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〇高知県四万十市西土佐へ(その2)

 愛媛県の田舎は言うに及ばず高知県の田舎でも、過疎化・高齢化・少子化・産業不振などが同時進行し、集落存亡の危機に貧しています。田舎を歩くと、既に人の住まなくなった空き家が目立ち、その空き家も長年の風雪に耐えかねて、崩れしままの醜態をさらけているのです。これほど文明が進んだ世の中なのに「何故」人は田舎を離れて行くのでしょうか。それは私がいつも言うように、田舎の文化の低さなのかも知れません。
 ポンプアップしない限り水は必ず高い所から低い所に向かって流れますが、人間はどうやら水とは逆に文明の低い所から高い所に向かって流れるのかも知れません。じゃあ田舎の文明を高くすれば人が集まってくるはずだと、文明を高くするよう努力してもそこには限界があって、都会を幾ら模倣しても投資に限りがあるのですから、もっと別なことを考えなければなりません。

 そこで考え付いたのが都会には真似のできない長年培ってきた文化を見直し、文化で田舎の魅力を発信するという考え方です。役所に勤めている人に「文化って何ですか?」と問いかけても、「ウーン」というほどですから、一般の人には分かりづらく、ましてや「文化と文明の違いは何ですか?」と聞けば益々疑問の館へ入り込んでしまうのです。文化とは人間の生活様式のことで、生活の仕方や行動の仕方といったソフトです。文明とは道具や機械等のハードウェアーだと説明すれば、少しずつ分かりかけてくるのです。田舎が何かにつけて不便で選択が狭いのに対し、都会は便利で様々な便利なモノを選択できるのですから、田舎が幾ら文明で都会に近づこうとしても勝てっこないのです。私たちはこれまで文明の発展した便利な都会に憧れてきました。20世紀は田舎が都会の文明に憧れる時代だったのです。

 しかし最近人間や自然を犠牲にして発展し続けてきた、文明にかげりが見え始め、文明よりも文化の大切さに気がつき始めたのです。都会の喧騒に疲れた人たちが田舎の文化の良さを再認識し始めたのです。しかし残念ながら時既に遅しで、文化に目覚めないまま諦めた田舎の群集は、一人で立ち上がることすらできないほど疲弊しきっているのです。
 追い討ちをかけるように学校は統廃合され、公共交通機関も廃止され、ガソリンスタンド難民、商店街の消滅によって買い物難民という新語まで現れ、限界集落は増加の一途を辿っています。
 昨日講演に出かけた高知県の集落も、今年度の春小学校が休校になっていました。休校は子どもが増えれば再会できると聞こえはいいのですが、多分増える見込みはなにので残念ながら消え去る運命にあるようです。

旧須崎小学校で開かれた小さな講演会
旧須崎小学校で開かれた小さな講演会

 学校の跡地をどう利活用するかは、これまた大きな問題です。西土佐では今年度から小学校も中学校も統廃合してそれぞれ一校となって、廃校は旧村内にゴロゴロするほどあるのです。昨晩の講演会は心ある10人余りの人が集まり、講演終了後にはお酒付きの交流会まで開いてもらい、議論を深めました。
 会場となった旧須崎小学校は愛媛県松野町と境を接する、目黒川沿いにありました。夜9時40分に会場を後にして、目黒を通って松野~鬼北~三間と走り、三間から高速道路を伊予まで抜けました。帰宅した頃を見計らって和田さんから確認の電話が入りました。無事11時45分に自宅へ帰り着きました。往復30キロを越えていました。

 

