shin-1さんの日記

〇コープえひめ会員活動交流会に参加して

 最近私の身の回りに少しだけ変化が起っていることに気付いています。見過ごせばどうってことはないのですが、講演などに招かれると周辺の地域から「あのような話をして欲しい」とオファーがあるのです。その典型は島根県で、私が行った地域に赤いマーカーを入れてみると、殆ど全ての市町村に足を踏み入れているのですから驚きです。それと同じようにこの一ヶ月、今治地域へも足繁く通っているのです。

 1月23日今治でフロンティアG総会、1月27日今治イキイキ元気塾、2月28日今治立花地区自治会講演会、3月10日コープえひめ今治支所会員活動交流会、3月14日今治地域福祉推進ミニフォーラム、3月16日今治玉川生涯学習講座と、まあ続く続くです。妻が「お父さん近頃今治へ行くことがが多いようだが、いい人でも出来たのと違う?」と勘ぐるほどなのです。

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 このほど出かけたコープえひめ今治支所組合員活動交流会も中々のものでした。この日はそれぞれの地区やグループが一年間どんな活動をしたか発表しあいました。それぞれのグループではこの日のためにみんなで集まって模造紙に発表の内容を綺麗に書いて仕上げていました。消費者運動に取り組む人は年齢もまちまちですが若いお母さんたちが多く、発表資料も大学生顔負けの出来栄えでした。

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 私はコープえひめの学識理事をしていますが、理事になって4年目、私の心を常に揺り動かしているのは、このような草の根の学習活動です。活動に参加する度に生協運動の原点に触れるような気がするのです。


 一昨日私のブログにも農協会館前の石碑文「一人はみんなのため みんなは一人のため」という話題を書きましたが、生協運動もこの言葉と同じ思想だと思うのです。農協は残念ながらその思想を忘れ農民や農村から離れ、今は日本最大の商社になり下がっているように見えますが、生協も組合員の暮らしを守る運動を忘れたら、そこら辺のスーパーと何ら変わりはないと思うのです。

 餃子事件が起った時、ある主婦から「えっ、生協の餃子は中国で作っているの?、これから注意しないといけないね」と言われました。生協あ=安心・安全という神話が崩れたのかも知れない、関わる者としてドキッとしました。中二階にいると一階や三階の出来事が分からなくなるのです。そういう意味では組合員の学習は大事な役割を持っています。この日はコープの職員さんも沢山参加して、一階の出来事に触れていました。ともに学び合うことをこれからも続けて行きたいものです。


  「二階から 降りて一階 笑顔知る 思い出させて くれる原点」

  「外は雨 中は笑顔の 温かさ 子ども交えて 楽しお喋る」

  「学生に 見せてやりたい このパワー 若さ歳では ないということ」

  「同じとこ 行くがいい人 できたのか? 妻が見まがう ほどに出かける」

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〇大荒れの一日

 昨日は遅い寒波襲来という荒れた天気に翻弄され散々な一日となりました。南予に暴風雪波浪警報が出たので、高速道路も峠越えの11号線や山越えの道も積雪で通行止めになるだろうと思い、今治経由の海岸国道196号線を走り夕方泉川公民館での講演のため新居浜入りしました。少し早く着いたので、国道の標識で「真鍋家住宅」という看板を見つけ、ちょっと寄り道をしたくなりました。昔は目的地以外目もくれなかったのに、最近はどこかへ出かけても少し余裕が出来たのか、プラスワンを心がけて必ず立ち寄るようにしているのです。真鍋家住宅は国道11号から1.5キロほどの所にありました。空は鉛色の曇り空、道端には白い雪が解けずに残っていて、そこら辺には寒さゆえか人影もなく散閑としていました。

 午後5時近くなので見学も出来ず、また車の中のカバンに財布を入れたままだったので入館料を払う手立てもなくただうろうろとビニール傘を差してそこら辺を散策しました。新居浜は工業都市といわれていますが、少し奥まった所にはこうした文化的な場所も沢山あって、これからも折に触れて散策して見たいと思いました。

