shin-1さんの日記

○昔の名前の名刺ではない名刺

 今日は私が代表を務めるえひめ地域づくり研究会議の運営委員会が持たれました。二月に一回のこの会議は、間近に迫った行事の運営や近況を報告しながら自らの意識を高める大切な会議です。この会議のお世話をもう二十年もやっていると、余り変化の内容に見える団体でも去る人来る人、また亡くなった人など様々な人間模様が浮かび上がって結構楽しいものです。

 今日の会議に飛び入りで今は合併して愛南町となった旧御荘町の山岡強さんが久しぶりに顔を見せてくれました。彼は旧まちづくりセンターへ2年間出向職員として派遣された頃知り合い、えひめ地域づくり研究会議の事務局としてお世話してもらった経験を持っており、膝つき合わせて策を練った昔が懐かしく感じられました。彼はその後役場に帰り、音信は年賀状程度のやり取りでしたが、道の駅に出向していたこともあって、折につけ何かと気になる存在でした。

 私と彼との間柄を考えれば名刺の交換など必要ないと思いましたが、私の近況と彼の近況がかつてとは違っているので、名詞の交換と相成りました。彼の名刺をもらった時、名詞の表面が何かごつごつしていることに気がつきました。名刺の表面に、愛南町の特産品であるヒオウギ貝の稚貝を貼り付けているのです。黄色い愛らしい稚貝は海のイメージが連想され、さすが観光振興の部局にいるだけのことはあるなあと感心しました。

 よく見ると私以外の人と名刺交換している別の名刺にも少し違ったヒオウギ貝の貝殻が貼り付けられて、オリジナルな表現をしていました。ある人が「この名刺楽しいけど持ち運びにかさばるよなあ」と感想を述べましたが、「それが難点なんです。でも私の名刺は名刺のケースの一番上に置いてください」と話していました。

 毎日のように何気なく交換する名刺の数々、ややもすると埋没して二度と浮かばれない名刺の何と多いことか、その感想は退職時に私が畑で焼いたダンボール数箱分の膨大な名刺が物語っています。重要だったり余程特徴がないと相手に覚えてもらって保存してもらうことは難しいのです。

 私の名刺もイラスト入りなので随分目だって、最近では名刺の売れ行きも好調なので、この分だと最初の計画通り名刺一枚100円の販売事業に取り組むのもそう遠いことではないと思っています。「えっ名刺を売るのですか」はいその通り、役所を辞めて給料の出なくなった私には名刺一枚も疎かにすることは出来ないのです。実はもう名刺を販売した経験があるのです。ある集会が終わった懇親会の席上、この話をしたら「その話し乗ろうじゃないの」と声を掛けてくれ、声を掛けた人がさっさとポケットマネー100円を集めてくれたのです。その金額は3700円、つまり37人の人が集まっていたのでそうなりました。私はこのお金を名刺貯金として大切に保管しています。このお金は名刺がなくなって次に作る時出資したいと思っているのです。

 名刺で金儲けなんてと呆れる人の顔を見ながら、今度はどの懇親会をターゲットにしようか虎視眈々です。だって酒を飲むとみんな頭が馬鹿になり、金銭感覚がなくなるからです。だって縁もゆかりもない飲み屋に5000円も払うのですから、縁もゆかりもある私に100円くらいの投資をしてもバチは当りますまいが・・・・。てな調子でたった一枚の名刺の話題をこうまで楽しい文章にして今日のところは夜もふけてきたのでお休みなさい。

 私のブログを毎日読むという同じ伊予市市民の門田さんの感想が聞きたいね。

  「名刺見て ブログの話題 今夜書く 夜が遅いと 諭す妻見つ」

  「毎日々に ブログ書く癖 つきました 随分早く 書けるも特技」

  「この名刺 一枚十円 売りましょう そんな商売 繁盛するかも」

  「おい俺の 名刺一枚 買ってくれ 売れた売れたよ 三十七人」

 

