○切干大根を作りました
やっと全国行脚の旅から開放されて、今日から私は自由人として冬休みに入ります。といっても年賀状は書かなければならないし、仕事も片付けなければならないし、やることは山ほどあるのですが、講演や公式行事はひとまず終わりホッとしています。今朝久しぶりに家の敷地内にある畑へ出てみましたが、親父の世話が行き届いて草の手入れもしっかり行われ、冬野菜が勢いよく育っています。しかし少し離れた私の家庭菜園は惨憺たる光景で草ぼうぼうなのです。草削りの鍬を持ち出して2時間余り毛削り何とか畑らしくなったので、大根の畑に入って大根を抜き、切干大根を作ることになりました。同じ大根でも生の大根と切干大根は何故か栄養価値が違うということを聞いていたので、思い切って10本ほど引き抜きました。今年わが家の大根は今まで出来たこともないような大豊作で、まるでお化けのような大きさに育ちました。引き抜いた大根の葉を落とし水洗いして車状に切って短冊状に切るのです。私は一年に何度も包丁を持つような器用な男ではありませんが、昔取った杵柄で面白いように白い短冊が出来上がりました。20本も切ったでしょうか、最後は少々嫌気がさし2時間近くもかかってしまいました。
親父が切った大根をセイロに広げて干してくれたのですが、まあまあの状態に仕上がりました。今日は天気もよく生憎の無風状態、しかもわが家は裏山に隠れて冬この時期は余り日当たりがよくないので、乾燥して切干大根に仕上がるのには1週間もかかるのではないかと思われます。途中雨に会ったら大変と家の横の東屋の軒先に垂木を通して干し場を作り準備万端OKです。
昔は切干大根は丸のまま干したのもあって硬くて食べられないような状態で食卓に出たりしたこともあって、あんなもの食べれないと思っていましたが、歳をとると好みが変わるのか、切干大根を水で戻して油でいためじゃこ天などと一緒に煮付けるとこれが絶品で、美味しいのですから年齢と嗜好の関係は変化するなんて不思議なものです。今はお店でも切干大根を売っていますが、やはり自家製は美味しいため母が生きてる頃から手作りをしているのです。セイロに8個作りましたが、乾燥うするとセイロ1つぐらいになるようです。
昨日の晩は妻がカブのあんかけを作っていました。カブをわが家では大豊作で、漬物や酢漬けなど様々な料理に変身します。私が褒めるのも変ですが妻は料理が上手です。これだけでも結婚してよかったと思うほどで、特に魚の料理は「お魚ママさん」の講習を受けていますからバッチリです。(少々お惚気になってしまいました)
冬が来て、正月もそこまでやって来ています。一年間家を空けて全国行脚した家や妻への不義理を年末年始で少し取り戻さなければなりません。だって妻は61歳になっても定年もなくパート働きをして退職して自由人になった私を養ってくれているのですからそれくらいしてもバチは当らないのです。でも良かれと思ってやったことがつい仇になることだってあります。昨晩も風呂を貯めようとボイラーのスイッチを入れ、蛇口をひねったまでは「私は何て優しい亭主なんだろう」と自分で思っていましたが、パソコンに夢中になって結局は蛇口を閉め忘れ湯を溢れさせてしまい大目玉でした。妻曰く「お父さんの親切はどこか抜けてる」というのです。まあいいじゃありませんか。死ぬようなことはないのですから。わが家は年末もどうにか平和です。
「切干の 大根きざむ 包丁が 指先少し 切って終わりぬ」
「切干を 乾す頃思う 亡き母の 今はどの辺 旅しているやら」
「土日なく 働く俺の 冬休み 妻は手ぐすね 引いてあれこれ」
「日暮れ時 少し遅れて 師走日々 自転車帰る 子どもさよなら」