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〇孫朋樹と二人で菜の花ウォークを楽しみました①

 昨日は長浜町から双海町まで歩く恒例の菜の花ウォーク大会が行われました。例年参加しているのですが、今年は一年生になる孫朋樹を誘い、二人で参加しました。参加といっても20キロを歩く自信がないので、下灘から上灘まで10キロのオープン自主参加なのです。孫はサッカー教室などに通っているものの少々運動不足でしょうか肥え気味だし、私も運動不足気味なので一緒に歩くことにしたのです。妻に下灘漁協荷捌き所付近まで連れて行ってもらい9時20分に歩き始めました。

 昨日はあいにくの天気で東よりの風が吹いて霧雨のような雨が降っていましたが、いくつかのチェックポイントを決め、そこで記念の写真を撮りながらのんびりゆっくり歩きましたが、前日に比べ温度が低いため中々体が温まりませんでした。特に手はかじかむほどの冷たさでした。

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(下灘漁協前の国道をスタートしました)

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(下灘上浜の踏切から旧道に入り下灘駅を目指しました)

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(下灘駅は日本で一番海に近い駅として有名で、フーテンの寅さんの映画の舞台にもなりました。毎年9月第一1土曜日には夕焼けプラットホームコンサートが開かれます)
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(日喰と書いて「ひじき」と読む場所で国道378号に出ました)
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(この場所には昔日喰の一本松という立派な松がありましたが、松くい虫の被害で枯れました)
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(国道とJR予讃線線路との間の急斜面にはやぶ椿の花がいっぱい咲いて、足元はきれいな花のジュータンがありました)
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(4両つないだ列車が富岡入り口の上を通過しました。200人の参加者を乗せて長浜へ向かっていて、この人たちが10時にスタートするのです)
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(第1回目の休憩地くじらという妹のお店です。この日は恒例行事の菜の花ウォークに対応するため、姉や身内の人たちが応援に駆けつけていました)
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(閏住の菜の花も満開でした)

  「二人きり 菜の花ウォーク やりました 時折雨の あいにく天気」

  「つなげども 孫の手冷やく かじかんで ポケット入れて 暖めてやり」

  「二人とも 運動不足を 自認して 僅か十キロ 選んで歩く」

  「足踏みの 春の冷やさが 身に染みて 背中飲み物 少しも減らず」 

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〇ふるさと体験塾

 町内の子どもたちを集めた子ども教室の実行委員長をしていることもあって、一昨日の土曜日はあいにくの雨の中でしたが、今年度最後の第7回ふるさと体験塾に参加しました。今回は翠小学校周辺の歴史を探訪しようと、双海史談会の中嶋さんと木曽さんを講師に招きガイドをしていただきました。小学生に郷土の歴史を分かりやすく話すのはかなり難しいようで、行く先々説明にはかなり苦労しているようでした。

 翠小学校体育館下の駐車場で開会式をした後一行は、傘の花を開かせて正光寺へ向かいました。途中山吹御前を笹の葉船に乗せて運んだという伝説の残る曳坂や山吹神社、源氏という地名などの説明を受けました。残念ながら曳坂を歩くことは出来ませんでしたが、子どもたちは820年前のミステーリーに思いを馳せていました。

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 急な坂道を登る正光寺は観世音菩薩が本尊で、門前には六道で衆生の苦患を救うという六地蔵菩薩が祭れれていて、みんなで手を合わせて拝みました。上灘村の古い時代にはこの周辺が町の中心だったようで、明治10年頃に測量して完成した現在の地番も上灘川の東向かい側の久保集落から始まっています。そのことを裏付けるように上灘88ヶ所もここから始まっていて、1番から4番と、終わりの87番、88番の石仏が並べられていました。いずれも苔むしていますが、昔の人の信仰の深さに驚きました。

 双海町には三島神社が2つあります。本郷亀の森にあるのは旧高岸村、三島にあるのは旧上灘村の神社です。昔はいくつも神社があったそうですが国策によって合祀されたそうで、境内には色々な神様が祭られていました。また三島神社の境外には33番から36番までの石仏が祭られていて、土州の記載があるようです。


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 三島地区の入り組んだ道を通って岡地区へ向かいました。ここには背後に聳える烏帽子嶽城主稲葉帯刀を祈念した祠がありました。長宗我部元親侵攻の折、五月幟と敵の旗指物と間違えて不覚を取ったため、今でも岡地区では五月幟を立てない風習があるのだそうです。

