shin-1さんの日記

○三軒のお店

 昨晩は三軒のお店へ行きました。これも大事な文化研究の研修なのですが、お酒の飲めない私としてはもっぱら食べることに専念しました。一軒目は大東ソバを食べに食堂のような所でこだわりのそばを食べました。麺食いの私としては、ちょっと物足りない感じもしましたが、それでもうどんに似た食感やスープの味は大東島の香が口いっぱいに広がって美味しかったです。

 2軒目の店は食通が通うこじんまりとした飲み屋でした。止まり木に座ってさまざまな今まで61年生きてて食べたこともない沖縄の海と山の幸を堪能しました。海ぶどうと沖縄の豆腐は門田さんなどお変わりするほどです。沖縄の食べ物は自然食品がふんだんに取り入れられてご馳走でした。特に豆腐は木綿豆腐で驚くほど硬く、塩辛などを薬味として乗せて味わうのですが、豆腐には口うるさい私の舌をうならせるものでした。

 3軒の店は沖縄民謡の店でした。三味線の音色につられ思わず夏川さんの「涙そうそう」を熱唱してしまいました。それにしても沖縄の人は三味線と太鼓が鳴り出すと立ち上がってみんな踊るのです。その様子は四国徳島の阿波踊りに似ていまして、私も思わず踊ったら、『お客さんおじょうず」とお世辞を言われ有頂天、おかげ様で少し体が張ってます。

 沖縄の店は何処へ行っても近頃の日本人が忘れている何か郷愁のようなものを感じます。人なつっこい正確がそうするのか、時々何を言っているのか分らない方言で喋るのですが、これがまた田舎者の私にはピッタリで、会話が弾みました。そしてその会話に弾みをつけたのはやはり泡盛といわれる沖縄独特の酒でした。カウンターの後ろには名前さえも覚え切れないほどの泡盛が並べられ、試飲と称して古酒10年なんてラベルの貼ったアルコール度数45度以上の泡盛が注がれ、飲むほどに酔うほどに分ったような顔をして泡盛談義は熱を帯びてゆくのです。

 3軒の店を出る度にお足代を勘定し財布を開けるのですが、物価が安いと感じました。松山辺りだと飲み代は普通一軒5千円くらい、沖縄では3千円程度でした。その安さが「もう一軒」と進んで3軒の梯子酒となっなったので、結局は昨晩の飲み代は〆て1万円也といったところでしょうか。それでも旅の楽しみとしては安い交遊でしたし、愛媛県といえば沖縄では決してメジャーな地域ではないだけに、ちゃっかりと名刺を配り、ちゃっかりと宣伝をしまくりました。一週間後に再び沖縄へ行くので時間があればまたこの3軒全てとはゆきませんが立ち寄って見たいものです。

  「酒を飲み方言語って箸進め今宵沖縄最後は歌で」

  「口開けたハブが私を見つめてる泡盛瓶の不思議なるかな」

  「お願いし蛇味線弾いてみたもののまるで雑音耳をふさがれ」

  「路地裏に響く蛇味線太鼓の音リズム取るよに思わず手足が」

 

 

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shin-1さんの日記

○沖縄から発信

 私もいよいよ情報通になったものです。只今滞在先沖縄のホテルのロビーからブログに書き込みをしています。今朝起きて同行の清水さんと談笑中、「沖縄からブログを書いてはどうか」と提案があり、出発間際だというのにブログに挑戦しました。ところがパスワードを忘れ娘婿の岡本先生に電話を入れて教えてもらい、やっとメールが書き込める画面が出てきたのは出発30分前でした。

 ですから出発間際で大変急いで立ったままあせってブログを書き込んでいるのです。でもこれが沖縄で書いた記念のブログ記事だと思うとワクワクして思うような文章が書けません。ましてや同行の三人が後ろから眺めているような視線を感じての操作なので、やたらと誤字脱字が出て、私を悩ませています。