  「便利ゆえ 都会がいいと 思ってた 気がつく遅く 立ち上がれない」

  「文明は 少ないけれど 自慢する 文化がありて 俺は田舎で」

  「田舎では 都会予備軍 何人も 育てることに 熱中してた」

  「廃校が 村内ゴロゴロ どうするか もはや庶民の 手には負えない」

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〇孫の保育園の餅つき大会

 息子家族と同居を始めるようになって間もなく2年近くになりますが、五歳の希心と三歳の奏心が通う家の近くの上灘保育園では、小さいながらも運動会や発表会など一年を通じて色々な催しがあるのですが、私は殆ど毎日朝、ふたりの孫を連れて通園するものの、運動会や発表会のお誘いを受けながら、忙しくてまだ一度も孫たちの勇姿を見る機会がありませんでした。
 数日前若嫁から、「お父さん、1月29日の午前中空いている?」と声を掛けられました。早速スケジュール表を見たところ、運よく空いていたので餅つき大会に参加することにしました。後で気がついたのですが、この日若嫁は勤めに出ているため、代役を私に頼んだようでした。

 若嫁が妻に「お父さんにエプロンと三角巾、それにタオルを持たせてあげて下さい」と指示があり、それらを袋に入れて9時の集合時間5分前に保育園に到着しました。保育園のグラウンドでは園長先生が少し土を掘ってかまどの準備をしていました。私が一番折だったのでそれを手伝い、早速かまどに段ボールを破ったり小さい薪を入れ、はがまにお湯を入れて着火マンで火をつけました。薪が杉の残材だったため、またこの日は無風の好天に恵まれたため火は直ぐに勢いを増しました。園児に見合ったもち米は一臼一升余りの小臼で、セイロに仕掛けたもち米はあっという間に蒸せました。
 やがてまるでお月さんの餅つきとでも表現したいオモチャのような木の臼と杵が用意され、園児たちが元気に出てきました。

小さな臼と杵
小さな臼と杵

 

みんな仲良く
みんな仲良く

お手伝いの父兄の殆どは、お母さんたちが働いているのか、私たちのようなおじいちゃんやおばあちゃん族だったため、段取りもテキパキできて園児たちが順番に掛け声をかけてつくお餅を、丸めたりイチゴ大福にしたりしました。
 私は園児たちが杵で餅をつく介添えを担当し、順番に子供たちと一緒に怪我しないように餅をつきました。この日は子と七番の冷え込みでしたが、厚着をしていたためお陰様で大汗をかいてしまいました。園児たちはつきあがったいちご大福や餡餅をお行儀よく並んで座り、「美味しい、美味しい」と言いながら食べていました。私たち父兄もお裾分けをいただきましたが、園児のついた餅は実に美味しくいただきました。

孫奏心君
孫奏心君
孫希心君
孫希心君

 孫たちは家庭で時々悪ふざけをしますが、家を出る時悪ふざけをしないよう指切りして約束をしていたため、私の顔色を時々覗っていましたが、自宅に帰った孫たちを「よくやった」と誉めてやりました。
 餅つきは11時過ぎに終りましたが、買い物ごっこをするのでどうぞと誘われましたが、来客予定があったので、お餅のお土産を貰い草々に保育園を後にしました。結局エプロンも三角巾も使わず終いで、忘れて帰ってしまい、お昼に再び取りに行きました。
 育爺の仕事も忙しくて中々できていませんが、「これからも機会を見つけて是非保育園へ来て下さい。来年度は是非ご講演をお願いします」と延長さんに頼まれてしまいました。昨日は楽しい一日でした。

  「孫たちの 通う保育園 餅つきに エプロン持って 参加しました」

  「可愛らし まるで兎の 餅つきの ような臼・杵 ペッタンペッタン」

  「孫たちが 摘んだ蓬の 草餅を 食べて早春 季節移ろい」

  「育爺も 少しだけだが 役に立つ 孫もお利口 約束果たす」

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〇壱岐原の辻遺跡(壱岐への小旅行その4)