 畑の隅には稲葉帯刀にまつわる五輪塔が沢山祀られていました。五輪塔は地・水・火・風・空の五つを表していますが、今から400年以上も前の歴史が道端に点在していて興味をそそりました。

 近くには東峰おきよの池を造った功績者であるおきよさんのお墓がありました。大洲藩主の乳母をしていたおきよさんは退任時、藩主から温厚忠実さを賞され、その褒美として渇水に難儀している村人を救うために用水池を造って欲しいと懇願し出来たのです。今もその池は地域の田畑を潤しているのです。


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 最後は地蔵寺です。本尊は延命地蔵菩薩です。このお寺は2度も大火に見舞われ現在の地に移ったようです。この寺の境内には39番から46番まで8体の石仏が祀られています。昔は春と秋の2回巡拝することで、祖国88ヶ所寺巡拝と同じご利益を願ったのでしょう。

 お寺ではお茶とお菓子のお接待があって、子どもたちは大喜びでした。歴史探訪を終えて再び翠小学校まで歩いて帰り昼前に閉講解散しましたが、身近な歴史に触れることで郷土に対する愛着が深まって欲しいと願っています。

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  「畑中を 傘差し子ども 賑やかに 歴史散策 つくしビックリ」

  「六地蔵 頭に赤い 帽子受け 子どもの祈り 聞くが如くに」

  「この五輪 地水火風 それから空と 説明するも 理解しきれず」

  「ひっそりと 雨に濡れたる 仏たち 椿万両 あでやか赤く」 

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〇孫の成長と木の芽吹く頃

 三寒四温とはよくいったもので、このところの気候は足繁く雨が降って「春に三日の日和なし」の感じがする今日この頃です。冬の寒い頃は防寒用の衣服を着込んで過ごすため、そんなに風邪を引かないものなのですが、寒かったり温かったりするとその調節が難しく、ちょっと気が緩むと体調を崩すので、季節の変わり目の今頃は気をつけなければならないのです。

 今朝も夜来雨が降り外の地面は濡れていますが、暖かいようなので書斎のストーブを着けずに午前4時過ぎからブログを書いたりカメラの写真を整理したりしていますが、気がついたら少し寒いようなのでちょっとだけストーブに火を入れました。


 昨晩は久しぶりにやって来た娘と息子の二家族がわが家を乗っ取り大変な騒ぎとなりました。午後8時過ぎに風呂を沸かして孫4人を私たち夫婦が入浴させました。一人また一人と頭や体を洗って数を数えさせて上がらせるのですが、生後9ヶ月の孫奏心を除けば3人は、頭からザーザー洗い湯をかけても泣かない強い子に育っているものの、風呂場はもう動物園のおりの中のようでした。

 一番先に出た年齢的には3番目の希心がお父さんを追っかけて廊下を走って玄関に出た矢先、転んで花瓶を転がしてしまいました。その折顔面が過敏にあたり小さい傷ながら血だらけになり、泣くやわめくやらで大騒ぎとなりました。大事を取って両親は松山の病院へ連れて走りました。一番下の奏心は私が抱いて寝かせ、そのうち私の布団に一緒に入って二人で寝てしまいました。そのうち息子たちが病院から帰ってきましたが、大したこともなくてホッとしました。子どもはいくら注意をしていてもこんなハプニングがあるので気をつけなければならないと肝に銘じた夜でした。

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 昨日庭に出て見ると目立ちの早いブルーベリーがいっせいに芽を吹き、早いものはもう花芽が膨らんで開花の時期を迎えているようでした。昨年末に根元に施肥した油粕が効いたのか、どの鉢も元気に成長しています。雨露を蓄えキラキラ光る目立ちや花芽を見ると今年もかなりの収穫が見込めれるようです。

 ブルーベリーは孫たちも大好きで収穫した実は幸便で孫たちの元へ送ってやるのです。

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 さあ春はいよいよ本番となりました。家の横の家庭菜園も人間牧場も雑草が伸び始めてきました。毎年の繰り返しが人生の積み重ねでしょうが、今年も病気せずに冬を乗り切り元気に春を向かることができました。思いを込めて春を楽しみたいと思っている今日この頃です。