 沖縄は只今どんよりと曇っております。天気予報だと50パーセントの降水確立だとテレビがいっていました。昨日は同行の門田真一さんや兵頭さんと世界遺産に登録されている首里城へ見学に行ったり、兵頭さんが開発した穴場を丹念に訪ね、ホテルに帰ったのは時計の針が12時を回っていました。ウーロン茶で呑み助の3人の相手をするのですから、私も大したものです。

 沖縄の夜は実に楽しいです。今回の旅はさした役割があるでもなく全国の人たちとの交流が目的ですから、いわば自由な旅です。自由とは嬉しいものです。二週間後にはまた沖縄へ講演に来る予定ですので、ぎっと広くなった沖縄の情報をもっともっと広げたいと追っています。

 これから私たちは武道館で開かれる全体会に出席して、念願の石垣島へ飛びます。私はこれで沖縄へは10回以上来ていますが、今回の旅はゆっくりリズムで私の今の暮らしにフィットしています。

 お迎えのタクシーが来たようです。「さあ出発だ」と言っています。只今浪人中でお土産は買えませんがお土産話は沢山持って帰ります。

  「ロビーにて立ってパソコンブログ打つ旅立ち間近な急ぎ心で」

  「泡盛を何故か青森勘違い北と南でお酒とりんご」

  「ホテルにもランクあるはずじゃあ俺はどんなランクでこの宿泊まる」

  「お父さん今何処天気矢継ぎ早携帯電話無事を確かめ」

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shin-1さんの日記

○私は大阪かな?

 先週は日本の三大都市といわれる大阪・名古屋・東京を相次いで無造作に訪ねました。どの街も日本を代表するとじふするだけあって個性があり、中々素晴らしいと思いました。あなたならどの街が好きですか。多分この大都市以外に住む日本人の殆どは東京を選ぶのでしょうが、私はやはり関西人でしょうか、新幹線に乗っても大阪が近づくにつれて屋並みに何か郷愁間を覚えるのです。

 駅に降り立ち耳に入ってくる言葉のイントネーションも何となく日ごろ聞いている耳障りで優しく聞こえるのです。「おはよう」「は「おはようさん」などと標準語とは違っていますが温か味を覚えます。多分日本全国が標準語を話すようになって、東京の言葉が当たり前になったからかも知れませんね。日々の暮らしに生き続けているコミュニケーションの源である言葉は断然大阪だと思います。

 東京でうどんを食べるとまずおつゆの黒いのに面食らいます。麺を食べて面食らうとは落語の洒落のようですが、関西風の澄んだスープに慣れているとどす黒い辛目のスープは何とも気になるし、第一食事後に喉が渇くのを覚えます。濃いのは色だけでなく塩分の濃度も多少高めなのでしょう。特に味噌汁は赤だし余り好きではありません。最初飲んだ時は「これ食べれるの」と思った程でした。

 道頓堀界隈を案内されるままに歩きましたが、列車に乗り込む前に弁当を買い求めましたが大阪は東京に比べ格段に安くて美味いと思いました。弁当を野球に例えるなら阪神タイガースと読売巨人軍くらいの違いです。しかし野球だけはつい最近まで大の巨人フアンでしたが、巨人がふがいないので巨人に不安をいだき、「巨人不安」となってしまいました。

 大阪にもいい所がいっぱいあります。大阪城公園などはもう梅の開花が始まっているのでしょうが、都会のど真ん中にあれほどの梅の花を観賞できる所があるのですから凄いです。先日訪れた古本通りも大阪らしい雰囲気で・・・・・と書いてくると、自分の浅はかな先入観が見えてくるようです。名古屋にも東京にもそれぞれの良さがあるのです。でも没個性、リトル東京、画一化の中で、個性を主張している地域はやはり好きです。私はアンチ東京なのでしょうか。

