〇女心と秋の空
「女心と秋の空」という言葉の意味が色恋に鈍感な私には中々分りません。多分変りやすい女心ことを言うのでしょうが、一昨日や昨日の晴れ渡った秋の空を見ていると、そんな言葉をまったく感じさせない雰囲気でした。昨日は中秋の名月を楽しむためにシーサイド公園の恋人岬で観月会が催されましたが、私もその準備のお手伝いをするために会場に行き、久しぶりに夕闇迫る秋の夕日夕やけを堪能するほど見ましたが、「女心と秋の空」とはこんな様を言うのかも知れないと思うほど、ゆっくりと変化していました。
秋の空は夕日夕やけの美しさもさることながら、空いっぱいに広がる雲はとても美しく、持っていたデジカメを使って移り行く自然の情景を何枚も写真に収めました。本当は子どもたちが買ってくれた一眼レフのカメラを使って撮影したいのですが、お粗末ながらカメラを5月のゴールデンウィークに買ったというのに、まだ一度も使わず書斎の棚の隅で埃をかぶっているのです。今はブログを書くためにデジカメを日常的に持ち歩いていますが、そろそろ使いこなせるようにしたいものだと思っています。
秋分の日を中心にしたこの時期は、恋人岬のモニュメントの穴に綺麗な夕日が入るのが見えます。勿論この仕掛けは私が造ったものですが、昨日は砂浜に下りて様々な角度から観察してみました。昨日は親友の高木さんが山の上からパラグライダーでタンデム飛行(二人乗り)して砂浜に着陸する瞬間にも出会いました。高木さんはもう20年を越えて双海町の空をパラグライダーで飛び続けていますが、最近はパラグライダーで飛行しながら空中写真を撮り続けているようで、見せてもらいましたが、中々の腕前でした。近々パラグライダーに乗せてもらう約束をしました。
穏やかな瀬戸内の海、美しい双海の夕日夕焼け、恋人岬に集う人々、空の変化など、どれも素晴らしく、生きていることの実感を感じさせてくれました。昨日空を見ていると中年の女性がモニュメントを見ながら涙ぐんでいました。聞けばモニュメントに掘り込んだ少年の像が、重度の身体障害で若くして亡くなった、息子の姿に似ているというのです。それから約20分間、私は見知らぬその女性の苦労話を聞かされる羽目になりましたが、この女性のように癒しを求めてやって来る人もいるのです。また一時間以上も手をつないだまま移り行く秋の情景に身を委ねているカップルもいました。この施設を造った張本人としてはこんな嬉しいことはなく、冥利に尽きました。
「秋の空 雲それぞれに
西東 見飽きず口開け ポカンと過ごす」
「大空に 突然飛行 物体が パラグライダー 砂浜降り立つ」
「この景色 癒されたくて やって来た 見知らぬ女性 涙流して」
「モニュメント 穴にスッポリ 夕日入る 造った本人 感動見入る」