  「この冬も 病気もせずに 乗り切った 今年も忙し 予感する春」

  「腰重い 十キロ孫を 抱いたせい やはり歳だな 思わずさする」

  「木の芽吹く 庭のあちこち 春が来て ウグイス近く 下手糞鳴きぬ」

  「植物は 気温で春を 感じ取る 私は妻の 料理で春を」

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〇五行歌会に入会

 私の友人の玉井さんから、「五行歌会へ入りませんか」というお誘いがありました。他の友人から再三にわたって俳句会や短歌会に誘われても、ラベルとレベルが低いと訳の分からぬ理由をつけて入らないのに、玉井さんからの誘いにあっさり応じたのは、玉井さんが水産高校の先輩だし、風貌や仕草がどこか放浪の俳人種田山頭火に似ていて、言うことを聞かないと罰が当たると思ったからかも知れません。「とりあえず入会金は私が立てかえておくから、五行歌を作って送って下さい」と電話やメールがあり、入会することにしました。

 私が俳句や短歌の会に入らなかったのはラベルとレベルがないからだと書きましたが、もう一つの理由は暇がないのです。相変わらずの放浪癖で全国講演行脚や大学での講義など、現職時代以上に毎日が忙しくやればのめり込む性格ゆえ、これ以上忙しくなると身がもてないと思ったからです。

 「まあ気楽な気持ちで、歌会には参加できにくいということを代表の見山さんに伝えておきますので・・・」ということで一件落着となりました。さあ困りました。五行歌は自由律詩なので俳句や短歌のような決まりごとがないと伺っていたものの、いざ作ってみると中々どうして上手くできないのです。

 思いつくままにお題である「もらった」をテーマに3首作り、玉井さん宛てにメールで送りました。

 「大金をママから貰った政治家は 知らなかったと胸を張る 妻など千円 あげたあげたと」

 「嫁さんに貰った時は 角隠し 今じゃ牛より 大きい角を 出して居座る古女房」

 「隣からうどんの匂い風に乗り そのうちおばさん お食べとガラリ 貰って嬉しい 花いちもんめ」

 おっつけ玉井さんから、「歌会は一人一句なので、うどんの句を欠席歌として持って行きます」と連絡がありました。その後忙しさに紛れて投句したことなどすっかり忘れていた二昨日、五行歌の代表である見山あつこさんから、丁寧達筆なお便りを添えて2月歌会の結果が送られてきました。「欠席歌」という烙印は押されていましたが、末尾に「初投稿・二位」という朱印が書かれていました。何とも面映いデビューです。歌会に投句された作品はどれも之も素晴らしく、私の作品など非ではありませんでしたが、多分初心者ゆえの語法日だったに違いないと自分で納得した次第です。

 歌会の模様が書かれた3枚の資料の末尾に、三月のご案内があったので、「締め切り3月11日」に間に合うかも知れないと一句作って送りました。

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 私の駄作に☆印がついて「隣近所のつきあいも悪くなった今、まだこんな世界も残っているのだと知って、心がホンワカしてきました。貰ったのが「うどん」というのがまた気張らなくていいですね。」と嬉しい選評コメントがつけられていました。

 私は自分で「笑売短歌」(笑いを売る楽しい短歌ならぬ啖呵)なるものを思い立ち、5年前からブログ末尾に毎日4首ずつ駄作を書いています。ブログの読者にはすっかり御馴染みになって、時々嬉しい反応があるのです。笑売啖呵も五行歌も、全て世知辛い人生の日々をメリハリをつけて楽しく生きようとする、私の粗末な生き方なのです。気張らずこれからも月に一首ですから投句したいと思っています。


  「投句する いきなり入選 銀メダル 素質あるのか 勘違いして」

  「ルールなし これが一番 気に入った はてさて自由 不自由なもの」

  「乗れという 五行歌船に 乗りました 何処を目指すか 分からぬままに」

  「でこぽんと いう名のみかん 何処となく へそが飛び出て あの人みたい」 

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〇懐かしい新井のおばさんに出会う

 木造校舎で有名な翠小学校の改修が終わり、先日は発表会のご案内をいただきながら県外へ出張していたため、そのことが少し気になっていました。急な思いつきで学校を訪ね許しを得て写真に収めた帰り道、ひとりのおばさんに出会いました。剣道を走っていると何やら川の向うに顔見知りのおばさんが見えました。「あっ、新井のおばさんだ」と思って単車に乗ったまま手を振りました。気づいたのかおばさんも手を振ってくれました。そのまま帰るのも失礼と思い、橋を渡った直ぐ横の道を引き返し、おばさんの家の玄関まで行きました。

