人間牧場

〇高知県社会教育主事等研修に招かれました

 今年も全国各地でまちづくりや社会教育の本格的な活動が始まりました。72歳になったというのに、相変わらずあちらこちらからお座敷がかかり、請われるまま出かけています。昨日は高知県教育委員会生涯学習課からの要請で、会場は伊野町にある県立青少年の家での講演でした。この施設へは何度も行ったことがあるので、片道150キロ約3時間弱と逆算して9時過ぎに自宅を出発しました。

 伊野町へは久万高原町~淀川町経由の国道33号線もありますが、昨日は高速道路を川之江ジャンクション経由で走る方が便利で早いので、そちらの道を使いました。久しぶりの高知なのでカツオのタタキを食べたいと、和食レストランを探して昼食は少し贅沢ながらカツオタタキ定食を食べました。さすがに講演前なので臭いプンプンは失礼かと思い、添えられたニンニクのスライスは残しました。

 少し早めに到着したので控室へ案内され、生涯学習課の皆さんと雑談したり、10月に高知県で行なわれる全国公民館研究集会へもパネラーとして招かれているので、その下打ち合わせも行ないながら、講演の開始を待ちました。そのうち案内されて2階の大会議室へ上がり、早速「地域を活性化させるまちづくり」について延々3時間弱熱弁をふるいましたが、午後の眠くなる時間にもかかわらず、50人ほどの参加者は眠る人もなく、熱心に聞いてくれました。

 それにしてもレジメもなく3時間も、よく喋るものだと自分自身に感心したり呆れたりしながら、無事役目を終えてもと来た道を引き返し7時半頃、往復300キロの道程を無事帰宅しました。昨日は朝出かける前、天草の世話に手間取り、ビニールハウスの窓を開け忘れて出かけたため、途中の西条付近で思い出し、自宅へ電話を入れ、運よく若嫁が在宅で対応してくれ、難を免れました。帰宅後水をやり窓を閉め一日を終えました。

  「驚いた 隣の県に 行ったのに 顔見知り人 多くや~あや~あ」

  「高知県 昔は久万を 経由して イングリマングリ 山坂越えて」

  「高知県 今は高速 川之江を 経由する方 はるかに近い」

  「3時間 留めもなしに 講演を 自分驚く 聞く人驚く」

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人間牧場

〇子ども体験塾のこぼれ話(その4の②)

 今回の子ども体験塾には、わが息子もボランティアスタッフとして参加してくれました。息子は私と一緒に人間牧場へ到着し、みんなが登って来るまでに水平線の家、ロケ風呂、ツリーハウス、トイレなどの掃除をしながら、食器を出して拭いたりしてかゆい所に手が届くような作業をしてくれました。中でも風呂沸かしは薪で湯を沸かすこだわりぶりでした。

ロケ風呂で足湯を楽しむ子どもたち

 ロケ風呂は息子が設計をした時一番こだわった施設です。風呂場北側の押上げ窓を開けると、眼下に広がる伊予灘の海や豊田漁港を見ながら入浴が楽しめるのです。またインターネットオークションで買った鉄製風呂釜は壷くり式になっていて、みんなが車座になると足湯としても楽しむことができるのです。(実はこの風呂は取り外せるようになっていて、水場さえあればトラックに積んで何処へでも持って行けるようになっているのです。)

 お風呂の沸いた日は、友人の井石さんからプレゼントされた暖簾が入口に掲げられるようになっていて、とっておきの穴場です。この日は全てのプログラムが終ったあと、子どもたちは順番に足湯を楽しみました。もう少し暑くなると、お湯を沸かさず水を溜めて、冷たい足水を使って涼を楽しむのも一趣です。私もそろそろ野良仕事のあとお湯を沸かして風呂を楽しみたいと思っています。