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 車に戻ると関課長さんから携帯が入り、急いでカーナビの示すとおりの道を泉川公民館へ直行しました。5時過ぎという約束でしたので、皆さん玄関で待っていてくただき、リーガロイヤルホテルでの夕食会に望みました。この日の夕食会を催してくれたのは通称「つう兄」といわれる元県高校PTA会長藤田勉さんです。彼は私のことを「進ちゃん」と呼び合う間柄ですが、今はまちづくりの会長をしているようです。夕食会には館長さんや自治会の役員さんも同席してくれましたが、珍しい人に出会いました。野本敏久さんです。彼の妹が私の妻の兄に嫁いでいるので一度出会って確かに見覚えがるのです。今はまちづくり協議会の生涯学習部会長を務めているようで縁の深さをしみじみ感じました。食事を終わって会場に帰り午後7時から講演会は始まりました。

 「まちづくりの新しい風」と題して1時間半ほど話しました。主催者側はモット集まって欲しかったと言われましたが、これほどの寒さの中をほぼ満員に近い人が集まって、私には十分過ぎるほどの熱気を感じさせてくれる集会となりました。

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 皆さんに見送られ、高速道路も、チェーン規制の国道11号桜三里も、また山越えも出来ず、結局元来た海岸国道を今治経由で帰りました。大西、菊間は積雪の難を逃れようと入り込んだ車が大渋滞を引き起こし、長蛇の列が続きました。北条パイパスで渋滞は解消されましたが折からの雨で路面が濡れているためスピードを控えたため、結局自宅へ着いたのは午前1時頃でした。

 でも久しぶりに色々な人に出会って旧交を温め、また思わぬ人に出会ったり講演会の熱気を感じたため疲れることもなく、大荒れの長~い長~い一日を終えることが出来ました。

 今朝起きてメールを開くと充実した昨日の一日を裏付けるように、沢山のメールが届いていました。これらは春を予感させてくれるに十分なエネルギーとなりそうです。

  「あの道も この道も駄目 積雪で 八方塞り 元来た道を」

  「おしっこを 我慢の四時間 わが家入り 長い一日 水に流して」

  「ハプニング あるからこその 思い出か 今日という日は 記憶に残る」

  「朝起きて メール開けば 何通も 昨日の余韻 届く嬉しさ」 

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〇友遠方近方より来るまた楽しからずや

 このところの暖かさですっかりご無沙汰していた書斎の小さなストーブですが、寒の戻りというのでしょうか昨日から寒波がやって来て、再び火を入れました。やかんにいっぱい水を入れ、ストーブの上に置いていると、僅か20~30分ほどで勢いよく湯気が出てきました。小さなやかんは直ぐたぎるといいますが、納得しながらストーブで乾燥した部屋をこの蒸気が守ってくれるのだと思いつつ、愛おしい気持ちで近づけました。

 昨日はこの部屋に4組ものお客さんが見えました。本当は居間か応接間で来客対応すればいいのでしょうが、寒い時期ゆえ暖房をつけたり消したりするのが面倒くさくて、ついつい玄関のチャイムが鳴っても、「裏に回って下さい」と声をかけ、私の書斎の吐き出し窓から入ってもらうのです。

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 昨日は10時に約束していた投与地方局の國元室長さんと井下さんがやって来ました。この一年観光関係のアドバイザーとして関わっていた、ニューツーリズムの冊子が出来たと持参していただきました。開けて見るとこのパンフレットを作るために訪ねた、東予地域のあちらこちらが写真で紹介されていて懐かしく思い出されました。その模様は会合の都度ブログで紹介しているので、お二人が帰られてから早速昨年の予定表を捲り、月日を打ち込んで呼び出して読んで見ましたが記録とは凄いもので、ブログ記事はつい昨日のことのように記憶を思い出させてくれるのです。ましてやペーパーではなく画面に直ぐ現れるのですから、これくらい便利なことはないのです。

