人間牧場

〇広島での講演会(その2)

 講演が始まる前、「少し人集めの努力が足りなかったですね!」と、私を呼んでくれた宇田和博さんがバツが悪そうにポツリ私に話されました。「そんなことはないですよ。地域づくりは数で勝負ではなく、どんな熱い想いの人が集まるかですから!」とお話しをして講演を始めましたが、時間が過ぎるにつれて席が殆んど埋まり、ライオンズクラブ主催といいながら一般の参加者も多く、講演が終わった会場では持参した80枚の名刺が底をつくほど、名刺交換の長い行列ができ、自著本へのサインを求める人も沢山ありました。私は自称「字の下手な男」ですが、下手を悔やんだところで道は開けないと思い、下手糞ながら自信を持って人前でサインを書いているのです。昨日は私の座右の銘と思っている、「人でも仕事でも愛する所に集まってくる」と、広島上下町(今は府中市)に住んでいて先年亡くなった、友人の森岡まさ子さんからいただいた「逢う人も逢う人もまた福の神」という、2つの言葉を選んで書きました。

昨日の講演会のチラシ
昨日の講演会のチラシ

 昨日は夜の会が予定されていたため、幾分先を急ぎました。ホテルの支配人さんに予めタクシーの手配をお願いしていたため、30分の移動時間を見越して、予定の午後4時5分前にホテルを出ることができました。新型プリウスのタクシー運転手さんはこの時間の交通渋滞予想が分かるのか、電車通りではなく大田川の沿線を走り、10分前には船着場に到着してくれました。「20円おまけして1800円です」と言われ、財布から2000円を出し、「お釣りは結構ですたばこ銭にして下さい」と、これまた気風よく200円を差し上げ、大いに喜んでくれました。私にとっては200円の大判振る舞い(笑い)でした。
 帰りの船は途中呉港に立ち寄らない直行便なので、10分短縮した70分で松山観光港に到着しました。

 駐車場の駐車料金は僅か500円でした。車の右側に広がる梅津寺沖の海に大きくて真っ赤な夕日が沈もうとしていました。昨日の朝の愛媛新聞朝刊一面に閏住の菜の花畑が黄色い色鮮やかに紹介されていました。「菜の花や 月は東に 陽は西に」という句や双海の夕日を思い出しながら、次の集会の会場となっている松山市内へ入り、予定された会合にピッタリセーフでした。呑み会だったので小腹の空きを埋めながら、「今日も忙しい一日だった」とカバンの中の予定表を取り出し、明くる日の予定に目をやりました。明日は近所のおばあちゃんが亡くなっているので午前中葬儀に出席、午後は国立大洲青少年交流の家の運営委員会が予定されているようです。忙しくも充実した日々で、私としては重症気味だった風邪もいつの間にか直って、薬を飲むことすら忘れているのです。そういえば忙しくて自分のブログを書くのがやっとで、メールの整理も友人のブログ愛読も、遠ざかっていることに気がつきました。「いかんいかん」です。

  「この本に サイン書いてと 頼まれる 大衆面前 顔を赤らめ」

  「何げなく 一日過ぎる 忙しさ これでいいのか? これでいいのだ!」

  「20円 負けときますと 運転手 これはチップと 200円出す」

  「今日もまた 多くの出会い 重ねたり 名刺めくりつ 顔々浮かべ」

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人間牧場

〇今日は一日広島へ出張です(その1)

 広島双葉ライオンズクラブの招きで、今日はこれから松山観光港へ行き、連絡船で広島宇品へ渡ります。講演は午後からなので終わって帰るのは夜遅くになりそうです。今日は海を渡るので「海外旅行ですよ~」。報告は帰ってからにします。行ってきます。

 