  「ロケ風呂は 息子一番 こだわって 造った施設 超一流です」

  「薪をくべ お湯を沸かして 子どもらに 足湯サービス 息子活躍」

  「野良仕事 終った後に ひとっ風呂 楽しみたいと 密かに思う」

  「いい湯だな お湯の中には 足・足・足 子ども笑顔で 足湯楽しむ」

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人間牧場

〇子ども体験塾こぼれ話(その3の②)

 人間牧場から池久保地蔵尊までは500~600mの山坂道です。昼食を済ませて満腹の子どもたちは、コミセンから運んで来た石を持って地蔵尊まで歩きました。この日は芸予・防予の島々が手に取るように見える雲ひとつない、絶好の五月晴れでした。地蔵尊の広場に集合した子どもたちは、2班に別れ向き合いました。

 肥後の国の城主にまつわる昔話を子どもたちに聞かせたあと、持って来た石を35人の子どもたちやスタッフが、「よいしょ、よいしょ」と掛け声をかけながら、地蔵尊本堂の周りを手繰りしました。子どもたちも最初は要領がつかめませんでしたが、そのうちゲーム感覚で次々に石を手繰りして、藤棚の下へ置き手を合わせて奉納のお祈りをしました。

 僅か小さな40個ほどの石ですが、池久保自治公民館長さんに連絡し、子どもたちがやった平成の手繰り石の物語を伝え、本堂の周りの石垣に乗せて欲しいと頼みたいと思っています。池久保地蔵尊には沖合いに浮かぶ青島から伝わったと言われている盆踊りが今も8月の例祭に行なわれています。古きよきふるさとの文化にちょっぴりだけ触れたことも、大きな意義があったようです。

  「1時間 かけて運んだ 石使い 昔ながらの 手繰り体験」

  「地蔵尊 小さな本堂 絵馬がある ふるさとの良さ 大事にしたい」

  「わが孫は 一番大きい 石運び 得意満面 一生忘れず」

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人間牧場

〇子ども体験塾(その2)

 山道を約一時間ほど歩いて登って来た子どもたちは、早速2月に植えていたジャガイモ畑に入り早速収穫作業をしました。嬉しいことに昨年度末で退職した宮本前館長さんや三好先生もジャガイモ堀の指導に参加してくれ、大助かりでした。また今年から学校の先生になった宇津博美さん始め、ジュニアリーダーも多数参加してくれ、父兄も加わっていつになく大勢のスタッフに恵まれました。

じゃがバターづくりを担当した森田館長
出来上がったカレー

 毎回のことながら昨日は月末の土曜日とあって、しもなだ運動公園で開催の軽トラ市と重なり、気を揉みながら分かれての開催となりました。ジャガイモはまずまずの豊作で、大きな芋が土中から出る度に、歓声や賑やかな笑い声に包まれました。掘り上がったジャガイモは早速水洗いしてカレーの具材に使われ、適当な大きさの芋は茹ででじゃがバターにしました。息子がハサミで摘んだツワブキの葉っぱを水洗いし、本多さんたちスタッフが小枝を突っ込んで、野趣豊かな食器に早代わりさせ、子どもたちを大いに喜ばせました。

 いつものんびリズムで、せっかちリズムの私や幸先生の気を揉ませる隅田主事と、あれこれ相談しながらプログラムはほぼ時間どおり進みました。今年は新任の森田館長がかまど当番をしてくれたお陰で、名調理担当の前野さんの指導宜しく、カレーもご飯もほぼ完璧に仕上がりました。カレーの味も抜群で、多分余るだろうと思っていたあれほどのカレーもお替り続出で、ご飯も全て完食し私たちを驚かせました。