 聞けば私と認識もせず手を振ったらしく、私のいきなりの訪問にとても驚きとても喜んで、「まあお入りなさい「と家の居間に案内されました。一人住まいの独身女性の家へ入るのは気が引けましたが、まあ大正7年生まれの91歳のおばさんだからと割り切って、言うがままコタツに入り話を始めました。

 この方は新井淳江さんでかつて若い頃は農協婦人部の部長さんもされていました。税理士だったご主人が亡くなってからは一人暮らしをしているようですが、3年前娘さんとご一緒にシーサイド公園でお会いしたことを覚えておられて、「3年ぶりかな」と、聡明な記憶力に驚いてしまいました。

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 門構えの立派なお屋敷に一人暮らしているので、時々夕凪荘という特別養護老人ホームへディサービスで出かけるという話、車に乗れないため買い物が不便だという話、一人で暮らしていると気ままだが多少不安になるという話、そして私が立ち寄ってくれたことが対ソ嬉しいという話などなど、お茶を飲みながらつかの間の話に花を咲かせました。

 このおばさんは若い頃からきちんとした身なりをして、笑顔を絶やさない人でした。ゆえに歳をとったらあんな年寄りになりたいと思っていた一人なのです。「まあお茶でも」「まあバナナでも」と差し出され、嬉しさを隠せないようでした。「歳をとったら人に声をかけてもらい話すのが一番の幸せです」という言葉を聞きながら、後ろ髪を引かれる思いで別れを告げました。玄関先で見えなくなるまで手を振る姿を単車のバックミラーに目をやりながら、出会いや老いについて大いに考えさせられました。

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 この日私は持っていたデジカメで断りを入れて写真を撮ってあげました。はにかんだ様子がまたとても可愛らしく、デジカメに写った写真を見せると、デジカメの不思議に見とれながら、また二人で大笑いしました。

 今日は雨模様ながら、翠小学校に集まって、私が実行委員長をしている子ども教室のふるさと体験塾が行われるため、翠小学校へ行くので、早速写真をプリントしてプレゼントしてあげたいと思っています。


  「腰かがめ 見えぬなるまで 手を振って 送ってくれた 人ぞ愛おし」

  「一人住む 家に入りて 懐かしき 頃の話に 花を咲かせる」

  「ああ嬉し 手を取りながら 涙する 老婆の姿 母に重ねて」

  「写真撮り プリントアウト したものを 自宅に届け 再会約す」

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〇井伏鱒二とジョン万次郎漂流記

 福山市から「食のブランド化講演会」に招かれて出かけました。カーナビに電話番号で入力していた通り国道2号線から右折して間もなく、怪獣となっているまなびの館ローズコムという鉄筋4階建ての立派な建物に到着しました。講演会は午後7時からでしたが少し早めかなと思いつつ、指示されたとおり担当者に携帯電話で連絡し、駐車場へ車を入れ、待ち合わせ場所である1階の図書館ロビーでくつろぎました。

 図書館はとても立派で、特に外の公園と一体になるような、総ガラス張りの窓際には個人学習用の机がいくつも置いてあり、満席の状態で読書にふけっていました。

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(まなびの館ローズコムの前景)
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(図書館ロビー)
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(素敵な窓際の読書環境)

 長いロビーの椅子に持っていた木になるカバンを置き、図書室内を一巡しましたが、ロビー近くの書架に福山市ゆかりの人たちの本が置かれたコーナーがありました。その中に小説山椒魚で有名な井伏鱒二を見つけました。そしてその作品の中に「ジョン万次郎漂流記」があるのを見て驚いたのです。凡人の私には井伏鱒二が福山市出身であることすら知らなかったのは当然ながら、私の人生においてもっとも大きな影響を受けた本である「ジョン万次郎漂流記」で井伏鱒二が直木賞を取ったことさえ知らなかったのです。

 その本は1938年に出版されています。私の誕生年が1944年ですから生まれる6年も前に世に出ているのです。手にとって初版本を捲り読みしましたが、私が小学校5年生の時読んだ伝記集とは少し様子が違っていました。それでもこの本が縁で30歳になったらアメリカに行こうと決意し、青年の船に乗って建国200年のアメリカへ本当に行けたのですから、このコーナーで本を見つけた時の驚きは相当なものでした。

