shin-1さんの日記

〇ちょっとした気配りの給油

 私はこの歳にしては車に乗って西に東に、北に南に、時には県外までも遠出する方です。ゆえに驚くほどガソリンを入れるのです。しまなみ海道や瀬戸大橋を渡ったりする時はそこここにガソリンスタンドがあるのでどうということはありませんが、時には徳島や高知、中国地方の草深い里に分け入るときは、余程気をつけて満タンにして行かないと、ガソリンスタンドが殆どなく、あっても土日や深夜は休みとあって、ガソリンの残量が不安になるのです。

 まちづくりや村おこしに関わっていると、講演などで招かれた地域を支援したいという気持ちから、できるだけ訪ねた町や村のガソリンスタンドで給油をするようにしていますが、前述の通りのガソリンスタンドの有様なので、ままならないのです。

 先日しまなみ海道を渡って岡山県の山奥へ講演に出かけました。前述の通り軽い気持ちでガソリンスタンドを探しながら走ったのですが、ついには見つからず、帰郷復路が夜だったためガソリンが底をつきかけ、やっとの思いで深夜営業のガソリンスタンドを見つけたときには冷や汗をかいていました。

 これと同じように県内や町内を走る時には、日ごろ疎遠にしている下り線のガソリンスタンドで給油するように心がけています。昨日も西予市へ行った帰りにそのガソリンスタンドへ立ち寄りました。田舎のガソリンスタンドは近所の人がたむろして中々賑やかです。昨日は偶然にもこのガソリンスタンドで滅多に会わない同級生に出会いました。彼は農業をしていますが、失礼な話ながら私より幾分老けて見えました。それは自分の思い違いで、多分傍目から他人が見れば私だって彼と同じように老けて見えるのでしょうが、まあどっちでもいい話なのです。

 田舎のガソリンスタンドは一日の給油量は少ないため、給油してくれるご主人も奥さんもたいそう喜んでくれます。その笑顔がとても嬉しくて、また立ち寄ろうと思っています。


 私の友人が伊予市でガソリンスタンドを経営しています。先日新聞やテレビで報道されましたが、阪神淡路大震災のような地震災害などが起るとガソリンスタンドは停電になって使えなくなるのです。このガソリンスタンドでは太陽光発電と自家発電を整備して災害時に対応できるガソリンスタンドを四国で始めて造り、市役所と協定を結んだようです。市民生活にとってこれほど心強い見方はありません。

 最近のガソリンスタンドは安売り競争や店員を減らしてコスト削減をしています。ガソリンの価格はその殆どがガソリン税で、設備投資や人件費が多い割には薄利なのです。そんな向けない業界で災害対策に目を向けるこのガソリンスタンドの勇気ある行動を称えるために、先日そのガソリンスタンドに立ち寄り30リッターの給油を行いました。私の給油など微々たるものですが、それでもこれもささやかな気遣いなのです。

 さあ今日も、車で往復300キロ以上の広島県福山市までも講演旅行が始まります。帰りは夜遅い日帰りなので、とりあえず昨日夕方満タンにしました。明日帰ったら自家発電を整備した友人のガソリンスタンドで満タン給油をしたいと思っています。

 1円とか2円のガソリンの値引き店よりも、店の笑顔と経営理念を選んで給油する私なのです。

  「ちょっとだけ 気配り給油 する私 安売りよりも 笑顔嬉しく」

  「セルフなど いまだに慣れぬ 私にて 同乗妻に 任せ居座る」

  「災害が 起れば給油 出来ないと チリの津波に 恐れおののく」

  「喉元を 過ぎれば忘る 悪い癖 南海地震 備えできたか」

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shin-1さんの日記

〇審査委員として審査会に参加しました

 昨日は西予市の依頼で審査会に審査委員として招かれました。最近は補助金・助成金を受ける場合もプレゼンテーションがあって、補助金・助成金を受けようとする人たちは、ペーパーやパワーポイントを使って審査委員の前で、セールスポイントを喋るのです。審査委員にはあらかじめ事前に審査資料が届けられ、知識を吸収して望むのですが、審査委員が3人とか5人とか複数の場合は、審査要領に基づいて審査しても、審査委員それぞれの主観が違うため、選んだ結果は微妙に違っているのです。採点・評点票を提出して事務局が集計、平均点をたたき出した結果を基に意見を出し合い微調整して決定するのです。