手前が新しい橋、向こうが古いループ橋
手前が新しい橋、向こうが古いループ橋

 今朝こう書き残して家を出ました。今日はラッキーにも家を出る時は、霧のような小雨が降っていましたが、重信川にかかる大橋をわたる頃になると雨は止み、妻が持たせてくれた傘が恥を書きそうな雲行きでした。観光港前の馴染みの駐車場に車を置いて高速船に乗り込みました。いつものことながらこの高速船は松山と広島を僅か1時間10分で走る優れものながら、船賃は飛行機並みで、片道6900円もするのです。私の場合はシニア割引制度があって、免許証を提示すれば20%も安くなるのです。それでも往復1万円は割高で、時間に余裕がある人は片道半額のフェリーを利用しますが、時間は2時間30分かかるのです。

呉港の大和ミュージアム周辺
呉港の大和ミュージアム周辺

 今日の瀬戸内海は穏やかで波風も殆どなく、芸予の島々を左に右に見ながら進みました。音戸の瀬戸にはループ式の橋が架かっていますが、最近その橋と並行して高速道路の新しい橋が架かっていました。高速船やフェリーで何度もこの細い運河のような瀬戸を通過しましたが、清盛ゆかりの音戸の瀬戸を通る度に、平清盛が沈み行く夕日を扇で止めたという逸話を思い出すのです。
 高速船は途中呉の港に立ち寄ります。ここは戦前は海軍、戦後は海上自衛隊の重要な港となっているのです。周りには平和な世の中ですが潜水艦や軍艦が何隻も係留されていて、また近くの造船所のドッグでは10万トン以上の山のような大きな船が造れています。また呉港には大和ミュージアムや潜水艦を屋外展示していて、船の上からもそれらの幾つかを見ることができるのです。

会場に飾られた私の講演会演題
会場に飾られた私の講演会演題

 宇品に着くと、紙屋町行きの市内電車に乗りました。今日の会場は袋町にあるエンジェルパルテというホテルなので、電車を降りてゆっくり歩いて会場へ行きました。玄関で今回口をついてくれた宇田さんが温かく迎えてくれました。早速控室に入り、私の講演の後で講演する予定の山本みずきさんと二人、別室へ案内され、用意してもらった美味しい昼食をご馳走になりました。山本さんは福岡県にある筑波女学園の生徒会長を務める高校三年生で、既に慶応大学法学部に進学が決っているという才媛でした。若い人との交流は何かパワーを貰ったような力強さを感じました。
 13時に開会し13時10分から時間通り90分間「地域おこしの智恵」というタイトルで、話をさせてもらいましたが、いやはや終始和やかな雰囲気の講演会となりました。私は講演会が終ると放免だとばかり思っていましたが、30分の山本さんの話が終ると、司会を交えて3人の鼎談が予定されていて、その間受付で参加者が買った私の自著本にサインを求められ、名刺を交換したりサインをしたり、汗だくのとなりましたが、乱筆ながら何とかその場をしのぎ、名刺も持っていった80枚近くの名刺がまったく空になる盛況ぶりでした。

  「雨上がり 傘が恥かく 春の朝 高速船は スイスイ走る」

  「歳をとる つまらんことと 思いきや シルバー割引 顔がほころぶ」

  「広島は 訪ねる度に 街の顔 変わり驚く 百万都市だ」

  「原爆が 落ちて壊滅 したけれど 助ける人なし 自助努力にて」

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〇久しぶりに三崎半島を訪ねる(その②)

 三崎13里といわれる細長い半島も、整備された道のお陰で私たちの町からでも、ほんの1時間半足らずで行くことができるのです。昨晩は午後7時から三崎町の青少年補導委員会から講演の依頼があり出かけました。三崎中学校に勤める浅野先生とは、先生がかつて国立大洲青少年交流の家で3年間勤務していた頃知り合いました。以来最も近しい友人として交遊を暖め、わが年輪塾のメンバーにも名を連ねているので、私の友人たちとも仲間となって、日々研鑽を積んでいるのです。浅野さんは自分の出身地旧三崎町二名津平磯に喜久家プロジェクトという古民家を使ったマンパワーの交流施設を弟さんとともに立ち上げ、農業体験のできる国際交流を行なっているのです。ブログ記事も毎日のように書いていて、お互いがリンクしながら研鑽を積んでいるのです。

