人間牧場

〇ああ上野駅

 昨日の夕方、シーサイド公園へ立ち寄りました。昨日は天気予報の雨や曇りが少し遅れて、うっとうしい一日でしたが、夕日夕焼けはとても素晴らしく、場所を変えながら夕日散策となりました。夕日が見えるかどうか分からないこんな日は、見学者もまばらだったので、童謡の小路の歌碑を巡りながら、ポケットに忍ばせたハーモニカを取り出して、憶目もなく吹きました。

別れ・・・
涙・・・
ハーモニカ・・・
昨日の夕日

そこを通りかかった私と同じような年配の夫婦が、私のハーモニカを聞くでもなく聞いていたのか、拍手をしてくれました。私「拍手をしてくれてありがとうございます。どこから来たの?」「松山から来ました」と会話を交わし、2~3曲得意な曲を吹いて欲しいとリクエストがありました。「まあいいか」と思いつくままに「赤とんぼ」「月の砂漠」「ああ上野駅」を吹きました。

 時あたかも暮れなずむ夕日夕焼けをバックに吹く、ハーモニカの音色が心に染みたのかご夫婦は大きな拍手をし、お礼だと持っていたビニール袋から、売店で買ったばかりのお菓子を取り出して私にいただきました。聞けばご夫婦ともども中学校を卒業すると、集団就職列車に乗って大阪へ就職をしたそうで、井沢八郎の「ああ上野駅」という歌には殊の外思い出があるそうでした。

 思わぬハプニングに私も、勿論その夫婦もすっかり驚きながら、会話は大いに弾みました。間もなく終わる予定の平成という時代も早30年が矢のように過ぎ、昭和は遠くなりにけりで、「ああ上野駅」という歌を知っている人も段々少なくなりつつありますが、私は集団就職列車には乗っていないものの、集団就職列車に乗って都会を目指した同級生を下灘駅まで見送り、涙を流して別れた経験があるだけに、「ああ上野駅」は私にとっても忘れることの出来な一曲なのです。

「夕日見つ ポケット入れた ハーモニカ 取り出しそっと 吹いてひと時」

「ハーモニカ 聞いた近くの ご夫婦が 拍手してくれ リクエストまで」

「懐かしい ああ上野駅 吹きました 聞けば二人も 集団就職」

「平成も 間もなく終わる 昭和など 遠い昔の 出来事のよう」

 

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人間牧場

〇鳥との共存

 わが家の庭には、実のなる木が幾つか植えられています。クロガネモチ、南天、マンリョウ、センリョウ、ヒャクリョウなどの観賞用に加え、ブルーベリーやスモモ、かんきつ類などの食用を加えると、かなりの数に上ります。観賞用は庭に植えると縁起が良いとされるものは殆ど植えていて、クロガネモチなどは「クロ」を取ると「カネモチ」とも読めるのに、一向に金持ちにはならず、相変わらずの貧乏暮らしです。

真っ赤な実をつけた庭の南天

 庭には白・赤・細葉など何種類かの南天の木があります。植えたものの他、植えた記憶がないのに、鳥が啄み糞と一緒に落としたものが芽吹いて、「よくぞここまで」と思われる石垣の間に成長したど根性南天も、この時期真っ赤な実をつけています。見ごろはもう少し先だと思うのですが、里山に餌がなくなり始めると、沢山の小鳥が飛んで来て、一日で食べ尽くして跡形もなくなくなってしまうのです。

折角色づいた南天の真っ赤な実を野鳥に食べられないよう、防鳥ネットを張ることも考えなくはありませんが、鳥が運んでくれた種のお陰で、こうして南天の真っ赤な実を一時期にせよ鑑賞できるのですから、それはそれで良しとして鳥たちにプレゼントすべきだと、殊勝なことを考えていますが、今朝外に出て南天の木をよ~く見ると、早くも啄んだ後か確認できました。昼間は私以外在宅気配もないので、わが家の庭は野鳥の天国となります。それもまた良しで、鳥の泥棒許します。