 私は今回の旅でラッキーにも、壱岐の原の辻遺跡を見学することができました。博物館からいただいた資料には原の辻遺跡について次のような紹介文が書かれていました。

原の辻遺跡
原の辻遺跡
原の辻遺跡
原の辻遺跡

 原の辻遺跡は今から約2000年前の弥生時代に栄えた多重の環濠を持つ集落です。中国の歴史書「三国志」の中に書かれた「魏志」倭人伝には邪馬台国をはじめ、様々な国の様子が記されています。記された国の中で、国の場所と王都の位置の両方が特定されるのは国内で唯一「壱岐・原の辻遺跡」だけです。魏志倭人伝の2008文字の中で57文字が壱岐に関する情報として記されていて、立地的に豊かな自然に恵まれていること、多くの人が息で生活していたこと、海を舞台に積極的に積極的に交流していたことが伺えるのです。遺跡からは東アジア最古の船着場跡や大陸との交流を物語る遺物が多数発見されています。玄界灘に浮かぶ壱岐は大陸や朝鮮半島と日本を結ぶ架け橋として重要な役割を果たしていたことが分かる遺跡として、遺物でいうと国宝にあたる「国の特別史跡」に指定された日本を代表するいせきの一つです。

降籏課長さんとともに
降籏課長さんとともに

 

 かつて佐賀県にある吉野ヶ里遺跡や青森県三内丸山遺跡を見学して環濠集落などについてはおおよその知識を持っていましたが、それらに匹敵する素晴らしい遺跡でした。
 原の辻遺跡の見える小高い丘の上に壱岐市立一支國博物館がありました。日本を代表する建築家黒川さんが設計したという施設は屋上緑化されていて、まさに自然に溶け込んだ素晴らしい施設でした。
 3日目の研修プログラムはこの施設内の3階で行なわれたため、施設内の見学もさせてもらいましたが、展示物は超一級品ばかりでジオラマも精巧にできていました。

 

環濠集落のジオラマ

 

交易船の模型

  この施設には離島としては珍しい長崎県の埋蔵文化センターが併設されていて、普通埋蔵文化財は別の収蔵庫等があるのですが、ここでは収蔵品も展示するという施設となっていました。シルクロード・ビューシアターでの映像紹介が終わると、スクリーンが自動的に下がり、本物の原の辻遺跡が眼下に広がって見えるストーリーは脱帽でした。島ゆえ見学者の数は少ないと思われますが、一度は訪ねてみたい超一級の展示施設でした。

  「原の辻 環濠集落 遺跡見る 弥生の人の 暮らし彷彿」

  「三本の 指に入ると 自慢する 宝箱物 生かす手立てを」

  「有名な 建築する人 考えた 立派建物 目耳に疑問」

  「魏志倭人 聞いてはいたが 目の当たり 五十七文字 ロマンかき立て」

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〇念願の長崎県壱岐へ(その2)

 長崎市香焼町に住む親友の武次さんの一本の電話から、長崎県壱岐への小さな旅のドラマが始まりました。「1月26日の予定は空いているか」という携帯電話での連絡に、「前日は終日日程が詰まっていて、長崎経由で壱岐へ行くには道中が長過ぎて、当日の移動は無理かも知れない!」と否定的な返事をしました。武次さんには昨年の11月に長崎へ招聘したいという話を、「鳥取県岩美町へ出かけてる予定があって」と断わっていた経緯もあるので、とに角依頼のあった長崎県担当者の話を聞いて判断すると、お茶を濁してしまいましたが、おっつけ連絡のあった長崎県教育庁の松尾先生の話だと、長崎県だのに博多から、壱岐への高速船が出ているので、間に合うかも知れないということで検討を始めました。博多発は10時35分、壱岐芦辺着が11時40分だと前日の夜博多入りしておけば何とかなると、長年の念願が叶って壱岐へ行けるという嬉しさもあって、あっさり引き受けてしまいました。