 夕食でもご一緒にと誘われていたので、フェリー乗り場近くの喫茶店で美味しいチャンポンをご馳走になりながら二人で、久しぶりに四方山話に花を咲かせました。伊方町役場三崎総合支所の2階会議室で開かれた昨日の研修会には、50人近くの人が集まっていました。三崎へは何度も足を運んでいるので顔見知りの人も多く、アコウ樹の下で偶然出会った町見郷土館の高島さんが連絡したという塩成の緒方二三子さん、喜久家に逗留している外国人等まあ賑やかな顔ぶれが集まりました。
 演題は浅野先生がつけた「ミラクル高校生! ~地域を変える風~」でしたが、1時間10分間思いつくままに話をさせてもらいました。浅学な私の話でも皆さん熱心に聞いていただきました。

 昨日は満月で、帰るころ見上げた三崎半島の夜空に、丸いそれは綺麗なお月様が印象的に見えました。浅野先生の弟さんからデコポン等を一箱お土産にいただき、月明かりの夜道をほのぼのとした気持ちで引き返し、無事10時頃自宅へ到着しました。
 私は行く先々に心許しあえる老若男女を問わない友だちが沢山いて、とても幸せな人間です。昨日は中学校2年生の生徒さんがお母さんと一緒に私の話を聞きに来てくれました。帰り際声をかけ名刺を渡しましたが、私にとっては忘れれられない出会いとなりました。また田村さんは伽藍山の農地を借りてサツマイモを栽培し、地域づくりに一生懸命取り組んでいて、企業組合さだみさき自然塾を立ち上げたと、永井さんという若い人を紹介してくれました。私にとってはこれらの人をつなぎ合わせて、小さな力を大きな力にしてあげるサポートも欠かせなボランティア活動のひとつなのです。さあ浅野さんたちともう一分張り頑張りましょうか。

  「半島の 見上げた空に 真ん丸い 月が微笑み 仲間を照らす」

  「あの人も この人さえも 知っている 軽く会釈し 話聞き入る」

  「少子化と 高齢化同時 進行す 田舎は何故に 疲弊するのか」

  「私など 田舎暮らしを 楽しんで 今日も元気に 家族とともに」

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〇人間牧場へリーダー養成塾の修了生がやって来ました

 東京にある財団法人地域活性化センターから、「全国地域リーダー養成塾『中国・四国ブロック情報交換会』を人間牧場で開きたいので終了生の前で話をして欲しい」と依頼の文章が届きました。修了生の一人である松本宏さんが絡んでの企画なので喜んで場所を提供し、喜んでお話をすることにしました。参加者は13名ほどでしたが、前日ウエルピア伊予で開かれたえひめ地域づくり研究会議のフォーラムとジョイントしていたため、前夜その交流会に参加していたこともあって、全員との面識もありいい研修の機会となりました。

 私は前日妻に頼んで用意してもらっていた、かまどご飯と味噌汁の食材、それに調理用の水を軽四トラックに積み込み、自宅を午前8時前に出発しました。昨日は少し北よりの風が吹いたいたものの、春の到来を思わせるようないい天気に恵まれました。人間牧場に到着するなり早速先日灰を取り除いて掃除をしていたストーブに、杉葉を使って火を焚きつけ薪を入れて暖をとりました。ストーブは次第に勢いを増して、部屋中がすっかり暖かくなりました。やがて地域おこし協力隊の富田さんやまちづくり学校双海人の校長である浜田さんも姿を見せ、掃除や炊事の準備を手伝ってくれました。