 多分私は旅先でのつかの間の出来事ながら、2010年3月3日17時のこのことは一生忘れないでしょう。

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(井伏鱒二コーナー)
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 「若松さんですか」という迎えに来た素敵な女性の言葉にふと我に返りましたが、旅先での意外な発見に私のボルテージは高まったままでした。そして市長さんや課長さんなど次々と控え室に見えられた市幹部との面談を終えてから以後の講演も、井伏鱒二効果なのでしょうか、まあ何とかその攻めを終えることが出来ました。

 私の手元に井伏鱒二作「ジョン万次郎漂流記」はないため、早速インターネットアマゾンでこの本を取り寄せ、出来るだけ早く読みたいと思っています。


  「旅先で 井伏鱒二の 本出会う 鳥肌たって 本を立ち読み」

  「余りにも 知らなさ過ぎる この人が 訪ねた街の 出身なんて」

  「ひょっとして この本なくば アメリカを 目指す夢など 見ず済んだかも」

  「ああ嬉し 謎が解けたと 安堵する 早速本を ネットで注文」

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〇福山食のブランド化講演会に招かれて

 海や山に囲まれ自然豊かで温暖な瀬戸内海気候の福山は食材も豊富です。送られてきたふくやまブランド農産物推進協議会発行の小冊子を開けると新鮮で品質のよい、しかも安全で美味しい地場産品が名前を連ねていました。青六きゅうり・アスパラガス・いちご・きゅうり・金時にんじん・くわい・こまつな・しゅんぎく・しょうが・たまねぎ・ほうれんそう・細ねぎ・みずなといった14品目の野菜に加え、あんず・いちじく・かき・キウイフルーツ・すもも・ぶどう・ももといった7品目の果物がブランド農産物に指定されているようです。

 これらに海の幸を加えれば福山の食はかなり豊富です。しかしこれらの産品を同ブランド化してゆくのか、どの街もしのぎを削っている昨今ですから容易なことではありません。「ふくやまSUN]という愛称で推進していますが、直ぐ隣の岡山は「晴れの国岡山」をキャッチフレーズに太陽の恵みを最大限生かしてブランド化を推進しているのです。

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 さて講演会で私は、何処にでもある夕日をテーマに食やイベントを手がけたまちづくりについて、いつもどおりお話をさせてもらいましたが、そのまとめとして次のことを強調しました。

  イメージ  ・福山というまちのイメージ

    +     ・安心安全のいうイメージ

          ・風評効果イメージ

          ・六感イメージ(視覚・聴覚・触覚・味覚・臭覚・知覚)

          ・文化イメージ

          ・活力イメージ

  情報戦略  ・アナログ情報

    +    ・デジタル情報

         ・マスコミ情報

         ・口コミ情報

素   材  ・農産漁家直接

+ ・農協-市場-商店(マーケット)

          ・産直販所

          ・ネット通販

  加   工  ・特産品
           ・レストラン-料理

          ・ホテル民宿

  =

  経   済


 農漁家=素材=消費者


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 また消費者を①本物思考の消費者(5%は高くても買う)、②学習思考の消費者(15%は良ければ買う)、③安物思考消費者(55%は見た目8割、安ければ買う)、④無意識な消費者(25%意味もなく買うか買わない)4つのタイプに分け、これからは①と②に対する戦略と、風評被害を巻き起こす③を風評効果に変える戦術が必要ではないかと話しました。

 食は消費産業なので当たればとてつもなく儲かります。しかし当たらなければ風評被害の餌食になって闇へ葬り去られます。これからは例えば福山市のイメージとなっているバラの花でドレッシングを作り、それを小袋にして学校給食に毎月一回出せば、これが全国の話題となっていくに違いありません。この日私は「裏が味噌」という名刺を持って乗り込みました。この会社は既にバラドレッシングという商品を福山で開発しているのです。しかし之をブランド化しようという考えはまだのようです。要はバラを通じてふるさと意識を育てるのです。新しい発想で物事を考えないといけいけないということです。一石を投じに出かけましたが、さて私の投げた石は誰の心に当たったでしょうか。