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(出来上がった立派なパンフレット)

 夕方関西汽船の浜田さんがひょっこりやって来ました。読書家の浜田さんは来る度に本を提げてやって来ますが、昨日は手ぶらでした。四方山話や少し込み入った話を、お茶を飲みながら30分ばかり話し、國元課長さんが手土産に持ってきてくれたイチゴ大福を一個食べて帰えられました。國元課長さんは妻の大好物を知っていて、前回は幻の銘菓といわれる霧の森大福をいただきました。昨日もたいそう喜んで一六のイチゴ大福を2個も食べたようで、私の分は冷蔵庫に入れて多分今日あたりまた食べるのでしょう。私は余り甘いものを食べませんので、妻の至福ならに大福にしてやるのです。

 夜遅く別の友人がやって来ました。数日後息子さんが結婚式を挙げるそうで、親父の挨拶をしなければならないそうで、そのことが気になって夜も寝れないそうです。私への依頼はあいさつ文を書いて欲しいとの事でした。夕方少し時間があったのであいさつ文を手渡すと友人は大喜びをして、「お礼はまた」といって帰って行きました。「お礼など要らない」といいましたが、彼のことゆえ「つまらないものですが」と、つまらないものを持ってくることでしょう。家にいると家に人がやってきます。こうして早春の一日はあっという間に終わるのです。


  「久方に ストーブ火入れ 湯気が立つ 湯飲みに注ぎ 四方山話」

  「チャイム鳴る 裏へ回って 言ううちに 勝手知ったる 友上がりこむ」

  「指折ると 五人の客と 話しこむ お茶など入れた こともないのに」

  「ストーブが 人の心を 暖かく 結んでくれる 囲炉裏の役目」 

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〇日本農業新聞を読んだ話

 年輪塾塾頭の清水さんは、年輪塾ネットのまとめ役だけあって、一年に一度はネット会員の意思表示を確認して、入会や脱退の作業という面倒くさい作業をやったり、会員の頭と心をつなぐため、様々な情報をネットに書き込んでくれます。一昨日も日本農業新聞を読んで見つけた記事の話を、「心ここにあらざれば・・・「大学より」というタイトルで投稿してくれました。

 3月は卒業式の季節です。記事の内容は小学校の校長先生が卒業式に話された言葉の話でした。人の話を聞くことの姿勢についてだそうで、尊徳翁夜話にも登場してくるもので読み覚えのある「大学」の一節のようです。

「心焉に在らざれば、視れども見えず、聴けども聞こえず、食えどもその味わいを知らず」、原典では「心不在焉、視而不見、聴而不聞、食而不知其味」と書いてあり、「こころ、ここにあらざれば、みれどもみえず、きけどもきこえず、くらえどもそのあじしらず」と読むのです。

 これは、うわのそらであったなら、ものを見ても見えず、聴いても聞こえず、食べてもその味が分からないという意味だそうです。ものを見て、それがどういう動きをしているか、ものを聴いて、それがどんな意味があるのか、ものを食べてそれがどんな味なのか、それらを受け止める五感は、本当は心の働きなのかも知れないのです。みんなで一緒のものを見ても、一方の人には気付くことが、もう一方の人には見過ごしてしまうことだってある、すべては意識の問題のようです。染み持参がコメントしている通り、何事にも通じるいい言葉だと思います。

 私は早速書棚の奥に大切にしまっている「大学」という古い本を取り出して捲りました。大阪梅田の古本屋で見つけて買った古い古い本なのです。この本との出会いは二宮金次郎の銅像が読んでいる本が「大学」の一節だったことを知ったからでした。大学の一節をどうしても原書で読んでみたかったのです。


