人間牧場

〇今月の五行歌

 今月もいつもの通り月末の昨日、松山五行歌会代表の見山あつこさんから、5月歌会の結果が送られてきました。早速鋏で丁寧に封を切り、4枚のプリントを取り出しました。歌会の結果は出席歌、欠席歌の順に掲載されていて、出席歌の部の今月の一席はさすが見山あつこさんの次の歌でした。
  日毎に
  揺れが激しくなる
  この
  心にも
  耐震補強を

 欠席歌の一席は銀桂さんの次の歌でした。
  切手の貼られた
  かわいい葉書
  簡潔な文章
  やさしい文字
  なんだかうれしい

 私も欠席歌の部に、いつものことですが督促され、締め切りギリギリに即興で作った、次の駄作歌を送りました。
  横文字で
  話され私
  問い返す
  「エコって何?」
  「エコはエコだ!」と・・・・

 作品歌の後に次の講評が載っていました。
 ☆【エコ】は【エコロジー】の略。そのくらいわかっているわよ。で、エコロジーって? そんな声まで聞こえてきそうで、思わず「クスリ」と笑えました。当たり前のように横文字を使う日常ですが、改めて「その意味は?」と聞かれたら、案外答えに詰まるものです。ちなみに【エコ】は和製英語で、【地球に優しい、環境にいい】などの意味で捉えられています。安全に暮らせることを切に望みます。
 いつもながらの言い得て妙な講評に、作った作品より講評に感心しながら読ませてもらいました。末尾のぬくぬく伝言板に書かれた、手書きの私信もどこかほのぼのでした。

  「今月も 駄作に添えて 講評を 書いてもらった 感心して読む」

  「一席は さすが上手いと 納得し わが歌比較 反省しきり」

  「短いが 私気遣う 直筆の 私信楽しみ ホッと癒され」

  「末尾読み 締め切り近い ことを知る はてさて次は 何を書こうか」

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人間牧場

〇天草の晒し作業

 未利用資源の天草を地域づくりに利用できないか?、私の実験事業が始まっています。最も干満潮の激しい大潮は、旧暦15日を挟んだ4~5日ですが、今年の旧暦4月15日は5月24日でした。24日も25日もそれぞれ予定があって忙しかったため、旧暦17日の午後3時頃、偶然にも大潮で干潮を迎えた海岸を通りかかったため、天草利用のことを思いつき、取るものもとりあえず何の準備もせずに、漂着ゴミの中から発泡スチロールのトロ箱を2個拾い、1時間ほどで天草を採り集め、単車の後ろに積んで持ち帰りました。その日のうちに水洗いをしてサナ8個に干しました。明くる日は四国地方が入梅したとテレビで報じていたものの、まだ雨が降っていなかったため、急いで前日取り残した海岸へ行き、前日より少し少なめながら天草を採って帰り、前日と同じように水洗いをしてサナに干しました。梅雨といいながら夜来の雨も上がってまずまずの天気だったため、半乾きになった天草を発泡スチロールのリンゴ箱に水を貯め、綺麗に水洗いしながら晒し作業を始めました。

庭に大量に干された天草は磯の異臭を放っています
庭に大量に干された天草は磯の異臭を放っています

 水洗いをしながら根株に付いた貝殻や雑海草を丁寧に取り除き、水洗いをして再びサナに干して行くのですが、これが中腰作業なのでかなり腰に負担がかかり、途中から親父が庭の草を引く時使う、低い木製の椅子に座り作業を進めましたが、サナ14個分もある大量の天草の晒し作業は予想以上にきつい仕事のようでした。これから梅雨に入って足繁く雨が降る予定なので、天気予報を注視しながら折角採集した天草を腐らさないように進めなければならず、朝晩は忙しい日々が続くようですが、晒した天草を使って妻の協力を得ながら、色々な試作をやってみたいと思っています。
 ネットで読んだ記憶のある山口県で大ヒットとなった、甘夏ゼリーにも挑戦してみようと思っています。幸いわが家の家庭菜園の果樹園には、まだ名残の甘夏柑が残っているのでチャンスかも知れません。