「わが家庭 クロガネモチを 植えてるが 金持ちならず 貧乏甘んじ」

「植えたこと 記憶ないけど 石垣に 南天生えて 大きくなりぬ」

「南天に 真っ赤な実がなり 秋色に 染まり風情を 今朝も楽しむ」

「何日か すると南天 鳥たちの 餌食になって 跡形もなく」

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人間牧場

〇来年も引き続いてと言われても「う~ん」

 一方では「まだまだ若い!!」と思う反面、日々の暮らしの中で迫りくる老いを、少しづつ感じ始めている私ですが、元町長さんの勧めもあって、今年の9月から聖カタリナ大学の非常勤講師をすることになりました。35年間役場に勤めて行政の現場で一生懸命働いたものの、私の与えられた講義名は「行政学」ゆえ、ましてや2時間15コマを15コマ30時間話すことなど、到底できる訳がないと、何度もお断りをしましたが聞き入れてもらえず、その強引さに負けて渋々引き受けることとなりました。

 講義の組み立てやシラバス提出、講義レジメの準備など、幾つもの立ちはだかる壁を感じながら、9月から始まる後期授業に向けて忙しい日々を過ごし、やっと9月26日の初回の講義を緊張の面持ちで終えたものの、聖カタリナ大学のキャンバスは松山市北条で自宅から遠く、毎週水曜日の13時からの講義のため、片道1時間30分往復3時間の長い通学時間を想定に入れ、何とか忙しいスケジュールをこなしています。

 特に10月は曜日の関係で3日・10日・17日・24日・31日と一月に5回も講義日があり、青色吐息と言ったところでしたが、昨日半分折り返しに近い7回目の講義をやっと終え、少し先が見えて来たようです。ところが昨日の講義前に講師控室へ教務課長さんが見えられ、来年度も引き続いて講義をして欲しいと、手続き資料を渡され説明しながら懇願されました。今年度の授業もまだ半分も終わっていない段階なので、話を「保留」にして帰りましたが、「う~ん」です。

 自信の持てないことは不安なものです。一方で今回のようにチャレンジすれば道は何とか開けそうな気もしますが、浅学菲才ゆえ余り無理な背伸びをすると、大やけどをするかも知れません。はてさてどうしたものか、昨晩夕食をしながら妻にそのことを話しましたが、この数ヶ月書斎にこもって講義のための勉強をしたり、レジメを作ったり、また毎週水曜日の講義日に緊張の面持ちで出かける私を傍で見ているので、「余り無理をしない方がいい」となだめてくれました。やはり正直なところ「う~ん」です。

「背伸びして 浅学菲才 感じつも 非常勤講師 断り切れずに」

「水曜日 往復遠い 3時間 大学通い 講義してるが」

「半分が やっと終わった 思ったに 来年続いて 青天霹靂」

「保留して 自宅に帰り 妻相談 無理をするなと 言われて『ウ~ン』」

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人間牧場

〇地元保育園でのボランティア

 半年ほど前、地元下灘保育所の成本園長先生から、「11月頃園児のおじいちゃんやおばあちゃんと遊びを通したふれあい集会をやりたいので指導をしたり相談に乗ってくれない」と相談を受けました。園長先生のお父さんは私が小学校4年生の時の担任だったこともあるし、前任地上灘保育所の園長だった時には孫が通っていたよしみもあって、園児の餅つき大会も手臼のボランティアをやった経験で懇意にしていることから、一も二もなく「いいよ」と引き受けていました。

焚火をして焼き芋を作りました
焼き芋は上手に焼けてホクホクでした
美味しい連発でした
カッポ下駄作り
ドングリ駒作り
楽しい野外昼食会

 「そろそろ近づいて来たので相談したい」と、先月園長さんから私信ハガキが届きました。「まだまだ先のことだと思っていたのに、もうそんな季節か!!」と驚き、早速子ども体験塾の準備をするため人間牧場へ出かけた折、下灘保育所を訪問してあれやこれやと二人で考えました。大まかなメニューは竹のカッポ下駄作り、ドングリ駒作り、落ち葉で焼き芋をすることになり、役割分担をしました。

 保育所の先生は全員女性なので、竹を竹藪から切り出し加工する準備、とドングリ拾いは行き掛かり上私の役目となりました。私は早速近所の竹林に出かけ、頃合な竹を3本切り出し、竹節の具合を見ながら、鋸で10㎝程の長さに切り、竹を1対ずつ25人分作り、同じような高さと大きさを選んで「1・1、2・2,3・3」とマジックインキで番号を打ち、キャリーに行儀よく並べ入れ、1週間前に保育所へ運びました。また近くの大きなクヌギの木の下へ出かけてドングリを拾い集め準備完了です。

