〇眠られぬ一夜
「おじいちゃん、いってらっしゃい」と、夕食をしている孫たちに言葉だけの見送りを受け、昨晩は双海中学校の学校評価委員会に出席しました。中学校は目と鼻の先なので、すっかり暗くなった夜道を懐中電灯も持たず歩いて行きました。1時間余りの会議を終え自宅へ帰って少し遅い夕食を、テレビを見ながら妻と二人で食べました。食卓には埼玉県の親友工藤さんから送られて来た、秋の味覚の代表選手である新物の秋刀魚や芋炊きが並び、デザートは妻の親友から届いた大粒のブドウが添えられていました。
そのうち子どもを寝かせた若嫁が2階から降りて来て、「連絡があれば呑み会がありまだ帰っていない長男息子を、松山まで迎えに行く」と言うので、深夜のこともあり私が行くから休むように言いました。やがて11時30分頃に息子から電話が入り、お酒を飲んだ後勤務している事務所に戻り仕事をしているので、12時30分になったら家を出て欲しいと言うのです。テレビを消し書斎へ入ってパソコンを開き、Gメールやfacebookなど細々なことを片付け、午前0時を回ったところで、ブログを一本書きました。書き終わった約束の12時30分に息子から電話が入り、仕事がまだ片付かないので職場で仕事をして、朝になったら帰る旨の電話でした。
パソコンの電源を切り、妻と同床のいつもの布団に入りましたが、疲れているはずなのに中々寝付かれずついウトウトしてし、2時か!!、3時か!!、4時か!!と豆電球の薄明かりに照らされた柱時計を見ましたが、思い切って床から這い出し、いつものように自分ではエクササイズと言っている体操で,少々汗をかきました。いつものように書斎に入ってパソコンに向かい合っていると、午前5時に息子が帰って来ました。昨晩は一睡もせず仕事をしたので「眠い」と言いながら風呂に入り、そのうち2階へ上がったようです。
かつて私も若かった頃、連日のように松山で呑み会があり、その都度「10円タクシー」と呼んでいた妻に、携帯電話とてなかった時代ですから公衆電話で電話をかけ、深夜にもかかわらず松山まで迎えにきてもらったものでした。当時の私は気も荒く勢いもあった頃だったので、妻の苦労などお構いなしで、今思うとゾッとするようなことを平気でやっていたのです。
母も祖母も存命中だったので、特に祖母は私が帰るまで心配して寝ないで待ってくれていました。今その年齢に近づき母や祖母のことを思うと、昨日の眠れない一夜が何となく母や祖母と似ているような感じがしたのです。「ああ私もいよいよその歳になったか」と苦笑いしながら、少し寝不足ながら心地よい朝を迎えました。今朝は待ちに待った小雨が降り、安堵の朝のようです。
「呑み会で 遅い息子を 気遣って 眠れぬ一夜 やっと明け行く」
「そういえば 10円タクシー 名をつけて 迎え連日 深夜の道を」
「わが子待つ ふと孫私 待っていた 祖母の姿と ダブらせながら」
「ああそんな 歳になったか 思いつつ ウトウトわが子 帰りを待って」