shin-1さんの日記

〇審査委員として審査会に参加しました

 昨日は西予市の依頼で審査会に審査委員として招かれました。最近は補助金・助成金を受ける場合もプレゼンテーションがあって、補助金・助成金を受けようとする人たちは、ペーパーやパワーポイントを使って審査委員の前で、セールスポイントを喋るのです。審査委員にはあらかじめ事前に審査資料が届けられ、知識を吸収して望むのですが、審査委員が3人とか5人とか複数の場合は、審査要領に基づいて審査しても、審査委員それぞれの主観が違うため、選んだ結果は微妙に違っているのです。採点・評点票を提出して事務局が集計、平均点をたたき出した結果を基に意見を出し合い微調整して決定するのです。

 昨日の審査はプレゼンテーションのない審査会だったため、事前審査の集計結果と資料を持ち寄っての3人の審査員で行われましたが、採点・評点は3人とも大した差異はなくすこぶる順調に結果に導くことができ、内心ホッとしました。

 審査委員に選ばれる度に一種の不安に駆られます。「果たして自分が審査委員として的確なジャッジができるに相応しいだろうか」、「私の審査と他の審査員の審査結果が大幅に違わないだろうか」などなどですが、それでも引き受けたからにはしっかりとしなければ、応募した人たちに申し訳ないと思いつつ、今回も熱を入れて審査をしました。

 審査といえば、夕焼け音楽祭のデモテープ審査、夕日夕焼けフォトコンテスト、キャッチフレーズコンテスト、シンボルマークコンテストを思い出します。いずれも自分が発案し、自分が募集要項を作って募集、審査委員お選任や依頼、審査結果を取りまとめなどを掌る事務局を担当したのです。

 結果的には満足のいく成果を挙げて、旧双美町という町のまちづくりや知名度アップに大きく貢献しましたが、グランプリや最優秀賞に賞金を出すという、当時の行政では余り例のないことをしただけに、かなり緊張したものです。

 事務局として裏方を経験したことは、その後自らが審査員として関わって審査するのに大いに役立っています。今は時々審査委員長という大役を仰せつかって、浅学菲才ながら審査講評の作成や審査発表などにも関わっていますが、いつも選ばれなかった方々のことを思うと、胃が痛くなるような気持ちになるのです。私も若い頃から論文募集や補助金・助成金、海外派遣歳暮集などに応募して、その都度審査された結果に一喜一憂してきました。偶然にもこれまでは限りなく100パーセントに近い好結果で選ばれた幸運者ゆえに、落成者の気持ちを考えなければならないのです。

 昨日の結果は市長さんに報告され、市長さんが判を押して決定し発表、表彰と順を追ってゆくものと思われます。何事もなく成果が現れるよう祈っています。

  「文書にて 予備の審査を 行なうが 三人三様 微妙に違う」

  「選ばれし 人や団体 嬉しいが 選漏れ人の 顔々浮かぶ」

  「俺などが おこがましくも 審査員 長年生きた 証だろうか」

  「若松さん 呼び止められて ハッとする 審査帰りの 道でばったり」

 

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