 昨日の審査はプレゼンテーションのない審査会だったため、事前審査の集計結果と資料を持ち寄っての3人の審査員で行われましたが、採点・評点は3人とも大した差異はなくすこぶる順調に結果に導くことができ、内心ホッとしました。

 審査委員に選ばれる度に一種の不安に駆られます。「果たして自分が審査委員として的確なジャッジができるに相応しいだろうか」、「私の審査と他の審査員の審査結果が大幅に違わないだろうか」などなどですが、それでも引き受けたからにはしっかりとしなければ、応募した人たちに申し訳ないと思いつつ、今回も熱を入れて審査をしました。

 審査といえば、夕焼け音楽祭のデモテープ審査、夕日夕焼けフォトコンテスト、キャッチフレーズコンテスト、シンボルマークコンテストを思い出します。いずれも自分が発案し、自分が募集要項を作って募集、審査委員お選任や依頼、審査結果を取りまとめなどを掌る事務局を担当したのです。

 結果的には満足のいく成果を挙げて、旧双美町という町のまちづくりや知名度アップに大きく貢献しましたが、グランプリや最優秀賞に賞金を出すという、当時の行政では余り例のないことをしただけに、かなり緊張したものです。

 事務局として裏方を経験したことは、その後自らが審査員として関わって審査するのに大いに役立っています。今は時々審査委員長という大役を仰せつかって、浅学菲才ながら審査講評の作成や審査発表などにも関わっていますが、いつも選ばれなかった方々のことを思うと、胃が痛くなるような気持ちになるのです。私も若い頃から論文募集や補助金・助成金、海外派遣歳暮集などに応募して、その都度審査された結果に一喜一憂してきました。偶然にもこれまでは限りなく100パーセントに近い好結果で選ばれた幸運者ゆえに、落成者の気持ちを考えなければならないのです。

 昨日の結果は市長さんに報告され、市長さんが判を押して決定し発表、表彰と順を追ってゆくものと思われます。何事もなく成果が現れるよう祈っています。

  「文書にて 予備の審査を 行なうが 三人三様 微妙に違う」

  「選ばれし 人や団体 嬉しいが 選漏れ人の 顔々浮かぶ」

  「俺などが おこがましくも 審査員 長年生きた 証だろうか」

  「若松さん 呼び止められて ハッとする 審査帰りの 道でばったり」

 

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shin-1さんの日記

〇どこかにいい職はないかな?

 私の知人友人たちは、私と同じような年齢のため、私と時を同じくしてリタイアしたりリタイアしようとしています。既にリタイアした人の中には、再雇用という美名のレッテルをいただいて、元の古巣もしくはその近くに職を得ている人も多いようですが、天下りと感違いをして役所が用意した職場に赴いたものの、これまでの地位や給料とは程遠い待遇に現実の厳しさを味わっているようです。

 先日、そのような友人に出会いました。役所勤めの最後を部長職級で終わったその人は、どちらかというと傍目から見れば多少偉そうぶるようなところがあって、部下も命令を聞いてくれたから自分では偉いと思っていたようなのです。しかし辞めるとその上下関係が一変し、これまで文句を言っても命令に従っていた部下は、むしろこの人を見下げたような言動になったようです。

 給料はこれまでの4分の1に落ち込み手取りは僅か、その上そんな仕打ちまでされては頭にくるらしく、黙って絶えれば3年は再雇用が延長されるのに、ついにこの春3月末日をもって退職するというのです。私に別の職を探して欲しいと依頼がありましたが、私はそんなに顔も利かないときっぱり断りました。そして社会の現実を知らなさ過ぎると友人に色々な話をしてやりました。

 まず自分の部下に対して自分は偉いと錯覚してこれまで取ってきた接遇が問題です。命令系統は上下関係ですから、命令さえすれば部下は動きます。でも本当に人が動くのは人を思いやるハートだということを忘れていたのです。役所の人間関係は意外とクールで、辞めた後まで尾を引くような濃密な人間関係を保てる人は本の数人です。でも部下を大切にしなかった上司はもっと悲惨で、声すら掛けてくれないのです。