 妻はこのところ私が大好きな天草ゼリーを作って冷蔵庫で冷やし、食事の後のデザートに出してくれています。暑さで食欲が減退しそうなこの時期、喉越しの良い天草ゼリーはとても美味しく、来客にもお茶請けに差し出して喜ばれています。金儲けとまでは行きませんが、せめて天草を自給食品のひとつに加えただけでも今年は大成功です。
 天草はダイエットにもよいアルカリ食品で、天草ゼリーを食べるせいでしょうか、お通じも順調この上なく、健康な日々を過ごしているのです。今使っている天草は何年か前、伊予市まで伊能忠敬の地図を見るイベントに離山海岸を歩いた際、見つけて採集した自然晒しの天草ですが、今年は晒しに手間はかかるものの良質な天草を確保することができたので、離山の天草採集はどうしようか迷っているところです。
 さあ今朝も朝飯前の運動として、少し天草晒しの作業を進めたいと思っています。

  「天草を 水に晒して 天日干し これから先は 天気に注意」

  「天草で ゼリーデザート 作る妻 田舎の女性 何でもこなす」

  「わが家では 天草自給 またひとつ 健康人生 楽しみながら」

  「天草で 作ったゼリー お裾分け 孫や近所も 喜び食べる」

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人間牧場

〇同居と活力

 先日道後の文教会館で開かれた社会教育実践交流集会ゴングの会で、久しぶりに伊方町岬平磯に住んでいる浅野さんに出会いました。浅野さんとは彼が国立大洲青少年交流の家に勤務していた頃知り合い、意気投合してその後もあれこれ交流を続けていますが、現職は三崎中学校の先生です。私の住んでいる所が田舎なら、浅野先生が住んでいる平磯は失礼ながらド・田舎だといつも笑って話しますが、まあ五十歩百歩、どちらともいえない目糞鼻糞のドド・田舎ですが、私も浅野さんもその田舎に満足し、むしろ田舎暮らしを楽しんだり、見せびらかせて生きているのです。弟さんとともに古い民家を使い、喜久家プロジェクトと称して、外国人を呼び込む国際交流はとても有名で、私の人間牧場など足元にも及ばない、立派な成果を上げています。この日は酒が出る集会だったので、集会が終ればにぎたつ会館へ泊まるのだと言っていましたが、一泊二日をかけて来る熱意にはいつもながら感心するばかりです。

 浅野さんと最近の暮らしについて立ち話をしました。浅野さんも私も双方のブログを、毎日のように読んでいるので、会話をしなくてもそれなりのことは知っているつもりですが、やはり裏話が聞きたいのです。浅野さんは「息子さん家族との同居は楽しそうですね!!」と切り出しました。「はい楽しいですよ」と言いながら、はてさて同居を始めて2年が経った息子家族との同居はどうなんだろうと、聞かれるままに頭の中で話をまとめてみました。
 朝起きると直ぐに「お早う」とわが書斎にやって来る孫、手をつないで保育園に一緒に送って行く孫、夕方には一緒に風呂に入る孫、泣き笑いが聴こえる孫など、今では孫の存在はわが家の活気の源のようです。若嫁の優しい笑顔や会話も嬉しく、心配した妻と若嫁の確執もなく同一屋根の下のお隣さんとして、楽しい近所づきあいが続いています。

風を受けて回る今朝の風車
風を受けて回る今朝の風車

 松山で建築関係の仕事をしている息子は、仕事の帰りが遅く毎日殆ど顔を合わせることはありませんが、親子の関係はとても良好で、蜂蜜の精製も共通の趣味だし、アウトドアー派なので、パソコンの指導とともに何かにつけて相談をしながら、日々を暮らしています。
 浅野さんのとの会話でふと気がついたのですが、息子家族が同居によって私にくれたものはやはり「夢」のような気がするのです。家をリフォームするのに、それ相当な資金は要りましたが、息子の発案でリフォームした台所やトイレ等の水周り改修は、日々の暮らしの格を上げて快適にしてくれました。また車庫の上に置かれた息子の趣味で始めている、ソーラーパネル発電や風力発電風車は、私のこれまでの暮らしになかった、未来への夢のようなものを感じさせてくれるのです。今朝も折からの夏の到来を告げる南西の風で、私の書斎の窓越しに見える風車が、時折ブンブンと回っていて、まるで私の心に新エネルギーを充電してくれているよな気持ちになっています。「老いを感ずる暇があったら未来を探せ」とは、今朝感じた私の偽らざる心境です。「浅野さんともまた出会いたい!!」、先日の出会いや会話を思い出しながら迎えた朝でした。

