○体の尺度
昨日一冊の雑誌をいただき手にして読みました。ざっと流し読みをして裏表紙を見るとある測量事務所の興味ある広告が載っていました。手を鉛筆書きで描いたイラストですが、その説明に「人は自分のカラダにはかりを持っています。尺や寸は自分の体の一部の長さの単位でした。それはとてもいい加減に見えますが、自分にとって安心できる丁度いいを発見するはかりでした」と、意味深長な言葉が書かれていました。
早速このイラストに沿って自分の親指と人差し指の間の長さを計ってみると16.5cmありました。もっと調べたいと思い辞書を引いてみると、手を広げ親指の先からから人差し指の先までの長さを尺ということが分かったり、私が漁師をしていた頃海の深さを測るのに、両手を広げて一尋、二尋とロープを計るよう親父に教えてもらったことを思い出しました。
その後、子どものころに尺貫法が廃止されメートル法が公認されたため、曲尺とか鯨尺とかは私の暮らしの中から消えて行きましたが、それにしても昔の人はよくもまあ、あんなアバウトな計測法を使って、それなりに仕事に生かしていたものだと感心するのです。私は毎日1万歩を目安に歩くよう心がけていますが、残念ながらその科学的な根拠もないまま、ただ無造作に歩いていることに気がつきました。「私は一日一万歩歩いて一体どれ程の距離を歩いているののか、またその距離を歩いてどれほどのエネルギーを消費しているのかさえ分からず、ただ人が一万歩くといいというので歩くという、まあいい加減な歩き方をしていました。
人によって身長が異なるため、一歩の長さはまちまちですが、160cmの人なら身長160から100を引けば歩幅は60cmだそうです。別の計算式160cm×0.37=59,2cmも概略60cmですから、ほぼ同じと思えばいいようです。
つまり1歩60cmで1万歩をかけると、6キロという数字が出てくるのです。えっ、1時間30分ほど歩いただけでそんなに歩くの?と不思議に思いましたが、まあ道行く人と話し込んだり少しゆっくり歩くので、1万歩歩けば安く見積もっても5キロ程度は歩く計算になるのです。
ところで尋(ひろ)は尋(じん)とも呼びます。一尋の二倍を常(じょう)というそうですが、私たちが日ごろ何げなく使っている尋常という言葉は普通や並みという意味なので、「尋常ではない」というのは「ふつうではない」状態を意味するのです。昔学校のことを尋常小学校や尋常高等小学校などと呼んでいましたが、やっとその意味が分かったような気がしました。尋は「広げるという意味があり、「左」「右」「寸」の合成文字だと知れば益々博学になった気分です。今日から1歩50センチを刻んで約5キロを意味を込めて歩きたいと思っています。
「一万歩 歩けば5キロ 歩くそう 百日百キロ 凄いぞ凄い」
「尋常の 意味を始めて 知りました 尋は左右と 寸の合体」
「手の平を 定規に見立て 昔人 暮らしに活かす 生活の智恵」
「この歳に なっても知らぬ ことばかり おいそれ死ねぬ 早く知らねば」