 もう一つ肝心なことは、退職を間近に控えた人や辞めた人は、管理職という仕事以外何も出来ず、つぶしが利かないということです。多分この人も再就職をしようと探すのでしょうが、60歳そこそこの人を雇ってくれるような職場は殆どなくそんなに甘くはないのです。今の世の中は有史以来の不況風が吹いて、大学院卒という学歴を持っていても、「何が出来るか」という関門で門前払いされるような社会なのです。

 いつの間にか染み込んだ傲慢や甘え、それに口先だけで動く社会と勘違いしていた考えを改めないと、これから始まるであろう第二の人生も結果的には上手く行かないのです。私たちは高齢化社会の中で、退職後20年も30年も生きなければなりません。ましてやその社会で生きていることを実感するような暮らしをすることは容易なことではありません。

 「輝いて生きるあんたが羨ましい」とその友人は別れ際にポツリ言いました。私だって楽をしたいけれど、「輝いて生きるために一生懸命生きているのだ。あんたも頑張れ」と励まして別れました。さて友人はこれからどう生きるのでしょう。


  「ええ職は ないか相談 されました 甘くはないぞ 両目で見ろよ」

  「天下る 場所でやれない 人などは 誰も雇って くれたりしない」

  「輝いて 生きるあなたが 羨ましい 輝く努力 知らないくせに」

  「管理職 以外に出来ぬ その身にて 明日から無色 違った無職」

 

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shin-1さんの日記

〇自著本にサインを求められて

 このところ、友人や知人から私の自著本購入希望が相次いで、嬉しい悲鳴をあげています。私はこれまで以下のような本を出版しているのです。

 ・町に吹く風

 ・出会いとふれあい

 ・ミレニアム200年その日私は

 ・私のはがき言葉

 ・今やれる青春(1200円)

 ・昇る夕日でまちづくり(1500円)

 ・夕日徒然草地の書(500円)

 ・夕日徒然草水の書(500円)

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 既に絶版になっている「町に吹く風」を著したのは42歳の時でした。この本は毎月2回、10年間で240号、ふたみ広報を殆どたった一人で執筆したものに、あとがき「こちら編集局」へ「大根心」というペンネームで書いたコラム原稿のまとめでした。

 ちょうど42歳の厄年だったため、金もないのに妻に無心を言って80万円の資金を用意してもらい、厄除けとして出版し、お世話になった方々に無償配布しました。その時心ある方々から祝い金までいただいたこともありましたが、自分としてはこれで厄から逃れたような気持ちになりました。これ以外にも「出会いとふれあい」や「私のはがき言葉」も既に絶版し、手元にさえ残っていないのです。

 「ミレニアム200年その日私は」は、限定20冊の手作り本です。これは私が西暦200年という一年をどんなことを思いながら365日過ごしたかを著しました。毎日書いたA4一枚の原稿を一ヵ月分一冊に綴じ、まちづくりセンターに出向していた三瓶町職員の三好誠子さんに校正を依頼し、校正が終わると役場のコピー機を、用紙持込という了解を得て20部印刷し、12ヵ月分まとまったところで20部を自分で製本したのです。一部づつ三好誠子さん、町長さん、図書館、教育委員会などに配布し、手元に2冊残しましたが、その一冊は人間牧場の書棚に眠っているようです。

 残部が殆どなくなった「夕日徒然草地の書」以外の、「今やれる青春」「昇る夕日でまちづくり」「夕日徒然草水の書」で購入希望に応えているのですが、そろそろ次の出版を考えなければならなくなったようです。とりあえず5部作を予定している3部作目の「夕日徒然草火の書」は今年中には出版する予定ですが、さすがにこの歳になると執筆疲労が重なって思うに任せないようです。

 購入希望者の中には、私の署名サインを求める人が多く、求められる度に多少困惑するのです。というのも私は字が下手糞だからです。恥はかき捨てとばかりに書いていますが、時には人前で書けと言われたりすると困ってしまい赤面したりするのです。昨日も「夕日徒然草地の書」「夕日徒然草水の書」それぞれ10冊もサインして送りましたが、何ともお粗末な字にため息が漏れました。