 

 

  「同居して 何が変わった? 問われたら 夢ができた!!と 即座に答え」

  「老いの身は 後ろ向きする ことばかり 暇があったら 未来を探せ」

  「ブンブンと 風受け回る 風車見て 新エネルギー 俺の心に」

  「何したい 何が出来ると 自問する 何でもいいや 何でもやろう」

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人間牧場

〇掃除諸々

 掃除と言えば小学校の頃、木造校舎の長い廊下の掃除を思い出します。7~8人の子どもが横一列に並び、ブリキのバケツで洗い絞った雑巾を両手で押さえ、お尻を上げて「ヨーイドン」と声をかけ、一目散に進むのです。廊下を拭くというよりは濡らす程度で、掃除というよりはゲーム感覚を楽しんだものでした。
 掃除と言えば雑巾です。「汚くなればなるほど綺麗になるものは何~んだ?」「雑巾!!」、「座れば高くなり立てば低くなるもの何~んだ?」「天井!!」などと、なぞなぞを言い合いながら、雑巾を天井目がけて投げ合った子どものころの学校の思い出は、古希を間近に控えた今でも、懐かしく思い出される、田舎の小学校の思い出です。

 新学期を迎えると担任の先生が、「月曜日には雑巾を一人3枚づつ、お母さんに縫ってもらい持参して下さい」と言われれば、母ちゃんにそのことを告げ、ミシンとてないわが家では、母ちゃんが押入れから古い寝巻きを取り出して手バサミで解き、四つ折にして針に糸を通し、夜なべ仕事としてリズミカルに縫ってくれましたが、その鮮やかな手さばきと、等間隔の正しい縫い目に感心したものです。マイ雑巾と分るよう母ちゃんは最後に識別できるよう別の糸で、「しんいち」と名前を刺繍してくれましたが、その雑巾も僅か1学期で穴が開くほどぼろぼろにほつれ、まさに雑巾となりました。その代償として学校の廊下も柱も年輪の堀が分るほどピカピカに黒光りがしていました。

ゲーム感覚で賑やかに掃除をする子どもたち
ゲーム感覚で賑やかに掃除をする子どもたち

 先日年輪塾の浜田さんと話していたら掃除談義となり、子ども体験塾の時、雑巾を何枚か用意して子どもたちに、掃除をしてもらったらどうかという話になりました。妻にそのことを直前になって伝えたため、雑巾をミシンで縫うのが間に合わず、結局使い古しのタオルを8枚用意してくれました。勿体ないと思いつつ、その古いタオルをビニール袋に入れて前日の準備の時、人間牧場へ持参しました。人が来る前には水平線の家の板間に掃除機をかけたり、トイレを掃除したりするのは主人の仕事と決めているので、狭いながらもいつも思いを込めて掃除をしているため、この施設ができて8年目になりますが、比較的綺麗に保たれています。特に一年に2回程度、友人の浜田さんが清掃奉仕に来てくれ、ワックスをかけたりしているお陰もあるのです。