講演会場に掲げられた看板
講演会場に掲げられた看板

 今回は「日本の宝『しま』体験交流事業」という名称で、青年を対象にした事業でした。地域おこしに関心のある20歳以上の青年20人ほどを2泊3日の日程で、県内から募集するという話には大いに賛成ながら、果たして青年が集まるかどうか多少不安もあったよですが、人数も確保されての開催となったようです。
 芦辺港まで長崎県庁の生涯学習課長さんや、担当の古瀬さんにわざわざお出迎えいただき、昼食後一般の方々も参加して私の講演となりました。若者に少しシフトをさせながら90分間話をさせてもらいましたが、どの青年も熱心に私の話しを聞いてもらい大満足でした。
 県の降籏生涯学習課長さんは文部省からの出向で来られた方でした。以後島を離れるまでの2日間、研修や交流会等の暇を見つけて意見交換を行ないましたが、担当の古瀬先生ともども、中々人間的にも温かく大いに盛り上がって話をさせてもらいました。
 先日西海市生涯学習推進大会が終ってから、11月14日~15日の両日、長崎市で開かれる第43回九州ブロック社会教育研究大会の記念講演の講師を引き受けてくれないかと内諾打診があり、引き受けることを内諾していて、またまた長崎とのご縁が深まろうとしているのです。

講演会場
講演会場

 今回の研修に参加した青年たちはみんな真面目で、わずか1泊2日の研修でしたが、20人ほどの小集団ということも幸いし、大いに話しこむことができました。今の自分や地域の置かれている立場、今やっていること、これからやりたいこと、今思うことなどなど青年たちの悩みも深いようですが、私は多いにシンパシー(共感・共鳴・共有)を働かせることができ、再会を約束して別れました。
 ふと私が彼らのような若い頃何を考え、どんな行動をしていたのだろうと、若い頃を振り返ってみました。私は18歳から26歳までの8年間青年団に入団し、青年団長や青年学級委員長をこなしながら、仲間・主張・ふるさと・感動・夢という5つの道具を手に入れることができました。また青年の船に乗ってアメリカやメキシコへ行くことによって大いに異文化ギャップを体験し、大きな価値観の変化を得たのです。また21世紀えひめニューフロンティアグループを組織して、無人島に子どもたちを連れて行くなどボランティア活動にも積極的に取り組みました。今の自分があるのは青年期に人生の土台を、しっかりと作ったからだと述懐するのです。青年時代の生き方が自分の人生を決めるのですから、青年たちには大いに頑張って欲しいと願っています。

  「友人の 口利き講演 ありがたや 小さな旅の ドラマ活き活き」

  「いい人に 巡り逢ったよ 今回も 少しだけれど 進化の後が」

  「青年の 時期の生き方 人生の 土台なるゆえ 頑張らなくちゃ」

  「また会おう 硬い握手を 忘れない この次どんな 成長してる」

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〇今回もいい旅の思い出ができました

 一度は行きたいと思っていた憧れの島、長崎県壱岐へ行って来ました。今年は春からいい予感です。続きは帰宅が23時50分と深夜になっているので、明日にします。お休みなさい。

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〇練習を怠っているハーモニカ

 以前は家庭にいる時、よく練習していた手持ちのハーモニカも、最近はすっかりご無沙汰で、吹いていないことに気がつきました。というのも県外の出張先から帰宅して、出張の間に読まなかった新聞を、まとめ読みした折、1月21日(月)付けの新聞朝刊に、4ページに渡って「日本の演歌・全126曲」という見出しのユーキャン広告が載っていたからです。美空ひばり・北島三郎・八代亜紀・三波春夫・川中美幸・舟木一夫・五木ひろし・島倉千代子・千昌夫・鳥羽一郎・石川さゆり・村田英雄・吉幾三・細川たかし・都はるみ・森進一・水前寺清子・大川栄策などなど、往年の演歌歌手の顔写真がずらりと並び、昭和から平成までのヒット人気曲126曲が納められているCDを、通販限定で買わないかというお誘いでした。

