人間牧場

○目は口ほどにものを言う

 数日前、年輪塾の塾頭をしている清水和繁さんから、「緊急入院するので、3月末に予定されている塾生の送別会に出れない」と連絡がありました。聞けば「網膜はく離」という目の病気だそうで、聞きなれない病名に驚きました。病気が分かってから即入院、即手術というのですから本人も心配をしていました。入院すれば少し長引くし、手術後の経過を見てお見舞いに行こうと思っていた矢先、浜田さんから一緒に見舞いに行こうと誘われました。うっかり明日の午後1時で約束をしてしまいましたが、明日は香川県へ一泊二日の出張が組まれていて、急遽今日の11時で調整しました。
 今日は家の入り口にあるお大師さんの縁日なので、妻は朝早くから赤飯を炊いてお接待の準備をしていました。私はタッパに注ぎ分けた赤飯をゴムバンドでとめて近所や親類に急いで配り、親父に代わって縁日のお大師さんの幟を立てました。赤飯を備えていると隣の叔父さんが、これまたいつものとおり、お菓子を沢山お供えしに来てくれました。

 下灘へも赤飯を配り終え急いで県立中央病院へ見舞いに出かけました。病院に通じる道はかなり渋滞していて、中々車が進みませんでしたが、携帯電話で連絡を取り合い、仲間から聞いていた本館5階、ナースセンター隣の4人部屋へ向かいました。友人の稲葉さんも駆けつけてくれ、見舞いに来ていた奥さんを交え賑やかな会話となりました。
 清水さんの説明によると網膜はく離はフスマが破けるような病気で、レザーで焼いて修復するのだそうです。医学が進んでいるため完全によくなるそうですが、手術してからこの4~5日は下向きになって養生をしなければならなかったそうで、それがかなりきつかったようです。いつも私たちは両目で何の疑いもなく物を見ていますが、片目を閉じて物を見たり暮らすと、遠近が分からなかったり、それはもう大変なようでした。何につけても洞察力の凄い清水さんですから、今回の病気や手術でまた今までにない新しい発見をすることでしょう。

 今朝パソコンをいじっていたら、「人間の耳は不思議な耳で、聞こうという心がなければ、聞いていても聞こえない」という言葉を見つけました。確かに私たちの周りにはありとあらゆる音が聞こえていますが、その気になって聞かないと聞くことはできないのです。これと同じように「人間の目は不思議な目で、見ようという心がなければめ見えていても見えない」という言葉も成り立つのです。
 私たち人間は聞こえることや見えるもの以外にも、心耳、心眼があれば聞こえたり見えたりしますが、人間の五感の一つ一つである耳も目も、正しい聞き方正しい見方をしなければ役には立たないのです。耳が聞こえる、目が見えるという当たり前のことに感謝しながら生きて行かねばと、清水さんの姿を見て思いました。そういえば私の目は67歳の今日まで近眼や老眼にもならず、まだメガネの世話にならなくても、新聞が読めるのですから有難いことです。これは死ぬまで老眼の世話にならなかった母親の遺伝かも知れません。「顔が悪いので目だけはいい」などと、ふざけたことを言って仲間を笑わせていますが、目のいい、目のよく見える子どもに産み育ててくれた母親に感謝しています。

  「顔悪い けれど目だけは いいですと 人を笑わせ 自慢をしてる」

  「見舞い来て 貰うことより 見舞い行く ずっといいなと 健康感謝」

  「何げない 暮らしの中に 幸せが 見える聞こえる 有難きこと」

  「四十二や 還暦来ると そこここが 傷み始める これが厄年」

 

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