  「昨年の 2月に植えた ジャガイモは 例年になく 大豊作で」

  「ツワブキの 葉っぱを使い 野趣豊か じゃがバター 美味い美味いと」

  「あれほどの カレーとご飯 胃袋に 鍋は底つき 笑顔一笑」

  「長閑です 近く遠くで キジ鳴いて 皐月の空は 雲ひとつなく」

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人間牧場

〇検査詳細情報

 3日前3ヵ月にに一度の定期健康診断のため、県立中央病院へ行きました。ご多分に漏れず高齢男性に多いという前立腺の検査ですが、今回は尿検査結果を基にした診察だけで、何の問題もなくあっという間に終わりました。折角なので、C型肝炎ウイルス投薬治療をしてもらった主治医の所へ、3月1日に血液検査をした結果を聞いていなかったので、結果を聞こうと飛び込みで立ち寄りました。

 主治医の先生はあいにく診療中で説明を聞くことはできませんでしたが、クラークさんが先生の許可を得て、検査詳細情報をプリントアウトして説明してくれました。検査詳細情報はいつもいただいているのに、詳しく見てはいませんでしたが、今回は結果値が下限値と上限値の間にあるかどうかを見ながら、「一番下のこの数値がC型肝炎治療の結果です」と説明を受けました。

 昨年の7月7日から3日間入院して始めた、超高価なハーボニーという薬を84日間飲み続けた結果は、No32、HCV核酸定量/リアル未検出、上限値欄に「検出せず」とありました。主治医の先の説明を聞いていないので詳しいことは分りませんが、とりあえず何の問題もなくクリアしているようです。気になっていただけに内心ホッとしました。これまで自覚症状はないもののC型肝炎ウイルス保菌者のレッテルが心の隅に重くのしかかっていましたが、完治すればこの上ない喜びで、何となく長生きができそうな気持になり、足取りも軽く帰宅しました。

  「原因が 分らず首を 傾げつつ 長年生きて 心モヤモヤ」

  「クラークが 一番下の 数字です 指差す場所に 検出せずと」

  「うわあ嬉し 心ウキウキ して帰る 妻も喜び 今日はお祝い」

  「さあこれで 長生きできる 単純な 脳細胞に 妻呆れ顔」

 

 

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人間牧場

〇ヤッホー、トマトが色づき始めました

 最近あちらこちらにできている直売所を見て驚くのは、その品揃えと量の多さです。「このトマトやキューリは一体誰がどんな方法で作っているのだろう?」と思うほど、トマトもキューリもほぼ一年中絶えることなく、売り場に並んでいて、せめて自分の家で食べる物くらいは自分で作ってみたいと、いささかなりとも家庭菜園で野菜を作っている私にとっては、何とも羨ましい限りです。

たわわに付いたプチトマトの実

 自分が健康にいいからと、無農薬にこだわって野菜を作ってみて思うのは、幾ら手間暇かけても直売所に並んでいるような立派な野菜はできないという結論です。昨年念願の小さなビニールハウスを手に入れ、季節を露地より少し早取りして作れるようになりましたが、まだまだ奥行きは深いようです。それでも「できないものはできない」と開き直り、「これが安心安全の自分流」だと肩の力を抜けば、それなりの楽しみもあるのです。

 露地のトマトに先駆けて、今年もビニールハウスでトマトを作っていますが、ここに来てやっとプチトマトが色づき始めました。数えてみると一本のトマトの苗木に15個程度が5段ほど付いているので、今後の成長を考えれば1本の苗木から100個はできると少しにんまりしています。妻からは「トマトはまだ色づかないの?」と、毎日のように催促がありますが、露地栽培を含めるともう直ぐトマト三昧の朝を迎えられそうで、とても楽しみです。

  「直売所 キューリやトマト 一年中 誰がどうして 作るのだろう?」

  「あのような 立派な野菜 できないと 結論めいた 開き直りで」

  「いいじゃない これも私の オンリーワン 体にいいもの 作るこだわり」

  「ハウス内 トマトに色が つき出して 心浮き浮き 朝を迎える」

 