  「自著本に サインをしろと せがまれる イボ字切れ字で ごまかし書いて」

  「貰う本 読まぬが買った 本は読む ゆえに有償 送り届ける」

  「凡人と 自認の私 本を書く ゆえに内容 つまらぬけれど」

  「記録する ゆえに記憶に 残ってる 平凡日々を 重ねて生きる」  

 

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shin-1さんの日記

○サプリメントは要らんかな

 つい最近はサプリメントが大流行で、毎日新聞の広告やテレビのコマーシャルでサプリメントの話題を見聞きしない日はないほどです。今朝も新聞には、「こんなにたっぷり入って、こんなに多くの素材が入って、こんなに人気で」という見出しの全面広告が載っていました。記事は明らかに中高年の人たちを意識してか、大きな文字で分かりやすく、しかも愛飲家の「わたしはお陰さまでこんなに元気になりました」というコメントが何人もつけられているのです。

 グルコサミン+コンドロイチン+ヒアルロン酸+コラーゲンというカタカナ文字が並んでいると、足腰膝肩の痛みや不調を訴える人にとってみれば、藁をもすがる思いだけについつい手を出してしまうのです。ましてや今がチャンスとばかりに、「無料お試し品」や「値引き」という甘い言葉で誘導しているのです。

 グルコサミンは(カニ・エビ由来)、コンドロイチンは(サメの軟骨由来)、ヒアルロン酸は(乳酸菌由来)、コラーゲンは(鶏の軟骨由来)と自然食品をうたっていますが、果たしてこれがいかようなものなのかも分からず、「モントセレクション金賞受賞」などがどんなものに与えられる賞なのか、すっかりるつぼに入ったような心境なのです。あるお医者さんから聞いた話なのですが、肝機能障害が悪化した方に使っているというサプリメントを止めてもらったところ、劇的に数値が改善したそうです。

 このようにサプリメントは使い方を間違えると病気になることもあるので、安いからとコンビに感覚で手軽に買って使わない方がいいのかも知れません。

 法律上は「特定保健用食品」(トクホ)と「栄養機能食品」(補充目的)、「一般食品」に分けられるようですが、種類にはビタミン類、ミネラル類、アミノ酸系、ハーブ系、しかも成分を科学的に合成したものから、天然素材のマルチ栄養素まであって、中には薬と同じく副作用まで心配されるものまであるのです。

 ビタミンもミネラルも不足や欠乏は体の調子を狂わせますが、過剰摂取すると病気になるらしいのです。ちゃんとした食事を取っている人にはサプリメントなんて必要ないのでしょうが、食事よりもサプリメントに依存する現代人の悩みの深さを垣間見る思いがするのです。

 私は毎日私の体を気遣って自宅の菜園で作った野菜や、地元の漁港で上がった魚を妻が料理して食べさせてくれるため、サプリメントなどはよく勧められるのですがまだ一度も買って食べたり飲んだことはないのですが、体はいたって元気です。一昨日友人からサプリメントを勧められましたが、今のところサプリメントに頼らなくても何とか健康に暮らしていけそうで、失礼ながら丁寧にお断りをしました。

 今朝は妻から朝食の時間になったのにキャベツがなくなったので畑へ取りに行って欲しいと頼まれました。ついでに味噌汁の具にするネギも引き抜いてきました。今朝はリンゴとキャベツ、つまり私の朝食常食であるリンキャベのジュースでした。ひょっとしたらこれが私のサプリメントかも知れないのです。


  「買わないか サプリメントを 勧められ 丁重断る 金はあるのに(笑い)」

  「リンキャベは これが私の サプリです お陰毎日 健康暮らす」

  「取ってきて 妻に言われて 畑出る 直ぐに間に合う わが家健康」

  「カニとエビ サメの軟骨 本当に 使っているか 当てにならない」

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shin-1さんの日記

○陽春の今治

 友人の島崎さんを通じて今治の立花地区自治会から講演依頼を受けていた昨日、夜来の雨が少し残る奥道後~水ヶ峠~玉川~朝倉という走り慣れた山周りの道を選んで自家用車を走らせました。昨日は朝から地球の裏側南米チリ沖地震で起きたM8.6という巨大地震の影響で、日本に津波が来るかも知れないという津波警報が気象庁より発令されて、カーラジオのNHK第一放送は朝から終日このニュースを放送していました。公共放送の色合いを持つNHKですから、国民の安全を守ることは当然でしょうが、予定されていた放送は全てキャンセルされ、津波の到達予定時間と注意事項が詳しく報じられていました。