話をする私
話をする私

 やがて松本さんと米湊さんに連れられた修了生たちと、主任講師の明治大学の小田切先生たちがやって来ました。私は味噌汁やご飯を炊く準備をしながら、1時間余り地域づくりの心構えについてお話をさせてもらいましたが、参加している修了生は北は北海道から南は九州鹿児島まで、意識の高い人ばかりで多いに盛り上がりました。
 ご飯を2釜、味噌汁を一鍋作り11時30分から、まさに一汁一菜の質素な食事会となりましたが、皆さん美味しいを連発しお代わりをしてくれ完食でした。妻の用意してくれた鱧やワカメ等の食材も完璧で、ギノー味噌さんからいただいた味噌を味噌汁にしたり配ったりさせてもらいました。

全国から集まった地域どくりリーダー養成塾修了生の皆さん
全国から集まった地域づくりリーダー養成塾修了生の皆さん

 12時過ぎに皆さんは人間牧場を下りましたが、私と浜田さんは残って沸かしたお湯で食器やは釜、鍋を丁寧に洗い後片付けをしたあと、薪割を終えて放置している薪をピザ釜裏の倉庫に積み上げる作業をしましたが、人間牧場・年輪塾塾生第一号の浜田さんはいつもながらの手助けで、大いに片付き大いに助かりました。
 その後、浜田さんと私は西岡さんからいただいていたブルーベリーの苗木を、ウッドデッキ下の斜面にスコップで穴を掘り植栽をしました。この場所は赤土の強酸性土質と思われるので、立派に根付いて欲しいと願っていますが、小鳥の食害に会わないようにしたいものです。ああ機能も充実したいい一日でした。

(追伸、北海道鵡川町から、徳島県佐那河内村から、山口県周防大島町からそれぞれ参加した研修生がいて、知人友人の消息を聞き、世の中の狭さと人の縁の不思議を多いに感じました)

  「集まりし 心ある人 前にして 熱入れ話す 思いつくまま」

  「へえ~ここが 人間牧場 感心し そこここ見つつ 話聞き入る」

  「かまど飯 味噌汁炊いて さあどうぞ ここじゃあこれが 最高贅沢」

  「かまど飯 味噌汁全て 順調に 炊けるようなる これも裏技」

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〇愛媛大学教育学部長三浦先生と人前で対談をしました(その3)

 私がまだ駆け出しの公民館主事だった頃、「連帯を育む教育はいかにあるべきか」というテーマで、鼎談をやるからその1人として参加して欲しいという誘いがありました。2人でやるのが対談、3人でやるのが鼎談くらいしか知らない浅はかな私でしたが、何にでも面白そうだからと首を突っ込みたくなる性格から、前後の見境もなく引き受けてしまったのです。鼎談の相手を聞いて驚いたのは、愛媛県小中学校長会長と国立愛媛大学教育学部長でした。愛媛県公民館連絡協議会主事部会長とはいいながら、何の肩書きもない平の主事の私が何故鼎談者の一人に指名されたのかは今も闇の中ですが、一日がかりの鼎談の模様はテープお越しされて、分厚い箱入りの本になって今も書斎書棚の隅に汗顔ながら残っているのです。

 鼎談が始まる前、教育学部長さんが私に、「若松先生はどこの学府をご卒業ですか?」と唐突な質問をされました。私は人の値打ちを学歴で測っていることに少し苛立ちを覚え、「はい私は公民館大学に在学中です」と学歴詐称のような言葉を返しました。学部長さんは首をかしげ、「はてそんな大学何処にありましたかしら?」と、軽くいなされました。
 やがて鼎談とお礼に設けてもらった食事会が終わり、会場を後にして玄関を出ると、学部長さんが追いかけてきて私に、「若松さん私はあなたに何処の学府を出ているか等と、大変失礼なことを申しました。私は職業柄、その人の値打ちをついつい学歴で推し量るような癖になっていました。あなたの言うように人間は学歴ではなく学習歴だと思うのです。お許し下さい」と深々と頭を下げられました。
 何の学歴もない私は以来ずっと、学歴を問われる所へは行かないようにしていますが、今もほろ苦い経験として脳裏に焼きついているのです。