 子ども体験塾のプログラムが全て終わって、帰り支度をしている子どもたちに私が、「これから5分間だけ、使った板間の掃除をします。一班1枚の雑巾を渡しますので、ヨーイドンでみんなで掃除をして下さい」と声をかけると、みんなが我先にゲーム感覚で掃除を始めました。時計を持たない子どもたちは、「進ちゃん、あと何分?」などと掃除をしながら聞くので、5分が経っても「あと2分」などと時間を追加したため、結局は8分程度40人の子どもが掃除をしてくれたお陰で、板間は「来た時よりも美しく」、ピカピカになり大感謝です。
 「掃除もできない奴は大口を叩くな」と、昔言われたことに発奮して、自分で作ったシーサイド公園の掃除を、2年間もやった思い出ももう過去のこと、息子家族と同居し始めて2年になりますが、息子はこの2年、家の1階と2階のトイレを綺麗に掃除をしてくれています。わが息子ながら感心しつつ日々を暮らしています。

  「木造の 校舎の廊下 一列に 並んで掃除 懐かしきかな」

  「天井を 目がけ雑巾 投げつけた その跡あった 学校教室」

  「汚れると 綺麗になるもの 何~だ?と 雑巾なぞなぞ 言ってた昔」

  「お下がりの タオルで掃除 する子らの 姿うれしい お陰で綺麗に」

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人間牧場

〇アルコールゼロのビール

 胆のうの摘出手術をしたのは、もうかれもれ13年前でした。健康診断で引っかかり、県立中央病院に入院して手術を受け、退院したものの術後の回復が思わしくなく、68キロ程度あった体重が2ヶ月で13キロも一気に減り、家族は勿論自分自身も、「もしやガンだったのでは?」と疑ったりもしましたが、体調も体力もそれほど悪くはなく、その頃の体重55キロを維持しながら今日まで、死線を越えることもなく元気に過ごしているのです。この13年間にやったことは、二ヵ月毎の健康診断と、あれ程大好きで毎日飲んでいたビールを、あっさり止めたことです。時折夏の暑い日やビヤガーデンに行った時などは、ビール漬けだった昔の酒飲み虫が頭を持ち上げて、「飲みたいなあ」と思う時もありますが、もう少し長生きがしたいのでぐっと堪えて、自分の意思の強さにあらためて惚れ込んでいます。

ゴングの会で讃岐先生とともに
ゴングの会で讃岐先生とともに(おや?、後で熱弁をふるっているのは松本さんと朝野さんでは?)

 最近結婚式や法事、呑み会で少し私の心情を汲み取ってくれる出来事がありました。それは酒を飲まない私のために、「ノンアルコール」のビールを用意してくれていたのです。これまではビールのまがい物的で、余り見向きもしませんでしたが、最近のノンアルコールのビールは、泡といい味といい喉越しといい、まるで本物そっくりに作られているから驚きです。勿論愛飲家にはその違いは歴然なのでしょうが、最近は第三のビール等安いビールも出現して、どれがどれやら分らぬままに、飲んでいる愛飲家もいるようなので、ノンアルコールのビールは次第に勢いを増す傾向にあるようです。
 一昨晩、道後の文京会館で社会教育実践交流集会のゴングの会がありました。世話人代表の讃岐先生があいさつし、私が指名を受けて乾杯の音頭をとらせていただきましたが、私のコップには並々とノンアルコールビールが注がれ、久しぶりに乾杯宜しく飲み干しました。いやはや爽快でした。

最近飲む機会が多くなったノンアルコールのビール
最近飲む機会が多くなったノンアルコールのビール

 一昨日は人間牧場で子ども体験塾があり、ピザ釜でピザを焼いて、子ども達に振舞いましたが、移動式ピザ釜の片付けやピザ焼きで大汗をかいた浜田さんと戸田さんとともに、冷蔵庫に冷やしていたノンアルコールのビールで、喉を潤わせ感謝しました。
 昨日の夜、食卓に妻が冷えたノンアルコールの缶ビールを一本出してくれました。有難いことですが、このところ喉の調子が悪いので、気持ちだけ受け取り冷蔵庫へしまってもらいました。いやはや幾ら昔ビールが好きだったからといって、さすがにこうノンアルコールのビールで、度がなくても度が過ぎると、少々ヘキヘキで、体内に潜むビール虫が頭を持ち上げそうです。
 明日の夜、会費制の宴会が予定されています。多分明日も宴席に、ノンアルコールのビールが用意されるでしょうが、種類的には炭酸飲料に属するノンアルコールビールも、ウーロン茶と同じく飲み過ぎると害がありそうな気がするのです。