ユーキャンの新聞広告
ユーキャンの新聞広告

 見開きのページを開くと、第1巻から第7巻まで、1巻にそれぞれ18曲が納められているのです。私はどちらかというと古い時代の人間といわれる古風なタイプで、演歌が好きで、酒を飲んでいた頃は二次会・三次会と繰り出してカラオケで、下手糞ながらマイク片手によく歌っていました。下手糞を自認しているのに、お客さんが拍手をしてくれるので、酒の勢いを借りて有頂天になって歌うのですが、エコーの効いた声とテレビ画面に映し出されたイメージ画像に酔い痴れ、まるでスター気取りのようでした。
 酒を飲まなくなってから、早くも10年以上が過ぎました。足繁く通っていた馴染みの店もすっかり遠のき、歌うことなど殆どなくなってしまいましたが、古きよき時代だったとしみじみ思うのです。

 北の宿から・さざんかの宿・おもいで酒・浪花恋しぐれ・矢切の渡し・王将・柔・ふたり酒・チャンチキおけさ・風雪ながれ旅・昔の名前で出ています・祝い船・兄弟船・霧にむせぶ夜・人生峠・奥飛騨慕情・嫁に来ないか・悲しい酒・人生劇場・北帰行・哀愁波止場・長良川艶歌・ふるさと・襟裳岬・星影のワルツ・北国の春・酒よ・高校三年生などなど、懐かしい歌が目白押しでした。
 私は早速書斎に置いているハーモニカと、木になるカバンの中に忍ばせているハーモニカを取り出し、思いつくまま何曲か吹いてみました。今年最初の練習だけに最初はこわごわでしたが、そのうち口も滑らかに吹けだしましたが、そのハーモニカの音色を聞きつけた孫が書斎にやって来て、「それ何という歌」とか、「ドラえもんの歌を吹いて」と、あつかましくまとわりつきました。いやはやハーモニ家を自認する私も、孫にあったら形無しでした。

 「涙にくれる切ない夜に、ふと酔いたい歌があります。」「日本男児の熱い人情と心意気、歌って元気が湧いてくる。」「行き交う男女の情愛を語る、大人の歌に聴き掘れる。」などと書かれた中見出しは、私の忘れかけていた昔を思い出させてくれました。演歌は古いとかよく言われますが、演歌には日本人が忘れかけていた温もりを感じます。古いと言われても私はこれらの歌をハーモニカで吹きながら心の中で歌い続けたいと思っています。歌っていいですね。でもこのCDを買う勇気もお金もないのです。

  「新聞の 演歌広告 懐かしく ハーモニカ吹く 昔ありあり」

  「カラオケで 歌った歌を 思い出す あの人今は どうしているか」

  「ドラえもん 吹いてと孫に せがまれて 吹けぬ自分が 恥ずかしくなり」

  「演歌など 古いと人に 言われよが やはり私は 演歌が似合う」 

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〇活字は選択の技術や方法が学べる智恵である

 私の町には残念ながら本屋がありません。故に活字の読み物は毎日届く新聞朝刊や、市から毎月届く広報程度なのです。活字離れの時代といわれていますが、こうも活字不毛な場所に住まなければならないのかと、嘆きつつ日々を暮らしています。私と同じ年代に生まれ、私と同じ職場に勤めて退職し、私と同じ町内に住んでいる人がいて、私と同じ境遇を嘆いて生きているだろうと思いきや、先日出会って立ち話をしたのですが、そんな悩みは何処吹く風で、静かで一向に困っていないという言葉が返ってきました。
 その人は役場を退職した時、パソコンのような面倒くさいものはやらないと心に決めて、パソコンからも遠ざかっていて、パソコンでの活字にも出会わず、私が毎日武器のように使って読んだり書いたりしているブログ等、「ブログって何?」という有様で、まったく話がかみ合いませんでした。その人はこの3年間、一度も本屋さんに入ったことがないそうで、本屋さんに覗かなかったということは本を一冊も買わなかったと推測できますが、それでもその人は、何の不自由も感じないまま生きていられるのですから、世の中や人生はまか不思議な世界なのです。