 偶然ですが、人間こそ違え愛媛大学教育学部長さんと私との対談が組まれました。色々悩みましたが、三浦先生の書かれた文章を新聞の四季録というコラムで読んでいたし面白そうなので、自分の低脳や浅学も省みずあっさり引き受けてしまいました。
 結果は三浦先生の素晴らしい誘導で、何とか恥をかくこともなく約一時間の対談を無事終わることができましたが、大いに汗顔で、中身を反芻して文章にまとめることだけは記録に残るからするまいと、心の中に終いこみました。
 それにしても三浦先生は実に人間的に味のある方で、一回会っただけなのにもう100回も会ったような感じのする、また会いたいと思う人でした。

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〇愛媛養育研究大会(中学校の部)(その2)

 講演の演題は研究主題と同じ「未来を拓く力の育成」でした。さて何を話そうかと壇上に上がって考えましたが、取っ掛かりとして人間四つの願望(①幸せになりたい、②お金持ちになりたい、③健康で長生きがしたい、④望みを叶えたい)ということをまず話し、次に私の人生を振り返りながら、私の人生に大きな影響を与えたことについて、次のことを話したようです。
 ①小学校2年生の時母校の校庭にあった二宮金次郎の銅像を見て、「金次郎さんは何の本を読んでいるのだろう?という疑問が湧き、台座の上によじ登りました。校長先生に見つかり校長室でお仕置きの正座をさせられましたが、そのことが後の二宮尊徳翁夜話の学習につながり、今も讃岐幸治愛媛大学名誉からいただいた金次郎のブロンズ像と、同行二人の案が矢を繰り返しています。大学や論語に興味を持ったお陰で、人間が人間として生きる基本を学びました。

 ②小学校5年生の時、私の誕生日に教室の私の机の上に新聞に包んだ一冊の本が置かれていました。「ジョン万次郎の生涯」という本でした。もしかして漁師の私でも万次郎と同じようにアメリカへ行ける、も知れたいと、淡い夢を抱くようになり、昭和の咸臨丸と銘打った第10回青年の船で太平洋を渡り、建国200年のアメリカに夢が実現して、本当に行けたのです。まさに「夢はドリームではなくターゲットである」でした。アメリカで見た「世界地図の真ん中に日本のない世界地図」は私の価値観を大きく変え、私の町の青年を海外や国内の先進地に派遣して育てる、人づくり10年計画はここから生まれたのです。

 ③高校3年生の時、宇和島水産高校の実習船愛媛丸で南太平洋珊瑚海へ実習に出かけました。その時見た夕日の思い出は忘れることができず、私の潜在能力となり、後の夕日によるまちづくりへと発展し顕在能力に変わったのです。地球が丸いという実感やグローバルな気持ちで、ローカルな行動をすることの大切さを学びました。
 ④愛媛県青年団連合会の会長をしていた時、東京で「愛媛・松山・道後・瀬戸内海・25キロ西」と枕詞を幾ら並べても自分のちを語れませんでした。私の町の子どもが松山の高校に進学しても、自分の町を語れない悔しい思いをしていることを知りました。自分の町を語る物語を作り、自らも語り部となることを誓って夕日や花・ほたるによるオンリーワンのまちづくりを始めました。今やっと自信と誇りを持って、自分の町を語れる子どもがいることを嬉しく思います。

 (今治市、伊予市へ会議に出かけるため、続きは帰宅後書きます。悪しからず。)

私にとってこの①~④の出来事は、後の自分の活動や人生に大きな意味を持つことになったのです。私と青少年とこのかかわりは、①8年間の青年団活動で仲間・故郷・主張・感動・夢という5つの道具を手に入れました。②子どもを4人産み育てました。③社会教育で地域の青少年を育てました。④今やれる青春・一年一事業・社会への揺さぶりという3つのテーマのもと、21世紀えひめニューフロンティアグループで無人島キャンプ・丸木舟瀬戸内海航海などの活動をやりました。自費で人間牧場を造り子ども体験塾やねんりんじゅくなどの活動をしています。
 こうしたことを紹介し、三浦学部長さんとの対談の糸口を掴んで講演を終えました。