 放送で思い起こせば、私が高校生だった50年前にもチリ津波が日本に押し寄せていました。あの頃は今のような地震予知や放送が殆どない時代だったため、事前に知らせるようなことはなく、遊学していた宇和島水産高校の前を流れる川が突然逆流し始め、窓越しに見る川の変異に、何が起ったのか分からぬまま仲間と大騒ぎをして傍観した記憶があるのです。

 水産高校ゆえに気象学を教える先生が「これは津波という現象です。滅多に見られない現象ですのでしっかりと見ておくように」と校内放送があったことを記憶しているのです。

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(第58番札所仙遊寺本堂)

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(仙遊寺からの眺望)
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(参道から来島海峡大橋を望む)

 水ヶ峠を越える頃、雨は霧になっていました。玉川から仙遊寺経由の農面道路を走ったので、少し時間的余裕が出来たため急な参道を駆け上がり仙遊寺に参拝して行くことにしました。運よくお寺の駐車場で友人である小山田憲正住職とばったり出会い声を交わしましたが、住職はあいにく植樹のために人を集めて挨拶に出かけるところだったので、本道に入りお参りをさせてもらいました。本堂の中にある納経所で納経帳を書いていた寺男の人は私の顔を覚えていて、「今日は今治で講演ですか?。近々今治へも講演に来られるそうですね」と声をかけてくれました。ここ仙遊寺からの眺めは瀬戸内海の島々や今治市街、それにしまなみ海道が見えて素晴らしいのですが、この日はあいにく霧が発生していて全貌は見えませんでした。

 玉川の競艇サテライトの前を通り湯ノ浦へ出ました。道の駅でトイレ休憩をして身支度を整え、湯ノ浦ハイツへ坂道を登って行きましたが、ホテル前の駐車場はあいにく満車状態で、仕方なく引き返して麓の大型駐車場に止めて歩いて会場入りしました。この日はホテル内は満席のようで、顔見知りの別の会場へ入る人と偶然な出会いを重ね、立花自治会の部屋へ落ち着きました。

 講演は少し早めに始まりました。講演が30分ばかり過ぎた頃、今治市長さんがいきなり部屋へ入って来られました。講演の途中ながら市長さんにマイクを譲りました。市長さんはさわりの挨拶をして中ほどの空いた席に着きそれから1時間余り、メモをしながら熱心に私の話を聞いていただきました。恐縮でした。

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(立花地区自治会長研修会)
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(立って挨拶する菅市長さん)

 市長さんと席を並べ講演後は懇親昼食会にも参加して、雨の上がった瀬戸内の眺望を楽しみながら美味しいご馳走をいただきました。市長さんとは大三島町長や県議をしていた頃何度か顔を合わせていて、色々な話をさせてもらいましたが、とても気さくな市民派市長さんで好感が持てました。

 雨も上がり、車の中は汗ばむ春の陽気の中を、2時から松山で別の会があるため少し早く会場をおいとまして、同じ道を引き返しました。結構忙しかった2月も昨日で終わり、今日からいよいよ弥生3月です。

  「わが息子 この辺官舎 住むはずと 思いついつも 素通り帰る」

  「会場に 市長いきなり 道譲る 少し余裕の 講演途中」

  「チンジャラと 賽銭箱へ 硬貨入れ 無心に拝む 札所本堂」

  「霧が晴れ しまなみ海道 橋つづる 姿一望 絵になる姿」

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○一足早いサツマイモの種芋伏せ

 このところの陽気はもう春本番です。裏山にはユリ根が濃い緑色の葉っぱを出し、周りの雑草も足繁く降る雨水をいっぱい吸い込んで、次第に緑のジュータンを広げたようになりつつあるのです。この分だともう1~回程度寒さがくるかもしれないけれど、一気に春へと突入しそうです。