 昨日は9時過ぎに参観が開会し、10時から狭い運動場に園児もおじいちゃんやおばあちゃんも出て、焼き芋準備、カッポ下駄作り、ドングリ駒作りに挑戦しました。家から持って行った延長コードに電動ドリルを差し込み、竹に穴を開けビニールひもを通すだけの簡単作業でしたが、結構楽しくワイワイガヤガヤやっていました。年長さんは早くも出来上がったばかりにカッポ下駄に乗って、園内を楽しそうに歩き回って遊んでいました。運動場の隅に穴を掘り、子どもが集めたという小枝や落ち葉に火をつけておき火を作り、水で濡らした新聞紙やアルミホイルで包み火の中へ入れて焼いたサツマイモも上手に焼けていました。

 その後運動場で昼食パーティをしましたが、世代を超えた爽やかな交流ができました。私もボランティアとして参加して、準備やあれやこれやの運営に関わり、とても楽しいひと時を過ごさせてもらいました。私にできるささやかなボランティア活動でした。園児数は僅か25人の小さな保育所ですが、子どもたちの声に癒されました。最後に園児代表二人が先導し「進ちゃん、今日は色々なことをしてくれてありがとう」と大きな声でお礼を言ってくれました。

「じいちゃんや ばあちゃん集まる 保育所で 得意の分野 ボランティアする」

「竹やぶで 切った青竹 カッポ下駄 ドングリゴマも 子ども大好き」

「運動場 集めた落ち葉 小枝燃し お芋を焼いて 破顔一笑」

「人数が 年々減少 保育園 それでもみんな 元気の育つ」

 

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人間牧場

〇里山復活活動を始める

 私の住んでる双海町はご多分に漏れず過疎や高齢化、少子化の進む田舎です。車に乗れるので別に不便ではありませんが、山里には空き家や耕作放棄地が目立ち、この時期はそのことが一目で分かるように、公害草と呼んでいるセイタカアワダチソウの黄色い花や、カズラに覆われた所が多くなっています。

3年前に貰ったクヌギの苗木
植えたクヌギ苗は順調に育っています
もう4~5年もすれば落ち葉ストッカーもクヌギ林の中になるかも・・・

 何とかしたいと思うものの、思うに任せるほど田舎のマンパワー残量も少なく、荒れの進む里山をため息を吐きながら見つめていますが、それでも何とかしたいという思いが頭を持ち上げ、2~3年前から小さな自分でできる里山復活実験を、息子と2人で始めてます。きっかけは人間牧場に手造りした落ち葉ストッカーを使ったカブト虫養殖でした。

昨年と今年、息子はストッカーで養殖したカブト虫を100匹以上採取し、夏休みで帰省した子どもたちに、松山空港ロビーで無償配布し喜ばれました。3年前近所に住む友人の大野さんがドングリの実から育てたクヌギの木の苗木を、10本いただきました。それを落ち葉ストッカー横の斜面に植樹したところ、2~3本は草刈り機の餌食になったものの、適地だったのか残りは順調に育ち、早くも背丈ほどに成長しています。

 今年は松山にある護国神社の裏山や、近所のクヌギの木の下で拾い集めたドングリを、プランターに種として蒔いています。発芽が楽しみですが、来年からは本格的にクヌギの苗をドングリから育て、わが家所有の山を開墾して植えようと思っています。クヌギの木は成長が早く、15年で成木になるそうです。私の年齢から考えるとこの木が成木になって天を覆い、伐採できる90歳の年齢まで生きているかどうかそれは疑問ですが、多分一緒に植える息子が引き継いでくれるものと思っています。気の長~いクヌギの木のお話です。

「里山を 復活しようと ドングリを 拾い集めて 種として蒔く」

「3年前 貰って植えた クヌギ苗 その後順調 育って背丈」

「里山が 荒れた姿は もの寂し 何とかしたいが 何とも出来ぬ」

「苗植える? いつまで生きる つもりなん? 植えれば育つ 夢を託して」

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人間牧場

〇公民館祭りにおける史談会の方言展示

私が会長をしている双海史談会では、今年方言の学習をしていますが、折角学習したのだから公民館祭りに展示してはどうかということになり、事務局長の中尾さんが学習した方言を丹念にメモして、忙しいのによくぞここまでと思うほど大量の方言と意味、それらの使い方をイラスト入りでデーター処理してくれました。

