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◯沖縄への講演旅行(その2)

昨日は午前中松山市道後のにぎたつ会館で愛媛県金銭・金融教育研究協議会の研修会がありました。小学校分科会の助言を訳を言って少し早めてもらい、取るものもとりあえず松山空港に向かい、コナンパーキングに車を置き、30分前にチェックインを済ませ、経由地福岡空港で乗り継ぎ、沖縄行きの飛行機に無事乗ることができました。

福岡を飛び立った飛行機は鹿児島の錦江湾に浮かぶ、噴煙上がる桜島や薩摩富士開聞岳を眼科に見ながら海の上を飛び、30分遅れて那覇空港に到着しました。空港には「若松進一」と書いた札を掲げて安座間さんが迎えに来てくれていました。その足で国際通り近くのホテルにチェックインしました。

昨日の朝双海町では気温が10℃でした。寒いかも?と長袖のシャツを着ていたのに、沖縄の外気温は24℃程度で、少し蒸し暑く感じました。宮古島出身の安座間さんの肝入で前泊している宮古島の人たちとの、夕食交流会に参加させてもらいました。

元風呂屋だったという面白い設えの居酒屋で2時間半、美味しい沖縄料理を食べながら大いに盛り上がりました。「お通し」という宮古島独特の島酒泡盛の回し飲みする姿を目を白黒させながら見ていましたが、凄いの一言でした。酒を飲まない私はノンアルコールのビールとウーロン茶ですっかり酔った雰囲気になり、温かい交流会となりました。

「沖縄は 気温夏日の 楽園で 冬でもアロハ 県庁職員」

「お通しと 言う独特の 回し飲みを 宮古の人は 島酒日常」

「方言で 話す言葉は 解らない ここは日本だ 通訳必要」

「酒飲まぬ 私も酔った 雰囲気に いい交流が 出来て嬉しい」

楽しかった交流会

 

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〇JR予讃線海岸周り(その4―列車の旅)

一昨日は子ども体験塾のプログラムで、隣町長浜町をゆっくりのんびり子どもたちと散策しました。目的地は長浜高校水族館、長浜赤橋、沖浦観音でしたが、愛ある予讃線海岸周りでの往復もとても楽しい旅でした。散策が終わって帰る一両立ての気動車の一番前に乗って、長浜から降りる上灘までレールの行方を、まるで旅番組のように少しカメラで追ってみました。

長浜駅で人気の高い観光列車「伊予灘ものがたり」と対向しました
春は桜が咲き誇る郡境の喜多灘駅
陸橋と鉄橋が並行して走る串本村の鉄橋
串駅辺り
有名なJR下灘駅
この日も沢山の人が集まっていました
今は地元の人が植えたコスモスの花が満開です
閏住の菜の花畑も春になると黄色い花が咲き乱れます
遠くに松山方面を見ながら走ります。町のシンボル本尊山も綺麗です
旅の終わり上灘駅で下車しました

「のんびりと 海岸周りの 気動車に 乗って小さい 秋を見つけに」

「今頃は ツワブキ黄色 白野菊 いっぱい咲いて 何とも贅沢」

「下灘の 駅は人・人 毎日の ように盛況 首を傾げつ」

「また乗ろう そんな小さな 旅でした 上灘駅で 下車して家路」

 

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〇子ども体験塾で隣町長浜町へ(その2-長浜高校水族館)

 今回のふるさと探訪で選んだ目的地は隣町の大洲市長浜町でした。長浜町の街並みは肱川の河口にあり、かつて海運や商業で栄えた町で、その名残ががあちこちに残っている素敵な街です。かつては日本で一番小さいよ言われた水族館まであり、町民の誇りでしたが今はそれもなくなったものの、県立長浜高校がそれを引き継ぎ、今では水族館のある高校として県内外から注目を集めています。