  「昨日夜大阪弁で電話入る思わずこちらも儲かりまっか」

  「赤出汁と言われて飲んだお味噌汁塩分濃度気になりま舌」

  「大阪の梅を見たさに城訪ねこち吹く風にこの身ゆだねる」

  「大阪を好きというのは身近人おじおばいるからえこひいき」

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○商店街がなくなる日

 私たちの町もそうですが、全国のどのまちの商店街も「シャッター通り」といわれるように、斜陽化の道をつき進んでいます。私たちの町の商店はシャッターなどのような気の効いたものはありませんから、さじずめ板戸かガラス戸といった所でしょう。それにしても車社会に乗り遅れた結末は哀れなものです。商店は便利さや安さを求めてやって来るお客を見越してどんどん郊外に移転し、そこに新たな商業施設やショッピングセンター、大型点が出店するものですから、まるで砂漠の中にあるラスベガスのような雰囲気です。

 どの街の商店街も何とかしようと知恵と汗を搾り果敢にかつての賑わいを取り戻そうと頑張っては見るのですが、残念ながら僅かの事例を除いて再生不能になっているようです。

 私の町の事例もそうです。町内には小さいながら2つの商店街があって、昭和時代は商工会内部に商店連盟などを持ってスタンプ事業などを行っていました。しかし商店主の高齢化と前述の社会の荒波になすすべもなく、今は町内での買い物とてままならないのです。

 そこで登場したのが「動く商店」ともいうべき車での販売です。町内の人ではないのですが、これをビジネスチャンスだと思ったのでしょうか、ワゴン車にありとあらゆる雑貨や食料品を山ほど積んで、集落を定期的に回っているのです。車に乗れない高齢者の多い山里では、このワゴン車が大もてで次に来る日には前回注文したものまで運ぶサービスぶりで、今やみんなの重要な生活物資供給源となっているのです。

 出張販売はこれだけではありません。お酒も安売りのリカーショップが町外からやって来て注文を受けたり、その配達をしてくれるものですから、安い便利が定着して「余分なアルコールを飲んでしまうと苦笑いしているのです。

 困ったのは地元の酒屋さんです。ビール1箱に千円も違う格差ではどうあがいても勝負は見えていて、酒が売れないとぼやいています。

 こおように、日本の商店街はあと10年、いやあと5年もすれば確実に潰れてしまう危険性をはらんでいるようです。日本の何かが狂いつつあるようで寂しい限りです。そんな中今年は灯油が高いので、自衛策として隣の町へ行ったついでに灯油を買って帰る人が増えたとガソリンスタンドは嘆いています。灯油は自宅まで配達してくれる便利さはあるのですが、価格の面では隣の町の灯油には価格の面で適わず、4缶と5缶が一緒の値段だと当然そちらを撰ぶでしょう。車に乗る人の自衛策も始まってここにも価格破壊の波が押し寄せてきています。

  「わが息子ポリ缶積んで帰り来る差額ちゃっかり懐温め」

  「酒止めて酒代いらなくなったけど酒の金額気になりビックリ」

  「今日休み思うくらいにしんとして人も通らぬ商店さびし」

  「結局は売れぬ買わぬ揃わぬで便利安いに人は流れる」

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shin-1さんの日記

○朝フルで本当に痩せるの

 私の友達に清水さんという人がいます。農協マンながら愛媛政策研究センターに出向して仕事をしています。彼は気象予報士の資格を持っていますが、週末には体の不自由な親父さんに代わって農業を営むなど今時珍しい親孝行な息子なのです。私たちが所属するえひめのまちづくりには色々な人がいますが、彼は今までのどの人とも違った個性を持っており、新人類の部類ではないかと思われます。その一つに「朝フル運動」があります。朝フルーツを食べて元気を回復しようというのです。朝の果物は金と言われるように朝果物を食べることの効果は誰もが認めていますが、それはデザート的な食べ方が一般的です。彼は朝食を果物だけににするのだそうです。「果樹農家だからそんなことを言って果樹を売るためでは?」と揶揄する意見もあるかと思いますが、どうしてどうしてこの運動が最近ブームになりつつあるのです。