 

 

 

 

 

 

 

  「ゼロゼロと 書かれた数字 目に付くが 飲めばビールを 飲んだ気分に」

  「このところ 何かにつけて ゼロビール 身体にいいか 分からぬままに」

  「ゼロビール 昔の喉を 呼び覚ます 危ない危ない 虫は生きてる」

  「夏が来た 夏はビールだ ビヤガーデン 私ゃひっそり 行く当てもなく」

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人間牧場

〇ふたみのこども什の約束

 双海町こども教室実行委員会主催のふるさと体験塾が、今年もいよいよ始まりました。こうした事業は長年やっていると、得てしてマンネリ化に陥りやすく、募集をしても参加者が集まりにくい難点がありますが、募集をかけたところ今年も41人の申し込みがありました。長年実行委員長を務める私は、ある意味社会教育の半プロですから、理想を求めて色々なアイディアを出しながら、共催と事務局を担当している公民館の職員さんと、毎年色々な仕掛けをやっています。
 そのひとつが「ふたみのこども什の約束」です。私が双海町の教育長をしていた頃学校と協力して作った、「ふたみの子育て10の約束」は今でも使っている子育ての戒めなので、そのこども版を作り、みんなで守ろうという話になりました。時あたかも今年のNHK大河ドラマ「八重の桜」で、会津の「什の掟」が話題になり、それも参考にしながら、発足したジュニアリーダ会にも意見を聞いて、みんなで考えました。

ラミネート加工して配布されたふたみのこども什の約束
ラミネート加工して配布されたふたみのこども什の約束

 実行委員会には町内小学校3校の教頭先生や、新たに由並の幸先生も加わってもらっているので、原案を基に叩いてもらい、このほど「ふたみのこども什の約束」が出来上がり、昨日こどもたちを連れて来た父兄にラミネート加工をして配り、お披露目となりました。
 そして昨日人間牧場で開かれた開講式でも、こどもたちに初披露となり、私がこのことについてショートなレクチャーを30分ばかり行ないました。今年の子ども体験塾は低学年のこどもが多いため、一気に什の約束を全て説明しても頭に入りにくいので、差し当たり昨日は1、命を大切にしようと、2、笑顔であいさつをしようの二つを説明してやりました。約束の説明文に書いている「いのちはひとつしかかりません。じぶんのいのちはもちろん、友だちやどうぶつ、しょくぶつのいのちもたいせつにしょう」とか、「『おはようございます』『こんにちは』など大きなこえでだれにでもあいさつしましょう」とかを中心に話し、最後はみんなで大きな声で復唱しました。全員のとても大きな声が初夏の山々や谷間にこだましていました。

 

 

 さて「ふたみのこども什の約束」は次のとおりです。
 一、いのちをたいせつにしよう
 二、えがおであいさつをしよう
 三、きまりをまもろう
 四、いじめはしません
 五、うそをついてはいけません
 六、かぞくをたいせつにしよう
 七、はやねはやおきをしよう
 八、しっかりごはんをたべよう
 九、せいりせいとんをしよう
 十、たくさんほんをよもう

  「ふたみの子 什の約束 守ろうと 大きな声で 暗唱唱和」

  「印刷を してラミネート 加工した 什の約束 父兄に配る」

  「子どもには 子どもの守る ことがある ジュニアリーダー 智恵働かせ」

  「体験が 大事とばかり 昨年に 続き今年も 塾を開講」

 

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人間牧場

〇人は何歳まで活躍できるのか!!