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shin-1さんの日記

○町内を回る

 私は300戸足らずの小さな自治会の区長(自治会長)をおおせつかっています。小さいといっても旧双海町では最も大きな自治会で町内には27組もの小組みという組織があります。毎月月初めにはこれらの組長さん宅を回って、市から届く広報を配布しなければなりません。本来なら小回りのきく愛用のヤマハメイトで家々を配るのですが、次男が病院の実習中なのでその単車を貸しているため、今朝は妻の軽四愛車に重い広報を配達順番に積んで出掛けました。早朝5時過ぎの町内は田舎らしく早起きの人が多く、あちらこちらで「お早うございます」と元気なあいさつを交わしながら配って回りました。今朝の外気は何時になく寒く吐く息も白くなるほど冷え込んでいました。それでも約1時間を小走りしたお陰で随分体が温まり、これも役得かと思いました。

 役場を辞盆踊り、秋祭りなどの恒例行事が一段落したこの頃は余計そんな感じがして、自治会長としての責任もあるので少し暇を見つけて町内を回らなければならないと思ったりもしました。

 私の町内でも近頃は独居老人が増えているようです。妻が民生委員をしているので、わが家の入り口にあるお地蔵さんの縁日を毎月21日と決めて、その日は妻が赤飯を作り近所にお接待と称して近所や妻の受け持ち区域に住んでいる独居老人宅へ私が宅配するのです。「おばあちゃんその後いかがですか」と近況を聞くと、まるで日向ぼっこの亀のように玄関からちょこんと首を出し、「いつも気をかけて下さりありがとう。お陰で何とか元気です」と会話を交わすのです。

 先日も面白い会話を交わしました。「若松さん、役場を辞めたそうなが選挙に出たらどうぞな。私らはいつも色々してもらって何のお返しも出来ん。選挙にでも出たら一票入れてあげるんじゃが」と、まあこんな会話です。長話も出来ないので、「選挙に出る時には頼みます」と笑いながらその場を立ち去るのです。選挙になど出る力もその気もないのを知っての話でしょうが、面白い表現をするものだと一人苦笑しました。

 田舎の高齢化はもう数年前から問題になっていて、高齢化は田舎だけかと思いきや、何と大阪の千里ニュータウンなどかつては若者が住んだ街が急速に高齢化して社会問題になりつつあるというショッキングなニュースが、今朝の新聞で報じられていました。確かに半世紀近く経てば20歳の青年は70歳になるのですから当然かもしれません。しかし高度成長に沸いたその頃は50年後の未来年齢なんて誰も想像しなかったに違いありません。人は誰でも確実に一年で一歳歳をとるという現実や、歳をとると車に乗れなくなるという文明の裏側を忘れてしまっているのです。その歳になって何とかしろと文句をいったって誰も助けてくれないのが世の中なのです。若い頃は何でも自分でできるから個人主義がまかり通ります。誰にも束縛されない現代の自由な社会はまさにそれを象徴しているようです。しかし歳をとったり体が不自由になったり、震災や災害にあった時は近隣の力添えがなければ決して一人では生きてゆけないのです。そのことに気がつくのが遅いと人間は人生の仕上げの大切な時期に不幸になるという末路は、今までの小説や身の回りの事例でよく分るのですが、まだそんなことに気付かず相変わらず愚かな暮しをしている人々が何と多いことか・・・・・・。

 「人は何のために生きるの」と訪ねたら、「生きるために生きる」「食うために生きる」「働くために生きる」「人々の幸せのために生きる」「目標を成就するために生きる」「子孫繁栄のために生きる」など人それぞれでしょう。今からでも遅くはありません。ちょっと立ち止まって、鏡に自分の姿を写しながら、自分に向かって「何のために生きるか」「誰と共に生きるか」などを自問自答するのも

大切かもしれません。秋は人恋しい季節です。

  「街歩き 会話重ねる いいもんだ ばあちゃん元気 お陰様です」

  「三十年 後には親父の 歳となる あんなになるのか 少しいたわり」

  「よもぎ餅 隣近所の おすそ分け ハアハアフウフウ 焼いてやきもち」

  「風邪気味で 親父隠居に 遠慮気味 俺より丈夫 昔鍛えし」 


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