 私の知っている人はこの朝フル実践で5キロも痩せたと効果を認めています。この人の話だとダイエットは食べたくても食べれない苦しみを味わうのが普通ですが、朝フルだと朝フルーツを食べるだけで昼も夜も普通の食事をするのに何故か痩せたのだそうです。しかも高かった血圧も正常値になり快眠快食快便この上ないと述懐するのです。最も全ての人が上手く行くとは限りませんし、こんな成功事例は新聞の広告「私は○○でこんなに痩せました」「驚きのパワー」などの宣伝で、薬を売る悪徳商法に見間違われるのでこれ以上は止めますが、果物王国愛媛なら出来る朝フルは持続可能な実践だと思えるのです。

 事実私の知っている清水さんはもっと太っていたように思いましたが、僅か1年余りであのように引き締まった身体になっています。

 「人の言うことは鵜呑みにしてはいけない。しかしいいことは学んで実践する」これが私の持論実践です。私はもう20年も朝はキャベツとリンゴを主食にしてきました。「リンキャベ」なる造語を作ってみんなにその効果を話していますが、「へえー」と感心はしますが実践はしないようです。それが普通の人間の行動だから別に気にもしていませんが、清水さんの朝フルが体にいいのなら、私はもっと前から清水さんの朝フルを実践していることになると、内心一人ほくそえんでいます。

 清水さんという一人の男性と出会っただけで私の理論や実践が少しだけ解明できたように思います。彼が企画したトークサロン「地域の自立とは何か」は、200人を超す申し込みで嬉しい悲鳴だそうです。ごっくん馬路村の東谷さん、葉っぱ戦略の上勝町横石さん、内子の森本さんに私が微妙にからむサロンは2月24日に開かれます。

  「聞きなれぬ朝フル実践二十年風邪も引かぬはリンキャベお陰」

  「痩せたいと思うは女性だけでなく病気のデパート持ってる人も」

  「果物は朝が一番金メダル食べないあなたはメダルも取れず」

  「朝フルの人から元気なメル届く私も負けじと朝ブロ朝風呂」

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shin-1さんの日記

○針と糸

 昨晩のことです。テレビを見ながら妻が針仕事を始めました。看護学校に通っている次男が看護実習ののために必要なエプロンに、自分の作った布文字を縫い付けて欲しいというリクエストに答えての針仕事です。聞けば小児科での実習なので自分の名前とパンが笑っているようなアップりゲで少しでも入院している子供たちと違和感のないような対応がしたいとの願いのようです。

 妻は私より年齢が1歳若いのにもう随分前から老眼鏡を使用しています。だから針仕事の度に私に針と糸を渡して糸を針に通すよう求めるのです。「顔は悪いが目はいい」と冗談を飛ばすほど私は目がよく見えます。さすがについ最近は時刻表の細かい数字は目を細めて見ますが、それでも針の穴に糸が通せるのです。妻が「お父さん素晴らしい」と自分に出来ぬことをやってもらうものですから、針仕事の度に重宝がられるのです。

 今時の若い子の殆どは針仕事が出来ません。息子も少しの間挑戦していたようですが諦めて頼んだのです。妻は昔和裁を習っていただけあって針仕事は得意ですが、それでも針に糸を通す道具に依存しないと針の穴に糸は通らないのです。

 昔の女性はお嫁に来る時花嫁修業として、さしすせそを習って嫁いだものです。さは裁縫、しは躾、すは炊事、せは洗濯、そは掃除です。今の若者は共稼ぎなのでむしろ男性がそうした出来ない部分をカバーするようになっているのでしょう。

 出来上がったエプロンを試着した息子は、「うん中々よくできている」と自画自賛しながら母親に「ありがとう。今日は肩をこらせたので肩を揉んであげる」と優しい行動です。次男は高校卒業で自分の決めた会社に就職し8年間働きましたが、「月謝が溜ったので看護学校へ行きたい」と会社を辞めての挑戦でした。5年間も果たして?と思ったのですが、それは取り越し苦労でした。来年一年で国家試験を受けいよいよ卒業です。「ついでにお父さんも揉んであげる」と横になった私を揉んでくれました。嬉しいサービスでした。