ネコの島で有名な青島行きの連絡船
水族館のある長浜高校
クマノミとイソギンチャク
長浜体育館の中での昼食

長浜駅をスタートした私たち一行は、沖合に浮かぶ猫の島で有名になっている青島行きの連絡船が発着する桟橋を横目に見ながら、港沿いの道を長い列を作って長浜高校まで歩きました。昨日は高校の水族館も一般公開の日で、沢山の人が見学に訪れていました。短い時間でしたが子どもたちは屋外・屋内に展示された沢山の海の生き物を見学して回りました。特にイソギンチャクと共生するクマノミは、アニメ映画のニモでお馴染みの魚なので関心が高く、説明係の高校生に質問するなどしていました。

昨日は雨を想定して長浜体育館のホールを借りて昼食をするよう準備していたので、予定通りみんなでそれぞれが持参した弁当を、体育館に広げたブルーシートの上に座り、楽しい昼食会となりました。私も愛妻弁当を持参していたので、子どもたちの輪の中へ入っ、て雑談しながら食事を楽しみました。

「長浜の 港の傍の 道沿いを 長い列して みんなで歩く」

「高校に 水族館が あるなんて 珍しさもあり 休日賑わう」

「子どもたち アニメ映画で 知っている イソギンチャクと クマノミ興味」

「雨降れば 転ばぬ先の 杖となる はずの手配で 室内昼食」 

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〇近所にカフェがオープンしました

 私は何故かコーヒを飲みません。多分高校生の時初めて飲んだコーヒーが苦くて、「こんなもの飲めない!!」と思ったことがきっかけのようで、どうやら飲まず嫌いのようです。そんな私の家の長男に、こともあろうかコーヒー屋の娘が嫁として嫁いで来たのですから、神様も意地悪な仕打ちをするものです。

 そんなこともあって、私は余程のことがない限り喫茶店へは行かないし、たまに若嫁が勤めている妻の実家の喫茶店へ立ち寄っても、人様のような「ブラック」ではなく、「ホワイト」と称するホットミルクを注文し、音楽を聴きながら数年前お父さんが亡くなった後、カウンター内でマスターをしているお母さんと世間話をしています。

 先日まちづくり学校双海人の主力メンバーである高村さんが、「酵素風呂まる」のある電器店の店内に喫茶店をオープンしたようです。毎日朝の散歩で店の前を通るので、一度伺いたいと思っていました。昨日は午前10時半ころ、締め切りの近づいた原稿書きが終わりメール便で送り、一段落ついたので散歩を兼ね、歩いてお店まで行きました。

ご主人の営む電器店の一角を改造して、喫茶店はお洒落に出来ていました。あちらこちらに本が置いてあって、お茶を飲みながら自由に過ごせる空間になっていました。店主の真理さんや移住してきた店員さんたちと1時間弱色々な世間話をしましたが、今度ゆっくりお茶をに見ながら本を読んでみたいと思いました。

喫茶店の店内
初めて飲んだ珍しいお茶

「コーヒーを 何故か飲まない 私ゆえ 喫茶店には 行く機会なく」

「原稿を 書き終えホッと 息をつく 散歩に出かけ 喫茶立寄る」

「双海人 仲間このほど 開店の 喫茶訪ねて お茶飲みながら」

「ワンコイン 世間話や 本読める こんな余裕が 今まではなく」

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〇軽くて暖かい羽毛布団

 考えてみれば私たち日本人は、100歳まで生きたとしても人生のほぼ3分の1を、寝て過ごしているのです。寝る方法はベッドや布団など様々ですが、最近は寝具もかなり進化していて、かつての綿花の重い布団は殆ど姿を消して見ることがなくなりました。毛布も布団も軽くなり、特に羽毛の掛布団などは軽くてフワフワで、それでいて抜群の温かさです。

軽くて暖かい羽毛布団

 ひと頃羽毛布団は、高くて私たち庶民には高嶺の花でしたが、最近は随分お安くなって、殆どの人が羽毛布団を利用しているようです。布団の中に入っている羽毛に使う水鳥は、一体どこで育てられ、一枚の布団にどれくらい入っているのか、またどんな方法で誰が加工しているのかは知る由もありませんが、高い羽毛布団になるとうんじゅう万円もするものまであるそうです。

