古き友人 住んで暮らして」

「年老いて なお文章を 書き綴り 投稿するは 凄い生き方」

「せちがらい 世の中だけど あちこちに 心許せる 友人有りて」

古野さんがてかがみ欄に投稿した記事

 

 

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〇冷蔵庫の買い替え

 最近わが家の冷蔵庫に少し異変を感じるようになったと妻が言うのです。20年前に買った冷蔵庫なので保証期限などもうとっくに過ぎているし、修理を頼めば電器屋さんから「部品がない」とか、「新しいのを如何ですか」といわれそうなので、「そろそろ寿命かな?」と、妻も覚悟をしたようでした。

左は古い冷蔵庫、右は新しい冷蔵庫
裏庭の窓から入れる新しい冷蔵庫
新しい冷蔵庫の室内移動

 このことを子どもたちに話すと、長女と長男が4人の兄弟に相談したようで、みんなでお金を出し合いプレゼントしてくれるとのことでした。長女は2人の子ども、次男も1人の子どもを抱え最近家を新築したばかりだし、長男も私たちと同居と言えど2人の子どもを育てたり最近車の買い替えをするようで、何かと出費がかさむ中での追い打ち出費は大変だと思いつつ、甘んじて申し出を受けることにしました。

 先日冷蔵庫を置く場所の寸法を長男が測って、妻と息子が買いに出かけた冷蔵庫が、昨日の夕方わが家へ届きました。妻は古い冷蔵庫に収納している中身を取り出し、一旦発泡スチロール箱に溶けないように入れて空にして、裏庭の窓から外に出しました。代りに新品の冷蔵庫が運び込まれ、定位置に収まりましたが、妻は夜遅くまでかかって、収納をし終えたようでした。

 新しい冷蔵庫が届けば主婦が喜び、新しいテレビが届けば夫が歓ぶそうですが、家電製品の寿命はおおむね長くて10年だそうです。10年後私たち夫婦2人が生きていれば、私は85歳で妻が84歳の予定ですが、もう一度冷蔵庫を買い替えれるかどうか・・・。それにしてもあの重い冷蔵庫をいとも簡単に一人で持ち上げて設置や改修をする、まるでポパイのような力持ちの店員さんの姿に、「さすが餅屋は餅屋だ」と感心した一日でした。

「冷蔵庫 不具合生じ 買い替えを 年金暮らしにゃ 痛い出費だ」

「冷蔵庫 子どもが相談 プレゼント 親孝行の つもりでしょうか」

「20年 使って愛着 冷蔵庫 下取りされて 行く先どちら?」

「冷蔵庫 いとも簡単 持ち上げる まるでポパイの ような店員」

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〇久しぶりの砥部町訪問

 かつて砥部町は松前町・広田村・中山町・双海町とともに同じ伊予郡だったため、何かにつけて行く機会や交流も多かったのですが、平成の大合併以降の最近は余り行く機会がなく、国道33号線を通る時通過する程度になってしまいました。

砥部町分館長研修会
久しぶりの砥部町

 昨日の夕方、砥部町中央公民館からお声がかかり、分館長研修会に招かれ出かけて行きました。聞けば中央公民館施設は9億円余りの巨費を投じてリニュアール工事が行われ、今年の春にリニュアールオープンしたばかりのようで素晴らしく、かつての面影は殆どなくなっていました。

 コロナ禍の時節ゆえ、会議室入り口では係員がピストル型検温器で体温を測ったり、マスク着用をチェックしたりしていました。かく言う私もマスクをして臨みましたが、マスクをすると講義の声が聞こえにくくなるし1時間を超えた長丁場なので、演題と参加者との距離を広く取って蜜にならないよう配慮し、マスクなしでお話をしました。

 参加者は全員マスクをしているので顔の表情や、私の講義への反応を確認するのが難しく、自己満足でしか確認できませんでした。それでも帰り際参加した女性から「楽しいお話でした。是非一度人間牧場や煙会所へ行きたい」と声をかけられました。

 講演が終わって帰宅途中、県道付近で パトカーが何台も赤色灯をつけて止まり、渋滞が起こっていました。今朝の新聞だと付近で悲しい死亡事故(私と同じ75歳の高齢者)があったようで納得しました。ちなみに昨日は土用丑の日で 帰宅して食べたわが家の夕食メニューはウナギのかば焼きでした。

「リニュアール 工事を終えた 公民館 昔面影 殆どなくて」

「研修会 会場入り口 検温器 全員マスク 異様な雰囲気」

「マスクにて 顔を隠して いるゆえに 反応どうか 知る由もなし」

「帰り際 楽しかったと 声かかる また会う約束 嬉しい反応」

 

 

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