 今週から県立中央病院小児科の実習だそうで、朝早くから起きて準備に余念がありません。多分産婦人科での実習は実姉の指導を受けることでしょうが、少しずつ日増しに成長する次男の姿に、針の穴に糸を通すように目を細め見守っています。

  「俺の目は眼鏡なくても針の穴糸を通せる還暦超えても」

  「眼鏡何処妻の口癖聞く度に見える眼に感謝してます」

  「今の子は針さえ持てぬ情けなさ時代は変わるさしすせそかな」

  「肩を揉む息子の体温伝わりて外の寒さも忘れほのぼの」

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shin-1さんの日記

○衆議院予算委員会の模様

 私たち庶民にとって国会で交わされる質問と答弁のやり取りは、テレビの国会中継が真昼間のことでもあるから余程関心がないと見ることもなく縁遠いものです。特に政治家といわれる国会議員の先生方はまるでショー化したプロレスを見ているようで、何処までが嘘で何処までが本当か分らず、結局は「予定の時間が来ましたのでこれにて質問は終わります」で幕が引かれるのです。

 今日は車での移動の時間にラジオをひねると予算委員会の舌戦の模様が放送されていました。今回の質問はアメリカ産牛肉の輸入問題、建築の偽装問題、防衛施設庁の談合問題に質問が集中し、福祉や教育といった地味な質問はすっかり陰を潜め、忙しく振舞う大臣もいればあくびをして居眠りする大臣もいるなどさまざまなようでした。

 そんな中小泉さんが首相になってからは質疑やとりわけ答弁が面白く感じるのは私一人ではないのではないでしょうか。小泉首相になるまでの首相は間違っては大変と政府の官僚が鉛筆をなめ知恵を絞って書き上げた答弁書を、朗読しているような味気ないものでした。ところが小泉さんは小泉劇場と言われるように持ち前の奇人変人ぶりを遺憾なく発揮して、時には逸脱したパフォーマンスをするものですから、中々面白く耳が離せません。

 与党の質問は歯が浮くような美辞麗句や自作自演が多いのですが、野党は少しでも選挙に有利な点数を稼ごうと必死に調べて舌戦を挑むのですが、いかんせん勉強不足で小泉さんを引き立たせる道具にしかなっていないようでした。

 政治家の答弁は狐と狸の化かしあいといわれるように、真実は闇の中で聞いていないようなことを何度も回りくどく言って時間を稼いでいるように思えますし、そのことが滑稽で思わず噴出す場面も見られました。

 年金や物価といった国民である私たちの暮らしに直接結びつくローカルな素材でも、グローバルな国家や国際的な意見に摩り替えられるので、聞いていてもさっぱり分らない話も多いようでした。

 いよいよ今年度もあと1ヶ月半で終わり、新しい来年度が始まります。愛媛県では10年来最も低い超緊縮型予算だといっていますし、わが伊予市も合併して1年しか経っていないというのに財政は火の車とか、「俺に任せろ」という知恵もない私ども市民は結局蚊帳の外で、茅の内なる議会の行方を見守るしかないのかも知れません。

  「何処までが本当なのか分らない質問答弁嘘で固めて」

  「もし俺が大臣だったらこんなこと言ってやりたいそんな気持ちに」

  「結局は責任逃れのなすりあい日本の政治知れたものです」

  「東横の社長身障馬鹿にして今日は世間の批判を浴びる」

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○今治北高大三島分校

 若い頃は朝予定の時間になっても起きれず、目覚まし時計の助けを借りて起きていたものですが、歳を取ったからかも知れませんが、今は予定の時刻を体内時計が覚えているのか、決められた時間に起きれる様になりました。やはり歳を取った証拠でしょう。今朝は5時に起きて6時に身支度をして暗いうちに家を出ました。今治の沖に浮かぶ大三島へ行くためです。しまなみ海道の中ほどにあるこの島も大橋がかかってから随分便利になって、車の空いている朝の時間帯だと一般道路を通っても僅か2時間足らずで到着しました。早朝の大三島はみぞれ交じりの雨が降って霧に煙っていました。