私たち夫婦はベッドが余り好きでないため、毎朝夕布団を敷いたり上げたりする手間はいるものの、畳の上に毎日布団を敷いて寝ています。夫婦同床ゆえ、秋から冬にかけて夜の寒さが身に染みても、お互いの体温がカバーし合うのか、暖かい眠りを楽しんでいます。人生の3分のⅠとも言われる眠る時間まで、夫婦で共に過ごすことはないだろう?と、疑問を持っている人も多く、夫婦が別の部屋や別の布団で寝ている人も多いようですが、私たちは軽くて暖かい羽毛布団のお陰で、それなりに幸せな夜を過ごしています。

「人生の 三分の一は 寝る時間 寝方色々 布団も色々」

「綿入りの 重たい布団 処分され 軽い羽毛が 主流となって」

「私たち 夫婦同床 仲が良い 円満家庭 秘訣はここに」

「お互いが 湯たんぽ替わり 寒い夜 夕べもポカポカ ぐっすり熟睡」

 

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〇明けの明星

 毎朝午前4時に目が覚めてブログを書き、5時に家を出て暗い夜明け前の道を、LEDの懐中電灯を持って小走りにゆっくりと走ったり歩いたりしています。今朝は放射冷却現象の影響で外気温が10度を下回っていたようで、手袋をしていても少し寒さを感じました。毎朝1時間ほどで約7千歩を稼ぐので、目標の1万歩は毎日のように難なく軽くクリアーしています。

月とランデブーする金星
明けの明星

 時折LEDの懐中電気を消して暗闇を歩くと、満天に美しい星を見ることができます。この時期は南東の空に、それはよく光る明けの明星といわれる金星を見ることができます。地球は太陽系、銀河系に属していて、約2000億個の星の中の一つです。地球から見える星は約8600個、北半球にある日本から見える星はその半分の4300個ほどだと覚えています。

私が今朝見たとても明るい星は金星で、明けの明星とも言われています。金星は太陽のように自分で光る恒星ではなく、月と同じように太陽の光で反射して金色に輝く星で、太陽と月を除いて最も明るく見えることから一番星とも呼ばれています。

 金星は太陽系の中でも地球より内側を好転する内惑星で、太陽の周りを225日で一周します。明け方東の空(明けの明星)か夕方西の空(宵の明星)に見えますが、それぞれが同じ日に現れることはありません。夜空に輝く星を見ているとを、人間のちっぽけさがよく分かります。好きだとか嫌いだとか、損だとか得だとか、長いとか短いとか、重いとか軽いとか考える人間の尺度が、余り意味のないことのようにも思えます。「星は何でも知っている」のかも・・・。早起きして星を見て何かすっきりしたような気持ちになりました。

「南西の 空に輝く 星を見る 明けの明星 これが金星」

「西の空 夕暮れ時に 見る星も 同じ金星 宵の明星」

「星見ると 人間社会 余りにも ちっぽけ過ぎて 生き方疑う」

「若い頃 星は何でも 知っている 歌った歌を 思い出しつつ」 

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〇眼鏡を必要としない幸せ

 私は失礼ながら、「国民的喜劇俳優だったフーテンの寅さんにも劣るほど顔は悪いが目は良い」と、ふざけた話で周囲を煙に巻いていますが、一昨日次男若嫁の実家に所用で出かけました。次男若嫁は勿論お父さんもお母さんも一家揃ってみんな眼鏡をかけていました。

眼鏡絵の必要でない目を褒められました

わが家は誰一人眼鏡をかけている者がいないので、少し奇異に感じていると若嫁のお父さんが私に、「お父さん(私のこと)は眼鏡が必要ないようで幸せですね」と言われました。私も「はい、74歳になりますがまだ裸眼で新聞を読んでいます」と答えると、「何とも羨ましいですね」と言われました。