 講演が終わって質疑の時、一番前に座った若い市役所職員が手を上げて質問してくれました。一番前に座る勇気、質問をした勇気に大きな拍手を送ります。


  「この街も 何でもあって あり過ぎて どれを目当てに すればいいのか」

  「前座る 若い職員 手を挙げる あっぱれですよ 久々嬉し」

  「講演は みんな聞くけど 一人だけ 心動けば しめたものです」

  「バラドレを 子どもみんなに 食べさせる 地産地消は 発想転換」

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〇つかの間に福山城を訪ねる②

 福山城で侍姿の銅像に出会いました。近づいて碑文を読むと福山藩7代目藩主阿部正弘でした。阿部正弘といえば僅か25歳で江戸幕府の老中となり、27歳で老中首座に就任、幕臣として幕末の安政の改革を断行した人です。人材育成のために藩校弘道館を誠之館に改めて身分によらない教育を行った人で、2008年の大河ドラマ「篤姫」では草刈正雄が好演して話題になった人です。

 安静の改革は安政の大獄といわれる生みの苦しみもあって、吉田松陰などが投獄処刑されたりもしましたが、まさか福山藩の藩主だとは知りませんでした。私の歴史の知識もこんな薄っぺらいものだと、自分自身の浅学を悔いました。

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 お城の直ぐ下には美術館や博物館などが立ち並び、その周囲の修景は景観賞にも選ばれるなどしていて見事でした。また美術館前の広場には立派な美術オブジェがあって、和洋新旧が見事にマッチしていました。夕闇迫る公園では市民が長閑に散歩を楽しみ、時折近くを通過する新幹線の白い物体が、一瞬だけ時の動きを感じさせてくれました。

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 福山城周辺の散策は1時間弱で終わりましたが、今度広島方面から新幹線に乗る時は是非東京に向かって左側の席をキープして福山城を列車の中から見て見たいと思いました。つかの間でしたが、思い切って福山城を訪ねてよかったとしみじみ思いました。


  「福山は 日本らしさの 残る街 友も知らない 穴場発見」

  「安政の 大獄吉田 松蔭と ここで繋がる 歴史赤糸」

  「新旧と 和洋が見事 マッチした 公園ひとり のんびり歩く」

  「桜咲く 季節楽しみ 再訪を したいと心 決めて去り行く」 

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〇つかの間に福山城を訪ねる①

 私のように四国に住むものが新幹線を利用する場合は殆どが岡山から乗車して大阪や東京を目指します。したがって余程のことがないと倉敷・・福山・尾道などは縁遠い駅なのです。広島は博多や九州各地への行き帰りに使うものの、岡山に比べたらその数は少ないのです。それでも新幹線の列車に乗って車窓を眺めるのが好きな私は、車窓に姫路城などを発見すると行って見たいような気分になり、何度か途中下車して訪ねたことがあるのです。そんな車窓の風景の記憶に、福山駅北口の直ぐ傍の福山城があって、一度は訪ねたいと思っていました。

 昨日出かけた福山は広島県第二の都市で、校区単位に設置された公民館などへは度々招かれて話に行っていますが、その殆どは今治から島伝いに架かったしまなみ海道を車で行くため、公共交通機関を利用しないのです。しかし私はどうしても新幹線の車窓から見える光景が忘れられず、昨日は少し早く福山入りできたので、急な思いつきでカーナビに歯向かって福山城を見学することにしました。お城近くの丸の内パーキングに車を止めて一人歩いて散策しました。

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 何処が入り口か分からぬまま、お城のことゆえ何処からでも上がれるだろうと鷹を食って登り始めました。城門がないので多分正門ではないと思いつつ登って行くと、直ぐに天守閣前の広場に出ました。いやあ実に立派な五層のお城にびっくりしました。このお城は松山城のような高い城山に聳えるお城ではないいわゆる平城なのですが、優雅さは天下一品でした。

 お城の入り口で中を見ようとポケットに手を入れると財布がないのです。車の中のバッグに入れたままだったので、残念ながら引き返すことも出来ず、今回は城周辺の散策でお茶を濁してしまいました。それにしても福山城はとても立派に復元と管理ができていて、こじんまりとした風情は必見の価値がありました。