 その島に一校ある高校は昨年の四月から生徒の減少による高校再編によって、大三島高校から今治北校大三島分校と名前を変えていました。全校生徒が100人に満たない小さな学校ですが、どうしてどうして、小さな学校を感じさせない高校生の皆さんに会ってほのぼのとした気持ちになりました。

 今日はあえてテーマを掲げないユニークな話をしようと思って乗り込みました。講演の依頼主は愛媛県金融広報委員会で、卒業間近な高校生にいい旅立ちをプレゼントしようと開かれたものでした。「楽しくなければ講演ではない」と常日頃言ってるものですからいきなり爆笑の渦です。僅か50分という短い時間はあっという間に過ぎてしまいました。それでも手ごたえは十分感じました。

 いつも思うのですが、世の中は大きいことがいいのでしょうか。大三島高校は生徒数の減少で今治北高校に統合されてしまいました。たとえ学年1クラスの合計3クラスで百人にも満たないとはいえ、学校が存続しているのですから分校なんて呼び名で呼ばなくても、大三島高校で良さそうなものをと、素人の私は考えました。普通は教頭先生を中心に学校が運営されていますが、週に一度校長先生が本校からやって来て色々な会議を開くのだそうです。ここにも本校と分校の関係が微妙な形で影を落としていました。指示や支配の意識がお互いになくても、社会はそのような目で見たり考えたりするものです。平成の大合併で誕生した市町村でも同じような関係が暗黙のうちに形成され、小の悲哀を感じる人がいるのです。

 でも私の見た大三島分校はそんな暗さは微塵もなく、生徒も先生も生き生きと輝いて、大きな学校にありがちな茶髪や変な制服の生徒は一人もいませんでした。先生は100人の生徒全ての名前と顔が一致するほどの深い信頼で結ばれています。

 本校の今治北校は今春の選抜高校野球に初出場を果たした凄い学校です。方や大三島分校は野球部がありながら只今7人しか部員がいず大会もままならない台所事情と聞きました。それでもめげることなくただひたすら練習をしているという教頭先生の話に、思わずジーンときてしまいました。大三島分校は大きいことはいいことだではなく「小さいことはいいことだ」と胸を張っているようでした。これこそスマップが歌って大ヒットした「世界に一つだけの花」の歌詞に歌われている「オンリーワン」であると思うのです。

  「生徒減り統合されて分校になったけれどもオンリーワンさ」

  「演題や職名なくても話し聞く生徒は私を心で評価」

  「土産提げ訪ねし友と久しぶり控え室にて昔話を」

  「橋架かり便利になった離島だが何故か人口今も増えずに」

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shin-1さんの日記

○自覚・健康・立志の少年式

 愛媛県内では12歳の中学2年生を対象に少年式というのを各中学校が計画実施しています。中にはかなり大掛かりな記念行事をしている所もあるようですが最近はいたってシンプルで、成人式に比べ爽やかな感じがします。

 今年は昨年に引き続き直線距離にして僅か300メートルしか離れていない上灘中学校の少年式に招かれ、講演をして先ほど帰って来ました。生徒のの数も33人とこじんまりしており、お母さんもその程度集まっていました。会場は寒い時期に配慮してストーブのついた部屋が用意され、壁にはそれぞれの考えた決意が長い半紙いっぱいに力強く書かれて張っており、決意の程が伺われました。

 講演会は少年式らしく運営からあいさつまで全て子どもたちが自主的に運営していました。私の話は大きく分けて5つのことを約10分づつに分けて50分間話しました。1、私には両親がいます。その両親にもそれぞれ両親がいるとねずみ算式に考えると10代前には1024人の先祖がいることになります。摩訶不思議な世界です。その長いリレーのバトンを受け継いでいることを肝に銘じ命を大切にしよう。2、私は子どもの頃に読んだジョン・万次郎の生涯という本に影響され30歳になったらアメリカへ行こうと目標を立てました。目標を持つと強くなれます。3、氷山の一角という言葉があります。今の成績は浮かんだ部分の僅か1で自分にはまだ自分も気付いていない6もの可能性があります。可能性を信じましょう。4、人間は幸せになりたい、金持ちになりたい、成功したいという三つの願望を持っています。幸せになるには相手の幸せを考えることも大事です。5、幸せには人にしてもらう幸せ、自分で出来る幸せ、人のためにしてあげる幸せという三つの幸せがあります。などなどを話しました。

