○島根県益田市へ出かけていました
今日は朝5時30分に妻が早い朝食を作ってくれ、身支度を整えながら食事を終らせ、5時に軽四トラックで自宅を出ました。カーラジオのスイッチを入れると東日本大震災から一年ということもあって、早朝から東北の地震や津波、それにその後の様子が特番で組まれ放送が始まっていました。「早一年か!」と思いつつラジオを聴きながら車を走らせました。目的地は島根県益田市へ行くため、瀬戸内海を船で渡るための船着場である松山観光港です。早朝なので港までの道は空いていて松山観光港まではゆっくり走って40分ほどで着きました。今日は集まった人たちにデコポンを差し入れするため5kg箱を運ばなければならないので、一旦観光港まで荷物を持参して、友人の家の駐車場まで引き返し、車を置いて10分ばかり歩きました。早朝の道を散歩がてら歩くのは気持ちがいいもので、十六夜の月が私について歩き足元を照らしてくれました。
(帰宅後ここまで書いて、風邪気味で体調がいまひとつなのを気づかった妻から、「ブログ書き」を止めるように言われましたので、今日はこの辺で納めておきます。お休みなさい)。
(今朝続きを書いておきます)
松山観光港から広島県広島市宇品までは高速船とフェリーが走っていますが、宇品港での待ち合わせが9時なので、6時25分発のフェリーに乗れば9時に着く計算でフェリーを選びました。昨日は日曜日ということもあって乗客も多く、私は乗船すると座席でなくマス席の隅を選んで横になりました。貸し出し用の毛布と枕を借り仮眠を取りました。早朝で疲れていたのか1時間余りぐっすり寝込んで、音戸の瀬戸のループ橋の下をくぐるころ、差し込む朝日で目が覚めました。船は穏やかな瀬戸内海を走り、途中呉港に寄港して宇品に向かいましたが、その間持参したジョン万次郎に関する本を読みながら、同室した若いカップルがイチャイチャする姿を横目にリラックスして時を過ごしました。
港には島川館長さんとセンター長さんが迎えに来てくれていました。察するに多分私と同じ時間ころ家を出たのではないかと思われ、改めて頭が下がる思いがしました。宇品から広島高速~山陽道~国道191号を通って益田へ向かいましたが、恐羅漢スキー場付近からは猛吹雪となりました。予期せぬ季節はずれの吹雪に足元を掬われた車が何台も立ち往生していましたが、島川館長さんの車は四WD、しかもスノータイヤなのでスイスイ走り、あっという間に中国山脈を越え、約3時間で目的地の大谷温泉へ到着しました。大谷温泉は山間の奥まったたった一軒の温泉宿でした。沿線には沢山のアジサイやつつじが植えられていて、また川の両護岸は見事な石積みが続いて、小川のせせらぎやカジカ、蛍、花の頃はさぞかし美しかろうと推察しました。
「同じ頃 出たと思しき お互いが 待ち合わせして 同行三人」
「時ならぬ 恐羅漢の 猛吹雪 行く手を阻み それでも先へ」
「雪と風邪 あなどるなかれ 妻の弁 雪はさて置き 風邪悩まされ」
「山奥の 大谷温泉 一軒家 若者集い 話弾みて」