 そんな温暖な気候に誘われて、人間牧場の腐葉土を作るビニールで被覆した苗床では葉っぱが腐って発酵しているようでした。そこで昨年より一週間ばかり早いのですが、思い切ってサツマイモの種芋を伏せることを思いつきました。

 松山へ行った帰りに伊予市の仙波青果へ立ち寄り、銘柄である鳴門金時を一箱買い求めました。サツマイモはもうそろそろ終わりのようでしたが、人は子に30個程度入った少し小ぶりのものを選びましたが、種芋代が1500円は少々お高く感じますが、順調に行けば4月には芽を出し、5月中旬には立派なツルが伸びれば安いものなのです。これまで3回ばかりこのような見よう見まねの方法でツルを確保しているので、今年も多分順調に育ってくれるものと期待しているのです。

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 落ち葉の腐葉を促すために覆っていた透明のビニールを半分剥ぎ取り、熱を持って腐葉が進む木枠の中の腐葉土を3つ鍬で万遍に撹拌して腐葉土の中に空気を送り込みます。その腐葉土を万遍に均すと、今度は昨年落ち葉を入れる時に出して置いた赤土をスコップで元に戻して行くのです。これが結構きつい仕事でウインドブレーカーの作業着を着ていたために1時間ほどの作業で汗びっしょりになり、いい汗をかきました。

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 やがて土戻しが終わりいよいよ植え付けです。種芋を土の上へ万遍に間配りして、一つ一つ大事に穴を掘って土を被せ伏せて行きました。これで土の下の切り替えした腐葉土が再び発酵して地熱を確保するため、畑に植えたよりも早くツルが確保できるのです。

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 植え終わった苗床には再び透明のビニールをかけて、風に飛ばされないようサン木を打ちつけて作業を終えました。私のカレンダーによると昨年が3月7日、一昨年が3月10日でしたから、今年はかなり早い作業でしたが、これが表に出るか裏に出るか、注意深く見守りたいと思っています。

 昨年は宮本常一のこともあって、種芋をゆかりの周防大島に渡った時に買って帰ったものを使いましたが、ツルの伸びが今ひとつでした。今年は徳島県産鳴門金時を選びました。これも楽しみの一つです。
 この5年間毎年のように繰り返してきたサツマイモの植え付けですが、今年もいいツルを確保して子どもたちと一緒に命のリレーをしたいものだと、張り切っています。


  「春が来た 今年も子どもの 顔思い 種芋一つ また一つ植え」

  「サツマイモ 食えば美味しい はずだけど ツルを伸ばして 増産します」

  「一週間 早く植えたは 吉なのか それとも凶か サイコロ振った」

  「ツル買えば こんな苦労も 要らぬのに 回り道する ゆえにワクワク」


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shin-1さんの日記

○伊予市商店街の雛飾りは必見の価値があります

 「♭あかりをつけましょぼんぼりに お花を活けましょ 桃の花♯」なんて歌が、思い出される季節がやって来ました。今の世の中はどちらかというと早稲系で、一足早い先取りの行事が多いようですが、本当は雛祭りや端午の節句といった伝統的行事は旧暦を使う方が正しいのに、都合のよい使い方をするのもやはり「とっつき易くて冷め易い日本人」のファジーな正確なのでしょう。まあ雛飾りくらいで、そんなに目くじらを立てることもないのですが、昨日何気なく通った伊予市商店街でそれは見事な雛飾りを見てびっくりしました。

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(お雛様に負けず劣らず昔若かった美女たち)

 ご主人と洋服店を営む谷岡和美さんと、徳本研三商業協同組合長さんを通じてひょんなことでお知り合いになって3年が経ちましたが、今ではお互いがお互いの書いているブログを読んだりメッセージを書き込んだりして、楽しいお付き合いをしていますが、そのブログにいっぷく亭や商店街の皆さんが中心になって雛飾りをやっていることは知っていましたが、次第に盛り上がって年々歳々進化しているようで、街中や商店街から人が遠のくシャッター閉じの時代にありながら、すばらしい取り組みだと思いました。

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(初めて見た珍しい雛飾りの掛け軸)