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 「大学」の本は難し過ぎて、私が読めるのは二宮金次郎が読んでいるという「一家仁・・・・」から始まる僅か25文字しか読めないのですが、今回の心不在焉・・・」は「一家仁・・・」の直ぐ前の頁にあって、直ぐに見つけることが出来ました。多分大学の本の中から探すのは難しかろうと思っていただけに意外や意外、簡単に見つけることが出来て拍子抜けした感じです。それでもこうして原典を読めた喜びは大きいものでした。

 早速清水さんにメールを送りましたが、すかさず原典の大学を見てみたいと返信があったので、デジカメとスキャナーを使ってブログ記事で紹介することにしました。いやあ我ながら天晴れです。(こんなことで喜ぶ私はどうかしていますね-大笑い-)


  「一万円 出して買いたる 古書開き 心不在の 一行見つけ」

  「大学本 出てない私しゃ 難解で 大学出た人 読んでもらおか」

  「身震いを するよな気持ち 古書を読む 凡人ゆえに 感動するか」

  「まままだと わが身の学び 浅さ恥じ ささやかランク 上がる喜ぶ」


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〇同質と異質を兼ね備えた人

 私には同質と異質なまったく異なった友人が何人もいます。同質は同じ志や考えを持った人で、ある意味心の通う人なのです。普通人間は気が休まるものですからこうした人を求めたがるものですが、余り同じ考えを持った人とだけ付き合うと、自分の成長が止まってしまうのです。逆に異質の人は何事においても対立し、精神的に不安定になるので敬遠しがちですが、対立軸の中に自分のないものを発見したり学んだりする影響は、計り知れない自分の成長を促してくれるのです。

 私の友人には同質と異質を併せ持った優れ者もいるので随分助かっています。年輪塾の塾頭をしている清水さんもその一人で、年輪塾を興してからはその運営もあって時々同調し時々対立しますが、また私にないものを持っているため学ぶことが多く、塾長と塾頭という上下の関係はいつも逆転現象を起こしているのです。

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 音楽やパソコン、気象学、それに宮沢賢治への畏敬など、どれをとっても私は彼に遠く及ばないばかりか年齢的にも若く、強いてあげれば私が年齢的に上だということだけが取り柄なのです。

 先日私は自分のブログに、農協会館の前にある石碑文を何気なく写真に収めて載せました。すると彼はすかさず直ぐにメールをくれました。

 「一人は万人のため 万人は一人のため」という碑文は共同組合の提唱者ロバート・オーエンの言葉だそうです。そしてその下に書いている英文は「One for all all for Each」は相互扶助を意味するらしく、古代ゲルマン人の昔からの言い伝えで、航海する人たちの助け合いに由来するという説もあるそうです。フランスの作家アレキサンドル・デュマの「三銃士」には騎士たちの友情をあらわすモットーで登場、英国で始まったラグビーの精神もこの言葉でいまだに引き継がれ、ヨーロッパではかなり前から広く使われているようです。

 18世紀末から産業革命が進行して資本主義社会の矛盾が現れてきて、協同組合運動の創始者オーエンの言葉として、ドイツ農協運動の父とされるライファイゼンが信用組合論に使ったのが初めとされています。

 ちなみに農協(JA)は農村が大恐慌のあおりを受け、どん底生活にあった明治33年、一人ひとりでは弱い立場にあった農家が手を結び、助け合い精神の産業組合として誕生しました。その流れを受け継ぎ昭和22年に定められた農業協同組合法に基づき各地の設立されました。


 知らないことを知っている人に教わる驚きは計り知れないものがあります。今回も清水さんのお陰で「一人は万人のため 万人は一人のため」という言葉の意味を知ることが出来ました。多分あまた数ある農協職員に農協会館の前にある記念碑について訪ねても、「えっ、そんな記念碑ありました?」とか、「詳しいことは分かりません」で終わるのでしょうが、さすが筋金入りの農協マンです。少し褒め過ぎかも知れませんが、まあいい友人を持ったと喜んでいます。


