○真鍋島での楽しい一夜
「若松さん、覚えていますか」と唐突にいわれました。はてさて失礼な事ながらその人の名前は「山本英司」さんで笠岡市役所協働まちづくり課の副統括をしているそうです。10数年も前、私は彼の招きで島へ渡り、漁業者の皆さんにまちづくりについて講演しているのです。「笠岡のある島へ講演に行った」「笠岡の駅前でラーメンを食べた」「市役所の人と一緒に島へ渡った」くらいの断片的出来事は覚えていても、誰と何と言う島へ行ってどんな話しをしたかまで、凡人の私の頭でははっきりと覚えていなかったのです。
よくある、覚えていないのに覚えていそうな態度をするのも嫌なので、正直に話してしまいました。しかし当の山本さんは私の顔どころか、私の話まで覚えていて、恐縮してしまいました。それでも10数年ぶりの再会を喜びながら、記憶の糸を手繰り寄せながら思い出話に花を咲かせました。
講演が終わって守屋さんの計らいで私たち一行はそれぞれの島に帰る人たちを見送る海上タクシーに乗って、島伝いに人を降ろしながらその日の宿を取っている真鍋島へ向かいました。別名笠岡諸島といわれる白石島、北木島、飛島などの向こうに浮かぶ真鍋島までは一時間強で、途中の白石島で白石公民館長の天野さんを乗せ、その間講演会に来ていた乗船の女性たちと船室で大声で話しながら過ごしました。そういえば昔来たことがる島は石の島北木島だったような気がしました。
やがて船は真鍋島の裏側にある三虎というユースホステル専用の桟橋に着岸です。聞くところによると学校を移築したどこか趣のある家で、島の表にある港からは道は歩道しかなく、もっぱら船での入島が一般的と聞いて2度も三度もビックリしました。その夜はこの島宿に泊まりました。早速塩湯に山本さん、守屋さんとともに入らせてもらい、汗を流すどころか噴出す汗に大弱りほどの塩風呂効能でした。
その夜はとびっきりのご馳走で、見たこともないような大きなアコウの刺身やオコゼの唐揚げ、備中の海特産のカニや海老に舌鼓を打ちながら山ほどの積もる話をしました。夕食懇談が終わった後もお茶を飲みながら居間で天野課長さん、守屋さんと三人で協働のまちづくりの進め方について意見や議論を出し合い、笠岡方式を探りました。
私は子どもの頃から前が直ぐ海という下灘漁村に生まれ育ちました。いわば波の音が子守唄のような日々でした。島宿三虎も直ぐ下が海なので、窓越しに波の音が静かに聞こえ、懐かしかったものの、久しぶりの波の音で中々寝付かれず、思い切って電気をつけて1時間ばかり読書にふけりましたが、いつの間にか眠っていました。
明くる日は私の都合で早立ちのため朝食をすることなく朝6時に宿を出ました。島の向こうの定期船が発着する港までは約15分も急な山坂を上り下りしなければなりません。それでも少し上り少し下ると懐かしいような港の風景が見えてきました。
島独特の細い路地や殆ど車の通らないスローな暮しを垣間見ながら、守屋さんの案内で路地裏に向かいました。ここには大きなホルトの樹があって中々の銘木です。早朝ながら守屋さんは勝手知ったる手合いで中に入り私に色々な説明をしてくれました。
(立派なホルトの樹)
(説明板)
(歴史の重みを感じさせるナマコ壁の細い露地)
朝の散歩がてらの見学に終わりましたが、一度ゆっくり訪ねゴーヤを作る人、しまべんを作る人、漁火の人、木造校舎の守り人、よろづ屋の人など、守屋さんの話の端々に出てくる面白い人に会ってみたいような気持ちになり、後ろ髪を引かれる思いで高速船に乗って地方まで元来た航路を帰りました。穏やかな瀬戸内の風情に触れた一泊二日の旅は、同行して貰った天野課長さんや守屋さんとの語らいで癒しの旅となり、再びしまなみ海道を走り、伊予へと帰ってきました。
「またおいで そんなささやき 聞こえそう 島は心が ポカポカしそう」
「猫さえも のんびり朝寝 動きなし 島は時計が 止まっているよう」
「その先に 浮かぶ小島は 香川県 ココは県境 四国は近い」
「道もなく 峠を歩く その先に どこか懐かし 港が見える」