私は「若い頃勉強をしなかったので目を悪くしませんでした。こちらのお宅はみんな勉強のし過ぎだったのかも」と、みんなで大笑いをしましたが、眼鏡をかけない私には眼鏡をかける煩わしさは分かるはずもありませんが、私たちの年代になると視力が衰え、殆どの人が老眼の世話になっているようです。

私は高校生の頃一時期仮性近視になりました。宇和島水産高校の漁業科受験は海技免許を受ける条件が視力1.0だったこともあって、やばいと思い視力検査表のマークや文字を全て丸暗記し、受験当日の視力検査は視力1.5で見事合格しました。医師の勧めで遠くを見るようにしたこともあって、その後視力は回復しました。

この歳になっても裸眼で新聞の小さな文字が読める幸せは、既に老眼の世話になっている妻の日常を見ればありありです。目は遺伝だとも言われていることが正しいのか、80歳で亡くなった母親も死ぬまで眼鏡をかけず新聞や雑誌を読んでいました。顔よりいい目をした男に産んでくれた母親に感謝しています。

「寅さんに 負けぬ顔立ち でも目だけ 良いと自慢し 今日も裸眼で」

「母親の 遺伝でしょうか 眼鏡買う 金も使わず 多分一生」

「眼鏡どこ? 探す男の 頭上 すっかり忘れ 右往左往し」

「目にいいと ブルーベリーを 食べる妻 アントシアニン 効く気配なし」

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〇久しぶりに出会った友人との呆れた会話

 昨日、久し振りに昔役場で一緒に働いたことのある同年代の友人に出会いました。働いたことがると言っても小さい役場だったので、同じ仕事はしたことがありませんが、かつては折に触れ酒を呑みながら悩みを語り、時には自分や町の将来について熱く語りましたが、その友人は現職時代もそうでしたが、役場を退職後もまちづくりやボランティア活動に積極的に参加している私と違って、まったく社会活動や地域のコミュニティ活動への誘いにも乗らず、漏れ聞けば隣近所の付き合いもせず、「付き合いの悪い人間」としてのレッテルを張られているようです。

「元役場に勤めていたのだから少しぐらいは」と思うのは当然で、そのことをやんわり告げても馬耳東風で誘いにも乗らないばかりか、「何の発展も望めず退化して行くだけのこんな町は嫌だ」と、さも発展や退化は行政や人のせいだと強い口調で私に八つ当たりしました。私は「元役場職員」というレッテルやラベルをむしろ当然のことだと受け止めて生きています。彼は「あんたは一円の得にもならないことをよくやるよ。馬鹿じゃあないの」と悪口雑言の限りを尽くし、私の話に耳を貸そうとはしませんでしたでした。いやあ参った参ったでした。

 はてさて、公務員の資質とは、また退職公務員のあるべき姿とはいかなるものか、よく世間の話題に上りますが、給料をもらっているから仕方なくやる人、辞めれば何の関係もないと思っている人の何と多いことでしょう。もしその人たちが「恩返し」の心を持って地域に貢献するならば、社会はもっと明るくなるはずだと、浅学な私さえ思うのですから、社会の人はもっともっと思っているに違いありません。

 高齢化社会の到来で、60歳定年の延長が始まり、現職時代も退職後も地域に何の貢献をする気のない人が、定年延長や再雇用される現状は公務員の常識が、社会の非常識に思えて仕方がありません。友人は私との別れ際、「パソコンは金もかかるし面倒くさいし、なくっても別に困らないのでやってない」と、情報源さえもシャットダウンしていることを話しました。当然私が毎朝書いている2本のブログ記事など目に触れてないようで、「ブログを書いている」と言ったら、「ブログって何?」でした。いやあ参った参ったでした。