 私が立ち寄った田村家具さんの店先には、売っている家具の前に堂々と雛飾りが展示され、道行く人の目を楽しませるように工夫されていました。また谷岡さんのお店の筋向いにも雛飾りが飾られ2ヶ所見ただけでも堪能するような素晴らしい出来栄えでした。

 谷岡さんと武田さんの案内でとりあえず2ヶ所を見ましたが、これ以外にも街角雛飾りは沢山やられているのだと、作成したマップを見せてもらいましたが、妻を連れてきて見せてやりたいと思いました。

 男の私に雛飾りは姉や妹のくらいしか思い出がなく、雛飾りよりも雛飾りに飾った菱餅やあられ、白酒が気になった記憶しかありませんが、こうして廃れ行く日本の伝統文化や行事を遺しつたえることはとても大切なことだと、立派な雛飾りを見て嬉しくなりました。

 何でもそうですが、この雛飾りを始めたり続けたりすることは容易なことではありません。ましてや商店街の斜陽化や高齢化を考えるとこれまた一苦労があるようです。長続きをするためには人が何と言おうとやっている人たちが楽しむことなのです。谷岡さんや竹田さんの姿を見て、そんな気がしました。


  「いやあ凄い 商店街の 雛飾り 日本文化も 捨てたものでは」

  「商店街 なんだかんだと 言うけれど エミフルなどに 負けておれるか」

  「三人の 美女を写した 写真見て これぞまさしく 家具屋姫です(笑い)」

  「学校の 子どもに見せて やりたいな これぞまさしく 社会見学」 

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shin-1さんの日記

○芸は身を助けマナガツオが届きました

 三日前の出来事です。友人から挨拶の原稿を頼まれました。私は町の便利屋とでも言うのでしょうか、進水式や結婚披露宴、同級会などには挨拶がつきものですが、日ごろ慣れていない人たちにとってみれば、挨拶くらい頭を悩ませる厄介なものないらしく、その都度挨拶原稿の下書きを依頼されるのです。別に私がするわけではないため適当に書けばいいのですが、頼まれた相手がどんな立場や地位なのか見極めて書かねばならず、結構難しいのです。それでも頼む方はいとも簡単に「ちょっと簡単でいいから書いてや」と頼んでくるのです

 パソコンが普及して随分楽にはなりましたが「簡単に」といわれても、時には筆が進まず半日だってかかることもあり、私的には余り頼まれたくない雑用なのです。それでも相手は多数いてこんな地域に住んでいるのだから仕方あるまいと半ば諦めて原稿を書きました。気をつけなければならないのは日ごろ挨拶に慣れていない人は、私の書いた原稿を懐にしのばせるのならいざ知らず、そのメモを取り出して棒読みすることだってあるのです。

 原稿を書いてあげると恩を感じるのか、漁師さんなどは時々大きなサワラ一匹とかとんでもない高価な贈り物が届くのです。

 昨日は外出先から帰ってみると今が旬のマナガツオが届いていました。聞けば「先日書いてもらった挨拶原稿のお礼に」とわざわざもって来てくれたそうなのです。豊田漁港ではこの最近マナガツオが獲れ始め、多い人は一網5百万円もの水揚げがあって、久しぶりに浜は活気付いているようでした。もっとも大漁の船は4~5隻のようで、青森県大間のマグロではありませんが、マナガツオの群れを追う漁法はリスクも大きく、群れを見つけれない人は漁獲ゼロの悲哀をなめているようです。私に届いたマナガツオもそんな猟師さんの思いのこもったいただき物だけに、刺身、塩焼き、味噌汁などに料理して飛びきりな春の旬を楽しませてもらいました。

 芸は身を助けるといいますが、原稿を書ける裏側には何度となく人の挨拶を聞く機会に恵まれ、自らも人の前で話をした経験を持たないと、人の話す挨拶とはいいながら原稿は書けないものです。時候を盛り込み本題に迫る挨拶はいつも頭を悩ませますが、これも人助けだと思ってこれからも頼まれれば書いてあげたいと思っています。