 このところ出張した所が小倉や博多、大阪、松山といった私たちの町から見れば大都会だったため、乗り継ぎの少しの時間を見つけて本屋に立ち寄りました。そして小遣い銭をはたいて10冊ほど文庫本を買い求めて帰りました。本は重たく、同行二人を決め込んで持ち歩いている、二宮金次郎のブロンズ像とともに、背中に背負ったリュックは、肩にズシリと堪えるほどでしたが、読むことの喜びが上回って、さほど苦にはなりませんでした。
 私が買って帰った新刊図書の山を見て、「これほど沢山の本があるのにまだ買うの?}と今回も妻に笑われましたが、私の知的エネルギーの源だけに、パソコンや本に払うお金に対しては、妻も余り文句を言わず今のところ助かっています。

 自主的に選ぶことができなくなったとき、私たちは生きる意味を失います。生きるとは選ぶことです。私は今回の講演旅行で寸暇を惜しんで本屋に立ち寄るという、取るに足らない小さな選択をしただけで、新たな選択の無限の世界が広がり始めました。少し高い本だったので、買わず立ち読みに留めましたが、たまたま開いた燻製づくりの本は、アウトドアーの過ごし方に大きなヒントを与えてくれました。早速昨日は列車の中で思いつくまま、旅程をプリントした用紙の裏側に、ボールペンで下手糞ながら絵を書いたりして楽しみました。
 今私たちは混迷したりスピードの速い時代の中に生きています。そして洪水のように流れる情報の中で何を選ぶか迷いながら生きています。故に選択は現代人の私たちにとってもっとも重要なことであることは、誰しも認めるのです。活字はその選択の技術や方法を学ぶ智恵かも知れません。さあうず高く積み上げた買ったばかりの本をしっかりと読みましょう。

  「これほどに 本があるのに また買った 呆れた妻の いつもの言葉」

  「この三年 本屋へ行かない 友がいる それでも彼は 不自由もなく」

  「本代は 知恵に生かせば 安いもの これから先も 本は読みたい」

  「空想を 巡らすことが 楽しくて それを絵に書き 一人微笑む」

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〇三重県尾鷲観光物産協会から講演に招かれて(その2)

 協同組合尾鷲観光物産協会の招きで、三重県尾鷲市へ行きました。どんな趣旨でやるのかも余り分からぬまま引き受けたものの、送られて来たパンフレットを見ると、「みえ地域コミュニティ応援ファンド、財団法人三重県産業支援センター事業」という冠のついた事業なので、地域の活性化についての話しをすればいいと勝手に思い込んで、正直なところほんの少しだけ準備をし、殆どはいつものように出たとこ勝負のアドリブでの対応となりました。駅まで出迎えに来ていただいた河中事務局長さんの案内で尾鷲の街中をそぞろ歩きし、大瀬という老舗の海産物屋へ立ち寄ったりして、時を過ごしました。

主催者が作成した私の似顔絵入りのパンフレット
主催者が作成した私の似顔絵入りのパンフレット

 講演会は午後7時からなので、1時間半ほど前に会場入りしました、尾鷲の湾内や、中部電力火力発電所の高い三又煙突を眼下に望む高台にある、三重県が威信をかけて尾鷲桧で、20億円もの巨費をかけて造ったという熊野古道センターの見事さに、感心しながら展示物を見学させてもらい、幾分かの知識を学ばせてもらいました。
 やがて尾鷲観光物産協会の理事長さんや市役所商工観光課長さんたちもあいさつに見えられ、私が事前にインターネットで調べていた尾鷲の実態が、雑談の中でおぼろげながら飲み込めてきました。参加者は60~70人ほどでしたが、比較的若い女性も多く、熱を込めて話をしました。
 講演が始まるようになって、パンフレットを見て気がついたのですが、今回の講演会は演題がないのです。しかしそのことを確認もせずに90分も話をするのですから私もいい加減といえばいい加減です。

 