 私の話の全てを理解してもらえるとは思いませんが、これからの長い人生の旅路の少しばかりの役に立ってくれることを望んでいます。子どもたちと一緒に聞かれたお母さん、私の話をどう感じたでしょう。

  「元服の誓い新たな二年生書いた決意にやる気みなぎる」

  「まだ初心なしかし大人の二年生二つの顔にほんのり笑顔」

  「明日入試職員室に書いている子親先生気を揉む前の日」

  「よく見れば見慣れた顔の人ばかり普通進ちゃん今日は講師だ」

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○留守電の行方

 「もしもし、Yさんのお宅ですか。私は愛媛県の若松と申しますが、お父さんはいますか。」「お父さんは外出していません。」「じゃあお母さんはいますか」「お母さんも外出しておりません。」「お母さんは何時ごろ帰られますか。」「分りません」「済みませんが、お父さんの友だちなんですがお父さんの携帯番号を教えてくれませんか。」「分りません。」「分りました。もしお父さんかお母さんが帰ったら、愛媛県の若松さんから電話があったことを伝えて置いてください。」「はい分りました」「ありがとうさようなら」

 講演先での出来事でした。夜9時ごろに到着する予定が、何故か乗り継ぎが上手くいって7時に着いてしまったのす。私はまず市役所へ電話をしました。あいにく市役所の課名を書いたメモを忘れていたため、Y係長の名前しか伝えられなかったのですが、市役所はこの時間になると宿直が警備会社に変わり、「私には分らない」の一点張りでした。困った挙句にYさん宅への電話と相成った訳です。

 私は公衆電話ボックスの電話帳でYさんの自宅の電話番号を調べ電話しました。Yさん宅の受話器を取ったのはYさんの息子さんで中学生のようでした。見ず知らずの人から電話がかかった場合、この中学生の電話対応は「余分なことは教えない」という完璧なものでした。そしてもっと素晴らしかったのはこの息子さんが市役所に勤めるお父さんに携帯電話をかけて、私のことを話したことです。「お父さんの電話番号は分りません」といいながら、ちゃんとお父さんに連絡を取ってくれたのです。受話器を置くなり私の携帯が鳴り、私は寒い冬の風に当ることもなく出迎えの車で宿舎へ送ってもらったのです。

 それにしても人のことは言えませんが、講演を依頼された相手の課の名前を思い出せないのですからいい加減な男です。パソコンメールをペーパー印字したつもりが、氏名だけしか載っていなかったものですから、大変失礼なハプニング劇でした。

 しかし、それにしてもです。私の醜態を棚に上げての発言なのでお許し下さい。市役所の対応は少し考える必要があるだろうと思います。私の町の役場も合併するまでは私たち職員が交代で宿直していましたが、今は当直警備員が常駐するようになりました。それはそれとして良いのですが、午後7時頃になると宿直に引き継がれ、役所に電話してもさっぱり要領が分らず市役所に残って仕事をしているはずなのに連絡が取れないのです。もしこれが緊急だったらと思うとゾッとします。私も愛媛県の遠い所から来たことを告げて話しましたが、残念ながら対応はしてもらえませんでした。

 宿直はお金を頂いてやっているのに連絡が取れず、中学生ながらYさんの息子さんは立派に仕事をされました。市役所さん、中学生の息子さんに対応の仕方を教わってください。

  「留守電で日ごろの暮らしが見えました息子の対応褒めておいてね」

  「市役所はマニュアルどおりの仕事すりゃ落ち度あっても責めは負わせず」

  「恥ずかしや私の行くとこ何処でしょうボケる歳でもないのに忘れ」

  「出口待つ言われてはてな北南どっちだったかまるで反対」

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