展示した方言

それらを隅田公民館主事さんにプリントアウトしてもらい、早速下灘公民館祭りの会場である下灘体育館に展示するため前日2日に数人が集まり準備をしました。私は所用があって公民館祭りの当日は会場へ出かけることができませんでしたが、聞くところによると皆さんの関心も高く盛会のようでした。

今週末には上灘地区でも公民館まつりが開かれ、同じような準備をし同じように展示する計画なので手伝いをしなければなりません。願わくば展示したデーターに更に手を加え、「双海の方言集」みたいな印刷物を作ってみたいと思っています。

「何回か 学習会で 議論した データー上手く 展示資料に」

「忙しい 人ほどそれを 乗り越える 感心しつつ データー一目」

「方言集 どこかで費用 工面して 作ってみたい 夢を形に」

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〇猫に小判

 私は5人兄弟の2番目長男です。すぐ下の弟は、南紀白浜に近い和歌山県古座川町に住んでいますが、姉・妹・弟の3人は町内に住んでいて今のところ健在です。4年前に亡くなった親父は骨董が趣味だけでなく、石や木にも興味があって、亡くなった今も家の至る所に親父の遺した遺物があり、長男たる私がその後を引き継いでいます。

姉の家から里帰りしたケヤキのテーブル

親父は存命中家の横の倉庫を改造して、海の資料館「海舟館」を造ってその殆どを散逸しないように収蔵していますが、親父はわが子が家を建てた度に惜しげもなく、幾つかの自作品をプレゼントしていたようですが、最近私の兄弟もそれぞれいい歳になって、終活のために断捨離をするようになりました。

 その結果親父から貰った置物や、ケヤキのテーブルの置き場に困り、挙句の果ては棄てるのは勿体ないと私の元へ返しに来るのです。その度私は家のあちこちを片付け置き場所を見つけていますが、弟に続いて今度は近くに住む姉から、ケヤキのテーブルを返したいと申し出がありました。早速軽四トラックで出かけ持ち帰りました。

 ケヤキの一枚板テーブルは一人では持ち運びできないほどの重さで、積む時は姉が手伝いましたが、自宅に戻ってからは私一人が一輪車を使って海舟館の入り口まで運び、中へは傷をつけないよう一寸刻みでやっとこさとりあえず運び込みました。暇を見つけて磨こうと思っていますが、「猫に小判」とはよく言ったもので、姉も弟もケヤキのテーブルの値打ちを知らないようです。

「わが息子 娘にそれぞれ お祝いに 親父贈った あれこれが 断捨離終活 里帰りする」

「諺で 猫に小判と 言うのあり 姉や弟 値打ちも知らず」

「今は亡き 親父聞いたら 嘆くはず こんな子どもに 育てた覚え」

「ヨッコラショ ぎっくり腰に ならぬよう 一輪車にて 部屋まで運ぶ」 

 

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〇県立松山工業高校の松工祭に出かけました

昨日と今日の二日間、私が学校評議員会委員を務めている愛媛県立松山工業高校では、松工祭という文化祭が行われています。例年だと一日限りですが、来年創立120周年を迎えるプレとして、今年は二日間にわたって盛りだくさんの行事が行われ、昨日は生徒の弁論大会を拝聴しに出かけました。

松工の正面玄関
松工祭の弁論大会
発表した3人の生徒

生徒数40人×9クラス×3年=1,080人という比較的規模の大きな学校なので、いつもながら会場の体育館は熱気に包まれていて、選ばれた8人の弁士が次々壇上に立ち、熱弁をふるいました。主張それぞれはバラエティに富んでいて、「建築の魅力と可能性」「声を届ける」「努力・感謝・笑顔」「私と電子機械は共に」「人工地震とCCSの関係」「私の平穏生活・・・エ?」「アキラ120%」「常に挑戦者たれ」に深い感動を覚えました。

