shin-1さんの日記

○くちなしの花

 「♭今では指輪も回るほど 痩せてやつれた~♯」と渡哲也さんが歌って大ヒットした、「くちなしの花」がわが家の庭に咲き始めました。昨晩からわが町では雨の近づきを予感させるような南風がかなり強く吹き、その風に乗って何か芳しい匂いが書斎の窓越しに匂ってきました。毎年の繰り返しなので「ああ、くちなしの花の匂いだ」ととっさに思いました。早速書斎の窓を開けて外へ出てみると、少し盛りを過ぎたくちなしの白い花が無数に咲いているのです。でも鼻の周りには無数の蕾がついていて、これから当分は楽しめそうなのですが、残念ながら雨に打たれてその役目を果たせないのかもしれません。

 ポツポツ降り出した雨もまだ大したこともないので、急いで書斎へ入ってカメラを持ち出し雨に塗れる前のくちなしの花の姿を写真に収めました。そっと顔と鼻を花に近づけ寄せると、何ともいえぬ甘い香りが漂ってきました。早速一輪指し用に鋏で一枝切り取り、小さめのコップに水を入れ挿しましたが、部屋中が何ともいえない香りで、これこそ天然の芳香なのです。

 最近は色々な芳香剤が開発され、特に臭いのするトイレなどに入ると、臭い臭いや汚いイメージを払拭するように芳香剤の香りが香ってくるのです。でもやはり天然の香りには勝てないようで、ここ2~3日はいい香を部屋の中でも楽しめそうです。

 私の記憶をたどればこのくちなしの花はもう10年も前、私が役場に勤めていた頃、島根県大根島のおばさんに貰ったものです。毎年春先になるとまるで春の使者のように、おばさんたちは竹篭で作った背負子にボタンや花木の苗木を背負って売りに来ていました。越中富山の薬売りのように毎年来るため顔馴染みとなったおばさんは、私が盆栽や花木に興味があるのを知って、色々な商品を格安で分けてくれました。「このボタンを買ってくれたら、このくちなしをサービスします」という口車に乗ってボタンの花を買いました。そのボタンの花はあえなく枯れましたが、どういう訳かサービス品のくちなしだけが生き残り、こうして大きくなったのです。ちなみにこのおばさんの紹介で島根県の出雲へ講演に行ったこともあり、はて「あのおばさんは今頃何処でどうしているのやら」と、人なつっこいおばさんの顔を思い出しながら一輪挿しに挿したくちなしの花を眺めながら朝食を取りました。

 妻にそのおばさんの話しをしてやると、「思い入れのある花だから大事にしないといけないね」と同調してくれましたが、「くちなしの花なのに口数の多いおばさんだった」と親父ギャグをいって、「寒い~」と一蹴されました。

 このくちなしは花を愛でるほかにもうひとつ役割があるのです。花が終わるとその花柄の下が膨らんで染料を貯えるのです。このくちなしの実は栗を炊いたりカキモチ、それに沢庵の黄色い色をつけるのによく使うのです。秋の頃になるとこの実を摘んで糸に通して陰干しし保管しておくと何かと便利なのです。食用の色は安全性が何よりも優先するので、くちなしの実は妻の大切な宝物になるのです。

 くちなしの甘い香りに乗って虫たちもやって来ます。特にくちなしの柔らかい葉っぱは青虫の大好物なので、放っておいたら一夜のうちに食べつくされてしまいます。食用のため消毒ができないので目と手で丁寧に取り除くしかできません。早速今朝3匹見つけて駆除しました。危ない危ない。

  「この歌を 知ってようでは 古い人 俺もそろそろ 賞味期限か」

  「くちなしは 花を愛でつつ 実も重宝 今年もこれで 沢庵漬ける」

  「くちなしの 花に心を 動かしぬ 少しゆとりの 日々が戻りて」

  「この匂い トイレの臭いと よく似てる 味も素っ気も ないよな話」

 

 

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shin-1さんの日記

○小さなイノベーションを起した小さなイノベーター

 何年か前ある人がある会で私に、「あなたは小さなイノベーションを起した小さなイノベーターだ」と、夕日によるまちづくりを総括して形容したことがありました。その後各地の集会でイノベーションとか、イノベーターとかいう言葉が飛び交い、意味を辞書で調べたことがありました。

 その時辞書を引いた言葉の意味をわが防備録に書いています。それにによると
イノベーションとは、1、新基軸、革新、2、新製品の開発、新生産方式の導入、新市場の開拓、新原料、新資源の開発、新組織の形成などによって、経済発展や景気循環がもたらされるという概念、シュンペーターの用と書いているのです。

 その当時は革新運動とか革新者などと勝手に解釈し、わが自著本「昇る夕日でまちづくり」にも、「革新とは今を否定して生きること」などと戯言を披瀝しているようです。

 先日黒川清著「イノベーション思考法」という本を読みました。今までモヤモヤしていたその意味が明快に書かれているのです。

 「イノベーション」は、経済学者のヨーゼフ・シュンペーターが、20世紀のはじめに提唱した経済学の原理のひとつである。企業や社会は成長し、成熟するにつれて保守的になる。そしてこれを中から壊していこうとする人たちが出てこない限り、いつか必ず朽ち果てる。したがって、組織を健康的に継続するためには「創造的な破壊」が欠かせない。これがシュンペーターのいうイノベーション・セオリーの基本的な考え方なのである。

 このことについて、OAK・TREEフォレスト羅針盤で、詳しく解説しています。つまり「イノベーション」の本質は、過去の成功体験と既存権益を守ろうとする内部の抵抗をはねのけ、組織や社会の持続のために必要な変革を、積極果敢に成し遂げることにあるのです。新しいアイデアや技術的な新基軸を見つけて終りにするのではなく、それを社会に広め、新しい価値体系をつくり、新しい経済成長を呼び起こし、結果として社会全体を変えない限り、イノベーションと呼ぶことはできないのです。

 ふと、夕日によるまちづくりのことを思い出しました。確かに夕日などという新しい地域資源でまちづくりをすることは、封建的で保守的な組織や意識を中から壊そうとするのですから、大きな抵抗があることは当然のことです。それは反対という行動で潰されていく運命にありましたが、小さなイノベーターによってイノベーションは起こったのです。でもその小さなイノベーションさえも次第に過去の成功体験と既得権益となって、それをを守ろうとする人たちによって守りを固められ、ついにはマンネリの道を進んでいるのです。

 ふと、合併後のまちづくりのことを思い出しました。確かに合併は地域にとって大きなイノベーションでした。しかし3年が経った今では、旧市町村の既得権益を守ろうとする人たちの必死の抵抗によって、議会も行政も醜い骨肉の争いをしています。市町村合併は外から壊したため内部が壊れずイノベーションの失敗事例かもしれませ。

 ふと、私が務めるまちづくり組織のことを思い出しました。確かに安定成長のように見えますが、この激しい時代変革の世の中で組織を守ることに汲々として、中から壊すイノベーターがいないのです。だとしたら、身を引くことだって小さなイノベーションのような気がするのです。指導者はいかに早く去るか、いかに早く死ぬかが命題なのです。

  「ふと思う イノベーションを 起したが それを守らば 元の木阿弥」

  「さあ起そう イノベーションの 波風を 出来ない人は 去るか死ぬかだ」

  「シュンペーター 俺はさしずめ シンペーター 気概を持って も一度トライ」

  「壊さなきゃ 新しきもの 生まれない 坂本龍馬 言ってるようだ」  

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