人間牧場

〇ツバメの巣の糞害で糞慨

 家の入口に鉄筋コンクリート造の駐車場があります。私の乗用車専用に使っていますが、毎年この時期になると少し憂鬱になります。というのも南の国からやって来たツバメが毎年決まったように、車庫の軒先に巣作りをするのです。ツバメは田植えの準備の始まった近所の田圃を低く飛び交い、土や枯れ草を口に加えて持ち帰り、昨年使っていた巣を子育てや居心地がいいように修復するのです。

車の糞害
車庫軒先のツバメの巣

 冬の間はちゃっかりスズメがこの巣を横取りして使っていましたが、ツバメに追い立てられるようにスズメはいなくなったものの、スズメが運んで来たであろう巣の中の敷き藁は全て外に放り出され、それらが私の乗用車の上に撒き散らされ、おまけに白や黒の糞まで落すのです。これを運が付くと考えるか、運の尽きと思うかは人それぞれでしょうが、何ともやり切れない気持です。

 何年か前、折角買った新車を大量の糞で汚されて噴慨し、シャッターを閉めてやりました。行き場を失ったツバメは入口付近で右往左往していましたが、「折角南の国からこの家を選んで里帰りしたのに、シャッターを閉めるなんて、あなたは非道な人間だ!!」と妻にののしられ、私「新車を汚された者の気持が分るか!!」、妻「車は洗えば綺麗になる!!」、私「車は誰が洗うのか!!」、妻「それはあなたしかいないでしょう!!」てな調子で言い争い、私は妻に負けました。

 今年も嬉しいことにツバメはわが家へ里帰りしてくれました。今年も憂鬱なことにツバメが車をわが物顔に汚しています。シャッターを下ろす勇気もなく、妻と言い争う気力もなく、今朝もツバメの巣を口を開けてポカンと見ています。最近ツバメが減ったというニュースを風の噂に聞きました。「愛鳥習慣は365日」という友人(さんきら自然塾の水本孝志さん)さえいるのですから、せめて愛鳥週間の今くらいはツバメに寄り添いたいものです。

  「今年も 南の国から 里帰り ツバメ巣作り 軒先借りて」

  「この時期に なると憂鬱 車庫内の 車の上に 糞がたくさん」

  「糞害に 多少噴慨 しています 洗えばすむと 妻は他人事」

  「愛鳥は 習慣ですと 友人が 四季録書いて プレッシャーかけ」 

 

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人間牧場

〇みかんの花の咲く頃

 この時期になると、何処からともなくみかんの花の甘い匂いがプーンと漂ってきます。「ああもうそんな時期か!!」と、先日5月5日に立夏となり、暦の上では初夏となっていることを実感しつつ、老いつつあるわが身ゆえでしょうか、1年の過ぎる速度の速さに驚きながら暮らしています。

甘い香りのみかんの花
みかんの花と同居している甘夏柑の黄色い果実

 甘夏柑の果実は収獲して倉庫に保存しておくと、腐って食べられなくなるのですが、樹上にならせて保存する方法だと、果実は腐ることもなく夏を迎えますし、果肉を食べた後の果皮は薄皮を削り落としてマーマレードにするとこれまた絶品で、パンに塗ってよく食べます。甘夏柑を剥いで自家製の蜂蜜をかけ、冷蔵庫で冷やして食べるのも一趣です。

 昨日は久しぶりに手持ちのハーモニカで、「みかんの花咲く丘」という歌を吹いてみました。日中は私独り在宅だったので、誰はばかることもなく吹きました。「♭みかんの花が咲いている 思い出の道 丘の道 はるかに見える青い海 お船が遠く霞んでる♯」。ああ長閑なりきかわがふるさと。わが人生。

