○夕日が沈むころになると血が騒ぐ
私が夕日夕焼けを意識し始めたのは30代の頃です。以来30年を超えて夕日夕焼けに思いを寄せてきたため、夕日が沈むころになると体がムズムズして、何か血が騒ぐような気がするのです。そんな私を見て仲間は「今世紀最大の詐欺師だ」とパロディ豊かに笑うのです。夕日は日本中、いや世界中何処にでも沈むのに、「双海町の夕日が日本一だ」と信じ込んでいるばかりか、色々な仕掛けを作って周りを信じ込ませようとしてきたのです。そんな奇妙な行動が納得できず、時には大きな反対にも会いましたが、それでも人の百倍も夕日を愛し、「夕日のことだったら若松に聞け」と言われるほどに自著本まで出して、夕日の神話を作り上げてきたのですから、「今世紀最大の詐欺師」と言われても快い響だと納得するのです。
政争の過程で袂を分けていたものの、最後は最も夕日について理解をしてくれた町長さんを事故で亡くし、合併で双海町という自治体は地図上から消えたりして、夕日は沈んだままになるのでは?と危惧していましたが、幸いなことに私の意思を継いだと思われる人たちが、夕日に思いを寄せてくれ始め、時には夕日を否定しながら今まで以上に、様々な仕掛けを作り楽しんでくれているのです。
昨日もいつの間にかすっかり西寄りになった島影に、夏の夕日が綺麗に落ちました。町のシンボル本尊山をまるで赤富士のように真っ赤に染めながら沈む夕日を見ると、明日へのエネルギーが湧くような心境でした。実は昨日の夕方裏山で、一人だったことをいいことに、とんでもない姿で夕日を見ました。着ていたTシャツを脱ぎ裸で逆立ちをして夕日を見たのです。
「えっ、裸で逆立ち?」と奇妙に思うでしょうが、私が一年に一度やる奇妙な行動なのです。今から12年前の55歳の時、つまり20世紀最後の夕日が沈んだ2000年12月31日を期して出版した、自著本「昇る夕日でまちづくり」の題名は、本をプロデュースしてくれた水産高校の先輩玉井さんがつけてくれましたが、夕日は逆立ちしてみれば昇るのです。
歳をとったため自力で逆立ちをすることができないため、山の斜面に足をかけてほんの30秒程度見るだけですが、沈む夕日も昇る夕日に変わる一瞬の逆さま現象は、私に新たな発想を呼び覚ましてくれるのです。何年か前恋人岬のモニュメントに足を置いて逆立ちをして夕日を見ていて、気違い扱いされたことを思い出しました。
人は左から見れば右に、右から見れば左に、逆立ちして見れば沈む夕日も昇るように見える、まさに逆転の発想です。虫の目の人間から鳥の目の人間になるため若い頃、仲間とともにセスナ機をチャーターして空からふるさとを見る運動を興しました。セスナ機の窓から小便をひった思い出は忘れることは出来ません。歳をとるとついつい新しいことへの挑戦を渋りがちですが、幾つになってもたとえ小さくても、挑戦者であり続けたいと思うのです。
夕日を見るとワクワク・ドキドキ・ジーンとするのは、まだ私の心に挑戦者としての残り火があるからだと勝手に思い込み、昨日も逆立ちをして夕日を見ながら思いました。馬鹿げてると思いませんか?。
「坂に足 乗せて逆立ち 夕日見る 気違いではと 首をかしげる」
「沈むけど 逆立ち見れば 昇ってる ように見えると 逆転発想」
「夕日見る 何故か体が ムズムズと 夕日気違い 変なおじさん」
「夕日から 何度パワーを 貰ったか これから先も これまでどおり」