 

 

 

 それでも、講演会が終ると私の所へ何人もの人が名刺交換にやって来て、20人ほどと名刺交換をさせてもらいました。その中には隣町紀北町の上村さんや野間さんという熱心な職員さんもいて、わざわざ沢山の資料をいただきました。私はその重い資料を明くる日、リュックサックに入れて自宅まで、難儀をして持ち帰ったのです。その熱意は凄いと思いました。
 今日は松山まで妻に迎えに来てもらいましたが、少しだけ疲れたようなのでこの辺でお開きと致します。

  「気がつけば 演題もない 講演会 それでもたっぷり 話せる私」

  「二十億 かけた桧の 施設見て ご立派立派 度肝抜かれる」

  「この資料 読んで下さい 手渡され リュックに入れて 肩にずしりと」

  「この街に 往時をしのぶ 老舗あり カツオにアワビ びっくり本物」

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〇エネルギーのまち伊方町を訪ねる

 東日本大震災以降何かと気になるエネルギーのまち伊方町を、久しぶりに訪ねました。かつてイクナ国道などと悪評され、行くなといわれた三崎半島も、半島の付け根に位置する保内町の南北に縦断するように掘られたゴゼとい、う長い長いトンネルによってすっかり便利になり、瀬戸内海側にある私の町から、宇和海側にある伊方町の中心へでも、約一時間で行けるのですから、これはもう隔世の感がするのです。
 伊方町といえば四国電力の伊方原子力発電所のある所で、この20~30年何かと話題になってきた町です。建設反対や賛成、ブルサーマル反対や賛成、東日本大震災以降再稼動反対や賛成と、いつの時期にも意見は真っ向から対立した形ですが、それはどちらかというと外側に住んでいる人の意見で、内側の町に住んでいる人たちは、電源交付金という国策がもたらす潤沢な資金を使って、様々な恩恵に浴しながら今も生き続けているのです。

 定期検査以来停止している発電をいつ再稼動するのかが、もっぱらの関心事だし、今まで知らされることもなく、考えることもなかった安全神話を信じて、何の疑いもなかった私たち30キロ圏内に住む私たちも、福島第一原発の事故以来、不安と同居しているというのが正直なところです。
 そんな伊方町の伊方中学校から、人権参観日に講演をするので来てくれないかと依頼がありました。人権に関しては余り得意でないので断わろうとしましたが、たっての頼みとあって、少し引けた気持ちで引き受けてしまいました。数日前学校から電話があって、私の話しの前に三崎高校の進学についての説明会を先にするので、時間を少しずらして欲しいと言われました。実はその日は講演が終われば三重県尾鷲への講演に旅立とうと思っていたので、やばいと思いつつ旅程を変更させるのに一苦労してしまいましたが、今朝でも何とか間に合いそうなのでほっとしているところです。

 昨日は出発する頃あいにく小雨が降り始め、雨の中を少し余裕を持って出かけたため、1時間も早く到着しました。中学校の位置を確認した後、港の近くにある伊方町役場を訪ねました。これも何年ぶりかでした。私の友人はあいにく出張で留守でしたが、さすが愛媛県でも屈指の財政的に豊かな町だけあって、屋上にヘリポートを供えた庁舎の立派さには、度肝を抜かれましたが、海抜ゼロメーターの立地に津波の心配がふと頭を過ぎったのも無理からぬところです。
 昨日は三崎半島を中学生が雨の中、ウォーキングをしていました。多分どこか近くの中学校が少年式の記念に、三崎半島を歩いているのだろうと想像しながらやり過ごしました。
 学校に到着すると玄関の黒板型看板に、「若松様ようこそお越し下さいました」と書かれていました、校長室に案内され、校長先生と雑談をしながら時の来るのを待ちましたが、校長先生は私の話を松山で2~3度聞いているそうで、随分赤面してしまいました。