 「わが果樹園 果実と花が 同居する 香りと味を 存分楽しむ」

 「樹上にて 保存をすれば 腐らずに 夏までずっと 西国ゆえに」

 「皮を剥ぎ 蜂蜜かけて 冷蔵庫 冷やして食べる 最高贅沢」

 「ハーモニカ 独り在宅 いいことに はばかることなく 下手糞披露」

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人間牧場

〇フキの佃煮

 昨日は今日の雨模様の天気を意識して、人間牧場の草刈り作業に弁当持参で出かけました。5月に入って今月は、愛大のフィールドワーク授業と子ども体験塾の開講が控えているので、周辺の草刈りと水平線の家の掃除は欠かせないのです。加えて5月末には梅林の梅の収獲もせねばならず、忙しい日々が続きます。

川を剥いで水に漬けたフキ

 この時期は草に混じってフキが沢山生えていて、このまま雑草として処分するのも勿体ないと思い、草刈作業の途中休憩時間を利用してフキを収獲しました。わが家に1束、叔母に1束、姉に1束、それにじゃこ天のおばさんたちに2束と、太もも程度の束を5つも収獲して木陰に置き、帰り際車に積み込みました。

 それぞれの家や職場に差し上げて、帰宅してから水桶に水を張り、フキの皮を剥ぐ作業をしました。フキはアクが強く、指先につくと黒くなって中々取れないので、薄手の使い捨てビニール手袋をはめて剥きました。テレビを見ながら居間に新聞紙を広げて作業しましたが、思ったより早く20分ほどで終えました。

 妻は夕方仕事から帰ると、水に浸したフキを2~3度茹ではえてあくを取り、食後にタイマーをつけてフキの佃煮を作っていました。味見をして欲しいと言われましたが、毎年毎回作っているので、味見する必要もなく、今朝試食してみましたが、中々いい味に仕上がっていました。冷蔵庫に保管し、これから当分の間お茶漬けや熱々ご飯の添え物として大いに楽しもうと思っています。

  「草刈りの 休憩時間 利用して フキの収穫 それぞれ裾分け」

  「ビニールの 手袋はめて フキの皮 丁寧に剥ぎ 茹でてアク抜き」

  「タイマーを かけて佃煮 作る妻 味見せずとも 美味しいはずだ」

  「お茶漬けや 熱々ご飯 添え物に 季節楽しむ ほろ苦い味」

 

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人間牧場

〇竹と偽竹

 これまで家庭菜園の垣には、裏山に入って切り出した竹を使っていましたが、通称ニガ竹と呼んでいる細い竹を毎年大量に切るのは、少ししんどくなってきたので、100円ショップで2mほどの竹とそっくりで丈夫な偽竹を購入すれば、毎年ストックして楽をすると考え、昨年から20本ずつ買い揃え始めました。

1本100円の偽竹
本物の竹で作ったツルインゲンの垣

 昨年購入した20本に加え、今年も既に40本購入してトマトの垣に、材質が何でできているかも分らないまま軽くて便利なゆえ、何の疑いもなく使っていますが、先日友人のfacebook書き込みに、「偽竹は化学製品なので使わない方が良い」とか、「竹が蔓延って里山を荒らすので、竹をもっと活用したらどうか」と提案めいた意見が載っていて、考えさせられました。

 それまで竹製品が主流だった籠類は、安くて軽いプラスチック製品が出回るようになって、殆ど姿を消しました。土壁になくてはならなかった竹も、殆ど使わなくなり、竹の需要の減少と共に里山は、勢力拡大して放置された竹に覆われて、大きな社会問題ともなっているのです。

 竹を使った方がいいことは理屈で分ってはいますが、さて自分のこととなると、頭を抱えてしまうのです。そんなこともあって、ツルインゲン豆の垣を作る時期になったので、昨日は裏山に入りニガ竹を20本ばかり切り、ツルが延び始めたインゲン豆の垣を作りました。いい塩梅にできましたが、この竹の寿命はせいぜい1~2年です。さて来年はどうしましょうか?。