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〇出版物を送る

 私のプロフィール末尾に、私の自著本を幾つか紹介しています。最近は電子図書の普及等もあって、紙ベースの出版物が中々売れないと、関係者は嘆いているようですが、私の自著本も私の売る気が満ちてないことから、それほど頻繁に注文が来る訳でもなく、少し本腰を入れて販売しようと思っていますが、講演先相手に嫌がられても困るので、程々を目途にしています。
 それでも今年は春から幸先がよく、福岡県行橋・都自治振興協議会から研修のテキスト用にと、「夕日徒然草」を100冊注文してもらった他、先日は長年ご愛顧をいただいている私のパトロンともいえるギノー味噌の田中正志社長さんに、「夕日徒然草・空の書」をこれまた100冊単位で買っていただき、すっかり舞い上がっているところです。

 私の自著本はネット最大手のアマゾンでも扱っていて、私の手元を離れている自著本がどういうルートか分かりませんが巷に流れているのです。まあその話は今度ゆっくり書きたいと思いますが、数日前広島の友人宇田和博さんからお手紙が来て、来週2月27日に宇田さんの仲立ちで、広島双葉ライオンズクラブの例会で講演をする予定になっていて、その際自著本を販売したらどうかという提案があり、もし荷物になるようだったら事前に送って欲しいというのです。
 私のようなものの書いた本が売れるほど、世の中は甘いものでないことはよく知っているつもりなので、半信半疑といったところですが、お便りまでいただいて悪いと思い、思い切って小さな丁度本が入るほどの段ボール箱の空いたのがあったので、とりあえず「夕日徒然草各10冊」「昇る夕日でまちづくり6冊」「今やれる青春2冊」を萬パイにして郵便小包で昨日送りました。

 届くことは間違いないと思われますが、はてさて本の行方はどうなるのでしょうか。私は本の売り上げは別貯金にしてこれまで一切手をつけず、次の本を出版する時の資金として使ってきました。お陰様でこれまで出版した全ての自著本の初期投資資金は自転車操業ながら、妻の懐をあてにすることもなく全て回収することができたのです。多分その後の自著本販売もそこそこ順調に進んでいるので、そろそろ次の自著本を出したいと、よからぬ計画が心の中で頭を持ち上げているようです。
 人間牧場へ来た人たちも、私と松本小番頭の巧みな誘導作戦に誘われて夕日徒然草を買ってくれているのです。さあもう一分張りしましょうか。

  「自著本を あの手この手で 販売す お陰様にて 資金回収」

  「本売れる 甘い考え 持たぬよう 心戒め 少し控え目」

  「さて次は どんな内容 書こうかな 夢は次第に 大きくなりて」

  「送ったが 売れずに送り 返される それも覚悟で 郵便窓口」

 

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人間牧場

〇今日はお地蔵様の縁日で赤飯の接待をしました

 今日は家の入口近くに祀っているお地蔵様の縁日で、妻はいつもより少し早く起きてお赤飯を炊いていました。わが家がこの地に引っ越して来て36年近くになりますが、その時道沿いに置いてあったお地蔵様を粗末にしてはいけないと、少し高台へ移転してもらい、近所の左官さんに頼んで小さな祠を造ってもらいました。それ以来36年間、妻は毎月21日を縁日と定め、お赤飯を炊いてパックに詰め、近所へお接待を続けているのです。月に一度といいながら毎月赤飯を炊いてお接待を、36年間続ける妻の信心深さには頭が下がる思いです。作った赤飯を配るしか能のない私ですが、今朝は孫たちが私と一緒に隣近所4軒に一緒に赤飯を配って、喜ばれました。