カメラ散歩でその全容の一部をご覧ください。

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(五層の天守閣)
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(広場にある松の木は味のある幹筋をしていました)
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(月見櫓)
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(湯殿)
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(時を知らせる太鼓櫓)
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(荘厳な城門)
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 福山といえば鞆の浦といわれるような歴史的イメージや日本鋼管などの会社を思い浮かべます。最近は鞆の浦の開発か保存かが司法の場で争われて一躍話題になっていますが、どうしてどうして、この城山周辺だけでも周りの倉敷や尾道に負けない歴史的景観が残っているのです。軽薄かもしれませんが私は駆け足で散策した福山城周辺の景観で福山市への想いが少し変わったようなのです。勿論鞆の浦も大好きな景観だし、福山市と合併した沼隈や内海、神辺、新市なども加えると日本に誇れる街だと思いました。


  「カーナビに 逆らいハンドル 左切る 福山城の 辺り散策」

  「車窓から 見ていたお城 目の当たり いいもの見たと 感激しきり」

  「お城見て お目々白黒 あっちこち 短い時間 ゆえに充実」

  「ポケットに 財布入れずに 城入れず 残念無念 次の機会に」


 

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〇何気ない街中の風景と去る人来る人

 何気ない街の風景の中に、「オッ」と感じることが時々あります。昨日は金融広報委員会の会合が、日本銀行から農協会館リジェールに変更になったため、日本銀行に車を止めて歩いて会場まで行きました。季節はもうすっかり春の装いで、街中を歩く人の殆どはコートを脱ぎ、のんびり歩いているように見えました。

 伊予銀行本店、共済会館、県警本部の裏道を通って堀端通りに出ると、市駅方面から坊ちゃん電車がやって来ました。今はもうすっかり松山の街に溶け込んで、振り向いたり物珍しそうに見たりする人は殆どなくなりましたが、それでも可愛らしいその姿に、思わず持っていたカメラを取り出して一枚写してしまいました。こんな時はいつも、「よくぞカメラを持っていたなあ」と思うのです。

 私は松山にやって来た友人を案内するため、まだ一度しかこの坊ちゃん電車には乗っていませんが、できれば桜の花の咲く頃に孫でも誘って乗りたいと思いました。

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(松山の街中を走るマッチ箱のような可愛らしい坊ちゃん電車)

 「さあ会場へ入ろう」と目をやると、農協会館の玄関先に農協運動の象徴的な言葉を刻んだ石碑を見つけました。書かれている言葉は「一人は万人のため、万人は一人のため」と書かれ、その下には横文字で記されていました。横文字をメモしようと思っていたら、同じ会議に出席するメンバーから声を掛けられたため、やむなく諦め一緒に8階までエレベーターで上がりました。

 会議の最中もこの言葉が気になっていました。「誰の言葉だったのか?」「どんな意味だったのか」「誰に対するメッセージなのか」色々考えましたが、その真意はこの会館に勤めていた清水塾長に後日聞くことにしたいと思っていますが、いい言葉ながらこの様な精神が社会から消えている現状を寂しく思いました。



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(農協会館前の素敵な言葉の石碑)

 この日の研修会は、愛媛県金融広報委員会の会長を務める日銀松山支店長さんも見えられ挨拶をされました。私たちのような人間にとって日銀支店長さんにお目にかかる機会など滅多にないので、嬉しい限りです。

 この日はこの一年間の反省と来年度の計画や役割分担などについて話し合いましたが、今季限りで退任するアドバイザーに感謝状が贈られ、新しくメンバーに加わるアドバイザーに委嘱状が手渡されました。私より遅く委嘱された人が退任される度にいつも思うことですが、【私もそろそろ」という思いが頭をよぎりました。

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(会長さんから感謝状を贈られた今期で退任される田上アドバイザー)

 昼食は少し豪華な幕の内弁当が用意され、田上さんの送別会が持たれました。短い期間だったためそれほど親しいお付き合いはありませんでしたが、それでも会合の度にさわやかな笑顔で接してこられたまるで春風のような人だったと思いました。

 昼食を食べながらの雑談は久しぶりに楽しい笑い声に包まれました。この3月は間もなく終わる今年度の報告書を作ったり、来年度の予定も報告しなければならず何か慌しく感じますが、任期中はしっかりと役割を果たしたいと思っています。


  「何気なく 街中ウォッチ するだけで 何処か新し 発見ありて」

  「桜咲く 堀端辺り 電車乗り 孫と一緒に 散策したい」

  「春なると 行く人ありて 来る人も 我はそのまま どこかこそばい」

  「なるほどと 石碑刻んだ 言葉読む 声を掛けられ 我に返りて」 

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