  「菜園の 野菜の垣に 竹ならぬ 偽竹使う 便利だけれど」

  「一本が 僅か百円 竹を切る 手間暇よりも 得策だけど」

  「日本の 里山竹に 覆われて 藪から棒も 出ない状況」

  「揺れ動く 心のままに とりあえず ツルインゲンに 竹垣作る」 

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人間牧場

〇大きな鯛をいただきました

 昨日の朝、ウォーキングから帰って食事をしていると、下灘の親類から「魚を差し上げるので取りに来るように」と連絡が入りました。親類の漁師さんもご他聞に漏れず、高齢化で殆どリタイアしてしまい、自分も若い頃漁師を7年間やったこともあって、寂しい思いをしていますが、折から降り出した弱い雨の中を軽四トラックで出かけました。

いただた大きな鯛

 昨日はカナガシラ、メバル類に加え、大きな鯛を一匹丸ごといただいて帰りましたが、早速家の裏の屋外流し台に持ち込んで、粗調理を始めました。まず真新しい軍手を両手にはめて、ヒレトゲや骨、包丁で手を怪我しないよう防護し、全ての魚の鱗を鱗取り専用道具で取り、出刃包丁と薄手の包丁を巧みに使い分け、内蔵やエラを取り出し、綺麗に水洗いしました。

鯛にギョロリにらまれました

 特に大きな鯛は頭を落として、その頭も難儀をして半分に割りました。この頭は兜煮にして食べると最高です。三枚におろした骨や身を冷蔵庫に入れるようパレットに並べ妻に手渡すと、妻は食べきれない魚はジッパー付きの小袋に入れて冷凍庫へ保存し、一件落着です。流し台に飛び散った鱗を取り、包丁や鱗取りの小道具類も丁寧に水洗いして1時間半ほどかかって作業を終えましたが、これからは高温になるので残飯処理にも気をつけなければなりません。

 昨晩は刺身と煮付けが食卓を賑わせました。特にフリーザーに入れていた鯛の刺身はコリコリして抜群に美味しく、お酒を飲まなくなったゆえ、少々物足りなさは感じましたが、満腹の手合いで夫婦2人が、幸せ間に浸りました。今日はお裾分けした同居の若嫁は、鯛めしを炊くのだそうです。差し上げたり貰ったりする田舎の良き風習で、毎日何かと幸せです。

  「早朝に 電話が架かり 親類の 漁師さんから 大鯛いただく」

  「軍手はめ 大小包丁 用意して 粗調理する 私の仕事」

  「昨晩の 食卓豪華 鯛ずくめ 特に刺身は プリプリ食感」

  「田舎ゆえ 差し上げ貰い 良き風習 毎日幸せ 生きてる実感」

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人間牧場

〇電話の向うで「いない」です

 東広島で自動車の修理工場を営む友人宅に電話をかけました。電話が通じ私が「モシモシ」と言うと電話口に出た奥さんは「はい、いないです」と返事が返って来ました。一瞬「えっいない?」と聞いてドキリとしました。実は電話の相手は「いない=稲井」さんなのです。出会う度に「いるのにいないと居留守を使ういないさん」と笑い話に花を咲かせますが、このほど娘さんが嫁いでいる愛知県岡崎市へ、休みを利用して孫の顔を見に出かけたようで、そちらの特産品である八丁味噌と、味噌カステラ、味噌煎餅を旅先から贈ってくれました。稲井さんも洒落た方で、「手前味噌ですみません」などと電話で楽しい会話をしました。それにしてもいない=稲井とは面白いですね。ちなみに稲井さんと知り合ったのは、稲井さんが営むモータースの40周年の記念事業で、稲井さんの友人の、砥部町で車ハウス砥部という会社を経営している稲葉さんの口利きで、私の講演会を開いていただいたことがきっかけです。その後何年か前の年末、鳥取県へマイカーで講演に出かけた折、蒜山高原で時ならぬ大雪に遭遇し、雪でスリップ事故を起こして車を大破し、稲井さんと稲葉さんのリレーで持ち帰り修理をして貰った苦い経験が、より深い交流に発展し、今に至っています。お恥かしい限りでした。

稲井さんから送って来た八丁味噌

 

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人間牧場

〇四国最西端佐田岬灯台へ家族でピクニック(その2)