先生たち審査員の審査の結果情報電子化3年厚朴里音さんの「声を届ける」が最優秀賞に選ばれました。一人3分という限られた短い時間での発表でしたが、かつて私も第14回NHK青年の主張愛媛県大会で同じように壇上に立ち、興奮の中5分間の発表をした当時の思い出が蘇りました。

「松工祭 案内受けて 参加する 弁論大会 白熱主張」

「最優秀 優秀ともに 女子生徒 男子見劣り 世相反映」

「50年 前に壇上 主張した 自分と比較 比べようもなく」

「目標を 持って生きてる 生徒たち やがて大成 大きな拍手」

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〇秋の深まり

 秋が深まり、野山には野菊の白い花やツワブキの黄色い花が咲き始めました。特にわが町は瀬戸内海に面した暖地ゆえ、どこかしことなくツワブキの花が多く、これまで雑草に覆われてツワブキの存在すら見えなかったのに、「こんなにもツワブキがあるのか?」と驚くほどです。

清楚に咲く黄色いツワブキの花
ブルーベリーの葉っぱも紅葉し始めました

ツワブキは普通庭石の置かれた隅に、ひっそりと植えられて、庭木などに隠れてその存在は石や木の引き立て脇役ですが、私たちの町では春先綿毛を被った新芽が出れば、引き抜いて皮を剥ぎ食用にするため、畑で栽培している人もいるようです。ゆえに植えているのか自然に生えているのか判断が難しく、時々トラブルもあるようです。

都会に住んでいる人が、時々山菜採りと称してツワブキを採りに来ます。中には公園内や国道の緑地帯に植えているツワブキも、お構いなしに引き抜いて持ち帰ります。時々その現場を目撃して柔ら諭すように「植えているので採らないでください」と注意をすると、「どこに名前を書いているのか!!」と逆切れする一幕もあるようです。

 ツワブキも黄色いツワブキの花も野にあってこその美しさですが、いやはや風流を楽しむ余裕などないような人たちには心が痛みます。最近はダニの被害が報告されるようになり、幾分下火になりました。ツワブキの花が咲く傍ではブルーベリーの紅葉も見事で、秋を彩ってくれています。

「ツワブキの 黄色い花が 清楚咲く 秋も深まり 朝夕冷え込む」

「雑草に 埋もれ日ごろは 気づかぬが 黄色い花が 在処知らせる」

「牧場の ブルーベリーも 色づいて カラス4~5匹 長閑にカァ~カァ~」

「冬ごもり 準備かアリも 忙しげに 大きな荷物 背負い行列」

 

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〇ふるさとの訛りで喋る立ち話

 夜が明けるのが随分遅くなりました。今朝は普段の日より少し遅めの午前5時30分に、1日1万歩を目指すウォーキングに出かけました。それでも外はまだ暗くLEDの懐中電灯を持参しました。時折県道を通る車は猛スピードで走っているので、自分の存在に気がついて欲しいと、反射板の付いたタスキも肩にぶら下げていますが、効果があるのかないのか分からない状態です。

30分遅れただけなのに、毎朝出会う人とは顔ぶれが違っていて、少し新鮮さを感じました。私と同じお年を召したYさんは、先日下灘コミセンで開かれた赤十字奉仕団の講演会で私の話を聞いたことを話題にして、「いいお話でした」と褒めてくれました。高村電器店から引き返して歩いていると、これまた同じ年代のKさんに出会いました。この方もYさんと同じように私の話を聞いていたので、またしばらくの間立ち話をしました。

 驚いたことに二人ともあの時話した「1・10・100・1000・10000」の話が余程心に残っているらしく、明くる日からそのことを意識して暮らすようになったそうです。1=一日一回のお通じ、10=一日に10人の人に出会って会話をする、100=一日100文字書く、1000=一日1000文字読む、10000=一日に10000歩歩くです。何気なく暮らす日々ですが、こんな小さな目標を持って生きることも大切だと、浅学な私の話でもしっかり実践してくれていることに、とても嬉しくなりました。

「毎日の 歩きの時間 変ったら 出会う人顔 違いおもろい」

「講演で 私が言った あれやこれ 早速実行 嬉しくなって」

「何気ない 日々の暮らしに 彩を その気になれば 結構楽しい」

「Yさんと Kさん出会い 立ち話 ふるさと訛り 心安らぐ」

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