  「分からない 教えて欲しい ブログ書く すかさず返事 メール詳しく」

  「いい言葉 出処分かりで 一安心 これで一歩前 明るくなりて」

  「農協も 時代の流れ 飲み込まれ 基本忘れて 右往左往す」

  「もう一度 万人のため どうするか 真剣議論 すべき思うが」


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〇孫朋樹と菜の花ウォークを楽しみました②

 孫朋樹は小学校一年生で、間もなく4月にはよほどのことがない限り落第もせず2年生に進級します。歩いて見て分かるのですが、一年一年体力の衰えを実感する私に比べ、まるで雨後の筍のように毎日毎日成長しているため、歩く速度が早いのです。さすがに10キロの持久足となると最後ころには私の足が勝るのですが、多分来年当たりは私など非ではないほどに成長することでしょう。

 一昨日は歩き始めて3キロほどの閏住を越えた所で小雨が降り出しました。北東の風が強く北東方面の海上を見ると次々と雨雲がやって来て、中島や松山方面は雨が降っているように見えました。リュックサックに雨具を入れていましたが、どうしようか迷いました。またひょっとして本降りになったら携帯電話で妻に助け舟を出すかもしれないと言っていたので判断を迷いましたが、まあ歩ける所まで歩こうと少し早足で歩きました。繋いだ孫の手は少し悴んでいるようにも見えました。

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(孫は遊び心旺盛で、道端の浜ウドの葉っぱを取ってやると、それを傘代わりにして大はしゃぎでした)

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(私もヤツデの葉っぱを取って傘の代わりにして歩きました)

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(孫朋樹はこれをお面にして悪ふざけをして遊びながら歩きましたが、雨も小康状態でどうにか唐崎の石畳道まで歩きました。

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(私が勝手に「金子みすずのいわしの大漁」と名付けているモニュメントは、いわしの数を数えてクイズを出されました。25匹のようでした)
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(やっとたどり着いた亀の森の休憩所で一服し、お菓子を食べながらお茶を飲みました)

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(ひょうたんナマズのモニュメントの上に乗ってご満悦でした)
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(石畳の道には双海町で獲れる魚の絵が沢山描かれ埋め込まれていました)
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(私たちが10数年前に植えた杏の花が見事に咲いていました)

 多少遊び感覚で歩いた10キロ近くのウォークも所要時間1時間40分で見事完歩ゴールです。寒さと小雨の中でしたが、何事もなく無事歩ききりました。朋樹は早速お約束の肉まんの熱々を買ってほおばっていました。また馴染みのじゃこ天のおばちゃんたちにたこ焼きを貰いご満悦でした。妻に電話おかけて迎えに来てもらい、充実した一日となりました。私は引き返してウォークイベントの手伝いを少しだけしました。

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(ゴールのシーサイド公園でVサインです)

  「完歩して 二人ゴールの テープなし 褒美肉まん 孫は笑顔で」

  「来年は 二十キロだと 言ってるが 鬼が笑うと 半信半疑」

  「久方に 顔見たおばさん 目を細め 大きくなった 孫を称える」

  「心地よい 疲れのウォーク したためか その夜ぐっすり 十時間寝る」

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〇孫朋樹と二人で菜の花ウォークを楽しみました①

 昨日は長浜町から双海町まで歩く恒例の菜の花ウォーク大会が行われました。例年参加しているのですが、今年は一年生になる孫朋樹を誘い、二人で参加しました。参加といっても20キロを歩く自信がないので、下灘から上灘まで10キロのオープン自主参加なのです。孫はサッカー教室などに通っているものの少々運動不足でしょうか肥え気味だし、私も運動不足気味なので一緒に歩くことにしたのです。妻に下灘漁協荷捌き所付近まで連れて行ってもらい9時20分に歩き始めました。

 昨日はあいにくの天気で東よりの風が吹いて霧雨のような雨が降っていましたが、いくつかのチェックポイントを決め、そこで記念の写真を撮りながらのんびりゆっくり歩きましたが、前日に比べ温度が低いため中々体が温まりませんでした。特に手はかじかむほどの冷たさでした。