 昨日の新聞朝刊一面に、エベレスト最高齢登頂に成功した30歳の三浦雄一郎さんの快挙が載っていました。冒険家ですから色々なことに挑戦するのは当たり前でしょうが、三浦さんは70歳の2003年と、75歳だった2008年に2度、同じ山に登頂しているのです。76歳の時スキーの事故で骨盤と大腿骨を折る大怪我をしたにもかかわらず、その怪我をリハビリで克服しての登頂だけに、世界最高峰8848m+史上最高齢を4歳上回る快挙の裏には次男豪太さんや、シェルパ6人の献身的なサポートもあったようですが、それにしても「凄い」の一言に尽きるのです。

 エベレスト登頂のこれまでの記録は、08年に76歳で成功したネパール人の男性(81)ですが、この男性も登頂を目指しているという情報もあり、成功すれば三浦さんの記録は塗り替えられることになりますが、記録とはいつかは破られるものだから、今の記録に大きな拍手を送りたいと思います。
 ふとあくなき挑戦を続けている三浦さんと自分をダブらせながら、「人は何歳まで活躍できるのだろう」と思い始めました。私は今68歳です。三浦さんに比べればひと回りも若いのに、少し体力と気力の衰えを感じながら日々を生きています。気力も体力も衰えないよう極力努力しているつもりですが、それでも折に触れ年齢を感じ、年齢のせいでこうなると年齢のせいにして、諦めているようだと、三浦さんのことを思いながら、「まだ老け込む年ではない」「まだ鍛えようと思えば鍛えられる」と思うことにしました。

 ある心理学者が、「人は希望を失った時年齢に関係なく老いる」「希望を持て生きれば青春は永遠にその人のものである」と言っています。私より若くても既に希望を失っている人だっているのですから、三浦さん程はできないけれど、これから先も希望を持ち続け、気力と体力と知力を鍛えながら、希望的目標に向かって頑張ろうと思いました。妻に言わせれば私は「頑張り過ぎる」で、年齢相応の生き方をして欲しいようです。気力も体力も知力もないのに過度に頑張ると、「取り返しのつかない失敗をする」と危惧しているようですが、まあそれなりに少しだけ背伸びをして、老いのスピードを遅らせなければならないようです。
 最近人間牧場へやって来る人から、「あなたの次の夢は何ですか?」と聞かれることがあり、ドキリとすることがあります。適当にお茶を濁す言葉で言い逃れしている自分に、思わずハッとするのです。ああまた心に湧き始めた夢がうごめき始めました。

  「ヒーローにゃ ナンバーワンや ベストワン 色々あるが 努力の結果」

  「ある人が 山があるから 登るんだ 言った言葉を 思い出しつつ」

  「平凡に 生きて欲しいと 言う妻に これが俺流 平凡という」

  「次の夢 実現するにゃ それなりの 覚悟必要 言い聞かせつつ」

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人間牧場

〇マムシ発見!!騒動

 昨日の朝もいつものように、ウォーキングパラダイスと呼んでいる道を散歩していました。山道や杉や桧の林を歩き終えて、双海中学校横の農道まで帰った所で、道の真ん中に何やら茶色の生き物がうごめいていることに気がつきました。「もしやヘビでは!!」とヘビの大嫌いな私は一瞬たじろきました。見るとかなり大きなマムシのようでした。人通りの少ない農道といえど、これほど人家に近い場所に、「マムシが出るなんて怖い」と思いつつ、どうしたものか見守っていました。そこへ犬を連れて散歩している顔見知りの人が通りかかりました。犬が目敏く見つけ吼え始めました。その人は何を思ったのか私に、犬をつないでいる縄を「持っといて」と渡し、近くに小走りに出かけて少し長めの竹切れを持って来て、辺り構わずマムシを叩き始めました。

 一瞬の出来事だし、その人の見事な手さばきに感心しながら見ているとその人は、やがて血を吐き動かなくなったマムシを竹棒の先で拾い上げ、近くの水が流れる水路へ何食わぬ顔で捨てに行ってくれました。一件落着とはいいながらいやはや心臓がドキドキしました。私は田舎に住んでいるし畑作業等をするのでヘビに出会うことはありますが、マムシはそんなに見ることはありません。見ても山道で車に引かれて煎餅みたいになったものなので、怖くはないのですが、目の前にマムシが現れると話は別です。私の心の中に恐怖感のようなものが芽生え、もし今朝のような助け船となる人がいなかったら、私はどうするのだろうと思いながら、散歩を終えてわが家へ帰りました。