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人間牧場

〇蔓延るキンケイソウ

 少なくともそんなに昔のことではありませんが、いつの頃からかこの時期になると灘町海岸の砂浜に、綺麗な黄色い花が咲き始めます。誰かが種を播いたり植えたりしたはずもないのに、毎年黄色い可憐な花を咲かせていて、注目を集めています。花好きな私としては何の花であれ、花は大歓迎なのですが、この花が法律で制限されているキンケイソウという花であることを、私たち一般人は余り知っていないのです。

灘町海岸に自然に生えたキンケイソウ
見た目にはとても綺麗です

 同じ帰化植物でもセイタカアワダチソウやブタグサのように、花粉症や喘息など呼吸器系に悪い影響を及ぼす植物なら、除草の対象になりますが、キンケイソウはそういう人体への影響はないようです。聞き及べばキンケイソウが河川敷等に繁殖すると、その旺盛な繁殖力で堤防に根締めに植えた芝が侵され、堤防決壊の一因となると聞けば、この花も綺麗綺麗では済まされないと思うのです。遠目近く目で見ても綺麗で、特に海岸の殺風景な砂浜ゆえ文句のつけようがありません。

 キンケイソウは漢字で金鶏草と書くようなので中国原産と思いきや、どうやら北米原産の帰化植物のようです。そんな粗かじりの知識を持って辺りを見渡すと、松山方面へ向う三秋峠付近の路側帯にも最近、キンケイソウが増え始めているようです。また重信川の河川敷きにもキンケイソウが蔓延って、管理する河川事務所は駆除するのに頭を痛めているようです。野山も池も、人間社会と同じように国際化がどんどん進んで、在来種の動植物が肩身の狭い思いをして生きている様子が良く分るのです。

  「灘町の 海岸黄色い キンケイソウ 綺麗綺麗と 手放し誉める」

  「播いた種 中々生えず 勝手種 どんどん増えて わが者顔に」

  「キンケイソウ 勝手に植えちゃ いけません 法律あるが 庶民知らない」

  「野も山も 動植物も 国際化 私胸張り 国産ですと」 

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人間牧場

〇沖合いに艦船

 広島県呉が目と鼻の先で近いからでしょうか、また山口県岩国も目と鼻の先で近いからでしょうか、それとも憲法を改正し自衛隊を明記するなどと議論されていることが、新聞で毎日のようにかかれているからでしょうか、空ではヘリコブターが爆音を立てて飛び交い、沖合いには時々艦船が見えることに気付き、思わずハッとしたりします。

沖合いに突然現れたドデカイ艦船

 私は敗戦色濃い太平洋戦争末期の昭和19年10月3日に生まれました。僅か生後10ヶ月で終戦を迎えているので、戦争の記憶等微塵もありませんが、今は亡き祖母から広島に投下された原爆のキノコ雲を、母の背中におんぶされて、遠くに見たんだという信じ難い話を聞かされたり、親父の戦記を聞いているし、宇和島水産高校の実習船愛媛丸で訪ねた珊瑚海海戦のあった、ニューへブリデス諸島サント島海岸で、上陸用舟艇の残骸を見た経験が、どこか胸騒ぎの震源として残っているからかも知れません。

 北朝鮮が連日のように弾道ミサイルを実験発射するニュースも、世界中の非難をよそに慢性化しているからでしょうか、足音もなく近付いてくるようなモヤモヤを感じているのも事実です。昨日の夕方わが家から見える海の沖合いに、飛び切りでかい艦船の姿が見えました。艦船は何をするでもなく怪しげに凪ぎの海に漂っていました。

  「敗戦の 色濃い日本に 生まれたが 戦争知らない 昭和の世代」

  「最近は ヘリの爆音 ミサイルと 何かと周辺 おかしな機運」  

  「沖合いに 突然デカイ 艦船が 凪ぎ海漂い 思わず釘付け」

 

