人間牧場

〇愛することよりも愛されることを望む人が多い世の中

 全ての人ではありませんが、人間は自分が人や動物を愛することよりも、他人や他動物に自分を愛して欲しいと願う気持ちの方が強くて、多いような気がするのです。義理チョコにせよ、いただいた相手に悪いので一概には言えませんが、バレンタインにチョコレートを贈る最近の風潮も、相手の気持ちがどうであれ、自分が相手を愛することより、愛されることを望んでいるような仕草にも見えるのです。
 最近は何を考えているのか分からず、信じ難い同類の人間より、従順な動物の方がまだましとばかりに、ペットを飼う人が増えています。わが家の近所でも、あの家もこの家も家の中で、猫や犬をペットとして飼っていて、ヘヤーサロンにまで連れて行って綺麗に着飾らせ、まるで雑誌の中から飛び出したような、メルヘンタッチなお犬様を抱っこしたり、車に乗せて買い物に出かけたりしている姿をよく見かけるのです。

 田舎は人のことが気になるのか、よく噂話が聞こえてきます。「あの人は・・・」「あそこの家は・・・」とまあ人の不幸を喜ぶように、あることないこと1が2になり、2が4になり、まるで倍々ゲームのようです。何年か前、私が胆のうを患って13キロも体重が一気に痩せた時、「若松の進ちゃんはどうやらガンらしい」という噂が、私の知らない間に隣の集落まで一気に広がりました。自分では口が堅いと自認している集落一番のお喋りおばさんが、私に面と向かって「あんたガンじゃとなあ」と言われ、「どこのガンぞな?」と質問されました。「誰に聞いた?」と聞き返すと、「みんなのえらい噂で、町中知らない者はいない!」というのです。少し頭にきたので「私のガンはキンガンです」と笑い飛ばしてやりましたが、それにしても噂話を信じて、本人に面と向かって聞くこのおばさんも相当いかれているようでした。

 人よりも幸せになりたいという気持ちも、自分が愛されたいと思うことと同じで、そこには愛するという本質的なものが抜け落ちているような気もするのです。数日前所用で出かけた隣の集落で、引越し業者の車が荷物を降ろしていました。狭い道だったので大きな荷物を降ろすしばらくの間、車を止めて待ってあげました。聞けば娘さんが子ども二人を連れて、離婚して親の元へ帰ったようでした。この家には長男夫婦と子どもも2人同居しているそうなので、両親は複雑な心境のようでした。ここにも愛し方と愛され方を間違った小さなミスマッチがあったようです。
 ギリシャの哲学者アリストテレスが「愛というものは、愛されることよりもむしろ愛することに存する」といっているように、「愛されたい、さらば愛せよ」、つまり人は好きになることが好いてもらう大前提であることを、肝に銘じなければならないようです。

  「人は皆 勝手なもので 愛せずに 愛して欲しいと 願うものなり」

  「愛すれば 必ず愛は 報われる 報われないは 愛が足りない」

  「愛の国 生まれ育って 暮らしてる 愛の尊さ 誇りに思う」

  「従順な 犬猫好きは 分かるけど 対立人間 もっと大事に」

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