 ふと、私が現職中シーサイド公園の人工砂浜を掃除していたころ、大雨の後大水が出て砂浜に沢山のごみが漂着した時、その漂着ゴミの中に紛れ込んで、生きているマムシが一匹流れ着いて大驚きをしたことを思い出しました。砂浜にはいろいろなものが流れつきますが、海は海水ゆえまさか生きたマムシが流れ着くなんて、誰も思わないはずです。危うく噛みつかれ災難に遭うところでしたが、難を逃れたマムシの話題は今も私の記憶の中に鮮明に残っているのです。
 また講演で訪れた奄美大島瀬戸内町の、役場裏に設置したハブ保管水槽の中に、住民から買い上げたハブがうようよしている姿を見た記憶も心の隅に残っています。
 生き物を殺す殺生は、余り好きではありませんが、人間に危害を加えるマムシはほおっておくと大変なことになるので、人の協力を得て殺してしまいました。今朝のマムシ殺傷処分事件は、事件にならない事件として、「これにて一件落着」となりました。

  「時ならぬ マムシ騒動 驚いて 犬もワンワン 私もブルブル」

  「いや凄い 田舎の兄ちゃん 竹棒で マムシ叩いて 水路にポイと」

  「学校の 横の農道 こんなとこ マムシ出るとは 思いもよらぬ」

  「漂着の ゴミに混じって 流れ着く マムシしたたか 思い出しても」

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人間牧場

〇愛媛県警察少年サポーター研修会

 私はボランティア活動の経歴がそうするのか、色々な役職を頼まれます。年齢的にはそろそろ役職を頼まれても、固辞しなければならないのですが、お金や責任を伴わない本当のボランティアの役職であれば、社会への貢献でもあるので「まあいいか」と、断わる理由も見つからず引き受けています。そのひとつに愛媛県警察少年サポーターというのがあり、再任されたこともあって昨日はその研修会に出かけて行きました。
 午後2時から愛媛県警察本部10回大会議室で行なわれた研修会には、「駐車スペースがありませんので、お車の乗り入れはご遠慮いただきますようお願いいたします」と、案内状に書いていたので、近くの有料パーキングに止めて歩いて出かけました。

 2年前に親しかった県警本部長だった岸本さんが東京へ帰ったため、県警本部には知り人もいなくなり、立ち寄る部署もなく一階で受付を済ませ、エレベーターで10階まで一気に上がりました。出席者は各警察署毎の少年サポーター17名と、警察側から7人が参加していました。会議が始まる前、隣に座った水沼さんは元学校の先生で親しくお話をしました。また大洲の山口さんも2年前に顔見知りとなっていたので声を掛け合いました。伯方の馬越さんは観光推進協議会の会長をされていて、息子が伯方署勤務の時のことを覚えていて、名刺交換しながら観光の話をしました。察するに参加したどの人も、私と五十歩百歩といった感じの立場のようで、少し安心して研修に入りました。

 少年課長のあいさつや犯罪被害者支援室長の被害者支援についての説明があった後、愛媛県児童相談所の田井野牧子さんの「人生はパズル」という講演を聞きました。「相談所や施設から見る少年及び家庭の問題点」という副題がついていて、一時間の話は参考になる話でした。田井野さんの話を聞きながら、ふと児童相談所に永らく勤めていた、親友の大野哲治さんのことを思い出しました。大野さんとは21世紀えひめニューフロンティアグループを結成して、もうかれこれ30年ほど一緒に活動していますが、大野さんから何度も田井野さんが話していたことと、同じようなことを聞かされました。社会や時代の歪に翻弄されながら生きなければならない青少年のことや、親としての素養を身につけないまま生きている親たちのことを思うと、少し空しい気持ちになるのです。