 ピクニックハウスのある駐車場から灯台までの歩道は綺麗に舗装され、加えて強風で伸びない木々が覆い被さるように緑陰を作っているので、すこぶる快適に孫たちと雑談をしながら歩きました。このくらいの距離なら毎日一万歩を目標に歩いている私にはどおってことありませんが、孫たちはかなり汗をかいていました。心配していた妻の足取りも思ったより軽く安心しました。灯台の真下にあった灯台守の官舎は既に取り壊されて平地になっていました。古いことながら子どものころ「喜びも悲しみも幾歳月」という高峰秀子主演の映画を見たことを思い出しました。

灯台の前にて
灯台がスッポリ入るモニュメント

 最後の急な石段を登ると目にもまぶしい真っ白い灯台が出迎えてくれました。眼下の磯には白い波が打ち寄せ、向うには九州の最東端佐賀関や高島が手に取るように見えました。私はこの灯台へは何度も足を運んでいますが、灯台設置100周年に合わせて周辺には様々な工事が施され、素晴らしいの一言でした。特に突端の太平洋戦争遺産の砲台跡のトンネルも見学ができるよう整備され、孫たちも興味津々といったところでした。

太平洋戦争残壕の中
遥か向うは九州

 灯台の形をしたモニュメントの中に灯台がスッポリ入るアイディアも中々のもので、入れ替わり立ち替わりしながら、訪れた人たちが記念写真を撮っていました。伊勢海老の畜養池施設も今はシーズンオフでしたが、何人かの団体さんに聞かれるまま知っていることをガイドをしてあげると、とても喜ばれてお礼にお菓子を一袋いただきました。孫たちは遠路何処へ連れて行かれるのだろうと戦々恐々でしたが、いい勉強ができました。元来た道を引き返した帰路、ピクニックハウスでバーガーを食べ、亀ヶ池温泉に立ち寄り、遅い昼食をして汗を流し、夕方帰宅しました。

  「駐車場 混んでて路上 側帯に 車を止めて エッチラオッチラ」

  「100周年 噂さ違わぬ 雰囲気に みんな満足 いい汗かいて」

  「洞窟の 壁に戦争 足跡が 70年の 歴史刻んで」

  「直ぐそこに 見える九州 佐賀関 あれやこれやと 知ったかぶりで」

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人間牧場

〇ゴーヤとキューリの垣を作りました

 わが家庭菜園の野菜の苗も、定植して10日が過ぎましたが順調に育っています。昨日は菜園の中仕切りしている波型スレートに這わせようと植えたゴーヤと、キューリに網を張りました。ゴーヤはかなり大きな糸の網、キューリは細い網を使いました。勿論網の全ては漁師さんからいただいた魚網のお下がりで代用です。

ゴーヤの垣
キューリの垣

 ゴーヤもキューリも毎年のことながら最盛期には沢山なるので、桧の間伐材で作った杭を大きなハンマーで地中に打ち込んで、風や重みで倒れないよう頑丈にしましたが、今のところゴーヤは摘芯を終えたところだし、キューリもつるがかなり延びてきたようで、このまま育つと5月下旬には収獲が楽しめそうです。

 今年の春先1700円を投資して買った、「絶品野菜づくり」という本を時々開いて見ていますが、野菜づくりはまだ分らないことばかりです。農家の人に教えてもらうことも時々ありますが、一番の師匠は近所に住む元警察官で、リタイア後近所に移り住んだKさんの畑です。ウォーキングの途中で立ち話をして教えてもらったりしています。

 「定植後 10日が過ぎて 野菜苗 殆ど順調 魚網で垣を」

 「バイブルの 本を頼りに あれやこれ やってはみるが 奥が深くて」

 「蔓系の 野菜何かと 骨折れる ゴーヤにキューリ ヤマイモインゲン」

 「しっかりと 間伐材の 杭を打つ 倒れて泣くより しっかり防御」

 

 

