○ジャガイモの収穫
この頃になると毎年親父と私は親子喧嘩をします。喧嘩といっても何も取っ組み合いや罵声を浴びせるようなことはしないのですが、どこか親子の間に不協和音が聞こえるのです。というのも家庭菜園にタマネギとジャガイモを植えているのですが、その収穫についての意見の食い違いなのです。
今年90歳になる親父はお天気で作業をします。したがって梅雨に入ったこの頃になるとタマネギとジャカイモの収穫の日を週間予報を見ながら探ってるのです。所が今年63歳になった私はリタイアしたとはいえ大学へ非常勤講師として講義に行ったり、まちづくりの講演活動で全国行脚をしたり、前もって決められたスケジュールに沿って忙しく動き回るのです。お天道様相手の親父と人様相手の私では日程が会うはずがないのです。年に一度の親父の言い分だから聞けといわんばかりに詰め寄ってきますが、結局は喧嘩別れのような形で、この10年ほどは親父一人が終いをしているのです。しかし寄る年波には勝てず最近は自分の力だけではどうしようもなく、私の力を借らなければ成就しないのです。
今朝親父の隠居へ行くと案の定、「今日は暇か」と訪ねました。暇ではなく締め切りの近づいた原稿書きがあるのですが、家にいて着くの前に座っていると親父の目には「暇」と映ったのか、手伝う羽目になってしまいました。堀り上げたジャガイモを入れるキャリーを用意して、鍬で掘り始めました。権兵衛が種まきゃカラスがほじくる」の言葉の如く、「息子が掘れば親父が拾う」類で作業を進めました。今日はここ2~3日の梅雨の晴れ間で土も掘り易い具合に乾いていて、しかも曇り空で随分助かりました。
(豊作の予感がするジャガイモ畑)
(土の中から出てくるよく太ったジャガイモ)
(私が鍬で堀り、親父がキャリーに入れて行きました)
今年はジャガイモの出来は豊作で、男爵という種芋を10キロも植えたためかなりの量の収穫でした。土の中から面白いほど大きなジャガイモが次から次へと出てくるのです。キャリーに10箱も収穫し親父はこの10年で一番の豊作だと、一昨日収穫を終えたタマネギとともに豊作を喜んでいました。
さて今晩はジャガイモとタマネギの料理が並ぶことでしょう。塩茹でした熱々のジャガイモにバターを塗って食べるのもいいしと思うと何だか口の中にツバが出そうになりました。
何はともあれタマネギとジャガイモの収穫作業は終り、親子の間柄もすこぶるいい人間関係に戻りました。親父も90年間長男として厳しい時代を生き抜いてきました。私も親父ほどではありませんが長男という人間のサガを感じつつ63年間生きてきました。二人の長男の関係は二人が生きている間続くことでしょうが、年齢的にいうと老い先は私に軍配が上がります。軍配の下がる親父のことを思えばもう少し優しくしてやらなければと殊勝な気持ちになっています。でもすこしでも長生きしてもらうためには親子で張り合うことも大事だと妻が二人の些細な喧嘩を横目で見ながら話します。どちらが正しいのでしょうか。
「九十の 親と息子が 喧嘩する 親父まだまだ 元気な様子」
「今夜から 雨だと強調 親父勝つ 負けたふりする 息子気配り」
「豊作は 俺が世話した 胸を張る 親に負けじと 掘った自慢を」
「ああ美味い 新ジャガ食べて 幸せだ 長閑な暮らし 金に変えれず」