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(下灘漁協前の国道をスタートしました)

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(下灘上浜の踏切から旧道に入り下灘駅を目指しました)

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(下灘駅は日本で一番海に近い駅として有名で、フーテンの寅さんの映画の舞台にもなりました。毎年9月第一1土曜日には夕焼けプラットホームコンサートが開かれます)
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(日喰と書いて「ひじき」と読む場所で国道378号に出ました)
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(この場所には昔日喰の一本松という立派な松がありましたが、松くい虫の被害で枯れました)
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(国道とJR予讃線線路との間の急斜面にはやぶ椿の花がいっぱい咲いて、足元はきれいな花のジュータンがありました)
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(4両つないだ列車が富岡入り口の上を通過しました。200人の参加者を乗せて長浜へ向かっていて、この人たちが10時にスタートするのです)
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(第1回目の休憩地くじらという妹のお店です。この日は恒例行事の菜の花ウォークに対応するため、姉や身内の人たちが応援に駆けつけていました)
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(閏住の菜の花も満開でした)

  「二人きり 菜の花ウォーク やりました 時折雨の あいにく天気」

  「つなげども 孫の手冷やく かじかんで ポケット入れて 暖めてやり」

  「二人とも 運動不足を 自認して 僅か十キロ 選んで歩く」

  「足踏みの 春の冷やさが 身に染みて 背中飲み物 少しも減らず」 

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〇ふるさと体験塾

 町内の子どもたちを集めた子ども教室の実行委員長をしていることもあって、一昨日の土曜日はあいにくの雨の中でしたが、今年度最後の第7回ふるさと体験塾に参加しました。今回は翠小学校周辺の歴史を探訪しようと、双海史談会の中嶋さんと木曽さんを講師に招きガイドをしていただきました。小学生に郷土の歴史を分かりやすく話すのはかなり難しいようで、行く先々説明にはかなり苦労しているようでした。

 翠小学校体育館下の駐車場で開会式をした後一行は、傘の花を開かせて正光寺へ向かいました。途中山吹御前を笹の葉船に乗せて運んだという伝説の残る曳坂や山吹神社、源氏という地名などの説明を受けました。残念ながら曳坂を歩くことは出来ませんでしたが、子どもたちは820年前のミステーリーに思いを馳せていました。

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 急な坂道を登る正光寺は観世音菩薩が本尊で、門前には六道で衆生の苦患を救うという六地蔵菩薩が祭れれていて、みんなで手を合わせて拝みました。上灘村の古い時代にはこの周辺が町の中心だったようで、明治10年頃に測量して完成した現在の地番も上灘川の東向かい側の久保集落から始まっています。そのことを裏付けるように上灘88ヶ所もここから始まっていて、1番から4番と、終わりの87番、88番の石仏が並べられていました。いずれも苔むしていますが、昔の人の信仰の深さに驚きました。

 双海町には三島神社が2つあります。本郷亀の森にあるのは旧高岸村、三島にあるのは旧上灘村の神社です。昔はいくつも神社があったそうですが国策によって合祀されたそうで、境内には色々な神様が祭られていました。また三島神社の境外には33番から36番までの石仏が祭られていて、土州の記載があるようです。


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 三島地区の入り組んだ道を通って岡地区へ向かいました。ここには背後に聳える烏帽子嶽城主稲葉帯刀を祈念した祠がありました。長宗我部元親侵攻の折、五月幟と敵の旗指物と間違えて不覚を取ったため、今でも岡地区では五月幟を立てない風習があるのだそうです。

 畑の隅には稲葉帯刀にまつわる五輪塔が沢山祀られていました。五輪塔は地・水・火・風・空の五つを表していますが、今から400年以上も前の歴史が道端に点在していて興味をそそりました。

