shin-1さんの日記

○今日はクリスマス

 今日はクリスマスです。流石にこの歳になるとクリスマスも縁遠く、昨晩hqクリスマスイブ、今日はクリスマスとかで私のメールには沢山の方からメリークリスマスの伝言が伝えられるのに、何故かわが家にはクリスマスツリーもなく、クリスマスプレゼントもないのです。妻はせっせと孫や知人友人の子どもにクリスマスプレゼントしているのに、私には届かないばかりが妻に「お父さん私へのクリスマスプレゼントは?」何て言葉をかけられてしまいました。

 そういえば子どもが小さい頃は子どもに何のプレゼントをしようか色々と考えたものでした。子どもは私がサンタクロースとわかっていて、クリスマスが近づくと私の耳に届くようにあれやこれやの注文をするのですが、子どもが4人もいて安月給の身には堪えるのでクリスマスプレゼントは本に決めていました。子どもに本を読んで欲しいという願いからでしたが、子どもにとっては子ども社会の流行のようなものがあって、私のプレゼントする本などは余り好まれませんでした。それでもいつしかそれが当たり前になり本を読む子どもになったことはよかったと思います。

 昨晩息子夫婦がやって来ました。子どもが大好きな息子は結婚する前からクリスマスイブにサンタクロースの服を着て、自分の友人の子どもの所を回るのが年中行事になっています。昨晩もその大役を終えて帰って来たのですが、「つい最近は子ども好みがテレビゲームのソフトなどが好まれて味気がない」と嘆いていたようです。肝心の息子夫婦には結婚して1年も経ったのにまだ自分の子どもが生まれる気配はありません。こればかりは私たちにもどうすることも出来ず、内孫の誕生を祈るばかりです。

 クリスマスといえば、かつてはわが家でも家の近くの畑から小さめな杉の木を切ってきて小さいクリスマスツリーをよく作りました。そして電気を消してケーキのローソクを点け「きよしこの夜」などと歌ったものです。また私は教育委員会社会教育課に務めていたのでクリスマスが近づくと各集落の愛護部から頼まれて子ども会のクリスマスの集いの指導に出かけたものです。ゲームやキャンドルサービスなど子どもたちにとっては楽しい催しだったと、自治会の集会がある度に当時子どもだった青年たちが述懐してくれます。かつては集落毎にやっていたクリスマスの行事は子どもの数の減少で出来なくなり、クリスマスはそれぞれの家でやっているようです。時代も変わったものです。

 一昨日はふたみの日と定めてシーサイド公園で「サンタが空からやって来た」というイベントが行われ大勢の親子連れがやって来ました。イベントホールには数日前からイルミネーションが美しく飾られ若いカップルが沢山集まっているようです。昨年は私たち夫婦も若い人に混じって恋人岬の散歩を楽しみましたが、今年は風邪気味なので取りやめます。

 私たちがない知恵を出して始めたパラグライダーでサンタクロースを迎える知恵は当時NHKの全国ニュースになったりもしました。今もしっかりと受け継がれているようです。

 年齢とともに寂しくなったわが家のクリスマスですが、今晩は妻と二人でワイングラスに梅酒でも入れて飲みながら(私も妻もお酒は飲めないのです)「メリークリスマス」と陽気にやりたいものです。

  「クリスマス 俺には縁の ないものと すっかり忘れ プレゼントもなし」

  「クリスマス 子どもいた頃 懐かしく 妻と二人で 梅酒乾杯」

  「電話にて  ばあちゃんサンキュー 孫の声 これが最高 贈り物かも」

  「大掃除 していて封筒 五千円 見つけへそくり サンタクロースが」


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shin-1さんの日記

○整理整頓

 「整理整頓」という言葉があります。昔小学校の壁に学校の先生が達筆な毛筆で書いて貼っていたのを思い出します。先生は部屋が散らかっているのを見ていつも「整理整頓の必要性を説いていました。しかしその言葉には具体性がなく、「片付けろ」というだけで「整理整頓」の意味も話してくれませんでした。年末になって自分の書斎を見てみると一年間の手紙やハガキ、名刺や書類が山のようになっていて、足の踏み込む場もないほど散らかっているのです。ふとあの先生の具体的でない話と四文字熟語の「整理整頓」という貼り紙を思い出しながら、「整理」と「整頓」について考えてみました。