妻が作ったお接待用の赤飯
妻が作ったお接待用の赤飯

 「お父さん、最近は歳をとったせいかしら、21日があっという間に来るような気がする」と言うのです。私も同感で日々の過ぎるスピードが、年々早くなっているような感じがするのです。さて今朝はこれから下灘の親類へ赤飯を配ろうと思っています。長年やっていると頭の中に、配る人とコースが浮かんでくるのです。私が毎月赤飯を配る相手も徐々に歳を加えていて、私の来るのを心待ちにしている人もいるのです。昔は祭りなどに呼んだり呼ばれたりして頻繁に付き合っていた親類も、こんなことでもないと出会う機会が殆どないのです。そういう意味では毎月一回のお赤飯接待の定期便は、お地蔵さんのお引き合わせかも知れないと喜んでいるのです。

家の入口にあるお地蔵様
家の入口にあるお地蔵様

 縁日には親父が幟を立てていましたが、この1~2年は親父も歳をとったため幟を立てるのを止めたようで、何処となしか寂しく感じます。近所の左官さんに造ってもらった祠も鉄筋が露出して少し傷んできたので、設計をしている息子に頼んで設計させ、二人で木造の祠を造ろうと計画していますが、親父は別として私たち親子は不器用なので、上手く行くかどうか心配しているところです。
 今朝も11軒に赤飯のお接待をしました。神仏にあやかって神仏のために働くということは、私のような不信心な人間でも、何処か清々しい気持ちになるものです。何の見返りも求めないところがいいのかも知れません。今月は28日までしかないので、次の3月21日は妻が言うように幾分早く巡ってくるようです。

  「毎月の 21日を 縁日と 定め赤飯 接待配る」

  「よく続く 妻の行い 誉めながら 赤飯食べて 今日も元気に」

  「疎遠なる 親類回り 赤飯を 配って会話 弾み音信」

  「妻炊いた 赤飯神仏 供えつつ 今日の元気を 手合わせ感謝」

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〇サラリーマン川柳

 毎度お馴染みとなっている第一生命保険という保険会社が、毎年一回募集選考しているサラリーマン川柳の入選作100句が発表されました。毎度のことながら前年の国民的話題や職場、家庭夫婦の哀歓を取り入れたものが多く、いずれの作品も頷くことばかりでした。入選作は3万4千9百句の応募作から選出し、ネットによる人気投票で、5月下旬にベスト10が発表されるそうです。

  【サラリーマン川柳の主な入選句】

 「IPS 再生したいな 国・経済」

 「政治家も ビールに負けじと 第三に」

 「党名を 覚える前に 投票日」

 「新入りを 待って幹事を 九年間」

 「電話口 『何様ですか?』と 聞く新人」

 「やな上司 退職したのに 再雇用?」

 「携帯と 亭主の操作は 指一本」

 「読みきれぬ 妻の心と 円と株」

 「すぐキレる 妻よ見習え LED」

 「ノーベル賞 家(うち)にないのは 平和賞」

 「『辞めてやる!』 会社にいいね!と 返される」

 先日私は出張で京阪神方面へ行きました。久しぶりに満員電車に乗りましたが、電車内では殆どの人が指先でスマートフォンの操作をして過ごしていました。私は自分の携帯電話が時代遅れな機種であることに多少違和感を感じながら、スマートフォンを操っている人の様子を遠目で眺め、買うべきか買わざるべきか正直なところ迷っているのです。時流といわれるスマートフォンも使えない、時代遅れなアナログ人間で一生を終るか、思い切ってスマートフォンを買って操作を学ぶか、何年か前思い切って携帯電話を手にしたりパソコンを手にし、大きな成果を得たことを思うと、一歩前に踏み出す勇気が必要なのかも知れません。