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人間牧場

〇わが家のガーデニング

 今年のゴールデンウィークは5月1日・2日の平日を休むと9連休という人もいますが、わが家はサンデー毎日の私以外はみんな仕事と学校が平日なので、この2日間日中は私1人でした。菜園に植えたそれぞれの野菜苗も、すっかり土地に馴染んで活着し始めていますが、たった10日ほどで畑には播いた訳でもない雑草の芽が無数に伸び出し、このままほおっておくと草引きが厄介なので、昨日は鍬で丹念に中耕しました。

 妻が仕事に出かける時、「プランターに新しい土を入れ替えておいて欲しい」と頼まれていたのを思い出し、冬花を取り払い、土を移し替えて新しいのに取り替えました。既に夏花の苗も買っているので、それらも植えて水をやりましたが、仕事から帰った妻は私の手助けぶりに満足して喜んでくれました。今日は孫たちも休みなので、昨年収獲保存している朝顔とヒマワリの種を、一緒に播こうと思っています。

 この時期わが家の庭では黄色いモッコウバラやツツジが満開で、妻がどこかから貰って挿し芽した草花も、年を越して広がり始めていますが、わが家は田舎なので敷地が広く、ほおっておくと草もかなり蔓延ります。中庭は息子家族が、それ以外は私たち夫婦が管理するよう約束しているので、先週学校の家庭訪問前に息子家族は総出で草引きを行い、すっかり綺麗になりましたが、これまで草引き支援してくれていた親父も既に亡くなり、妻と私が暇さえあれば、庭を這いずり回って草引きをしています。ガーデニングも楽ではありません。

 

  「『プランター 新しい土 入れてね』と 頼まれ早速 やってはみたが」

  「気がつけば 家の周りは 幾つもの プランターあり 四季の花咲く」

  「冬の花 片付け夏に 衣替え 今年も朝顔 日除けに植える」

  「妻の弁 どうやらわしを 閑人と 思っているよう 細々頼まれ」

 

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人間牧場

〇面白い二コマ漫画を見つけました

 昨日インターネット画面に表示されているツールボタンを触っていると、自分のパソコン内に溜め込んでいるであろう画像の数々が、ワンタッチで画面に現れ、懐かしさに驚きながら暫くの間見とれてしまいました。タブレットで撮影した写真も自動的に、パソコンに転送されるようになっていることにも感心しきりですが、多分ブログ用に使ったり溜め込んだと思われるこれらの莫大な映像は、若松進一ワールドでしか分らないため、多分このままパソコンとともに使われることも知られることもなく消えて行く運命にあるようです。

 そんな画像の中に「三人の石工」という二コマ漫画を見つけました。少しだけパソコンを使えるようになったので、取り出してワードプレスブログに転載してみました。旅人のおじいさんが、お城の下の工事現場を通りかかりました。そこでは三人の石工さんが一生懸命汗水たらして働いていました。三人の石工さんに「何をしているのかね・・・」と尋ねると、一人目の石工さんは「わしは親方から言われて石を切っている」と答えました。二人目の石工さんは「おれは家族を養うために城壁の石を切っている」、三人目の石工さんは「わしはこの地域でいちばん立派な城壁の石を切っている」と答えました。

 お城を造るために石を切る人なのに、一人目は「親方に言われたから」、二人目は「家族を養うため」、三人目は「立派な城壁を造るため」と答えました。いずれも間違いではないものの、三人の答えからは最後の目的である石垣の上に、お城を建てるという目的がまったく見えてこないのです。私たちが何かをする時、ややもすると目の前の雑事に追われて、「何故?、どうして?、何のために」ということを忘れてしまっているように思うのです。まちづくりに長く関わって思うのは、キーマンがこの目的意識をしっかりと皆に周知しなければ、いい結果も出ないし長続きしないのです。いい漫画に出会いました。

  「パソコンの 画面いじくり キーボード 押すといきなり 過去の画像が」

  「タブレット 撮った写真が 自動的 パソコンアップ 凄いもんです」

  「二コマの 石工の漫画 見つけたり 目的何か 考えさせられ」

  「パソコンが 古くなったと 嘆くけど もっと古いは 私の頭」

 

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