 「子どもは身近な大人をモデルとして成長する」と言われていますが、私たち大人は果たして「信頼できる大人なのか?」と尋ねられたら、どう答えられるだろうと思いました。
 愛媛県内の少年犯罪は数字の上では減少傾向にあるし、少年サポートーの出番も殆どないことは、むしろ喜ばしいことかも知れません。しかし少年サポーターという役職をいただいた限りは、その役職の名に恥じない切磋をしなければなりません。今年もふるさと双海町の子どもたちに、子ども体験塾の活動を通じてふるさと教育をしっかりやりたいし、請われればサポーターとしてお役に立ちたいと思った研修会でした。

  「子どもらは 身近な大人 見習って 生きるのですから しっかりせねば」

  「研修会 話聞きつつ 友思う 同じ話を 幾度か聞いた」

  「出番なし これに越したる ことはない 少年犯罪 減少傾向」

  「今の子が やがて大人に なるのです 因果は巡る 社会の法則」

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人間牧場

〇わが家の農作業道具考

 私の家には親父の趣味が多彩なため、色々な道具類が取り揃えています。中には100Vながら鉄を削る中国製の旋盤まであって、庭の隅に親父が建てた小さな倉庫には、所狭しと道具類が置かれています。親父は綺麗好きで几帳面なため、それらの道具類を整理整頓していますが、親父に比べれば私は息子ながら、どちらかというと反対の気風で、道具を使えば使いっぱなしで整理整頓ができず、若い頃から親父に「使ったら元の場所へ戻せ」と口癖のように叱られてばかりでした。「痩せは直っても癖は治らない」の諺どおり、私68歳、親父94歳なった今でも、時々親父から注意を受ける始末です。それでも親父の注意やお叱りが頭にこびりついていて、最近は随分片付けが上手くなったと自画自賛しているのです。

 昨日の昼、先日年輪塾で出かけた高知県四万十市からの帰路、道の駅みまに立ち寄った際、ネギの苗を二束買い求めて帰りましたが、ネギに加えホウレンソウの種を蒔くため三つ鍬で畑を耕し、畝を立てようと平鍬を探しましたがどうしても見つかりませんでした。親父に聞いても使わないので知らないと、そっけない返事です。仕方がないので少し広めの地掘り鍬で代用して畝を立て、ネギの苗もホウレンソウの種も無事植えつけることができました。
 「巾鍬は一体どこで使ったのか」と気になって、記憶を辿りながら思い起こせば、先週人間牧場でサツマイモ畑を耕運機で中耕して、マルチをかけた際、家から持参した巾鍬を使ったことに辿り着きました。

母の代から50年以上にわたって使っている平鍬と三つ鍬
母の代から50年以上にわたって使っているわが家の平鍬と三つ鍬

 昨日は21日、お地蔵さんの縁日のお接待のため、妻が炊いた赤飯を知人友人、近所に配った折、足を伸ばして人間牧場へ行って見ると、玄関先に無造作に巾鍬が置かれていました。要は置き忘れていただけのことでした。親父に見つかると始末が悪いと言われそうなので、とりあえず軽四トラックに積み込んでわが家まで持ち帰り、鍬類の置いてある場所へ戻しました。
 わが家には家庭菜園での農作業用に幾つもの作業方法によって、使い分ける鍬類が沢山ありますが、私がよく使うのは13年前に亡くなった母が、愛用していたものが殆どなのです。とりわけ三つ鍬と平鍬は土に打ち込む角度といい使い勝手といい私にピッタリで、農作業でこれらの鍬類を使う度に、母の手のぬくもりが蘇ってくるのです。
 鉄類は使えば使うほど光り輝きますが、三つ鍬も平鍬も親子二代半世紀50年に渡る長年の農作業で、そろそろ暇を出したいほど鉄が痩せてきました。下灘の宮内周蔵さんという鍛冶屋さんが手打ちした道具は、まさに「いい仕事してますね」と誉めてあげたい道具なのです。

  「平鍬が ないといっては 大騒ぎ 使い忘れて 親父に叱られ」

  「半世紀 親子二代が 使ってる 地元の鍛冶屋 打ちし鍬持つ」

  「道具類 大事に使えば 元以上 錆びることなく 黒光りする」

  「使ったら 元に戻せと 口癖の ように指導の 言葉未だに」

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