 近くには東峰おきよの池を造った功績者であるおきよさんのお墓がありました。大洲藩主の乳母をしていたおきよさんは退任時、藩主から温厚忠実さを賞され、その褒美として渇水に難儀している村人を救うために用水池を造って欲しいと懇願し出来たのです。今もその池は地域の田畑を潤しているのです。


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 最後は地蔵寺です。本尊は延命地蔵菩薩です。このお寺は2度も大火に見舞われ現在の地に移ったようです。この寺の境内には39番から46番まで8体の石仏が祀られています。昔は春と秋の2回巡拝することで、祖国88ヶ所寺巡拝と同じご利益を願ったのでしょう。

 お寺ではお茶とお菓子のお接待があって、子どもたちは大喜びでした。歴史探訪を終えて再び翠小学校まで歩いて帰り昼前に閉講解散しましたが、身近な歴史に触れることで郷土に対する愛着が深まって欲しいと願っています。

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  「畑中を 傘差し子ども 賑やかに 歴史散策 つくしビックリ」

  「六地蔵 頭に赤い 帽子受け 子どもの祈り 聞くが如くに」

  「この五輪 地水火風 それから空と 説明するも 理解しきれず」

  「ひっそりと 雨に濡れたる 仏たち 椿万両 あでやか赤く」 

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〇孫の成長と木の芽吹く頃

 三寒四温とはよくいったもので、このところの気候は足繁く雨が降って「春に三日の日和なし」の感じがする今日この頃です。冬の寒い頃は防寒用の衣服を着込んで過ごすため、そんなに風邪を引かないものなのですが、寒かったり温かったりするとその調節が難しく、ちょっと気が緩むと体調を崩すので、季節の変わり目の今頃は気をつけなければならないのです。

 今朝も夜来雨が降り外の地面は濡れていますが、暖かいようなので書斎のストーブを着けずに午前4時過ぎからブログを書いたりカメラの写真を整理したりしていますが、気がついたら少し寒いようなのでちょっとだけストーブに火を入れました。


 昨晩は久しぶりにやって来た娘と息子の二家族がわが家を乗っ取り大変な騒ぎとなりました。午後8時過ぎに風呂を沸かして孫4人を私たち夫婦が入浴させました。一人また一人と頭や体を洗って数を数えさせて上がらせるのですが、生後9ヶ月の孫奏心を除けば3人は、頭からザーザー洗い湯をかけても泣かない強い子に育っているものの、風呂場はもう動物園のおりの中のようでした。

 一番先に出た年齢的には3番目の希心がお父さんを追っかけて廊下を走って玄関に出た矢先、転んで花瓶を転がしてしまいました。その折顔面が過敏にあたり小さい傷ながら血だらけになり、泣くやわめくやらで大騒ぎとなりました。大事を取って両親は松山の病院へ連れて走りました。一番下の奏心は私が抱いて寝かせ、そのうち私の布団に一緒に入って二人で寝てしまいました。そのうち息子たちが病院から帰ってきましたが、大したこともなくてホッとしました。子どもはいくら注意をしていてもこんなハプニングがあるので気をつけなければならないと肝に銘じた夜でした。

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 昨日庭に出て見ると目立ちの早いブルーベリーがいっせいに芽を吹き、早いものはもう花芽が膨らんで開花の時期を迎えているようでした。昨年末に根元に施肥した油粕が効いたのか、どの鉢も元気に成長しています。雨露を蓄えキラキラ光る目立ちや花芽を見ると今年もかなりの収穫が見込めれるようです。

 ブルーベリーは孫たちも大好きで収穫した実は幸便で孫たちの元へ送ってやるのです。

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 さあ春はいよいよ本番となりました。家の横の家庭菜園も人間牧場も雑草が伸び始めてきました。毎年の繰り返しが人生の積み重ねでしょうが、今年も病気せずに冬を乗り切り元気に春を向かることができました。思いを込めて春を楽しみたいと思っている今日この頃です。