 しかし一方では、必要でないものは買わないという、ミエ・ムリ・ムダを省いて生きる勇気も必要なのです。これまでにも私は、その信念でシンプルライフを実現してきたのです。自分らしくどう生きるか、いよいよ真価が試されようとしています。気がつけば私の回りの友人の多くはいつの間にか、スマートフォンにモデルチェンジしているようです。でも私は私として、「携帯と 亭主の操作 指一本」ではない妻の温かさも感じています。
 もう一度自分の生き方を見つめ直してみましょうか。

  「気がつけば スマートフォンが 主流なり 私しゃ遅れた 携帯持って」

  「買えないと 買わない違う 思いつつ 迷う自分は 弱い人間」

  「川柳に 読まれた言葉 ごもっとも 17文字が 時代を映す」

  「俺のこと 時代遅れと 言うのかも それでもいいと 胸張り生きる」

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〇愛することよりも愛されることを望む人が多い世の中

 全ての人ではありませんが、人間は自分が人や動物を愛することよりも、他人や他動物に自分を愛して欲しいと願う気持ちの方が強くて、多いような気がするのです。義理チョコにせよ、いただいた相手に悪いので一概には言えませんが、バレンタインにチョコレートを贈る最近の風潮も、相手の気持ちがどうであれ、自分が相手を愛することより、愛されることを望んでいるような仕草にも見えるのです。
 最近は何を考えているのか分からず、信じ難い同類の人間より、従順な動物の方がまだましとばかりに、ペットを飼う人が増えています。わが家の近所でも、あの家もこの家も家の中で、猫や犬をペットとして飼っていて、ヘヤーサロンにまで連れて行って綺麗に着飾らせ、まるで雑誌の中から飛び出したような、メルヘンタッチなお犬様を抱っこしたり、車に乗せて買い物に出かけたりしている姿をよく見かけるのです。

 田舎は人のことが気になるのか、よく噂話が聞こえてきます。「あの人は・・・」「あそこの家は・・・」とまあ人の不幸を喜ぶように、あることないこと1が2になり、2が4になり、まるで倍々ゲームのようです。何年か前、私が胆のうを患って13キロも体重が一気に痩せた時、「若松の進ちゃんはどうやらガンらしい」という噂が、私の知らない間に隣の集落まで一気に広がりました。自分では口が堅いと自認している集落一番のお喋りおばさんが、私に面と向かって「あんたガンじゃとなあ」と言われ、「どこのガンぞな?」と質問されました。「誰に聞いた?」と聞き返すと、「みんなのえらい噂で、町中知らない者はいない!」というのです。少し頭にきたので「私のガンはキンガンです」と笑い飛ばしてやりましたが、それにしても噂話を信じて、本人に面と向かって聞くこのおばさんも相当いかれているようでした。

 人よりも幸せになりたいという気持ちも、自分が愛されたいと思うことと同じで、そこには愛するという本質的なものが抜け落ちているような気もするのです。数日前所用で出かけた隣の集落で、引越し業者の車が荷物を降ろしていました。狭い道だったので大きな荷物を降ろすしばらくの間、車を止めて待ってあげました。聞けば娘さんが子ども二人を連れて、離婚して親の元へ帰ったようでした。この家には長男夫婦と子どもも2人同居しているそうなので、両親は複雑な心境のようでした。ここにも愛し方と愛され方を間違った小さなミスマッチがあったようです。
 ギリシャの哲学者アリストテレスが「愛というものは、愛されることよりもむしろ愛することに存する」といっているように、「愛されたい、さらば愛せよ」、つまり人は好きになることが好いてもらう大前提であることを、肝に銘じなければならないようです。

  「人は皆 勝手なもので 愛せずに 愛して欲しいと 願うものなり」

  「愛すれば 必ず愛は 報われる 報われないは 愛が足りない」

  「愛の国 生まれ育って 暮らしてる 愛の尊さ 誇りに思う」

  「従順な 犬猫好きは 分かるけど 対立人間 もっと大事に」

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