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〇草刈り機でツツジの剪定

 このところ雲ひとつない上天気が続き、日中は30度を越す真夏日となって、いよいよ暑い夏の到来です。私のような百姓もどきのような暮らしをしている者でも、草刈り作業などをすると大汗をかき、早くも藪蚊に悩まされるのですから、本物のお百姓さんは毎日の農作業で大変だろうと慮ります。

草刈り機で剪定し丸裸になったツツジ

 昨日は夕方午後6時から少し涼しくなったようなので、家庭菜園や果樹園の隅に植えているツツジの剪定をすることを、急に思い立ちました。剪定といっても草刈り機で刈り飛ばすいい加減なものです。草刈り機の刃をチップソーの新しいのに取替え、片っ端から切り飛ばして行きました。

 最初は面白いように切れましたが、チップソーの刃も少しずつ切れが悪くなって、最後はこちらの腕力の限界もあり、息も絶え絶えでしたが、何とかやり終えることができました。昨日は急な思い付きだったため防眼メガネを付けるのを忘れ、枝の切れ端が勢いよく飛んで来て、あわやという場面もありました。

 今朝はメガネを着用して残りの作業をやり終えようと思っています。この4~5日講演や講義で忙しい日々を過ごしていましたが、少し時間的余裕が持てたので、ひとつずつ気になって箇条書きにしている、農作業や原稿書きなどをこなして、遅れた分早めの対応分をきちんとやろうと心に決めて、今日もパワー全開で頑張っています。

  「花終り 剪定作業 しなければ 来年の花 期待も出来ず」

  「草刈り機 使って雑な 剪定を しないよりまし あやふや心」

  「チップソー 新品の刃で 切り飛ばす 梅雨が過ぎれば 新芽伸びだす」

  「熱中症 ならないように 水分を 小まめに取って 思い切り汗」 

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人間牧場

〇えらくなっちゃいけない

 一昨日と昨日、愛媛大学社会共創クリエイターの授業で、私のところへ20数人の社会人学生が研修にやって来ました。その中に私の大先輩で、私が自著出版した「昇る夕日でまちづくり」と、「今やれる青春」という2冊の本を編集してくれた玉井恭介さんがいました。玉井さんは絵も画ける歌も歌える墨書も書けるなどなど、私の持ち合わせていないものを持ち合わせた玄人はだしの他芸人で、また多くの人脈も持っている羨ましい人です。

 かつて玉井さんから「本を出してみないか」と、誘いの言葉をかけられた時、「金がない・暇がない・知恵がない」と断わったのに、「・・・のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶の白い雲がかがやいているとすればそれのみをみつめて坂を上っていくであろう」という司馬遼太郎の「坂の上の雲」の一節を書いて額に入れ持参してくれました。この言葉は私の心を大いに揺さぶり、驚異的なスピードの僅か15日間で原稿を書き上げ、一冊の本となったのです。

今も大切に飾っている坂の上の雲の一節

 昨日玉井さんはアンパンマンで有名な高知県出身の漫画家「やなせたかし」さんの「えらくなっちゃいけない」という言葉を一枚の和紙にしたためて持参してくれました。二日間にわたって社会人学生に講義をする私の、鼻っぱしを折るが如きこの言葉に大いに驚き、幾つになっても謙虚さを忘れないようにしなければと、自戒した次第です。ああ今回も玉井さんに教えられました。いい友人先輩とはこういう人のことを言うのだと思いました。

   えらくなっちゃいけない
  星のいのちにくらべれば
  ぼくたtみんなちっぽけな
  ほんのはかないいきものさ
  お金もちでもえらくない
  みんなだれでもえらくない
  えらくなっちゃいけない
  みっともない
        やなせたかし

  「学生に 講義をしようと した矢先 一枚手書きの 言葉渡され」

  「アンパンマン 作の漫画家 残してる 言葉墨書き 鼻をへし折る」

  「何年か 前にもこんな 出来事が あったと述懐 掲額見つめ」

  「まだ修業 足りないゆえに ハッとする 原点帰り 謙虚に生きる」 

 

 

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