 私の知恵袋とでもいうべき分厚い広辞苑を書棚から取り出して、「整理」と「整頓」という見出しのページを索引、細かい文字に虫眼鏡を当てて調べてみたのです。「整理」とは乱れた状態を整え秩序正しく整えること、「整頓」とはよく整った状態にすること。きちんと片付けることと書かれてました。ついでに「掃除」「清潔」についても調べてみました。「掃除」とはゴミや埃をはいたり拭いたり取り除き清潔にすること。「清潔」とは汚れがなく綺麗なこと。衛生的なことだそうです。もう一つ「習慣」についても調べました。「習慣」とは日常の決まりきった行い、しきたり、ならわしだそです。

 まず「掃除」をし「整理」「整頓」して清潔」にする、そしてそれを「習慣」化すれば、部屋はいつも綺麗であるはずなのです。ところが人間はつい先のことが気になって今したことをそのままにして次の作業に取り掛かるのです。例えばこの文章を書くのに書棚から広辞苑を取り出しました。そして広辞苑の小さい文字が読みにくいので虫眼鏡を机の隅にあるペン立てから取り出しました。調べながらパソコンに打ち込むのですが、打ち込み終わり、広辞苑も虫眼鏡も既に必要がなくなったのに机の上に置いたままなのです。遠くで妻が「お父さんご飯」と呼ぶ声がします。私はパソコンも広辞苑も虫眼鏡もそのままにして部屋を出ます。これでは整理整頓が出来ないばかりか、今度朝食が終わって部屋へ帰ると、広辞苑や虫眼鏡の存在を忘れてパソコンを打つことに集中してしまうのです。そのうち親父がやって来て「ちょっと手伝ってくれ」と部屋を離れるともうアウトなのです。再び部屋に帰り調べるために虫眼鏡を探し始める、「ここへ置いたはずなのに」で、まるで健忘症、まあこんなことの繰り返しが日々の生活なのです。

 あるべきものをあるべき所に置く、こんな当たり前のことが当たり前に行われないところに整理整頓はないと分っていても、日々の暮しの急がしさを理由に中々上手く行かないのが今の自分の姿です。それでも文章の置く場所を決めてみたり、分類してファイルしてみたりと少しは努力の成果が実って、書斎も前よりましになってきました。

 昨日妻に諭されて一年に一回の大掃除を決意し掃除を始めていますが、1ヶ月使わないものは片付ける、一年使わないものは捨てるを基本原則に今年一年各方面から送られてきたり収集した文書類を分類しました。昔はこの紙類は闇雲にゴミ袋に入れて、あるいは資源ごみに出していましたが、今年の10月からわが伊予市ではゴミ袋が有料化になり、ごみの減量化に取り組んでいるので、思い切って畑の隅にあるドラム缶自家製の焼却炉で処分することになりました。まあ一年間の紙類は凄いです。段ボール箱五個分はあったでしょうか、まるで焚き火のように紙ごみを燃やしました。お陰さまで親父と私は今朝も焚き火で暖を取りポカポカなのです。

 私の書斎には仕事柄、未処理のものが沢山あります。大学の授業で使った資料の整理をして大学へ提出しなければならないものもあります。また講演依頼の文章もあります。さらには年賀状に今年の分を加えるための名刺類も捨て切れません。これらはこの冬休みの作業として残ってるのです。この捨てると残すの判断が難しいものは、昨年の大掃除で残すと決めていたものですが、一年経って見直してみると何で残したのか不思議に思うものまであります。

 新聞のスクラップや写真類は整理整頓して置くべき場所におかなければなりません。とりあえず捨てるものは捨てましたが、さて整理整頓と習慣化は私の永遠のテーマとなっているようです。

 親父は整理整頓の名人です。私が鍬や鎌を黙って使うと直ぐにばれるほど正確に物を元の場所に置くからでしょう。そんな父でさえ最近は置いた場所が分らないと一日中探していることもあるようです。やはり歳なのでしょうか。

  「あれ程に 残しておきたい 資料でも 一年経てば 炎と消えて」

  「あっしもた 焼いてしまって 反省し 炎の中の 文字を追いつつ」

  「次からは 綺麗にするぞ 決意した 三日坊主の 結果こうなる」

  「習慣を 直さなければ 同じこと 決意毎年 六十二年も」


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