「久しぶり かつての同僚 バッタリと 出会ったものの ときめきもせず」

「付き合いや パソコン情報 なくっても ほらこの通り 胸張り見せる」

「あんた馬鹿 金にもならない ことをして 言われてみれば その通りです」

「60歳 定年延長 するようだ 非常識人 増える恐れも」

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〇2冊の古本

 昨日公民館祭りには沢山のテント出店が並び、穏やかな秋の天気に助けられて大勢の人で賑わっていました。本来なら家族でゆっくり見学や買い物をしたり、バザーで昼食を楽しむはずでしたが、妻が所用で出かけるため、その予定がすっかり崩れてしまいました。

息子が買って来た1冊10円の古本

夕方自宅に帰ると、私の書斎の机の上にサイズが小さめの、2冊の本が置かれていました。聞けば公民館祭りに出かけた息子が古本コーナーで、何と何と1冊10円で2冊買って帰ったそうです。私が二宮金次郎に殊の外興味を持っていることを知っている息子からの、思いがけないプレゼントでした。

 全日本家庭教育研究会が出している「こころの文庫」のようで、僅か31ページのその本は、誰かが読んで勉強した形跡ありありで、古本らしくページをめくるとかなりの部分に赤や黒の棒線が引かれていました。その棒線をなぞりながら、もう一冊の三国志物語という本も一気に読みましたが、子どもたちに読ませるに十分な本でした。

最近の世間は活字離れが進んで、特に大人は余り活字本を読まないようです。昨日息子が1冊10円、2冊20円で買った本は、僅か20円の価値しかありませんが、私にとって使い方によっては、1000円の本にも値するような値打ちでした。少しの間愛読書の端に加えたいと思っています。

今朝この本が家族の間で話題になって、近頃絵を画くことに凝っている孫に、二宮金次郎の銅像の絵を画いてもらうよう頼みました。学校の校庭にも二宮金次郎の銅像はあるので、今日は見て帰ると言ってくれました。どんどん発展してまたまた面白いネタができそうです。

「公民館 祭りの出店で 古本を 20円出し 2冊お土産」

「古本の ページあちこち 棒線が ミステリーです 誰かの軌跡」

「この本が たった10円 信じれぬ 私にとって とても役立つ」

「デジタルが 万能世の中 なりにけり 昭和生まれは 時代遅れか」

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〇私の朝食はリンキャベ

 朝晩冷え込んで、寒さを感じるようになりました。私の住んでいる双海町は海沿いに面しているので、真冬でも氷点下になることは殆どありませんが、春から夏の南風、秋の東風、冬の北西の風と、それぞれ季節風の強い地域で、体感温度はとても寒く感じます。昨日も東寄りの風がかなり強く吹き、「寒くなったなあ!!、もうすぐ冬が来る、寒いのは苦手だなあ」と思いました。

私の大好物リンキャベ
コーヒーを飲まない私は紅茶です

 この1週間ほどで、目の前に見えるわが家の借景本尊山も、ハゼやクヌギといった雑木の紅葉が一気に進み始めました。この時期になると美味しいリンゴが出回り、私の朝食のメニューにリンゴとキャベツが加わります。私はリンゴ+キャベツのことをリンキャベと名付けていますが、お陰様で腸内環境も良く、健康に過ごしています。リンゴもキャベツも私の大好物です。

 今朝久しぶりにウォーキングから帰って、畑の隅の小さなハウスを見回りましたが、いつの間にか植えているケールも、随分大きくなっていました。この分だと先日故障して新しく買ったミキサーを使って、スムージーが作れるようです。早速そのことを妻に話すと、新しい箱に入ったまだ使っていないミキサーを取り出して、お湯で丁寧に洗って流し台の上に置き、準備をしてくれました。多分明日の朝からは、リンゴと牛乳とケールを使った美味しくて健康に良いスムージーが楽しめそうです。

「夏は冬 冬は夏いい 身勝手な 考え過ごす いい気なものだ」

「健康に 良いと思って リンキャベを 毎朝食べて すこぶる快調」

「畑隅 小さなハウス 順調に ケールが育ち 明日からスムージー」

「故障した ミキサー買い替え 新しく なったというに 未だ使わず」

 

 

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