 そんな矢先の今朝、ある県のある町のある町議会議員さんからメールが入りました。読めば議会の一般質問をするらしく、その質問の内容がしっくりいかないらしく、手を入れて欲しいとの依頼でした。一般質問は二日後の月曜日だそうですが、明日中には欲しいとの催促です。私は今日も明日も忙しいので困ってしまいますが、今朝出かける前に手を入れて送り返さなければならないと、早々にこのブログを書き上げ終わる予定です。


  「ちょっとだけ 挨拶原稿 書いてくれ 頼まれ御礼 マナガツオ届く」

  「ちょっとだけ 頼む相手は いいけれど 書く方結構 大変ですよ」

  「書かぬのに 妻もおこぼれ マナガツオ 美味い美味いと 舌を打ちつつ」

  「世の中にゃ こんな便利屋 いてもいい 役に立てれば いいではないか」 


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shin-1さんの日記

○久しぶりの宇和島

 愛媛は東予、中予、南予と概ね3つに分類区別され、それぞれの地域に独特の文化を持っていますが、私たちの町は中予地方といいながらその外枠のような不便な地域に住んでいます。しかし南予から比べると愛媛県の中心と目される県庁や県庁所在地松山市、それに松山空港などに行くのには1時間圏内で異動することができて、車の運転が出来る私などはその恩恵にあずかっているのです。しかし車に乗れない高齢者などにとっては公共交通機関であるJR予讃線などがあるものの、松山の病院へ通院することや買い物などに行くのも一日がかりで、かなり不便をきたした地域なのです。

 人間は人の不幸や不便と自分たちを対比しながら、「不便といっても南予よりはまだましだ」などと下を見て暮らすような悪しき習慣があるのです。戒めなければならない対比思考はいつも人間に付きまとう考えのようです。

 昨日は南予地方局の招きで宇和島へ出かけました。「11時30分までには来て欲しい」という担当者の言葉から逆算して、多分ゆっくり走れば2時間以内で着くだろうと、少し余裕を持って午前9時に身支度を整え自宅を出発しました。昨日は朝から一日中雨で、大洲・西予、宇和島と通った南予各地は一部霧が発生するなど、すっかり春を思わせるような気温でした。

 高校生時代宇和島に3年間遊学した私にとって、特に法華津湾が見える法華津峠は何処か郷愁を感じるところです。予定より少し早い11時に宇和島市内へ入ったので、宇和島市役所へ表敬訪問しました。表敬といっても別に偉い人に会うわけではなく、えひめ地域政策研究センターで2年間お世話になった谷本さんの顔が見たくなったのです。観光課にはANAから出向している小林さんや、えひめ地域づくり運営委員の山田さんも何故か3人が席を並べているため、楽しい立ち話をさせてもらいました。偶然えひめ地域づくり運営委員会事務局長である津島の森田さんにも出会い、少し早く出た余裕の出会いを喜びました。宇和島市役所観光課では、今日から行われる「海の恋人祭り」の準備中とかで忙しく振舞っているようなので早々にお暇しました。

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 宇和島駅の直ぐ近くにある南予地方局の駐車場は満車で駐車できないと思いきや、偶然にも一台空いて今日は男時と自分の幸運を喜びました。地域政策課に大森課長さんや八十島さんを訪ね、懐かしい顔々に出会って心が和みました。同じ会合に出席する甲岡鬼北町長さんとも普及センターで同席しました。かつては同じような仕事をしていた町長さんは私のことをよく覚えていて、嬉しい限りでした。

 12時から開会式があり、生活改善グループの方々が作った郷土料理の数々に舌鼓を打ったり、豆腐料理の審査をしたりしながら私の出番を待ちました。少し時間を押して2時30分から1時間、公園をさせてもらいましたが、会場に走り日とも沢山いて楽しい雰囲気で話を終えました。

 往復150キロ余りの距離を走った宇和島での仕事でしたが、やはり南予は遠いですね。でもこんな遠い所から毎回松山での会合に出席する皆さんのことを思うと、中予に住む幸せを感じずにはいられませんでした。

  「久方に 法華津峠の 絶景を 横目見ながら 宇和島向かう」

  「この坂を 蒸気機関車 煙吐き 上り下りした 青春懐かし」

  「遠いけど 思い出詰まる 城下町 春雨煙る 向うにお城」

  「一時間 喋りに二時間 かけて行く 一日がかりの 講演楽し」

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