〇私の苦手なもの(その1・コーヒーが苦手)
私には得意なものと苦手なものが沢山あります。暇を見つけて少し苦手なものをブログに書いてみようと思い、先日滋賀県米原へ行く手持ち無沙汰な列車の中で、いただいた名刺の裏が白いことをいいことに、名刺をいただいた人には大変失礼ながら小さな文字で、苦手なものを20ばかりメモしました。しかし健忘症とでもいうべき私は、そのメモしたことすらすっかり忘れていましたが、昨日の夜名刺の整理をしていたら、その名刺が出てきました。
メモのトップは「コーヒーが苦手」でした。私はこれまでコーヒーを口にしたことは余りありません。最初にコーヒーを飲んだのは高校3年生の時、宇和島水産高校の実習船愛媛丸でオーストラリア近くの珊瑚海へ遠洋航海に行った折、寄港したイギリス領ニューへブリデス・エスピリッツ・サント島で、初めてネスカフェのコーヒーを口にしましたが、18歳の若松青年は苦くて思わず吐き出してしまったのです。これが私の後にも先にもコーヒーを飲んだ一回限りの経験なのです。
以来私はコーヒーが飲めないというよりは飲まなくなって50年の時が流れました。青年の船で30歳の時、建国200年のアメリカを訪問したアメリカでは、コーヒーが日常的に飲まれている場所に何度も出くわし、コーヒーを勧められましたが、「ノーサンキュー」で通しました。
コーヒー通の人から「あんな美味しいものを何で」といつも言われますが、コーヒーの匂いが嫌いなのではなく苦味が嫌いなのですから、まあ飲まず嫌いといったところでしょうか。最近は和食を食べた後でも食後のコーヒーを飲むのは常識とばかりに、飲む人が多くなっているようですが、こればかりはどうにも理解ができないのです。自分では純日本人だと自慢していますが、コーヒーも飲めないようで、はどうやら国際社会では生きて行けないようです。
コーヒーが嫌いあこともあって、私は喫茶店に入ることは殆んどなく、コーヒーを飲むための小銭も要らないのですが、喫茶店で1時間も2時間も過ごす人の気心も分かたないのです。
世の中は面白いもので、私のようなコーヒー嫌いな親の長男息子が、好きになって結婚したのは、何と喫茶店を経営する家の長女娘なのですから、私の顔が苦味ばしるのも当然だと思うのです。息子嫁は最近になって孫たちが少し大きくなって保育園に通うようになり、出里の喫茶店でパートで働いています。そんなこんながあるものですから、私も時々友人を連れて行ってコーヒーをご馳走したりしますが、私はその喫茶店でブラックならぬホワイトを飲むのです。カウンターに座るとマスターを務める息子嫁のお父さんが、何も言わなくてもホットミルクを用意して出してくれます。これはまるでブラックユーモアのようです。
私は温かい緑茶党で、食事の度に妻が用意してくれた温かい緑茶をすすっていますが、多分死ぬまでコーヒーは飲まないでしょう。妻はカフェインに弱いのに、コーヒーや濃いめの緑茶が好きですが、寝る前に飲むと目が冴えて眠れないので寝る前には控えているようです。
「コーヒーを 飲まない理由 聞かれると 飲めば女性に 抱きつく癖と」
「コーヒーを 飲まない俺の 息子嫁 何故かコーヒー 縁あり不思議」
「コーヒーを 飲まずに生きた 50年 理解できぬと 愛飲仲間」
「コーヒーが ガンにいいから 飲めという ガンになっても コーヒー飲まぬ」