○妻のとんだハプニング顛末
「お父さん、、今日は大変だったのよ」と外出先から帰った妻が、開口一番武勇伝を語り始めました。「今日は帰りが遅くなる」と言って私が新居浜へ出かけたため、それなら自分もと孫を連れて映画を見に行ったらしく、帰宅してみると妻の姿が見当たらないのです。妻の携帯電話を呼び出しましたが、その携帯電話は置き忘れて居間で鳴っているのでです。仕方がないので娘の家に電話しました。すると何のことはありません。妻はまだ松山の娘の家にいるではありませんか。食事の時間なので早く帰って来いt少し叱るように話し電話を切りました。
おっつけ妻は帰ってきての武勇伝です。聞けば映画館で孫を降ろし乗って行ったトラックの内キーをしてドアを閉めたようです。ところがキーロックしてから座席にキーがあったのです。さてそれからが大変、どうしようかと思案した挙句娘に電話して、加入しているJAFがやって来て僅か5分で開けてもらったそうなのです。しかもその作業代が無料というのも妻の武勇伝のひとつのようでした。普通ドアロック解除を業者に頼めば5千円から1万円は取られるのですから儲けたと思ったのは当然です。しかし人のことですから言えませんが妻も私に輪をかけた相当なお人よしでおっちょこちょいのようです。
私は娘夫婦の勧めもあって何年か前JAFに登録しましたが、利用したことは幸せな事に一度もなく、更新手続きの度に「お金が要るだけならもう止めようか」と再三妻の不評をかっていたのです。それでも何かあったらと更新手続きを繰り返していましたが、ここにきて一気にそのモヤモヤが晴れたようで、いい加減なもので「やっぱり強い味方はJAFねえ」と、開いた口が塞がらないのです。
そういえばJAFで思い出すのは2年前、人間牧場が出来て1周年を記念して広島の過疎逆と共催した逆手塾での出来事でした。人間牧場へはフロンティアのメンバーも迷うほど幾つもの枝分かれした細い迷い道があって、余程でないと迷ってしまうのです。その日はフロンティアのメンバーが何度も往復して最寄のシーサイド公園やJR下・上灘駅を往復し送迎に当たってくれました。来る時はみんな水先案内人がいるため簡単に来れるのですが、さて早々に引き上げる人にとって夜道は余計分りづらく、助産師の山本さんにとって早朝までに香川まで帰らなければならない所用があって、「さよなら」と去って行きました。ところが数十分すると「どうやら道を間違ったらしいが今自分が何処にいるのか分らない」と、まるでミステリーまがいの電話がかかって来ました。どこをどう通ったかを電話でたどりましたが、そのうち車をぶつけ動かなくなったと半泣きです。フロンティアのメンバーも農道までは知る由もなく、結局下の県道まで車を転がすように下りてもらいましたが、彼女もJAFに加入していて呼び出したものの、自分の位置確認が出来ずその作業は深夜にまで及び、結局車は役場までJAFの事故処理けい引車で運んでもらい、山本さんは松山まで連れて行き列車の人となったのです。
全国をネットしてサービスを展開するJAFという仕事の存在を頼もしく思ったのはその時でした。以来一回もそのお世話にならずも車の後ろにJAFのステッカーを貼ったりしているのです。私はもし車が故障してもJAFへの通報をするすべを知りません。妻は余程感謝しているのか「JAFを呼び出すには♯3999でつながるのよ」と宙で覚えていて教えてくれました。
そういえばもうそろそろ私の車も9年目を向かえ寿命かもしれない思うようになりました。先日もエンジントラブルの表示が運転席の前の速度メーター表示板の横に点灯し驚かせましたが、ディーラーで点検修理し事なきを得ました。今回の車も故障の少ない車に恵まれましたが、せめて加入しているとはいいながらJAFのお世話にはなりたくないものです。
「JAFなんて そんな略語は 知らなんだ 妻はとっさに 金の力か」
「修理代 タダというのが 気に入って 妻は感謝の 多弁となりぬ」
「落ち着いた 妻がおこした おっちょこちょい カギを座席に 置いたり老いて」
「あなた何処 居場所も分らず 電話する それでもJAFは 差の場所探し」