(この続きは、これから三重県へ向かうため出かけるので、帰ってから整理をしたいと思っていますので、悪しからずご容赦を・・・・。そうそう帰りは明日の夜になります。アメーバブログはあいにくメンテナンス時間なので書き込むことができず、今日はお休みです。)

 

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〇おひねりで840円の投資

 昨日、招かれた長崎県西海市の生涯学習推進大会で、ある女性から講演中ティッシュに包んだおひねりをいただきました。普通おひねりは小銭なのでしょうが、貰った相手に失礼と思いつつ、あえて中身を公表すれば千円札でした。千円もおひねりをいただいたので、私の木になるカバンに入れて持ち歩いている「夕日徒然草」という、自著本を差し上げようかとも思いましたが、講演を中断することもできず、講演終了と同時にお互い別れ別れとなって、目的を果たさず帰宅の途に着いてしまいました。
 小倉までの往復キップを買っていたので、とりあえず特急みどりとソニックを乗り継ぎ小倉まで帰りました。次の新幹線乗継までの待ち時間の間に、JR小倉駅構内にあるKUMAZAWAという本屋に立ち寄り、いただいたおひねりを有効に生かすには、私の知的進化につなげれる物をと考え、作家五木寛之著の「選ぶ力」という本を買いました。

 

おひねりで買った「選ぶ力」という本
おひねりで買った「選ぶ力」という本

 本屋へは松山へ行ったついでに時々立ち寄るものの、本屋さえない田舎の町に住んでいると、本がなくても日々の暮らしはできるため、ついつい暮らしの中から本が遠のいて、気がつけばむしろネットで検索して読む、デジタル文字とのつながりがりの方が多くなっているのです。本屋ではいつものように幾つかの本棚を無意識に回りながら、幾つかの本を立ち読み・ただ読みしながら、一冊の本の前に立ちました。本の帯に「人生とは選択の連続である」と書かれたその言葉が妙に気になり始め、私の癖であるはじめにと、目次と終わりにを一気に読みました。傍を咳をしながら歩く店員さんを気にしながら、このまま本を買わずに出るのも悪いと思いながら、その本を手に取り、おひねりで貰った千円の範囲内で買える840円の投資をして、本にカバーをつけてもらい、お金を払って本屋を出ました。

 この本に書いているように、人生とは選択の連続だとしみじみ思いました。この二日間だけでも、船にするか、列車にするか、何処に止まるか、何時の列車にするか、列車は指定席にするか自由席にするか、朝飯は何を食べるか、久しぶりに出会った友人に何を言おうか、講演ではどんな話をしようかなど、色々自分の心の中で小さいながら葛藤をして、自分なりに選択して過ごしてきました。その選択が100%パーフェクトではなかったと、思いつつ二日間の行動を思い出していますが、復水盆に返らずの例えの如く、今となっては諦めるしかないのです。
 この本に書かれているように、例えば健康の話しでも、早起きは三文の徳といわれる一方で、早起きは余り身体によくないとか、酒は百薬の長といわれるものの、酒を飲むと必ず脳細胞が壊れるという医師の話も、またタバコは百害あって一利なしといけれど、タバコを吸っていても百歳まで長生きしている人だっているというのですから、何を信じて選択すべきか、情報が錯綜して届くため大いに迷うのです。
 自分の道をどう探すか、「選ぶ力」という本を読んで益々私の選び方は混迷の度を深めたようですが、自分が正しいと思って生きることが何よりだと、納得した本でもありました。840円の知的進化のための投資は、既に十分役に立とうとしています。おひねりを下さった女性に感謝します。つり銭の160円は私の貯金箱に入れ、次の投資のために役立たせて下さい。

  「おひねりを 貰った金で 本を買う 選ぶ力が 迷い危ない」

  「人生は 毎日毎日 選択を しながら歩く 故に楽しく」

  「ああしもた あの時あれを あんなにと 反省するも 後の祭りに」

  「結局は 自分が決める ことゆえに 納得すれば それでまたよし」

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