  「この冬も 病気もせずに 乗り切った 今年も忙し 予感する春」

  「腰重い 十キロ孫を 抱いたせい やはり歳だな 思わずさする」

  「木の芽吹く 庭のあちこち 春が来て ウグイス近く 下手糞鳴きぬ」

  「植物は 気温で春を 感じ取る 私は妻の 料理で春を」

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〇五行歌会に入会

 私の友人の玉井さんから、「五行歌会へ入りませんか」というお誘いがありました。他の友人から再三にわたって俳句会や短歌会に誘われても、ラベルとレベルが低いと訳の分からぬ理由をつけて入らないのに、玉井さんからの誘いにあっさり応じたのは、玉井さんが水産高校の先輩だし、風貌や仕草がどこか放浪の俳人種田山頭火に似ていて、言うことを聞かないと罰が当たると思ったからかも知れません。「とりあえず入会金は私が立てかえておくから、五行歌を作って送って下さい」と電話やメールがあり、入会することにしました。

 私が俳句や短歌の会に入らなかったのはラベルとレベルがないからだと書きましたが、もう一つの理由は暇がないのです。相変わらずの放浪癖で全国講演行脚や大学での講義など、現職時代以上に毎日が忙しくやればのめり込む性格ゆえ、これ以上忙しくなると身がもてないと思ったからです。

 「まあ気楽な気持ちで、歌会には参加できにくいということを代表の見山さんに伝えておきますので・・・」ということで一件落着となりました。さあ困りました。五行歌は自由律詩なので俳句や短歌のような決まりごとがないと伺っていたものの、いざ作ってみると中々どうして上手くできないのです。

 思いつくままにお題である「もらった」をテーマに3首作り、玉井さん宛てにメールで送りました。

 「大金をママから貰った政治家は 知らなかったと胸を張る 妻など千円 あげたあげたと」

 「嫁さんに貰った時は 角隠し 今じゃ牛より 大きい角を 出して居座る古女房」

 「隣からうどんの匂い風に乗り そのうちおばさん お食べとガラリ 貰って嬉しい 花いちもんめ」

 おっつけ玉井さんから、「歌会は一人一句なので、うどんの句を欠席歌として持って行きます」と連絡がありました。その後忙しさに紛れて投句したことなどすっかり忘れていた二昨日、五行歌の代表である見山あつこさんから、丁寧達筆なお便りを添えて2月歌会の結果が送られてきました。「欠席歌」という烙印は押されていましたが、末尾に「初投稿・二位」という朱印が書かれていました。何とも面映いデビューです。歌会に投句された作品はどれも之も素晴らしく、私の作品など非ではありませんでしたが、多分初心者ゆえの語法日だったに違いないと自分で納得した次第です。

 歌会の模様が書かれた3枚の資料の末尾に、三月のご案内があったので、「締め切り3月11日」に間に合うかも知れないと一句作って送りました。

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 私の駄作に☆印がついて「隣近所のつきあいも悪くなった今、まだこんな世界も残っているのだと知って、心がホンワカしてきました。貰ったのが「うどん」というのがまた気張らなくていいですね。」と嬉しい選評コメントがつけられていました。

 私は自分で「笑売短歌」(笑いを売る楽しい短歌ならぬ啖呵)なるものを思い立ち、5年前からブログ末尾に毎日4首ずつ駄作を書いています。ブログの読者にはすっかり御馴染みになって、時々嬉しい反応があるのです。笑売啖呵も五行歌も、全て世知辛い人生の日々をメリハリをつけて楽しく生きようとする、私の粗末な生き方なのです。気張らずこれからも月に一首ですから投句したいと思っています。


  「投句する いきなり入選 銀メダル 素質あるのか 勘違いして」

  「ルールなし これが一番 気に入った はてさて自由 不自由なもの」

  「乗れという 五行歌船に 乗りました 何処を目指すか 分からぬままに」

  「でこぽんと いう名のみかん 何処となく へそが飛び出て あの人みたい」 

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